第2節 お二人様ご案内
少し長いかもしれません。
「な、なぁ! 今から暇か?!」
ギルド内の白の大理石に、白の魔力灯は結果として影を浮き彫りにする。
今ギルドの受付に二つの影がある。
一つは、桃色のショートカットで、活発な印象を受ける、十八歳程度の少女――セリーヌ・アリオ―の影。
一つは、くすんだ緑の髪、左の耳にはじゃらじゃらと幾重にも付けられピアスが目を引く、十九歳程度の青年にさしかかった少年――ヴァイスの影。
両方とも背は同じくらいで――百六十五センチといったところか――カウンターを挟み同じ目線で会話している。
「はい。もうすぐ今日の業務が終わりますので、それからでした暇です」
暗い声で答えるセリーヌ。
しかし、それはヴァイスに誘われたのに嫌気が差したわけではない。
「この前、お気に入りの髪飾りを無くしたって言ってたじゃん? 気分転換に遊びにでも行こうぜ!」
「いいですよ」
気分が落ちているとはいえ、ギルド職員特有の満面の笑みで答えるセリーヌに、ヴァイスは衝撃を受けよろめく。空を仰ぎ視線を彷徨わせる。
体勢が維持出来なくなる前に片足を引き、転倒を回避した。恐らくセリーヌの承諾に歓喜を通り越して、卒倒しかけたのだろう。
ジャラッと耳にしたピアスが音を立てる。過剰の装飾は彼流のオシャレなのかもしれない。
軟骨から耳たぶにかけて、フープ状のピアスがいくつも見受けられる。色は様々で、上から黒、金、赤、銀、白と統一性はまるでない。
しかし、不思議と見苦しさはなく、彼の中性的な容姿もあって、どこか幻想的にも思える。
「じゃあそこで待ってる!」
彼は広大な受付室に設けられた一つのソファーを指さし、セリーヌに自身の待機を伝える。
セリーヌは顎を引いて、ヴァイスに了承の意を示す。
ヴァイスが、やけに軽い足取りでカウンターを離れる隙に、セリーヌが思い立ったように声をかけた。
「あの! 遊びにってどこにいくんですか?」
場所によってはドレスコードがありますから、とセリーヌは危惧してみせる。
自由都市アルウェルには様々な娯楽がある。娯楽の種類も対象者も様々で、それこそ数えれば切りがない程あるのだ。
児童を対象とした反重力空間で、ふわふわと浮遊して、追いかけっこに勤しむ事も出来れば、大人を対象とした玉突なるスポーツを、酒を飲みながら楽しむ事だって出来る。
数があるだけに、中には上流階級を対象とした娯楽も存在する。殊にそれにかけては、周囲に配慮するため、服装の規定を設ける事が多々ある。
遊びに誘うヴァイスの服装を見ると、なんともカジュアルであり、その心配は無さそうなのだが、万が一がある。恐らく、セリーヌの思案はそんな所だろう。
ヴァイスは一瞬の呆気にとらわれ、足を止める。
そしてセリーヌの心配を余所に、平然と言ってのけた。
「どこってそりゃぁ、アルウェル大地下街だよ」
***
「あ、あの……本当に行くんですか?」
アルウェルの路地裏を歩くセリーヌが、横を歩くヴァイスに問いかける。
現在は正午あたりだろう。日が高く、万遍なく光が降り注ぐ。その恩恵もあり、普段影に包まれる路地裏も比較的明るく、満ちているはずの独特の妖気が軽減されている。
「やめとくか?」
ヴァイスが、彼女の心もとない言葉を汲み取って、不安ならば行き先の変更を、と彼女の意思を尋ねる。
そしてセリーヌの歩む速度に合わせて、彼女の瞳を無粋にならない程度に覗き込む。目に宿る本音を伺おうとしているのだ。
「いや、何と言うか……その、ちょっと行ってみたいですけど」
そわそわと落ち着かない様子のセリーヌが、消え入りそうな声で呟く。それを聞いてヴァイスが笑顔を見せた。口から出た言葉と、目に宿る意思が相反していなかったのだろう。
付け加えるならば、『ちょっと怖いけど行ってみたい』という思春期特有の心理が彼には新鮮だったのかもしれない。
「心配するな。大丈夫だ。……ほら着いたぞ」
「えっ?」
急に立ち止まるヴァイス。
路地裏で一点を顎で指し示す。
つられるようにしてセリーヌは、ヴァイスが指し示す方角を見る。
そこには、一つの扉があった。
建物に密迫されつつ、路地裏に構えられた金属の扉。
それは薄汚れていて、所々にへこみが見受けられる。
「えっ……だってこれ、この建物の裏口か何かじゃないんですか?」
「開ければ分かる」
そう言ってヴァイスは無造作に扉を開く。
解放された扉から、春には似つかない冷気が飛び出し、ヴァイスとセリーヌの髪を揺らす。
扉の向こうは、打ちっぱなしのコンクリートで覆われた空間。
それは扉と同様に薄汚れていて、床には砕け散ったコンクリートの残骸が散乱している。
天井に付けられた、今にも切れるのではないかという魔力灯が、チカチカと点滅し、かろうじて足元を照らす。
まるで、現世と隔離された異界への入口のようにも思える。
「ほら行くぞ」
ヴァイスは、セリーヌの困惑を気にも留めず扉を潜る。
しなやかな足取りで、散乱したコンクリートを踏みつけるも、足音は鳴らない。
それは無意識でも、現われてしてしまう魔導器士の身のこなし。
「ま、待ってください!」
セリーヌは慌ててヴァイスに声をかける。
不安がいよいよ期待より強くなってきたのかもしれない。恐る恐る中の様子を伺いながら、扉を潜るか逡巡している。
発した声が強張り、胸に掲げた両手は震え、少なくはない怯えを見せている。
「あぁ」
苦笑を見せつつ、ヴァイスは振り返り、セリーヌのもとへ戻る。
「ほら」
そう言って、ヴァイスは手を伸ばす。セリーヌもそれを掴もうと手を伸ばす。
ヴァイスの病的なまでに白い肌と、セリーヌの薄褐色の肌が、魔力灯で対象的に照らされつつ、手と手が重なる。
そして二人の腕は確かに繋がった。
「行くぞ」
ヴァイスは、手を引っ張るようにしてセリーヌに扉を潜らせる。
カタッと軽い音と共にセリーヌが、扉の中に足を踏み入れた。
そして二人は、ゆっくりではあるが、足を進める。
足音が鳴る。
一つは、セリーヌの不安を象徴するかのような、か細い足音。
一つは、ヴァイスの、セリーヌの不安を払拭するかのような――自己を存在を主張するかのような足音。
一つ一つ音を鳴らす度に、二つの音は調和してゆく。
天井を見上げれば、灯りにたかる虫が何匹もいる。魔力灯から、電気となり漏れる魔力に、虫たちはバチッと勢いよく弾かれながらも、再び灯りに向かう繰り返しを演じている。
天井、壁、床の四方八方には、いたずら描きが見受けられ、それはまるで不浄のアンデッドに取り囲まれているようであった。
コンクリート特有の冷気が肌を刺す。耳を塞いでも、目を閉じても、触覚は誤魔化せない。今は晩春だ。多少の冷気を吹きつけられた所で、寒さを感じる程ではない。しかし、何故か震えずにはいられない。
霊体の住処とは恐らくこういう所なのだろう。そう思わせる程の異様さだった。
「降りるぞ」
二十メートル程、歩いたところでヴァイスが立ち止まる。
目の前にはまたしても扉。
しかし、入口の扉と比べて随分と厚い。
ノブは無く、引き戸に付けられるくぼみも無い。
その代わりすぐ横、壁に平型の押しボタンがある。
「昇降機……ですか?」
「そうだ。意外と文明的だろ?」
ヴァイスは、すかさずボタンを押す。
ゴウンゴウンという起動音と共に扉が開かれる。
「お、ちょうど上にあったのか。良かった。待つと長ぇんだよ」
扉が完全に開かれた所で、ヴァイスがセリーヌの背を軽く押し、昇降機に入るように促す。
促されたセリーヌは中に入り、隈なく箱の中を見渡す。
「すごいボロボロ……大丈夫なんですか?」
「大丈夫だ。まぁ、たまに落ちるけどな」
セリーヌが驚愕しヴァイスに抗議しようとしたが、時は既に遅く、ヴァイスは昇降機の中に誂えられたボタンの一つを押し、扉を閉めてしまった。
セリーヌは目と口を限界まで開き、呆然とする。
「落ちたら障壁でも張ればいいだけの話だ」
魔力が伝達し、魔力浮動式の昇降機が垂直に降下し始める。
「なんだか、一周して、わくわくしてきました」
「そ、そうか。すごいな。誘っといてなんだが」
セリーヌが自然な笑みを浮かべている所を見るに、予想外の出来事が連続し情緒不安定に陥ったのではなく、元来そういう性分なのだろう。
ギルド職員として修羅場を潜って来ただけの事はある。ヴァイスはそんな年下の女の子に、若干と困惑と共に、感嘆した。
「それにしても噂に聞く大地下街とはどんな所なんでしょうね」
「思ってるよりは普通だ」
「『地獄』とよく聞きますけど?」
「まぁ確かにそういう所もあるが、今から行く所は第一階層。全然普通だ。逆に拍子抜けするかもな」
「階層とかあるんですか?」
「あぁ。あるぜ。十二個ある区画毎に違ぇんだけどよ、潜れば潜る程やばい」
ヴァイスは、興味の尽きる事の無いセリーヌの質問に、律儀に答える。
「ともあれ、第一階層は大した事ねぇ。たまにふざけて学生なんかも来たりするが、少し痛い目にあって帰らせられる程度だ。死んだりはしねぇ」
「詳しいんですね」
「まぁな。もともと第五階層の出身だから、それより上の事は割りとよく知っている」
そんなもんなんですか、とセリーヌが相槌を打つ。
冒険者にランクがあるように、大地下街にも暗黙の内にランクがある。そしてそれは、概ね自身の出身がどの階層にあるかで決まる。
強い者が弱い者を下す弱肉強食の世界で、自分がどれほど深くで生き延びてきたかは、大きな目安となるのだ。
そしてその目安というのも、あながち間違っていない。下に棲むものは上に棲むものと比べ格段に強い。晒されてきた環境が違うのだ。
一階層違うだけで、もはや詐称など通じぬ程の格の違いがある。
そして、セリーヌはよく分かっていないが、第五階層出身とは大地下街で最上位の階級に位置する。
というのも現在まで、第一階層まで浮上してきた者あるいは物の内で、最深部が第五階層とされているのだ。
ヴァイスの物言いからして、大した価値は無さそうなのだが、それは全く違う。
言うなられば、ヴァイスは冒険者で言うところのSランク。大地下街に特権階級があれば、間違いなく王族である。
「お。着いたぞ。一応言っとくが、ここから先、階段があっても絶対降りんなよ。まぁそうそう見つかるもんじゃねぇけど」
長い時間を経て、昇降機が第一階層に到達。
チンッと鈴を鳴らしつつ、ゆっくりと扉が開かれる。
「わぁ……」
セリーヌが思わず息を漏らす。
目の前には広大な空洞が広がっている。それは地下に築かれた街――アルウェル大地下街。
日の光は届かず、ネオンにも似た人工的な光で溢れかえっている。
明順応を終え、機械に次ぐ機械の光景が脳裏に焼き付く。それに伴い、吹き込める熱気が肌を炙る。
鼻を刺激するのは油の匂い。そして僅かばかり感じるのは、紛れもない狂気。
至る所に見えるのは、巨大で派手な看板。賭博場に風俗に魔導器店の数々。合法の物など何一つ無いだろう。しかし数が多すぎて、取り締まりなど考える気にもならない。
道を行く人々は多種多様。純粋な人族にダラムサル人、ホルシュ族、果てには獣人。身を飾るのは千差万別の衣類。金銀を惜しみなく使った豪華絢爛なロープから、所々が破けたボロボロの布まで。
目の前を通り過ぎるのは、純粋な人族の美しい女性。腰に佩く剣は恐らく一級品の剣状魔導器。遠くで呼び込みをしているのは、スーツを着た身なりの良い老人。
地上の繁華街など鼻で笑う程のあざやかさ。
「見とれんのも良いけど、飯食いに行こうぜ。腹が減った」
はぐれんなよ、と言いヴァイスは繋いだままのセリーヌの手を引く。
「わわ……わぁ、わぁ!」
セリーヌはヴァイスに先導されながらも、周囲を見渡し物珍しさに目を輝かせる。
「何か食いたいもんあるか?」
「うーん……」
「特に無いなら任せろ!」
「は、はい!」
良い所があんだよ、とヴァイスは目的地を定めて、セリーヌを連れ歩き出す。
「おや、ヴァイスじゃないか。いやはや珍しい……。そこの御嬢さんと一緒に占いでもどうだい?」
「また今度な」
道端に佇む、漆黒のローブに身を包んだ、妖しい老婆に話しかけられるも、振り向く事なく断る。
「おぉ! ヴァイス! お前のお宝、俺に卸してくれよ!」
「めんどくせぇつってんだろ」
通り過ぎた店から、厳ついダラムサル人に声をかけられるも、ヴァイスは相手をする素振りを見せない。
「うわ! ヴァイスが女連れてる! おーい!!」
「お前! 黙れッ! そ、そういう事は……俺が良くてもだな……その、セリーヌさんが……」
ヴァイスが足を止め怒号を上げる。しかし、その勢いは、言葉を続けるにつれ弱々しくなり、ついには消え入った。
頬を赤く染め俯き、目を泳がせている。そんな状況で周りが見えるはずも無く、先ほどの青年がどこかに走って行った事に気づいていない。
恐らく、触れ回りに行ったのだろう。未だヴァイスは、一人ぶつぶつと何かを呟いている。
「あ、あのヴァイスさん。私は大丈夫ですから」
「えっ」
セリーヌの繊細なフォローに、何を勘違いしたのか、ヴァイスは動揺を見せる。
「そ、そっか。い、行こうぜ」
そしてヴァイスは、やけに嬉しそうに顔を綻ばせ、歩みを再開した。
薄気味悪い笑顔だが、これがヴァイスの愉快を表す自然な笑みなのだろう。
「それにしても、すごい所ですね。拍子抜けなんてとんでもないです」
「あ、あぁ。俺は地上の方が、よっぽどすごいと思うけどな」
二人の住み世界が、あまりにも違いすぎるため、互いが互いの価値観を理解出来ず、どうしても、ぎくしゃくな会話になってしまう。
「まぁいい。着いた」
それを察したのかヴァイスは、話を切り上げ、目的地に着いた事を知らせる。
汚らしい建物の一階。
ヴァイスは扉を開け、来客を知らせる。
「いらっしゃい。ってヴァイスか」
こじんまりとした店。
しかし、食欲を掻き立てる匂いが立ち込め、店の規模など問題ではなくなる。
ヴァイスは入店と同時に、小太りの店主に、硬貨を投げる。
二千ジルドあたりだろうか。
カウンターを越えて、店主が華麗に受け取る。
「すぐに作ってくれ。二人分だ」
「はいよ」
『何を』と聞かれないあたり、ヴァイスはこの店の常連で、同じ料理を何度も頼んでいるのだろう。
店主は既に調理に取り掛かっている。
店内にヴァイスとセリーヌ以外の客はおらず、三つほど構えられたテーブル席へ、勝手に着く。
「あ、お金」
「あぁ……かっこつけるつもりはないんだけど、出させてくれ」
「いや! でもそんな!」
「なんだヴァイス気持ち悪いな」
店主が、男女の決まりきったやり取りに口を挟む。愉快そうにヴァイスと対面に座るセリーヌを見るも、料理を作る手は休めない。
「ほら、出来た。もってけ」
「客を使うな。クソッ」
「えっ速い」
「ヴァイスはこれぐらいで作ってやんないと、『遅い!』って文句言うんだよ」
言わねぇよ、とヴァイスは結局文句を言いつつ、カウンターに出された料理をテーブルまで運ぶ。
小さなテーブルに二人分のランチメニューが、所狭しと並べられる。
冷菜の盛り合わせに、活帆立貝の蒸し物、アヒルと豚を焼き温野菜を添えた物、エビの乗ったチャーハン、フカヒレの姿煮、果実をふんだんに盛り込んだ杏仁豆腐。
「どうせ、まとめて作ったのを魔術で保存してんだ、『作った』なんてよく言う」
「味は落ちないし、値段だってバカみたいに安いだろ」
「人に言えないような事して仕入れてんだ、偉そうな事言うな」
ヴァイスは料理を運び終わると、もとの席に着き、すぐにレンゲでチャーハンを口に入れる。
そして、行儀良く眺めているセリーヌに気付く。
「あぁ! つい食っちまった! ほら、食べてくれ!」
「あ! はい!」
「ホント気持ち悪いな」
セリーヌがヴァイスを真似てレンゲでチャーハンを口に運ぶ。
一瞬の間を置いて、電撃が走ったように驚愕を露わにする。
セリーヌは何かを急いで伝えようと、未だ口に残るチャーハンを慌てて咀嚼、嚥下しようとする。
「言いたい事は分かる」
ヴァイスは、セリーヌが伝えようとしていた事を、『理解した』と口にする事で、急がせるのを制する。
それに対してセリーヌは、口を押え、こくこくと頭を上下させる。
目の輝きから、恐らく料理に対しての賛美を贈ろうとしたのだろう。
「ここで言ったら、そこのデブを喜ばせるだけだ。店を出た後に聞かせてくれ」
『デブ』と呼ばれた店主は苦笑を浮かべるも露骨な嫌悪感を出さない。セリーヌの態度から、さしずめ料理を褒める言葉を察したのだろう。
「ありがとう。ゆっくり食ってくれ」と礼を述べ、食事を続ける事を促す。
それに対し、セリーヌはひまわりのような微笑みを浮かべ、続けざまに料理を口に運び、その美味に舌を巻く。
セリーヌは、一つ一つ大切に味合う。それは腹を満たすと言うよりは、舌から伝わる快感に身を任せるようで、胃に収まる栄養は、所詮に過ぎない副産物のように思える。
ヴァイスは、雑に料理を口にする。今現在、噛み千切られた肉が、表面に付着した油を跳ねさせる。しかし、それを見てもヴァイスの品性が劣っているとは、とても思えない。言うなれば、どことなく捕食の光景のように思えるのだ。言うなれば、自然界の摂理そのもの。食物連鎖の頂点。王者に似つかわしい食事の風景。彼には不思議と、そう思わせるだけの何かがあった。
万遍なく手を付けられる料理。
幾分かして、次第に空き皿になる。
その空き皿も、次第に積み重なり、全ての料理は平らげられた。
「ご馳走様です」
セリーヌが満足顔で感謝を述べる。
ヴァイスが、「あぁ」と店主に代わり答える。
穏やかな空気が漂う。
しかし、そこでドンッ、と大きな爆発音が鳴った。
セリーヌが反射的に身を震わせる。
店内からではない。店の外からの爆発音。しかも、すぐそこからだ。
店主が辟易し、興味無さそうに皿を片づけているヴァイスに、言葉を投げる。
「ほら、ヴァイス。行ってやれ」
「あぁ? あぁ! そうだな。セリーヌさんを頼む」
ヴァイスは初め言葉の意味を理解できずにいたが、面倒事を解決してこいという店主の意を解し、店主にセリーヌの身の安全を確保させた上で、扉を無造作に開いて出て行った。
「どうしたんですか?」
セリーヌは困惑しつつも、事態の説明を求める。
「えぇーと、そうだな。見た方が早い。すぐそこみたいだしたな」
ヴァイスは外に出ると同時に、爆発音のもとを特定。探知魔術を使うまでもない。煌びやかな大地下街に立ち上る陰気な煙と、人だかりが視認出来たのだ。
ヴァイスが俊足をもって駆け寄る。
「おい。どうした?」
「ヴァ、ヴァイスか! 良かった! あれだ!」
ダラムサル人の青年が指を差す。
そこには、今まで無かった派手で巨大な看板。看板の中央下に黒スーツの男。背後からのネオンにも似た光で、鮮やかに照らされている。
照らす光の色――目に痛い蛍光色が、めまぐるしく変化し、黒いスーツに模様を描く。
看板に描かれているのは、大鎌を持った骸骨――死神。
それを確認した途端、ヴァイスが激昂する。
「エルファルス!! テメェ何やってんだ!!」
「おや、ヴァイス。戻ってたのか」
黒スーツの男――エルファルスが高みからヴァイスを見下ろす。
茶色の髪を整えながら、悪性の瞳をヴァイスに向ける。
「うちの商会もここに出店しようかと思ってね」
「ここ……四区は俺の縄張りだ。『出店』って誰の許可があったんだ? テメェの十二区に帰れ」
「君の四区が欲しいんだよ。何せ地下街最大の区画だ。とはいえ、君とやり合いたくない。そうだな……手を組まないか?」
「バカにしてんのか?」
「他の区画の代表さんは喜んで手を取ってくれたよ」
「手を取った? 略奪しといて何ほざきやがる」
「頼むよヴァイス。第五階層出身の君の相手はしたくない」
「もういい……。帰らねぇなら、無理矢理帰してやる」
アルウェル最大規模の違法商会――エルファルス商会。
その象徴、機械仕込みの看板――死神が動く。
骨だけの頭蓋を激しく上下させ、眼下の光景を嘲笑うかのように、ケタケタと顎を震わす。
目に灯された真紅の光源が輝き、害の無い眩い閃光を放つ。
手に持つ大鎌がゆっくりと、振り上げられ――急速に打ち下ろされる。
ガチンッ! 大鎌が音を鳴らす。
それと同時にヴァイスが消えた。
常人では視認出来ない超高速移動。
『第六等級魔術〈インビジブル〉』を併用し、本当の不可視となる。
「来たぞ!! 殺せ!!」
エルファルスが、先ほどまでの冷静な振る舞いをかなぐり捨て、怒号を上げる。
それに伴い、看板に隠れていた屈強な男達が姿を見せる。
その数は十。中央にエルファルスを置き、左右に五人づつ展開する。
耐性の無い者ならば、気を失うだろう程の、異常な殺気が周囲に充満する。
命のやり取りを、幾度となく経験してきた選りすぐりの猛者達。
エルファルスのように怒号を上げる事なく、冷静に状況を把握。
陰湿な瞳に光は無く、ただただ主の命をこなそうとする。それは障害の排除。
手に持つのは、それぞれ大剣に槍、大槌まで様々。それはヴァイスを惨殺するための武器。
全員が瞬時に構えを取ろうとして――左端三人、右端二人が昏睡。
間を置かずして、右に残った三人が、大剣、槍、大槌を振う。
ヴァイスを捕捉したのだろう。その小さな身を粉砕しようとする。
ドドドと地に響く連鎖音。
地を砕くだろう衝撃。
しかし、砕け散ったのは男達が振るった武器の方だった。
驚愕にする暇も無く、武器を砕かれた男達が崩れ落ちる。
直後、動く暇も無く左二人の男が昏睡。
ものの数秒。
十人の屈強な男達を、全て叩き伏せた。
「誰を殺すって?」
エルファルスの後方から声をかける誰か。
「チッ!」
エルファルスが舌打ちを残し距離を取ろうとする。
しかし、それは適わなかった。
「自惚れんのもいい加減にしろよテメェ」
「グッ……」
ヴァイスは片手でエルファルスの首を絞め、そして持ち上げる。
ありえない方向からの攻撃。ありえない速さ。そして、ありえない強さ。
圧倒的なまでの力に、彼の――アルウェル大地下街四区の住民が酔いしれる。
大歓声。死神の看板は動かない。
眼前に広がる大衆。その全てがヴァイスを称える。
まるで大演説に当てられた民。そして民を魅了して止まない王。
王は拳を掲げ、民に応えた。
鳴り止まない歓声が地下の世界に響き渡る。
***
「あんなに強かったんですね」
セリーヌが照れくさそうにヴァイスに賛辞を贈る。
「いや……そうでもねぇよ」
それに対してヴァイスは苦虫を噛み潰す。
地上、路地裏でのやり取り。
日は沈みかけている。
ヴァイスがセリーヌを帰路を見届けているのだ。
「今日はとても楽しかったです」
「それは何よりだ!」
嬉しそうに笑うヴァイス。
そこで、ハッと気づきズボンのポケットをごそごそと漁り出す。
「こ、これ!」
「なんですか?」
ヴァイスがズボンから取り出した物をセリーヌに見せる。
それは、希少金属オリハルコンを使った髪飾り。
「失くした髪飾りの代わりにはならねぇだろうけど」
ひまわりを象った、なんとも綺麗な髪飾りをセリーヌに差し出す。
夕暮れの茜色を受けて、キラキラと赤の輝きを見せるオリハルコン。
「そ、そんなとんでもない! 失くした奴にそっくりです! えぇっと、じゃぁ頂きます!」
「そうしてくれると俺も助かる」
ヴァイスの手のひらに、セリーヌの手のひらが置かれ、髪飾りが渡される。
「ありがとうございます」
うん、とヴァイスが不気味ながも柔らかい笑顔を見せる。
「ここまでで大丈夫です! 今日はありがとうございました! またギルドで」
ヴァイスは手を振って答える。
セリーヌは小走りで路地を抜け、大通りに出る。
ヴァイスはそれを見て振り返る。
そして夕日に影を伸ばされながら、軽い足取りで暗い路地裏に消えて行った。
第5章はここまでです。
読み進めていただきありがとうございました。




