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異世界に溺れちゃう  作者: ぽんぽこ太郎
第6章 国と国、人と人
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第1節 友達

読んでくださってありがとうございます。

ここから第4章が始まります。



 暗い牢だ。

 ずっとここに独り座っている。


 石で出来た壁。強固な格子戸。床はカビ臭い。灯りは無い。

 無機質な床が体温を奪う。もはや腰から下の感覚が無い。


 汚い床。這う虫が、僕の足を伝う。

 払う気にはなれない。ましてやここから逃げる気にもなれなかった。


 全身を貫く冷たい槍の数々。どれ程前に刺された物だろうか。もはや血は流れない。

 串刺しにされながらも僕は生きている。魔導器士として素質だろうか。異常な生命力が僕を生かし続ける。


 両手両足の枷が僕を拘束する。身動き一つ取れない。当たり前だ。手首手足は砕かれている。金剛の枷は、飾りみたいな物だ。何の皮肉でも無い囚人の飾り。


 全身に貼られた魔導符が、僕の魔力を吸い上げる。徹底的に封じ込めらた僕は、損傷した肉体を回復させる事も出来ず、ただただ魔力を垂れ流すだけの存在。

 宿木に浸食され、徐々に養分を吸い取られるように、次第に衰えてゆく身体。数ヶ月後には、魔力が湧き出る事も無くなるだろう。


 衰弱による死が先か。餓死が先か。あるいは、見せしめの処刑で首を落とされるのが先だろうか。


 けれどそれでいい。


 戦争は終わった。僕達は負けたのだ。

 囚われの身。けれど悲哀は無い。


 小国で生まれ、小国の騎士として生きた。


 いつの事だったろうか、大国に僕の剣を買われた事もあった。力を貸して欲しい、そう言われた。『引き抜き』と言えば聞こえは良いかもしれない。しかし、小国すら守れない僕に何を求めるのか。僕の身には余る。

 けれど、とても名誉な事だった。分不相応と分かってはいたが、すごく嬉しかった。仲間も喜んでくれた。寂しさを見せつつも、笑顔で送り出してくれた。

 大国に出向いた時は歓迎された。あっちでも友が出来た。小国の出身だからと蔑ろにされる事は無かった。


 それでもやっぱり故郷を捨てる事は出来なかった。それにやっぱり僕には貸せる程の力は無い。大国の王との謁見の場で、僕は跪いて辞退した。なんという無礼だろうか。

 それでも王は僕を笑って許して下さった。それで構わない、と。そして、あろうことか一つの地位まで贈って下さったのだ。それは大国での準男爵の地位。『ガ』の称号。

 従属を要求される事は無かった。従国も従軍を要求される事も無かった。ただただ、『平和』の名のもとに友となろう、と。


 帰郷した僕を迎えてくれた仲間はやはり優しかった。妬みなど無かった。どこまでも優しかった。

 戦争で、他国と剣を交える事になっても怖くは無かった。仲間と共にならば、どこまでも駆けて行ける気がした。


 十分だ。十分すぎる。薄情かな。何人も仲間を失っているのに。けれど、幸せだったんだ。幸せな人生だった。


 たとえ戦争に負け、国賊として命を落とす事になっても悔いはない。

 小さな国だ。いつかこうなる事は分かっていたのだ。あの大国に助けを求める程、野暮じゃない。むしろあの優しい大国を戦火に巻き込みたくなかった。


 ずっと前から覚悟は出来ていた。



 だが一つだけ――。


 王女様が逃げ切れたかどうかだけが気がかりだ。小さな国の小さな王女様。僕の幼馴染。年下の女の子。絶対に死なせたくない。



 可憐な王女様、どうか生き延びてください。


 神様お願いします。どうか、王女様を殺さないで下さい。

 誰かの死が必要と言うならば、代わりに僕が死にます。



「お願いします……どうか……」



 今は亡国、愛した故郷。


 朽ち果てた荒野、かつての草原。

 崩れた街、育った家。

 胸にしまい込んだ郷愁。


 暗い牢で独り夢を見る。






***



「よく来てくれたね。トウヤ君。ヴァイス君」


 ギルド長室。

 椅子に座るクロンヴァール侯爵。机を挟んで、俺とヴァイスが対面している。

 クロンヴァール侯爵が朗らかに俺とヴァイスを見据える。


 もうすぐ夏になろうとしている。

 窓から流れ込む風が、陽気な匂いと共に、俺とヴァイスに吹き付けられる。


 今は昼下がり。遠くに喧噪が聞こえる。

 ゆっくりと時間が流れる穏やかな午後。


「二ヴァリール王国が堕ちたのは知っているな?」


「早速だな。クロンヴァール」


「お前……少しは礼儀を覚えろよ」


「ハハハ、良いんだよ。なんならトウヤ君もそう呼んで構わない」


「いえ、そんなまさか……」


 呼び捨てになんてとても出来ませんよ、といたたまれない気分になる。

 年功序列。年上の方は敬いなさい。と強迫的な観念にとらわれている俺は、やはりどこまでいっても、日本で育ったのだろう、と感慨深いものを感じた。


「二ヴァリール王国ってったら侵略を受けたらしいな。まさかもう堕ちたとは思わなかったが」


 ヴァイスが関心を示す。

 口に手を当て、目を細める。鋭利な目元からは、何かを推察している。


「なんだヴァイス。興味があるのか?」


「あぁ……まぁ、そうだな。前に行った事があんだけどよ。だいぶ不穏な空気が流れた。侵略を受ける前の話だ」


「侵略の前兆って話か?」


「それもある。しかし……堕ちる早さが尋常じゃねぇ」


「確かに小国とはいえ、ニヴァリール王国は列記とした一つの国だ。それに、ニヴァリール王国の軍は練度が高い。そうそう堕ちるものではないかもな」


「……侵略してきたってのは、コドイル共和国で間違いないか?」


「そうだ」


 クロンヴァール侯爵はそれ以上続けない。


「コドイル共和国、いずれにせよ小国だな」


「あぁ。そういう事だ。裏で手を引いた奴がいる。しかも内部の人間だ」


 聞きたくもないドロドロとした裏話。血生臭い話だ。


「そこでなんだが、トウヤ君。ヴァイス君。ちょっと様子を見て来てくれないか? ニヴァリール王国のさ」


「様子見……ですか? 具体的には何をすれば良いのでしょうか?」


「いや何、本当にちょっと見てくるだけで良いんだ。判断は全部任せるよ」


「なんでそんな事する必要があるんだよ」


「メツアーツとニヴァリールはちょっとした縁があるんだよ。国同士の縁ではなく、個人同士の縁だけれど、どうしても見届けてやりたくてね」


 クロンヴァール侯爵が言うのは、ニヴァリールが、コドイル共和国に支配されるのか、あるいは新しく生まれ変わるのかを見届けたいという事だろう。

 実質、後者の可能性は限りなく低い。

 コドイル共和国は軍事主義に傾倒している。新たに手に入れた土地と人をやすやすと手放すわけがない。


 ヴァイスの言ってた通り、裏で誰かが侵略の手を引いていたのならば、そいつを元首……とまではいかなくても、ある程度の役職に就かせ、ニヴァリールが新たに生まれ変わる可能性もある。

 しかし、はたしてどうだろうか。いくら予想しても、結局先の事は分からない。


 吸血鬼に袋叩きにされ、竜に突っ込んだんだ。今更、侵略された国に行くのを躊躇う道理が無い。それに、クロンヴァール侯爵は、『判断は全てこちらに任せる』と言っている。危険な事は回避出来るだろう。


「分かりました。お受けします」


「あぁ。俺も行くぜ。気になる」


「ありがとう。ではコレを」


 クロンヴァール侯爵が、机の引き出しから封筒を取り出す。


「飛空艇の航空券だ。良い船だぞ」


「良い船が侵略されたニヴァリールに行くのは疑問ですが、頂きます」


 歩み寄ってクロンヴァール侯爵から直接封筒を受け取る。


 中を確認すると、航空券が二枚。しかも、本当に良い船だった。中々取れる物ではない。なんという手回しの速さだ。


 下がって、ヴァイスに片方を渡す。


「出航は明日の朝だ。寝坊するなよヴァイス」


「しねぇよ。お前こそ寝坊すんなよトウヤ」


 ヴァイスは軽口を叩きながらも、航空券を丁寧に受け取り、綺麗に畳んで懐へしまった。


「それでは失礼します」


「行ってくる」


 終始存外な態度のヴァイスを尻目に、一礼して俺はギルド長室を後にした。






 ギルド長室の扉が静かに閉まる。

 魔導器士の二人が出て行った後、クロンヴァール侯爵が口を開く。


「やっかいな事になりますよ。よろしいんですね。陛下」


 クロンヴァール侯爵は扉を見つめ、溜息を漏らす。


 部屋の隅。

 バチバチと紫電を放ち、空間に亀裂を入れる。

 次第にボロボロと崩れ落ちる不可視の鎧。

 そこから姿を現した者が二人。


 一人は長い白の魔導衣を羽織った女。背中には美しい幾何学模様。

 一人は豪華な衣服を纏った壮年の男。大侯爵クロンヴァールをも上回る風格。


「彼らには悪い事をしたかもしれないな。けど、他に頼める人が居なくてね」


 なんたって君のお気に入りだ、と笑いながら蓄えられた髭を撫でる。


「ですので危険を避けられるように、判断を全て彼らに任せました。事後承諾して頂く形になりましたが、私とてコレばかりは譲れません。謝りはしませんよ」


「気にする事じゃないよ。私とて彼らには悪いと思っている。必ず起きるやっかい事を押し付けてしまった」


「必ず……ですか?」


「そうだよ。なにせ、彼らが乗る船には、ニヴァリールのお姫様も乗る」


 「聞いてません」と言うクロンヴァール侯爵に、「言ってない」と返す王。


「無事を祈るしかないのですかね」


「ある程度の事なら跳ね除けてくれるだろう。なにせ、トウヤ君はアレクシスに、『自分では勝てない』と言わせしめたんだ」


「あの、『勇者』にですか?」


「そうだよ。だからわざわざアルウェルまで来たんだ。どうしても直接見たかった」


 そして、視線を鋭くする王。脳に焼き付けた先ほどの光景を思い出しているのだろうか。

 恐ろしい程の集中力で思考を巡らせているのが、他者からでも見て取れる。


「私は非力だ。剣も魔術も扱えない。けれど、様々な武の形を見てきた。何万も何億も」


 王が淡々と述べる。その様子は理知的で落ち着き払ったものだった


「その中でも彼は一級品だ。隣に居た彼もね」


「はい。申し遅れましたが」


「一目で分かったよ。彼が窃盗愛好家(クレプトフィリア)だね」


 さすがですね、とクロンヴァール侯爵は呟き、気まずそうに顔を背ける。

 それを見るに、窃盗愛好家(クレプトフィリア)を捕縛した事を伝えていなかったのだろう。


「それにしても、いくら警告しても聞かなかった共和国の尻を引っ叩きたいなぁ。……なんと言っても、ニヴァリールには友達がいるんだ」


「そこまで求めるのは酷でしょう」


「かもしれないね」


 魔導器士二人が出て行った部屋。王とクロンヴァール侯爵の会話が途切れる事は無かった。


 王が窓越しに空を見上げる。クロンヴァール侯爵もまた空を見上げる。

 見つめる先には飛空艇。その一点で視線を交差させながら、二人は言葉を紡ぎ続ける。

 

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