第1節 性的倒錯
読んでくださってありがとうございます。
ここから第4章が始まります。
毎度のことなのですが、章と節の名前は、『これでもかっ!』ってくらい中二心溢れます。ごめんなさい。
汚ねぇ。汚ねぇ。汚ねぇ。
アルウェルはどこまでも汚ぇ街だ。
実状を知らねぇ大多数の人間は、自由都市、夢を叶える街だとか小奇麗な言葉を並べるがこの街はそんなもんじゃねぇ。
大方、豪華絢爛の大商人にでも目を奪われたんだろう。まぁ、確かに見栄えは良いかもしれねぇ。大衆に笑顔を振りまいて、慈善事業とかする奴等ばっかだもんな。
だがな、裏じゃあ何やってるか分かったもんじゃねぇよ。優先するのは自分の欲だ。必要とあらば、その笑顔で人だって殺す。差し伸べたその手でだ。
表と裏は一致するもんじゃねぇ。おおもとが同じだとしてもだ。だから、『表』と、『裏』って言葉で区別すんだろ。
何を目指してか知らねぇけど、アルウェルには夢見がちな奴らが次から次へと湧き出てくるな。
『自分もあの大商人のようになりたい』、だとか『いつかこの街で夢を掴む』だとか何も分かっちゃいねぇ。何も見えちゃいえねぇ。
覚悟が足りねぇんだよ。お前はそれを叶えるために人を殺せるか? いや……それでも足りねぇな。その上、運も必要だ。それも信じられない程の強運がだ。
まぁでも、分からないでもねぇよ。照らす光がデカすぎんだ。目を奪われても仕方ねぇ。でもな、やっぱその分だけ影もデケェんだよ。
お前らの大部分も結局はこっちの影――暗い世界に来る。クソしょうもねぇ夢が破れて、絶望に満ちた顔してな。そんな奴らばっか見てきた。
俺は幸せだったかもな。もともと暗い世界で育ったんだ。それも裏社会のような純粋な暗闇じゃねぇ。ドブみてぇなクソ汚ぇ暗闇でだ。
しょうもねぇお前等は、しょうもねぇ世界で生きていくしかねぇ。……あぁ。勘違いするな。
俺はな、むしろこっちのほうが幸せだって言いてぇんだよ。こっちはくだらねぇ法になんか縛られねぇ。
お前等に夢を見させた奴等のおかげで、この影は随分と大きい。こっちの世界はお前等が思っている以上に広い。
そうそうそう。こっちは広いだけに、想像もつかねぇ快感があるんだよ。
そっちで叶えられなかった欲望を別の形で満たして見ろよ。最高に幸せになれる。
一回やってみればいい。叶うか分からねぇ夢追いかけるのが、いかにくだらねぇか分かるからよ。こっちなら何してもいい。何でもできる。
覚悟も何もいらない。したいからした。その程度で良いんだ。
そうだな。麻薬に溺れるのも良い。殺人だって良い。まぁ、何よりも良いのは盗み。これだ。
そうそう、俺がまず手を出したのも盗みだったな。
そりゃ生きるために食べ物をくすめる事もあったけどよ。そんなの盗みの内に入らねぇ。それは呼吸と一緒だ。しなくてはいけない事にすぎない。
俺が言ってんのは快感を得るための盗みだ。
どんなのかって?
そうだな。どうしても個人的な話になっちまって悪いけどよ。
ガキんときの話だ。そんときの俺の仲間が、どうやってか知らねぇけど、まっとうな労働をし始めたんだよ。宅配だっけか? 覚えてねぇ。バカらしすぎて記憶に残ってねぇ。とにかく汗水垂らして朝から夜まで働いてたんだ。
それで、労働の対価として賃金貰ってよ、それを貯めて嬉しそうにしてやがんだ。それが、やけに癪でな。四ヶ月した辺りかな。盗んでやったよ。全額。二十万ジルドくらいだったな。隠し場所探すのに多少苦労したが、まぁそんときは癪だから盗んだ。その程度の話だったんだ。
それでそいつ、金が盗まれたのに気付いた時、初めは憤慨してたんだ。『誰だ! 返せ!』って、周りにあたり散らしてよ。とにかく必死だった。まぁ、そんなのはどうでもいいんだよ。何も感じねぇ。
でもな、しばらくしてそいつは気付いたんだ。金が戻ってくるはずがないって。
そいつは腐っても、こっちで育ったんだ。自分でよく分かってたよ。一度無くした物は戻らねぇって。
まぁ、それに気付いた途端呆然としてた。喪失の感情だ。
そしてそいつ、声も出さずに静かに涙を流したんだよ! 立ったまま死んだんじゃねぇかってくらい。
まるで心にぽっかり穴が開いたみたいに!
これ。これ。これこれこれ。この時! 俺が感じたのはこの時だよ!
突如、全身に快感が走ったんだ!!
それを見た途端、官能にも似た愉悦が全身を満たしたんだ!
盗んだ金の価値なんて霞んじまうくらいの。
上手く言えねぇ……人としての何か。
人生に近いものを盗むのが気持ちよくて仕方なく思えた。
麻薬なんて比じゃねぇ。たったの一回、その快感を味わえばクセになるほどの。もうやめられねぇ。やめられはずがねぇ。
それから何回も盗みはやったよ。
それで気づいたんだ。対象の金銭的価値はそれほど重要じゃねぇ。何より重要なのは、どれほど大切にされてるか。この一点に尽きる。
対象を失った時の感情が見たいんだ。たまに憤慨して終わる時もあるけどよ、それはクソ詰まらねぇ。俺が見たいのは喪失の感情だ。
そうだな……ここ最近で良かったのは、老いぼれの魔導器を盗んだときかな。
何が良かったって、盗まれる過程での感情の変化が見れたんだよ!
深夜そいつが寝静まった頃、家に忍び込んだのな。大衆と比べると、やけに厳重だったなぁ。さすがは魔導器士って所か。けど、そんなのは関係ねぇ。普通に家に入って、物を普通に探したよ。
そして、そいつが寝ている寝台の横に目的の魔導器はあったんだ。スースー寝息立ててよ。ほんと間抜けだったわ。
さっさと頂いて、後はそいつを監視してようと思ってな。
魔導器を手にした途端、そいつ起きたんだよ!
起きて、俺に魔術を行使してくんのよ! 魔導器で増幅されてねぇ魔術とはいえ、本気で俺を殺そうとしてくんの!
『それを返せ!』って怒鳴り声を上げて!
そこで思ったよ。あぁ、それほど大切なんだな、これ盗んだらどんな表情すんだろ、って。それから、俺はそいつの顔を見ながら、ゆっくりと出て行ったよ。
それでなんだけど、俺が遠ざるかるにつれ、そいつの表情が変化すんだよ! 最後に見せた悲哀の表情が最高だった!
え? なんで殺さなかったのかって?
まぁ……確かに始末しとけば後々の面倒は小さくなるかもしれねぇな。
でも、殺したら、その後のそいつの表情が見れねぇじゃん。
俺はそいつがその後、心にぽっかり穴が開いた状態で、どうやって生きていくのかも見てぇんだよ。
まぁ、俺の話はこんな所だな。俺には盗みしかねぇ。それ以外考えられねぇ。
まぁ、なんつーか。人それぞれだ。俺はこのクソ汚ねぇ世界で、至上の悦びを見つけた。それが盗みってだけの話だ。
殺しが何より好きな奴もいれば、建物を壊すのが好きな奴もいる。人間を生きたまま蝋細工にするのが好きなイカレた奴もいる。
なんだかんだ偉そうな事言ってるが、お前等にはお前等の快感がある。それは盗みとは限らねぇ。こっちの暗い世界で、それを見つければいい。お前等の欲望を塗りつぶすだけの快感が、必ず落ちてる。
じゃあな。それくらいだ。
え? どこ行くかって? そんなの決まってんだろ。
盗みだよ。
***
昼下がり。
今日もアルウェルは活気に満ちている。いや、いつも以上に活気に満ちている。
自宅から見える港には、警ら隊と軍人が詰め寄り警戒態勢を敷いている。
恐らくは近々開かれる展覧会に出展される展示品が、各国より入港したのだろう。
アルウェル最大の百貨店――エル・エガート百貨店で年に一度行われる大展覧会。
世界中から貴重品、珍品が集い大衆に向け展示される。なんと言うか、世界中の全てが揃うこのアルウェルらしい催し物だ。
この大展覧会は、アルウェルにおいても類を見ない程の賑わいを見せる。
なにせ、国を越えて展示品を見物に来る人も多いからな。それに伴い商店、露店も賑わい、中々の経済効果が見込まれる。
展示品についてなんだが、出展は国に限らず、個人での出展も多い。いずれにせよ国宝級なのは間違い。
裏では貴族同士のにらみ合いが行われいるのだろうな。家督の誇示か……財力を見せしめるのだろう。
貴族の間では一種のお見合いの場ともなっていると、いかにもな噂も耳にした事がある。いや……フランから聞いたのだから噂でもないのか。
そこで、ザザザッと脳に一瞬ノイズが走った。
誰かが俺に通信魔術を行使したようだ。
意識を集中させて、通信を受け入れる。次第に回線は明瞭化してゆく。
誰かなんてことはないな。この魔力波長は――。
(ギルド職員のセリーヌ・アリオーです!)
いつも元気だ。通信魔術で顔は見えないが、笑顔で通信しているセリーヌが目に浮かぶ。
(どうかしたのか?)
ある程度、打ち解けたと思うので、友人に話しかけるような友好的な返事をする。
そして、それを受け入れたかのようにセリーヌは続ける。
(早速で申し訳ないのですが……ギルド長がお呼びしています。お時間があればギルドまで来ていただけませんか?)
(あぁ。うん。分かった。今から向かうよ)
(やったー!)
そこで、ガチャリと音を立て通信魔術が一方的に切られた。
何故だろうか、少々のやり切れなさを感じながらも俺は、せっせと着替えて自宅を後にした。
ギルド長室はいつ来ても、威厳に委縮させられる。
特に床に敷かれた赤の絨毯。これがいけない。まるで典型的な貴族の一室のようだ。
しかし当然と言えば当然か。クロンヴァール侯爵は大貴族だ。彼女の執務室と考えると、威厳で溢れかえるのが自然というものだ。
「わざわざ悪いね。よく来てくれた」
「いえ、暇を持て余していましたので」
ハハハ、とクロンヴァール侯爵は愉快そうに笑う。
そして、机の上に置かれていた一枚の資料を手に取り、目を細めて眺める。
「エル・エガート大展覧会は知っているかい?」
「えぇ。もちろん」
「大規模な展覧会だ。ギルドにも展示品の警備依頼が来ている。これはその依頼の適正者一覧だよ」
クロンヴァール侯爵は視線を、手に持つ資料から俺に向ける。
そして、ひらひらと資料を揺らして見せた。
「ときにトウヤ君。窃盗愛好者と呼ばれる人物を知っているかい?」
「はい。名前だけなら……。確か〈ディプス〉史上最悪の犯罪者の一人ですよね?」
「そうだ。病的なまで窃盗に固執する精神疾患者だ」
「実在……するのですか……空想の人物という説が有力だと聞いていました」
史上最悪の犯罪者の一人、窃盗愛好者の被害は各国で確認されている。
いや……『確認』というのは語弊がある。窃盗愛好者の被害は各国で、『推測』されている。
なにせ窃盗愛好者は窃盗の痕跡を残さない。姿を見た者など誰一人としていないのだから、厳密に言うと、『確認』されるというのは間違いだ。
しかし、あり得ない状況下での窃盗は現実問題として起こっている。
まるで未知数の窃盗に合うと、窃盗愛好者の犯行だと推測する。
そしてそれは、どこまで行っても推測の域を出ない。
窃盗愛好者が実在しているのかも分からない。ゆえに空想の人物という説が有力なのだ。
「確かにこれまで彼を捕捉した者はいない。しかし、人とは不思議なものだな。国や種族を越えて、根拠も無いのに一人の人物へと共通の認識をする。『これは窃盗愛好者の仕業に違いない』とね」
「『彼』というと、窃盗愛好者は男なんでしょうか?」
「あぁ。そうだよ。つい先日、窃盗にあったアルウェル在住の老魔導器士が捕捉したんだ。部屋中に巡らした異常なまでの監視魔術のおかげで、窃盗愛好者の犯行を立体映像で再現出来た。事が事だからね。国をあげて、その立体映像に対し禁忌魔術を行使して、窃盗愛好者の記憶を読み取ったよ」
素直に驚いた。事態がそんな所まで進んでいるとは思わなかったのだ。
「驚くべきなのは、各国で推測されていた窃盗愛好者の犯行が、ほとんど彼の犯行と証明された事だよ」
驚愕が顔に出ていたのだろう。クロンヴァール侯爵に揶揄され気付いたが、羞恥は無かった。
万人が驚愕を表すだろう事態に、例に漏れず驚愕を表した所で、何が恥ずかしいものか。
「残念ながら、彼の感情までは読み取れなかったけどね」
「とはいえ、存在を立証しただけでも功績ものでしょう」
「老魔導器士のおかげだよ。魔導器士は老いても魔導器士という事だ」
「しかし話を聞く限りでは、捕捉は出来ても捕縛は出来なかったんですよね?」
「その通りだ。立体映像を見させてもらったが、窃盗愛好者は老魔導器士を軽くあしらっていたよ。彼もまた魔導器士級の実力があるのは確かだ」
なるほど。エル・エガート大展覧会、窃盗愛好者、そして俺が呼ばれた理由となると――。
「俺はエル・エガート大展覧会の展示品の警備をすればいいのですか?」
「少し違うな。それに対してギルドからはホアン君を出す。君には大展覧会に乗じて行われる、国際間のある取引を護衛してもらいたい」
「え?」
「あぁ。表沙汰に出来ない取引は、毎年この大展覧会に乗じて行われるんだよ。このアルウェルでね」
何かと都合がいいんだよ、とさらっと言うクロンヴァール侯爵に俺はぎょっとした。
「その取引とは一体なんでしょう?」
「そうだね。君に隠し事は無しだ。伝えておこう」
教えてもらえるとは思っていなかったが、クロンヴァール侯爵は事実を伝えようとしている。
彼女の真剣な眼差しが俺を貫く。
「かの偉大なブラウリオ博士が新たに提唱した次世代型魔術理論の論文だ」
「っ……そ、それはどこと取引するのですか?」
「ははは。君でもそんな顔するんだね。相手国によっては軍事均衡を崩しかねないもんね。そしたら戦争だ。危惧するのも、もっともだよ」
クロンヴァール侯爵は愉快に笑っているが俺は気が気でない。相手によるが、戦争の片棒を担がされるのなんてごめんだ。
「安心してくれ。隣の同盟国とだ。それにもちろん、論文をまるまる渡してやるわけじゃない。論文の十分の一程度を渡して、『共同管理という安心感』を買わせてやるのさ。仮にも同盟国だからね。代金は関税の引き上げで頂く事になっている」
「はぁ、まぁそれなら多少気は楽です」
「戦争になんてなったら、世界に散って均衡を保っているメツアース特殊部隊の構成員に合わせる顔がないよ」
クロンヴァール侯爵は一通り笑ったあと、息を整えて話を続ける。決して事態を甘く見ているわけではないだろうが、それでもやはりどこか愉快そうだった。
「とりあえず、今優先すべきなのは窃盗愛好者についてだ。なんと言っても、老魔導器士が被害にあったのは、つい先日だ。しかも、このアルウェルでね。つまり、あの異常者は今アルウェル付近に潜伏していると考えるのが妥当だ」
「そうなると、やはり今回の大展覧会を狙う可能性が出てきますね」
「そうだね。その可能性は非常に高いだろう。取引と、どっちを狙ってくるか分からないけどね。……あぁそうそう、彼はアルウェルの地下街出身だったよ。だから、そこら辺にいるんじゃないかな」
アルウェル大地下街か――。
貧困、飢餓、疫病、犯罪。社会の闇を体現した、この世の地獄と称される場所。
まともに暮していれば決して、関わる事のない世界。
「私も長年、取り組んでいるのだがね……」
俺の思考を察したようにクロンヴァール侯爵は小さく呟いた。
クロンヴァール侯爵はギルド長であると共に、アルウェルの領主だ。その心労は想像を絶するものだろう。取組に関して、彼女にしか分からない葛藤があるのかもしれない。
しかし、地獄は法などに縛られない。いわば、アルウェル大地下街は別の世界だ。そのような場所に取り組みも何もあるのだろうか。
「窃盗愛好者は、くすんだ緑の髪。年齢は君と同じくらいだ。後で纏めた資料を渡そう」
「分かりました。お受け致します。こちらに彼が現れた場合はどうすればいいでしょうか?」
「捕縛……と言いたいが、危なくなったら外交官を連れて逃げてくれ。君の腕を疑うわけではないのだが、先ほども言ったように彼も相当の腕がある」
「分かりました。出来る範囲でのみ捕縛を試みてみます」
「ありがとう。君には借りを作りっぱなしだね」
クロンヴァール侯爵が見せた、なんとも悲哀に満ちた顔が意外だった。彼女でもこのような顔をするのかと、強く印象に残ったのだ。
エル・エガート大展覧会、および国際取引まで残り二日。
この時、歴史の大きな分岐点まで、残り二日だった。




