第1節 お日さま、きらめく
春の匂いがする。
海に反射する日の光が眩しい。
今日の朝市が終わった。
フランに言われた通りの冷凍魔術で保存された魚類は買えた。
しかし、自宅がある商業区からわざわざ漁業区まで足を運ぶのは疲れる。
早朝に起こされ、飯を流し込まれ、買い物に行かされるのは常々あることなのだが、精神的な疲労に慣れることはない。
今頃フランは学院で講義をしている頃だろう。
商業区に差し当たったあたりで、アルウェル最大の百貨店――エル・エガート百貨店が見える。
(今日はやけに人が多いな)
ギルド、学院に匹敵する巨大な建築物の前に人だかりが見える。
貴婦人が多いが、学生までいる。
(講義までサボって何してるんだ?)
そろそろ開店時刻だろう。
そう思ってる隙に、ドアマンが扉に手をかける。
開くぞ……。
3、2、1――。
扉が開けられると同時に、第四等級魔術〈イラプション〉にも引けを取らない爆音が鳴り響く。
爆音の正体は、声。
女性達が互いに罵り合い、店内を突き進む異様な光景が広がる。
さながら進軍にかける行進曲。
道すがる人を釘付けにしても余りある異様。
(そういえば女性が多かったな、男性もそれなりにいたが……一体何だったんだ?)
一拍間を置いて、疑問が氷解する。
置き去りにされ、閑散とした入口に掲げられた看板が目に入った。
『コニヴィン、アルウェル店商品総入れ替え! 在庫一斉処分セール!』
超高級ブランド、コニヴィン。
ここ数年のうちに発足したにも関わらず瞬く間に、コニヴィンが展開する前衛的かつ洗練され気品が漂う上質な衣類は、『超高級』を冠するに値するだけの値段設定をしても、世界中の人々が買い求めた。
貴族は自分を着飾るに値すると評価する。
貴族階級にあたらない大人は、高額だとしてもその機能性、デザインから購入を検討する。
学生にとっては間接的な、『大人』への憧憬。
学院でも学生、教師を問わず所有者を見る。
そこで俺は、フランと昨晩の外食時に交わされた会話を思い出した。
***
「あなたのせいで、ヒールが折れました」
「おい、見ろよ。漁港に船団が入るぞ。どこの国の船団だろう」
この話はまずい。直感で分かった。
話を断ち切るために、脈絡のない事を述べる。
「あなたに見せるために持ってきました」
「国旗を掲げていないのを見ると移民かな」
フランがカバンをあさり出す。
どうやら本当に持ってきたらしい。
「見てください。これです」
「船団規模の移民なんて珍しい。これ以上、街を賑わかすことを許可するなんてアルウェルはどこに向かってるんだ」
フランは取り出したヒールを、ぞんざいにテーブルへ叩きつける。
皿が無いとはいえ、食事をするテーブルだぞ。
グラスに入ったポートワインが揺れる。
「どこのブランドか分かりますか?」
「なんか漁港側が揉めだしたぞ。上との連絡が不十分だったんだな。ホウレンソウを知ってるかフラン。報告、連絡、相談の略語だ」
どこのブランドかなんて見ればすぐに分かる。
特にそのブランドに関しては――。
「コニヴィンです」
「な、なんだ。入港が許可された。ちゃんと出来てるじゃないかホウレンソウ」
フランが氷点下の視線を向ける。
声に抑揚がない。
冒険者をやめてください、としつこく迫るフランに対して、『討伐系の依頼は受けない』との条件を提示し妥協させた。
その甲斐もあって、フランの不機嫌はだいぶ和らいたと思っていたが、どうやらまだ問題は残されていたらしい。
「まぁ、いいでしょう。明日の早朝に朝市に行ってもらいます。晩御飯の食材を買ってきてください。その後はあなたの良心に任せます」
「あ、あぁ! 分かった! そんなことで良いならいくらでもする! だから早くそれをカバンに戻してくれ!」
無残な姿のコニヴィンのヒールは、その存在だけで俺の精神を彫刻に命を賭けた匠の如く削る。
それに、フランには心配をかけてしまった。迷惑もかけている。
そのヒールは、俺を心配して駆け付けた時に折ってしまったのだろう。
俺はいつかコニヴィンのヒールを贈ることを決意した。
***
「フ、フランめ! このセールのことを知っていたな!」
昨晩は、『あなたの良心に任せます』の意味が分からなかったがそういうことか!
どうする。
いや、悩んでる暇はない。
今この時においても、魔の手がコニヴィンに迫っている。
急がなければ。
俺は自身に身体強化魔術を行使して、進軍に加わり行進曲を奏でた。