第2節 涼しいお店
数分後、俺はエル・エガート百貨店の入口へと引き返していた。
建物を出て空を見上げる。
雲ひとつない空は、俺の心を形容している。
「あれは無理だよ。フラン」
コルヴィンのテナントで見たのは熾烈な攻防。
限界まで引き上げられた俺の動体視力で捉えたのは、コンマ以下の戦い。
一目見ただけで、俺の心はへし折られた。
清々しいまでの諦念が心地よい。
心なしか、袋の中の冷凍された魚が同情の視線を送っているように感じる。
乱れた服を正して、帰路につく。
言うまでも無くコルヴィンの製品は手に入らなかった。
帰り道を歩いていると、ふとフランが言ってた武器屋の位置を思い出した。
(確かこの辺だったな)
そういえば今日は、俺の剣状魔導器の整備が終わる日だ。
俺の剣状魔導器と言っても、フランの魔導器――ドラクール伯爵家の超一級品――を借りているだけなのだが。
引き取りに行くのは今日以降でも良いが、せっかくだ。帰りに寄って行こう。
もう整備は終わっているはずだ。
魔導具の定義は確か、『魔石を核とした内部結線をもつ武器の総称』だったな。
魔回路と核を通して、魔術の行使の際、魔力が増幅され展開される。この世界の個人が持てる最高峰の武器。
刃物であったり、木材で出来た杖であったりするだけに、小まめな整備が必要で面倒だ。
それも仕方ないか。
実戦で魔回路が短絡していたら、魔術の出力が格段に落ちる。
生存率を下げる要素を放っておく必要はないだろう。
ギルド登用試験時に所持していたら結果はもっと違っていたのだろうか、そんなどうしようもない考えに至った時、武器屋に着いた。
古汚い木の扉を開くと、所狭しと並んだ金属の冷気が肌をさす。
剣状魔導器、杖状魔導器、魔回路をもたない単なる刃物、杖。
ショーケースには魔石が並ぶ。
廉価な大量生産品から、国宝級のものまで多種多様にその存在を訴えていた。
それらをよそに、奥で座っている小柄な主人のもとへ声をかける。
「整備に出した魔導器を引取りに来た」
「……名前は?」
武器屋の主人とは初対面である。
俺がギルド登用試験に行った翌日にフランが整備を頼んだからな。
「清水透也。清水が姓で、透也が名だ」
「あぁ。……ぁあッ! お前がフランセット嬢ちゃんのッ! 憎たらしい」
こういうやり取りはよくある。
フランはよく好意を引き寄せるのだ。
そして、こういう場合は大抵――
「お前のことは嫌いだが、フランセット嬢ちゃんの知り合いということで懇意にしてやる。知り合いということでな」
「あ、あぁ。清水……トウヤ・シミズだ。よろしく頼む」
気まずさの上にぎこちない人間関係しか構築できないのである。
「好きに名乗れ。ここは移民が集う街だ。種族、部族ごとに気にしてられるか。姓やら名やらの順序なんてどうでも良い。エフレム・ベルマンだ。一応だが、姓がベルマン、名がエフレム。覚えなくていい」
そう言うとエフレムは店の奥に行ってしまった。
確かに移民が集うこの街で種族、部族ごとの氏名制度なんて気にしていられない。
呼び名がひとつあれば十分だろう。
それにしても、姓と名をわざわざ教えたのを考えると、エフレムは不器用なだけで意外とまともな奴なのかもしれない。
白銀に輝く剣状魔導器を抱えて、エフレムはすぐに戻ってきた。
片手で扱える程度の刀身に、流線型の美しい鍔、グリップには滑り止めの黒い布が精細に巻かれている。
見ただけで分かる。
実に精巧な手入れがされている。
ほこり一つ付いていない。
フランがこの店に整備を頼んだのも理解出来る。
「金は貰ってる。ほら受け取れヒモ野郎」
心外だ。確かに世話になっているが――。
そして俺は判断した。
こいつは不器用な上にまともじゃない。
「これからは俺が養うよ。恋人としてな」
そう言うと俺は、建物を振動させる程のエフレムの怒号を背に、店を後にした。