第4節 抜き身持つは誰か
「お前、あんな美女と付き合ってるのか。そりゃあ死なねーよ。だって神がついてるもんな」
安い言葉を投げかけられた。
美女と付き合えるのは、神の加護のおかげだ、とでも言いたいのか。
しかし、この世界に送り込まれて一年経つが、自分の命を賭けたやり取りをしたのは、昨晩の戦闘が初めてだった。
開けられた窓から流れ込む緑の匂いが、やけになまなましい。
無事に今まで過ごせたのは、一重に先ほど帰宅させたフランのおかげだろう。
フランセット・デシー・ドラクール。
名門ドラクール伯爵家出身の彼女は、帝立アルウェル学院大学大学院の卒業生だ。
飛び級を重ね、大学卒業時は主席を華やかに飾った。
帝国の政治を担わないか、という誘いを断り今ではアルウェル学院で教鞭を振るう。
そんな特異な性格であるにもかかわらず、その美貌から男性からの誘いは絶えない。いや、女性からもか。
俺がこの世界に送り込まれて、まともな会話を交わしたのは、彼女が初めてだった。
その日から世話になるとは思わなかったが……。
「故郷の女性から相手にされず、アルウェルの女性からも相手にされないお前よりはな」
「言うじゃねえか」
俺も女性にそこまで縁があるとは言えないが、全身毛むくじゃらのコイツ――ホアンよりはマシだろう。
ホアン・アルミホ。
赤い短髪に茶色の瞳、頬から口周りにかけてヒゲを貯えている。
それは体格がいい、では言葉が足りないような逞しさもあり、様になっている。
長身で無骨、強靭な肉体はダラムサル人の特徴だ。
ちなみに、〈ミドレイア・オンライン〉において、ダラムサル人の女性は赤い長髪、豊満な肉体で魅惑的だった。
〈ミドレイア・オンライン〉――懐かしい言葉を思い出した。
家庭用に発売された、脳機能情報送受信装置〈ダイバー〉の唯一のソフト――VRMMORPGが〈ミドレイア・オンライン〉だ。
そして、どのようにしてこの世界〈ディプス〉に送り込まれたのか、予想は着く。
「トウヤ・シミズ様、ホアン・アルミホ様、お時間よろしいでしょうか?」
思考が遮られる。
声の方を向くと女性が立っていた。
着ている黒いシャツの胸元には、刃に貫かれた心臓の紋章が誂えられている。
見たところギルドの職員のようだ。
短く切り揃えられた桃色の髪が、風に乗り揺らめく。
逡巡していると、ギルド長がお呼びです、と見かねたように彼女は言った。
商業都市アルウェルのギルドは、帝国において比類ない規模を誇る。
帝国最大都市のギルドだ。考えれば当たり前だ。
城のように巨大なギルド施設から見て取れる。
そこのギルド長ともなれば、国の中枢と繋がっているのは想像に容易い。
「入りなさい」
気がつくとギルド長室の目の前だ。
隣のダラムサル人は姿勢を正し、服を整えるが、額には大粒の冷や汗が浮かび、全てを台無しにしている。
何ビビってんだコイツ。
「おい、トウヤ。お前、滝のような汗をかいてるぞ」
そして、俺は隣のダラムサル人より大量の冷や汗をかいたまま、ギルド長様と謁見を果たした。
「よく来てくれた。本来はまず私が出向いて謝罪しなければいけないところなのだが……。なんといっても事が事なだけに立て込んでいてね」
机の上には、大量の資料が乱雑に散らかっている。
そのうちの一つを拾い上げて――
「せめて、ギルド長として事態の成り行きを説明させてほしくてね。アンナ=マイヤ・クルゼル・クロンヴァールだ」
クルゼル、クロンヴァール侯爵家当主。
クロンヴァール侯爵家はアルウェルの治政の歴史そのもの。
彼女からはとても五十代とは思えない威厳が全身に見える。
学院で得た知識が頭をよぎる。
「早速だが、ギルド側の被害から話そうか。ギルド登用試験生四十三名中三十八名が死亡。同行したギルド監査官一名が死亡。付け加えると、彼は監査官でありまた同時に、Aランクの冒険者でもあった」
冒険者のランクは上からS、A、B、C、D、E、Fに分類される。
Aランクともなれば帝国屈指の冒険者なのは間違いない。
なにせ、共通規格化している同盟国と合わせてもAランクの冒険者は十二人しかいないのだから。
「次に確認された魔物、魔獣の死体についてだが……」
一旦区切って、手に持っていた資料を机に置く。
別の資料を拾いあげたところを見るに、一つにまとめ切れなかったのだろう。
「マンティコア七頭、ヘルハウンド十三頭、その他の魔獣計四十二頭。ギガース六体、オーガ八体、その他の魔物八十五体。魔物はどうしても、ゴブリンやらグレムリンやらで数が多くなるな」
桃色の髪のギルド職員が、両手で口を抑え目を瞠っている。
聞かされていなかったのだろう。
「監査官が所持していた情報記憶魔具から、戦闘の始終を見させてもらったが言うまでもなく激戦だったな。思い出しただけで身震いする」
マンティコア、ギガースはいずれもAランクの討伐対象だ。
〈ミドレイア・オンライン〉ではそれらが蔓延るフィールドやダンジョンがあったのだが、人の死を見て語れる話ではない。
それに、本当に怖いのはそっちじゃないだろ。
「それよりもね、私は君の戦闘能力が恐ろしいよ。トウヤ君」
ほら来た。
将来どこに矛先が向くか分からないもんな。
そうなる前にクロンヴァール侯爵は俺を処分するだろう。
どうする……このまま他国に逃れるか……?
いや、ダメだ。
この国自体に未練はないが、フランが気にかかる。
クロンヴァール侯爵は当然、俺とフランの関係を知っている。
なにせドラクール伯爵家の元令嬢と出自不明の黒髪が一緒に暮らしてるんだ。
貴族達の間で話題に上がらない方がおかしい。
収まりかけていた冷や汗が再び吹き出す。
「そんな怖い顔しなくても、君をどうこうするつもりはないよ。もちろんドラクールの彼女を人質に取ることもない」
「なら、俺は一体何をすれば良いのでしょうか?」
「君は賢明だね。助かるよ。なに、Aランクにひとつ空席が出来てしまった。そこに君を、と思ってね。ただ、私から個人的なお願いをする事が有るかもしれないが」
瞬時に理解した。
流石、アルウェルの治政の歴史そのものだ。
アルウェルの剣に成れって事か。
そんな事に、頭を使う暇があるなら事態の処理に使え。
いや、こんな時でも使えるからこそのクロンヴァール侯爵家なのだろう。
断ればフランと俺は、助からない。
他国に渡る前に殺される。
他国が個人を欲する前に殺される。
レベルがカンストしていようが、国には勝てない。
そして俺は承諾の意を示して、部屋を後にした。
昨晩の事を思い出す。
確かに俺は、あの戦場で逡巡した。
足元には水面に揺らめくような命と安穏な未来。
片方を取ると、もう一方は流されてゆく二者択一。
それでも俺は、奔流に飲まれゆく命に手を伸ばした。
結果として拾えた命はごく僅かだったけれど、それは俺が未来を捨てるに十分過ぎるものだった。
フランセット、迷惑かけてごめん。
俺に決意をもたらしたのは――
与えられた部屋に戻ると、窓際に立てかけられた剣が視界に映る。
ただの剣。
魔石も魔回路も構築されていない、ただの剣。
刀身は魔術の行使に耐え切れず、融解している。
「あれはお前のせいじゃない。だから気に病むな」
長身で無骨、強靭な肉体を持つダラムサル人が放った言葉は、独り言のように行く当てを無くし、そして宙に溶けていった。




