第8節 大円舞曲
『竜域』という絶対不可侵の領域がある。
この世界〈ディプス〉最高峰の山、『ウルリッグ』の通称だ。
そして最強の生命体、竜がこの世界〈ディプス〉唯一生息している領域。
――それがなぜ、『竜域』なのか。
それは単純な事だ。『ウルリッグ』において、竜以外の生命体は生きられないからだ。
気が狂うほどのマナが渦巻き、それを許容出来るほどの生命体は竜しかいない。
人並のマナ耐性で、『竜域』に足を踏み入れればカマイタチの如く、マナに全身を引き裂かれる。
竜は、『竜域』から出てくる事はない。
世界の管理者――竜は、『竜域』で世界の推移を見届ける。
『竜域』から出て、世界に干渉したのは過去一度だけ――悪魔との大戦のとき。
竜が二頭、飛来してくる。
先の一頭だけなら、奇行で片付いた。
しかし、竜が三頭も出現すると、集団で活動している可能性が出てくる。
竜の大群――何十頭も……何百頭も……。
先の一頭には、たまたま勝てたに過ぎない。それも、とてつもない幸運のもとに。
投げたコインが全部、表を向いたにすぎないのだ。それは俺が一番分かる。
複数で攻めてくる竜には勝てない。挑めば死ぬ。
脳が痛む。竜を屠る第十等級魔術はもう演算出来ない。脳の回路が灼き切れている。
今度こそブレスで蹂躙される。
待つのは惨殺の未来。
圧倒的な絶望が、眩暈を引き起こす。
「全員、戦闘準備!!」
将軍が大音声を上げる。中隊は反射的に抜刀、周囲を警戒する。即座に二頭の竜を捕捉。笑みなどもはや無い。
肩に落ちる雨が重い。中隊は満身創痍だ。そんな体で何が出来る。
「我々はここで死ぬでしょう」
俺に駆け寄った魔術士の一人が言う。落ち着き払った声だ。
「先ほどは無様な姿をお見せしました」
目には決死の覚悟。俺に全力で治癒魔術をかける。
暖かい光が俺の全身を包む。
折れた肋骨が繋がり、内臓に空いた穴が塞がる。傷口が消え、増血される。
「任務のため死ぬのです。悔いはありません。しかし、あなたは軍人ではない」
魔術行使で灼き切れた神経が繋がる。途絶えていた触覚が、剣状魔導器を持つ手から、回復したのを伝える。
「お逃げください」
俺はその言葉に、何も言えなかった。無様な顔をしていただろう。共に戦うか、一人で逃げるか悩んでいたのだ。
通信魔術による状況報告は終えているだろう。けれど、その場に居合わせた者の証言も必要ではないだろうか。
たとえ、俺がここで逃げ帰っても、それはそれで意義のある事ではないだろうか。
「悔いと言えば、貯蔵器を守りきれない事でしょうか」
別の魔術士が微笑みを見せる。決して楽観視しているわけではない。覚悟の上の微笑みだった。
周囲も似たようなものだ。一人の軽装陸兵が黙祷を捧げ、剣を構えた。一人の魔術士が杖に魔力を宿す。一人の騎士が剣を払い、竜を睨み付ける。
壮年の将軍は、ヒゲを撫でながら満足そうな顔をしている。彼にとって、この中隊の隊員は息子か孫みたいなものなのだろう。共に死ぬのは本望か。
状況が悪化するも、歴戦の戦士達は立て直したのだ。
そして雨の中で銅色の剣状魔導器を構える、金髪の女騎士が見える。
竜を見据える女騎士は、振り返って――俺に微笑みを見せた。
突如、飛来してくる内の一頭の竜が加速する。音速を超え、楕円状の雲を引き延ばす。
膨大な魔力が練り上げられる。竜の魔術が来る――。
「第四等級魔術〈クリスタルジャベリン〉」
空中で竜が、千の槍を生成。竜との行き違いざまに、水晶で出来た千の槍が降る。
『第四等級魔術〈クリスタルジャベリン〉』は水晶で出来た円錐を生成し、放射する魔術だ。通常は成人の腕程度の円錐を、五つほど放射する魔術なのだが、竜の莫大な魔力により丸太程の円錐が、異常な数生成された。その数、千。
音速で投擲される槍は、地を穿つ程の威力があるだろう。
「ッ! 第七等級魔術〈アストロジストスフィア〉」
咄嗟の行動だった。俺は強引に、中隊を覆う半球体の結界を展開する。
展開と同時に、結界に槍の雨が降りかかる。
轟音に次ぐ轟音が鳴り響く。
降りかかる水晶の槍が、結界にヒビを入れ、砕ける。
幾重にも繰り返されるやりとり。
あの訓練生が言ってた、『英雄』になるつもりなんて無いのに……なんでだろう。
最後の一本を凌ぐと共に結界が砕け散った。
「あ"ああ"ぁ"ッ!」
強引に展開した結界を砕かれ、莫大な負荷が俺にかかる。苦痛の声が上げる。それは自身が上げた声だと気付くのに、間を要した。
全身から血が噴き出る。激痛が思考を飛ばす。
治癒を受けても、脳の回路は繋がらなかった。
後方の竜から魔力反応。遠く離れていても分かるほどの魔力。
巨大な魔術陣が、後方の竜の前方に顕現する。
強制的に引き戻した思考が告げる。あれは不味い。
『第十等級魔術〈ポノエ・ベダズテ・ニタ〉』の放射線攻撃だ。
中性子の一斉放射。放たれたら、放射線障害で辺り一面の生物が死骸と化す。
結界では防げない。そして、あれを遮蔽するだけの魔術は、今の俺には行使出来ない。
けれど撃たせてはいけない。
俺は魔術の構想を投げ捨てる。代わりには目算。展開に必要なだけの演算をする。脳で数値がうごめくたびに激痛が走る。
「あ"ぁ"ッ! 第九等級魔術〈ディスペル〉!!」
魔術の行使と同時に破裂音がした。
一瞬の激痛と共にすべての感覚が消えた。あちらこちらの神経が飛び散ったのだろう。
目と耳は生きてる。全身から出血している。目から入った情報が遅れて処理される。
あぁ。あの破裂音は俺からか。
二頭の竜は、既に上空にいる。水晶を纏った鉱竜と、銀白の鉱物――ニッケルとクロムだろうか――を纏った鉱竜だ。
「防がれるとは思わなかった」
「やっかいだが、もう虫の息だ」
二頭の竜が会話している。おぼろげにだが、理解出来る。どうやら、先ほどの魔術は防げたようだ。
「お前はあれを持って先に行け」
「分かった。先に行っている」
あれとは超大型魔力貯蔵器の事だろうか。視界の端で、超大型魔力貯蔵器が浮遊している。
中隊が、上空の竜に魔術を放つのが見える。竜に魔術が被弾するも損傷は皆無。魔術は、竜の鱗に触れると同時に散っている。
「人族を殺すつもりは無かったのだが、仇を討たねばならない」
銀白の鉱竜が言う。仇とは、あの火竜の事だろうか。
水晶を纏った竜が、超大型魔力貯蔵器を身の回りに浮遊させ、飛んで行くのが見える。
俺はこの場で膝を着いているのだろう。感覚が無く確信は持てないが、そんな感じがする。
「しかし、こちらの非を認める」
この場に漂う火竜の残滓を読み取っているのだろう。死してなお漂う火竜の魔力をもとに、火竜の記憶を復元しているのか。
「先に結界を破壊して、人族に負荷をかけさせた。あいつは戦いに狂っていたのだ」
あれでは交戦になっても仕方がない、と鉱竜は目で俺に語りかける。
「先ほどの攻防でお前に、竜程の力がある事を知った。敬意を示す」
火竜と俺が交戦して、どちらが勝ってもそれは仕方がない、とそういう事なのだろうか。
「あいつのもとへお前を送り、仇と同時に、はなむけとする。お前に敬意を示し、他の人族は殺さない」
この鉱竜にとって、同輩の竜と人の命は等価ではないだろう。本当は人を皆殺しにしたいだろうな。
俺一人の命で手を打つという事で、非を認めると同時に、敬意を示すつもりなのだろう。
「天であいつと戦いに興じてくれ」
俺を中心として空中に、縦に連なる幾重もの魔術陣が顕現した。もはや何の魔術なのか理解出来ない。
おそらくは第十等級の魔術なのだろう。とても綺麗だった。
轟音。
天から雷が落ちる。
しかし、それが俺の身を砕く事は無かった。
俺の向けられた魔術陣に落雷、粉砕した。
紫電を放ちつつ、バラバラに砕けた竜の魔術陣が俺に降りかかる。
「間に合った」
宙に佇む竜より、更に上空から声がする。
「いや、間に合わなかったのか? 貯蔵器は持ってかれたのかな?」
場にそぐわぬ陽気な声を発しつつ、人影が徐々に降下してくる。身長に合わせた、長い白の魔導衣が見える。若い、俺と同じくらいの歳だ。
「まぁ、でもとりあえず、間に合ったって事でいいか。誰かを死なせずに済んだ」
魔導衣の背には美しい幾何学模様が描かれている。
それは――。
「アレクシス様!」
中隊の誰かが声を上げる。そして、アレクシスと呼ばれた青年が俺の傍に降り立った。雨に濡れながらも、金糸を束ねたような髪が輝きを放つ。
なるほど。アレクシスか……。
アレクシス・ガ・ジラルド――。
帝国メツアースが誇る最強の刃、メツアース特殊作戦部隊の第五席。
そして、この世界〈ディプス〉にて唯一、『勇者』の名をいただく超常の魔導器士。
「王の命で、一番近くにいた俺が駆けつけたんだがな。まさか竜と交戦状態とは……」
「邪魔をするな」
鉱竜が鋭い視線をアレクシスに向ける。アレクシスは物ともしない。
手には黄金の大剣。アレクシスは魔力を大剣に宿して――。
「俺は僧侶じゃねぇんだ。治癒魔術は苦手なんだけど、一応な」
そう言って、俺に治癒魔術をかけた。眩い光に包まれる。暖かい。
光が収まると、俺は全快に近い状態になっていた。
「魔力と脳神経は回復しないだろうが、動ける程度にはなっただろ?」
ニヤッとひまわりみたいな笑顔を俺に向けるアレクシス。
「おやっさんから通信魔術で状況は把握してる。この場を耐え忍んだってな。お前は勇者……いや、勇者は俺だから、そうだな。お前は限りなく勇者に近い戦士だ!」
「僧侶とか、戦士とかなんなんだよ……」
「それは、あれだよ。勇者パーティの事だよ。今集めてるんだ。そうだな……僧侶は内気な巨乳で、魔法使い、あ! 魔術士の事な! はキツイ性格の姉ちゃんだ。戦士はゴツイおっさん、だけど、お前は細いなぁ。そこは妥協してやる。そして、勇者は……」
抜き身。黄金の剣状魔導器に魔力が渦巻く。魔術の超高速行使だ。
雷撃。
「ガァッ!!」
竜が呻く。俺に魔術を向けようとしていた鉱竜が、天からの雷に撃たれたのだ。アレクシスが行使した魔術だ。
「残虐なまでに敵を叩きのめす! たとえそれがスライムでもな」
「退け!」
「メツアース特殊作戦部隊、『勇者』アレクシス・ガ・ジラルド」
アレクシスが大剣を掲げ名乗る。メツアース特殊作戦部隊の構成員が、その力を振う時の儀式だ。
そして、アレクシスが見せるそれは、とても美しいものだった。
轟雷が鳴り響く。
鉱竜と勇者の戦闘が始まった。
「お前はそこで休んでろ! 今回はリーダーである俺に譲れ!」
雷が鉱竜を撃つ。鉱竜が身に纏う金属の誘電率は高い。
アレクシスは鉱竜と相性が良い。雷撃をよく通し、竜の身を焼く。
鉱竜が空から爪を振う。超高速の一撃。
「ぐうぅ!」
アレクシスが正面から受ける。超質量の一撃を受けた事により、声が漏れる。
「第七等級魔術〈トールハンマー〉!」
先ほどからアレクシスが行使し続けてる雷撃の魔術。
天を割り、雷が鉱竜を撃つ。雷に撃たれた鉱竜は、黒煙を口から漏らし、地に叩きつけられた。
何重にも展開された、『第七等級魔術〈トールハンマー〉』が鉱竜を撃ち続ける。
まるで天から伸びる雷の柱に、鉱竜が押さえつけられているみたいだった。
「ガアアァァッッ!!」
鉱竜の雄大な翼が炭化。崩れ落ちる。
鉱竜の口蓋に膨大な魔力反応。
瞬時にそれはアレクシスに放たれた。
『第六等級魔術〈アロイユニオン〉』で生成されたチタンニッケル合金の巨大な球が、超高速でアレクシス放射された。
接触すれば、肉体が吹き飛ばされる。しかし、アレクシスはその場から動く事は無かった。
ただ黄金の剣を掲げ振り下ろす。
それだけで綺麗な断面を覗かせ、死の球は後方へと流れて行った。
そしてアレクシスは永延と雷撃を繰り返す。
永延と、永遠と。
空から鉱竜を押しつぶす光柱。
『第七等級魔術〈トールハンマー〉』が五十回目に差しあたった所で鉱竜は絶命した。
全身を炭化させ、バラバラと崩れ落ちる。
「ハァ……ハァ……疲れた。魔力が枯渇する所だった……」
アレクシスは、もともと雷撃魔術と相性が良いのだろう。相性が良い属性を持つ魔術は、行使の際に消費される魔力量が低下する。
それにしても、第七等級を五十回ほど連続行使するとは、恐ろしい魔力量。そして、尋常ではない集中力。
さすがは帝国最強の刃、メツアース特殊作戦部隊の構成員だ。
「トウヤ……!」
不意に声をかけられた。振り向くと、血と雨に濡れた金髪の女騎士、イザベル。
目には涙を浮かべている。
「ごめんなさい……」
なんだ……。火竜から引き剥がした事か? それとも水晶の鉱竜の槍を防いだ事か?
「いや……俺が勝手にした事だから……」
「ごめんなさい……ごめんなさい……ありがとう……」
そう言って、彼女はずっと泣いていた。
***
鬱蒼と生い茂るどこかの森の中に、古びた小屋がある。
天気は生憎と雨で、森に広がる緑の絨毯を濡らしていた。
水晶で身を飾った男が、無造作に小屋の扉を開ける。
「持ってきた。外に置いてある」
水晶の目が、部屋の中にいた男を見据える。
部屋は魔導具が所狭しと並び、小さな小屋を圧迫している。
大きな机の上には、球形の魔導具が台座の上をぐるぐると回転している。
何かを観測しているのだろうか。回転する魔導具の中では、光が紋様を描いている。
「あぁ。ありがとう。自分ではあんな大きなの作れないからね」
部屋の中に居た男の言葉には、感情が込められていない。
男が持つ銀の髪が、揺れる。
水晶の目をした男が、銀髪の男に魔力を放出したのだ。
命も何も持たないただの魔力。
「置いて来た鉱竜の反応が消えたッ……!」
「ご愁傷様」
銀髪の男の声に、やはり感情は込められていない。
「本当にッ、それにはッ……それだけの価値があるんだろうなッ?!」
水晶の男は激情を抑えきれず、放射する魔力を強める。
「あるさ。君達の一族が絶滅するなんて嫌だろ?」
銀髪の男は、浴びせられる膨大な魔力を物ともしない。
そして、知性を宿したエメラルドグリーンの瞳を水晶の男に向ける。
「さぁ、僕はこれから貯蔵器に魔力を貯め始めるよ」
「チッ!」
水晶の男は、無造作に振り返る。
そして、足を速めて小屋から出て行った。
扉は開かれたままで、森と雨の匂いが小屋に流れ込む。
「急がないと」
銀髪の男は、憂いを帯びた顔で小屋から出て行った。
ここまで読み進めてくださり、ありがとうございます。
第2章はここまでです。
本人は楽しく『異世界に溺れちゃう』を書かせてもらってます。
この楽しさが文章に反映されれば良いのですが、どうにも上手くゆかず……。
拙い文章で申し訳ありません。
読んで下さる方には、本当に感謝しています。
改めて、ありがとうございます。




