第6節 悼みの雨
人工的に作られた渓谷に魔導砲が撃ち下ろされる。白に輝く幾重もの砲弾が結界に着弾。
光が爆発し、暗闇を吹き飛ばす。
放射された爆光は辺りを照らしあげた。食い尽くさんとばかりに、中隊を囲むのは、百のグールと三十の吸血鬼。
グールは口腔部に牙を生やし、頭部には捻じれた二本の角を伸ばす。その姿はもはや人のものではなく、その名残さえ捨て去っていた。
結界は軋みながらも、その身を砕く事なく砲弾から中隊を守り抜く。
グールが唸り声を上げ、魔導大砲の第二撃目を構える。
瞬間的に止む砲弾の豪雨。中隊を守る結界を、意図的に消失させる。機は逃さない。中央部に、超大型魔力貯蔵器と幾人かの軍人を残し、隊員は四散した。
そして今度は先ほどより小規模に――しかし、超大型魔力貯蔵器を覆うだけの――結界を展開、結界の外周にて魔術士が維持する。
「冒険者殿は貯蔵器を!」
騎士の一人が清水透也に声をかける。清水透也はそれに頷いてみせると、既に抜刀していた剣状魔導器に魔力を宿す。大気に満ちたマナを揺らし、剣先で魔力が極大に増幅される。
清水透也は中央部の超大型魔力貯蔵器に駆け寄ると共に、白銀の剣状魔導器を振い魔術を行使する。
「第七等級魔術〈アストロジストスフィア〉」
清水透也が結界を展開する。結界を覆う――超大型魔力貯蔵器を覆った結界、更には外部で結界の展開を維持している魔術士、陸兵達さえも覆い尽くす程の――結界を瞬時に展開してみせた。
「え?」
瞬時に展開された結界を見て、一人の男性魔術士が声を漏らす。当惑ではなく驚愕の声。
自分達は、数人がかりで結界を展開、維持している。外部で結界を支える自分達の身を案じてくれたのだろうか、この冒険者は自分達を内包する最上の結界を展開してくれた。
彼らは決して無能ではない。むしろ、魔術士としては極めて優秀である。数人がかりとはいえ、魔導砲の雨をしのぐだけの結界を展開出来るのだ。
彼らは血反吐を吐くような訓練、熾烈を極める実戦を乗り越えてきた戦士だ。
訓練で幾度となく内臓が潰れても、実戦で千の魔術の応酬に死に目を見ても生き延びてきた。
身体が壊れても、魔術行使に全身の神経を灼かれても、決して折れることなく生き延びてきたのだ。
それらを乗り越え、彼らが培ったものは並大抵のものじゃない。その身には、過去に死んでいった仲間の思いすら、背負えるだけの強さがある。
だから分かる。だからこそ分かる。冒険者が振るう剣筋、今なお、結界を維持するほどの技量。
この冒険者もまた超常の魔導器士なのだと――。
超大型魔力貯蔵器を覆うのは二重の結界。
清水透也が展開したのは半透明の球体。球体の表面のあちらこちらで、光の粒が煌々と輝く。まるで天体を具現したような結界は、ある種の神聖さを夜の闇に放っていた。
清水透也は超大型魔力貯蔵器に来襲するアンデット、砲弾に備えて、自身が展開した球の外周をなぞるように歩む。
結界を中心に探知魔術を常時展開。探知魔術は範囲内にあるもの、または触れるものを肌で知覚する。迎撃の準備を整えた。
左右では騎士を先頭に、魔導大砲を目指して絶壁を駆け上る軍人達。
韋駄天の如く、垂直にも近い崖を、重力を無視して駆け上る。
グールは頂にて、這うように絶壁を覗き込んでいる。暗灰色に変色した肌が粘液を撒き散らし、迫りくる軍人に血に濡れた赤の瞳を向ける。
グールが耳まで裂けた口を限界まで開く。不揃いな牙を伝い唾液が飛び散る。周辺の岩盤に付着、黒い煙を上げ蒸発させた。
強い酸性の唾液が降りかかろうと、軍人の駆ける足は止まらない。騎士が履く金属のブーツに踏み込まれた絶壁の表面が砕かれる。破片を後方に落としつつも、騎士に続く陸兵、魔術士はその勢いを衰えさせない。
絶壁を覗き込むグールは左右それぞれ十匹づつ。
限界まで開かれた歪な口の前方、空中に黄金の魔術陣が顕現。風が回旋する音と共に、魔力を急速圧縮する。
連なる黄金の輪はまるで福音のようで、天に向けて駆ける騎士はそれに導かれるようだった。
鐘が鳴る。光の奔流。
黄金の魔術陣から極太の光線が放たれた。軍人に向け垂直下方放射された光線は、左右それぞれ十束づつ。
線は互いに融合して面になった。
自身を消し去ろうとする光のカーテンを避けるため、軍人達が飛翔する。強く踏み込まれた絶壁はこれまで以上に大きく砕かれ、大きな岩を後方に落としていった。
光の面と軍人達がスレスレで行き違う。騎士の爪先に光が付着、金属のブーツの先ごと消し飛ばされる。瞬時に炭化、血は流れなかった。
爪先を消失させながらも、先頭の騎士は絶壁の頂に達する。風が吹き抜けるように、騎士は行き違いざまに一匹のグールの頭部を斬り飛ばした。
続いて到達した魔術士が空中で、『第三等級魔術〈コニックヘリック〉』による小さな螺旋状の円錐を五つ生成する。属性は銀。生成と同時に一匹のグールへ殺到。
五つ全て被弾。銀の銃弾に撃ち抜かれたグールは灰と化し、砂が散る音と共に砕けた。
続けざまに全員が頂に到達。飛翔の勢いは頂の更に上空、グールの頭上で最高点を迎える。
金属が風を切る音。軍人達は放物線を描きながら、グールに成り下がった同僚へと急降下する。
頂では軍人を見上げるグール達。月は雲で隠れ、明かりを見せない。
軍人が降り立つ前に、グールが咆哮を上げる。その目に涙が浮かぶ。それは猛る衝動だろうか、それとも自身の境遇を理解しているのか。理性の有無は分からない。
そしてグールは腕を掲げる。空中で動きが限られる軍人へ、腕を何倍にも伸ばし、撃ち落そうとする。
一人の軽装陸兵が顔を歪める。被弾したわけではない。ましてや、危機を覚えたわけではなかった。ただただ嘆く。天に手を伸ばし、泣き狂っているように見える元同僚をどこまでも嘆く。
「愚か者がッ……」
迎撃に来るグールの腕を、魔術士は球状に張った魔術障壁で逸らし、騎士は斬り払う。
一人の軽装陸兵が着地と共にグールの首を斬り飛ばす。
痛覚が――痛みが脳に伝達する前に――。
それはせめてもの慈悲だった。
地上ではグールが五十匹ほど蔓延っていた。
剣戟は聞こえない。聞こえるのは肉を蹂躙する音のみ。
四足歩行で迫るグールを一人の重装陸兵が槌で叩き潰す。飛び散った肉が鎧に付着するが、強酸の体液が鎧を溶かす事はなかった。どうやら魔術が付与されているようだ。
一名の騎士がグールの長く伸びた左腕を斬り飛ばす。
グールが苦痛に呻く。斬り口から肉が隆起、瞬時に再生。一つの斬り口から三つの腕を生やす。左右合わせ計四本の腕が騎士に殺到。
しかし、それらの腕が騎士を貫く事はなかった。後方の魔術士が、『第三等級魔術〈ミダスリング〉』の光輪にて、グールの全身の関節を縛り上げたのだ。
縛られた関節から、煙が立ち上る。神聖を得ている魔術は、アンデットを焼く。即座に騎士が、身動きの取れなくなったグールの首を斬り飛ばした。
月の光は届かない。いよいよ雲行きが怪しくなってきた。
将軍達が入ったいった建物の扉が、内から吹き飛ばされる。木材で出来た扉は粉砕され、木片が飛び散る。
将軍とイザベルが、緩慢な動作で出てきた。傷どころか、装備に汚れ一つない。
手には抜き身の剣。どうやら建物の中での戦闘は無事終わったようだ。
周囲の状況を一瞥。二人は瞬時に状況を理解した。通信魔術による交信が、予め行われていたのだろう。
二人は中央部、吸血鬼と戦闘している清水透也のもとへ駆け出した。
中央部、超大型魔力貯蔵器周辺では清水透也が、三十の吸血鬼と戦闘していた。
超大型魔力貯蔵器を奪い来る吸血鬼を捌き、結界を維持している。
吸血鬼が空から高速飛来。剛腕をもって清水透也に斬りかかる。清水透也はそれ以上の剛腕をもって跳ね除ける。
続けて前後から、胴を分断しようと迫りくる二本の長剣。清水透也は身を捩り避けようとする。途端、二本の長剣の軌道が変化。
一本は首を、一本は腰を斬ろうと追尾してくる。清水透也は首元に魔術障壁、腰に剣を立て凶刃をしのぐ。
爆音。
別の吸血鬼が、二人の吸血鬼を巻き込んで魔術を行使。『第五等級〈チェインエクスプロージョン〉』の誘爆に次ぐ誘爆の嵐。
吸血鬼の生命力を活用した非情の戦法。先ほど清水透也に斬りかかった二名の吸血鬼は、半身を吹き飛ばされる。しかし、肉を隆起させ瞬時に再生。
全ての吸血鬼が、清水透也を囲うように円陣を組む。翼を広げ、宙に佇む吸血鬼達は、一斉に魔術を行使。
展開中心点は清水透也。
三十の吸血鬼による三十の魔術。常軌を逸した三十の、『第五等級〈チェインエクスプロージョン〉』が地を揺らす。
轟音に次ぐ轟音。人を一人殺すために用いるにはあまりにも限外。
展開中心点の傍に張られた超大型魔力貯蔵器を守る結界は、魔術の余波でヒビが入る。
それでも誘爆が止まる事はない。酸素を喰い尽くそうと爆炎が荒れ狂い、地は抉られ、世界が悲鳴を上げる。
鳴り止まない轟音。強すぎる音が、鼓膜を破り、脳を内から破壊する。
音に耐えきれず、結界に守られた軍人は耳、鼻、目から血を流す。それは吸血鬼も同様。顔面の孔という孔から血を吹き出す。
垂れる血が、緑の軍服に赤の斑を彩る。
今だ行使され続ける魔術。
突如――銀の半円が飛び込む。それはなめらかな曲円部を前にして空を渡る。
吸血鬼の一人が後方から飛び込んだ、銀の真空波に分断される。
再生は起こらない。吸血鬼は灰となり拡散した。
振り返る吸血鬼達。後方には、鈍く光る銅色の剣状魔導器を握る将軍。また同様に、鈍く光る銅色の剣状魔導器を握るイザベル。
追撃は止まない。続けざまに銀の真空波が飛び込んでくる。
『第四等級魔術〈リップルエフェクト〉』の可変斬撃。『第四等級魔術〈リップルエフェクト〉』を剣に乗せ、真空を伝うように展開。その属性はやはり銀。
連続行使された魔術が止む。
展開されていた範囲に、誘爆の余波として煙が立ち上る。
爆音が鳴り響く。
しかしその中心地は、密集した吸血鬼達を最効率で巻き込む位置。
爆発と共に極大の火球が、吸血鬼達を蒸発させる。三人の吸血鬼は頭部を消失させ、地に堕ちた。
行使された魔術は、『第四等級魔術〈イラプション〉』。
生き残った吸血鬼達は、行使された魔力波長をもとに、行使点を探知する。
「バカな……」
行使点は立ち上った煙の中。その中に生命反応。
煙の中から黒髪に黒い瞳の冒険者――無傷の清水透也が姿をあらわした。
瞬時、超高速での跳躍――。
一人の吸血鬼の首が消失した所で、吸血鬼達は戦闘を再開する。
一人の吸血鬼が、イザベルに高速で接近。
ドス黒い長剣を翻して、横から鎧ごと分断しようと斬りかかる。しかし、銅色の剣が受ける。
反響する金属音。
吸血鬼は黒い翼をはためかせて空中で回転。二合目はイザベルの肩を斬り飛ばそうと閃を描く。
イザベルは受ける事なしに身を反して躱し、殴りかかる。
吸血鬼はまたしても空中で回転。躱すと同時に、体勢を変え、その腕を落とそうと斬撃。
地に足が着いてない吸血鬼は、自身の空圏で変幻自在の太刀筋を描く。
イザベルは拳が当たらない事を悟ると、剣を構える。吸血鬼の斬撃を受けようと、自身の持てる最高速度で剣を振う。
しかし、吸血鬼の斬撃の方が速い。
吸血鬼の剣がイザベルの腕に触れる。
籠手を分断、服、皮膚を破り、肉を斬り裂き、ついには骨に至った。
中ほどまで喰い込んだ所で、魔術障壁が展開される。強引に吸血鬼の太刀筋を変化させた。
魔術を展開したのはイザベルではない。展開したのは、超大型魔力貯蔵器を守る一介の魔術士。
即座にイザベルが吸血鬼に斬りかかる。非の打ち所のない太刀筋。しかし、吸血鬼は速い。既に、イザベルの剣を予想、回避しようとしている。
突然、吸血鬼は驚愕する。自身が動けない事に気付いたのだ。全身の間接には身を焼く光輪。光の輝きが吸血鬼の顔を照らす。
後方に控える魔術士が、『第三等級魔術〈ミダスリング〉』を展開していた。吸血鬼は、光を見て忌々しそうに顔を歪める。
そしてイザベルの剣は、容易く吸血鬼の首を斬り飛ばした。
それがアーメル大公国最後の吸血鬼。
将軍のもとでは風に乗って灰が漂い、清水透也の足元には、首を無くした十一の死骸が転がっている。
音が消える。
ポツリポツリと滴が垂れた。
魔導大砲がある山頂は、どうやら制圧出来たみたいだ。周辺でも戦闘が終わり、グールの掃討が完了していた。
中隊の欠落者はゼロ。声を発する者はいない。全員が左胸に拳を押し当て、目を閉じている。それは帝国の黙祷だった。
雨が強くなる。関所の森林部では、雨が木を打つ音が大きく聞えている。
「それを寄こせ」
声を発したのは中隊の誰でもない。清水透也は振り返り、それを見た。関所の扉からこちらを覗き込む巨大な黄金の瞳。
全身に強硬な鱗。冷気すら漂わせるような鉤爪。吸血鬼など比較にならない程の巨大な翼。長い尾を持ち、二本の神聖な角を携えている。
それは最強の魔物、魔物を統べる王――竜だった。




