第3節 エステル
「おい――!」
エステルが、黒髪の男性の奇行に驚愕し、椅子から立ち上がる。
黒髪の男性は、高速で移動する飛空艇から飛び降りたのだ。エステルの言葉を置き去りにして、空へと消えて行った。
エステルの顔には驚愕と困惑の表情。
なぜそのような行動を取ったのだろうか。悪名高い空の死神、バルトレイ空賊団に嬲殺しにされる前に自決を図ったのだろうか。
エステルは居ても立っても居られない様子で、飛空艇から落ちないための手すりへと駆け寄る。そして、手すりを掴み、身を乗り出す。
スサナも主人に続き、手すりから身を乗り出し、飛空艇の下方を覗き込む。
風景が驚異的な速度で流れてゆく。清水透也の姿は見られない。
目の前に広がるのは、凶悪な小魚達に捕食されるクジラ。
砲撃を四方八方から受けている。
ドン、という被弾の音はクジラの悲鳴か。
船体に砲撃を受け、船体を崩しながら破片を宙に撒き散らすクジラ。
クジラに反撃の術は無い。
絶望的な状況。もう長くもたない。
「堕ちる。この船もニヴァリールと同じように」
幾分か回復したエステルは冷静に言い放つ。
「先ほどの男性は見当たりませんね」
「自決だろう……」
エステルが残念そうに呟く。
見ず知らずの男を悼む。それを見るに、エステルは心優しい少女なのだろう。
エステルは目を閉じる。そして両手を重ね、額に押し付けた。それはニヴァリール王国の黙祷。深い沈黙。
突如、爆発音が鳴り響く。
とうとう機関部をやられたのだろうか。
ゆっくりと目を開けるエステル。
「スサナ、今までありがとう。お前が居てくれて良かった」
エステルが辞世の言葉を贈る。感謝と僅かばかりの後悔が滲み出る。
「……」
スサナは言葉を返さない。
エステルの悲痛な感謝に、言葉を失ったわけではない。ましてや、絶望に苛まれ言葉を綴らないわけでもない。
「スサナ?」
そんなスサナの様子をいよいよおかしい、と思ったのだろうか。エステルはスサナに振り返る。
そこにはピクリとも動かないスサナが居た。視線を飛空艇の下方に固定している。
スサナの顔には驚愕。目を瞠って、眼球が小刻みに動いている。
恐らくは、高速で移動する何かを捕捉、軌道を追いかけているのだろう。
再び、爆発音が鳴り響く。
エステルは口を開かない。
何故なら見えてしまった。
偶然見据えた先――空賊の飛空艇が沈められるのを。
一隻の小型飛空艇が、黒い煙と共に降下する。
小型飛空艇は超高速に耐えきれず、破損した部分を中心に空中分解。
空へと四散した。
再度、爆発音。
また一隻の小型飛空艇が沈められる。小さな船体に大きな穴を穿たれ、下方の森へと落ちて行った。
金属音が反響する。
また一隻の小型飛空艇が沈められる。粉々に斬り裂かれ、爆発する間も無く森へ落ちて行った。
「一体……何が……?」
エステルが再び困惑に囚われる。
こちらの飛空艇は攻撃をしていない。余計な攻撃などせず、逃げ切る事に全霊を賭けている。
エステルの動体視力では何が起きてるか分からない、
恐らく空賊の飛空艇が勝手に爆発し、穴を穿ち、粉々に分解したように見えている。
しかしスサナは違う。手に持つ剣状魔導器は飾りではない。確かに何かを捕捉している。
「あそこです」
スサナが、一隻の小型飛空艇を指さす。
そこには一瞬止まった黒髪の男性――清水透也の姿。
空賊の飛空艇に足を乗せ、白銀の剣状魔導器を掲げる。
振り下ろすと同時に、爆発音。
飛空艇は斬り裂かれると同時に意味を持たない金属の塊となり、異常な脚力によって後方へと跳ね除けられる。
目を疑わずにはいられない光景。
死神が狩られている。
振りかざされるのは極大の武。
最強で最凶の死神が、なす術も無く、赤子同然に滅ぼされている。
「なん、だ。あれ……」
エステルは途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「先ほどの男性です。生身で飛空艇を撃ち堕しています」
そう言ってる間にもまた一隻、また一隻と沈められる飛空艇。
連続する爆発音。
「まずいッ!!」
突如、スサナが声を荒げる。
視線の先には陣を組んだ小型飛空艇。
生き残った飛空艇。その全てが寸分狂わぬ円陣を形成している。
その中心には跳躍したばかりの清水透也。空中に身を投げ出している。
足場は無い。もし攻撃されたら回避運動が取れない。
それを狙ったかのように空賊達が清水透也へと一斉に攻撃を仕掛ける。
砲弾と魔術の嵐が清水透也へと降りかかる。
鳴り響く轟音。一つの着弾点で調和し、超大な爆発音となった。
「被弾したのか?!」
「い、え……」
立ち昇る煙が、瞬時に後方へと流される。
留まる事を知らない超高速戦闘。
完全に払われた黒煙の中心。そこには所々が黄金に輝く美しい球があった。それは天体の輝く美しい結界。
瞬時に結界が崩壊。眩い光線を放つ。意図的に崩壊させたのだろう。放つ光は目くらましか。
光が収まる前に、地獄の底から鳴り響くような重低音。
密集した小型飛空艇の全てが急速に高度を落とす。不自然な降下。恐らく強制された降下だ。
「何が起きた?」
エステルは事態の推移に混乱しながらスサナへ尋ねる。
「降りかかる砲弾と魔術の嵐を魔術障壁……いえ、結界で凌いだ後に……」
そこで言いよどむスサナ。恐らく超高速で展開された攻防を、完全に理解出来ていないのだ。
「意図的に結界を崩壊。膨大な光線を目くらましに用いて、魔術にて反撃。恐らく重力操作魔術です。周囲の小型飛空艇全部に多大な重力を負荷し、撃ち堕としました」
少なからずスサナも困惑している。「いずれも第七等級以上の魔術かと」と自信を持てずに呟く。
「そんなバカな話があるか。あれ程の速さでの戦闘だぞ。いくらなんでも第七等級以上は無い。行使が追いつくはずが無い」
「制御する陣も、詠唱も無かった……と思います。無詠唱の魔術行使……即興でしょう」
スサナも自分が言ってる事がおかしいと思っているのだろう。だんだんと声が弱々しくなった。
「いや、しかし……あの状況を覆すにはそれ程の……」
「えぇ。間違いなく超常の魔導器士です」
遥か後方で墜落する空賊の飛空艇。
森を揺らしつつ、爆発する。
気が付けば、飛空艇内部の喧噪が聞こえない。
静まり返った飛空艇。
耳を澄ませば、遠くで微かに声が聞こえる。
死神から逃げ切ったのだろうか。
いや、死神を退けたのだろうか。
エステルとスサナは重い息は吐く。
生から死、死から生へと目まぐるしく変化する状況。その急速な状況変化が、二人に心労を覚えさせたのかもしれない。
「綺麗ね」
突如、二人に声をかける何か。
エステルとスサナが声の方向に振り返る。
そこには小鳥が居た。幼鳥とも呼べる拳大の小さな鳥。
銀色の翼、銀色の爪、銀色の口ばし。全身が銀の小鳥。長い尾もやはり銀。唯一、瞳だけが紅蓮のような赤。
「不死鳥?」
なんでこんな所に、とエステルが疑問を呈する。
「キャロルよ」
不死鳥が自身の名を述べる。先ほどの、『綺麗』とは何について言ったのかは分からない。
「おい、キャロル。こんな所に居たのか。こっちは終わったぞ」
新たな声に、またしてもエステルとスサナが振り返る。
そこには、くすんだ緑髪の少年。先程、姿を消した少年その人だった。
「こっちも終わったよ。ヴァイス」
「後はトウヤだけか」
そう言ってくすんだ緑髪の少年――ヴァイスは椅子に腰かける。エステルが座っていた椅子だ。
乱暴に身を預け、椅子を軋ませる。
不死鳥――キャロルは、椅子に座ったヴァイスの周りを旋回する。描かれる銀の曲線。
不死鳥が描く軌跡。それだけで目を引き付ける程の神秘的な光景。
「こっちも終わった」
椅子の近くの扉から新しい声。
間を置かずして、黒髪の男性――清水透也が現れる。
「なんで毎回襲撃に合うんだよ」
清水透也は不満げに文句を言う。
「日頃の行いだろ」
「一応お前も襲撃者の一人だからな」
互いに労う事なく軽口を叩く。
「そこのお二方」
そんな二人を見て、エステルがようやく声をかける。躊躇いは見受けられない。
顔には笑顔。恐らく、相手に好感を与える事を目的とした笑顔だ。
エステルは洗練された動作で彼らに歩み寄る。両手は重ね腹部に添えている。顎を引き胸を張って、背筋は上から吊られてるかのように真っ直ぐ。
交互に出される足。膝は必要以上に曲がらない。とても美しい歩み。
「あぁ。さっきの」
清水透也が呼びかけに応える。
エステルの後ろに付随するスサナの剣状魔導器を一瞥して、エステルに視線を向ける。
空賊の残党では無い事を確認したのだろう。
「ご活躍拝見させて頂きました。至上の武を目の当たりに出来た幸運。そして危難を取り払って頂いた事に感謝致します。……失礼しました。私はエステルと申します」
それ聞いてヴァイスが眉を顰める。
この上無く丁寧な言葉遣いと物腰。だが一つだけ気にかかる。なぜフルネームを名乗らない。
しかしエステルは指摘させる暇を与えない。流暢な口語と気品が、それすらも正しいかのように思わせる。
「いや、こちらが勝手にやった事だから。俺は」
「トウヤ様とヴァイス様ですね。失礼ながら先ほどのヴァイス様とキャロル様の御歓談を聞かせていただきました」
名乗ろうとする清水透也と、無粋にならない程度に遮るエステル。
それに加えエステルは、『トウヤ』、『ヴァイス』と狂い一つ無く発音する。
顔には笑顔。そのような顔で名前を呼ばれたら心を奪われかねない、そう思わせる程の笑顔だった。
「そうだよ」
自分がトウヤでこいつがヴァイスだ、と清水透也は笑顔で返す。
エステルは、それを上回る花のような笑顔で言葉を受ける。
「災難だったね。空賊に襲われるなんて」
「はい。しかしお二方が退けて下さいました」
神が私に与えて下さった幸運に違いありません、とエステルは大げさに言葉を飾る。
「この飛空艇にお乗りになっているという事はニヴァリール王国に行かれるのですか?」
エステルは一つ一つ段階を踏まえ会話を切り出す。
「あぁ」
清水透也は簡潔に肯定してみせる。
「実は私達もニヴァリール王国に些細な用があ」
「やめろ」
突然ヴァイスがエステルの言葉を遮る。顔には嫌悪。全身で不快を表している。
「し、失礼しました。何か不快に感じる事でも」
「だからそれをやめろ」
「おい! ヴァイス!」
ヴァイスの不快を買って狼狽するエステル。慌てて不快を拭おうとするも、再度ヴァイスに遮られる。
ヴァイスを咎める清水透也。エステルに詫びを入れようとするも、それより先にヴァイスが口を開く。
「ここは政治の場じゃねぇ。過剰に言葉を飾られてもイライラするだけだ」
「ッ――」
「用があんならさっさと言え」
ヴァイスの言葉に逡巡するエステル。どうしたらいいか分からない、そんな歳相応の困惑。先ほどまでの、外見と裏腹に成熟した雰囲気はもはや見られない。
椅子に深くもたれ、ギシギシと軋ませるヴァイス。
左耳のピアスがジャラッと音を立てる。その音がエステルを促した。
エステルがゆっくりと口を開く。
「……私に力を貸して欲しい」
弱々しい声だったが、それはハッキリと聞こえた。
振り絞った一欠けらの客気。瞳に宿るのは痛々しいまでの強い意志。
「トウヤどうするんだ?」
「どうするって言われてもな……どうせニヴァリールまで行くんだ。出来る範囲でなら手を貸そう」
「エ、エステル! エステル・ニナ=マーリト・ナイハ・ニヴァリール!」
事もなげに、『手を貸そう』と言う清水透也に慌てて自身の名を告げる。
もしかしたら彼らは勘違いしているのかもしれない。『手を貸そう』なんて簡単に決めていい事ではない。なぜなら自分は、『ニヴァリール』の名を頂くニヴァリールの王族だから。亡国と化したニヴァリールでやる事なんて、ろくでもない事に決まっている。
エステルの思案はそんな所だろう。
力を貸して欲しい、けれど危険な事に巻き込んでしまう。少女の身に余る葛藤。
助力を求めておいて矛盾する行動を取る。しかしそれは優しさの裏返し。
だからエステルは名乗った。
自分は亡国の王女だ。現在のニヴァリールにおいて私は大犯罪者だ。
ニヴァリールに戻れば火の粉のように私の命は払われるかもしれない。私と共に来れば、『手を貸す』と言ってくれた貴方達の命も危険に晒す事になる。貴方達はそれでも、『手を貸す』と言ってくれるだろうか。
ニヴァリールでやる事なんて一つ。私はこれから国を取り戻す。土地を民を取り戻す。蹂躙なんてさせない。
私には責任がある。私は王族だ。私は亡国となろうともニヴァリールの王女だ。
そんな幼気な少女に、二人の魔導器士は呆気にとられる。
そして二人は口を揃えて言った。
「知ってる」
今度はエステルが呆気に取られる。
先ほどと同様に事もなげに言ってのける二人の魔導器士。
そんな二人を見て、エステルは独り呟く。
「ようやく……ようやく……私にも運が回ってきた」




