第5節 月に照らされて
武装した軍人が身に纏う鎧と武器が揺れている。金属のブーツは地を踏みしめ、揺れる武器が金属の音を立てる。
超大型魔力貯蔵器を運ぶ台車の周りには魔術士が控え、数人がかりで常時魔術障壁と物体軽化の魔術を行使している。魔術障壁は常にその色を変え、シャボン玉のように光を屈折させ鮮やかなスペクトルを見せている。
魔術士は台車及び行使している魔術を点検しつつも、前方にあるだろうまだ見ぬ帝都に視線を固定する。たるみなど一切存在しない。目にはただ任務に対する使命感。冷静さを多く含む不動の心で帝都を目指している。
口を開く者などいない。――清水透也に話しかけるイザベルを除いては。
「その剣状魔導器はどれほどまでの魔術行使に耐えられる?」
将軍に与えられた任務のせいだろうか。商業都市アルウェルを出発してから、清水透也を退屈させないように何時間も懸命に会話を続けている。最初は涼しい顔をしていたのだが、今では額に汗を滲ませる始末。無理をしているのは明らかだった。
「だ、第十等級まで耐えられる」
清水透也は、会話の繋がりなど無視したような問いに困惑しつつも答える。というのも、イザベルは先ほど清水透也の食の好物を問い、『魚』と清水透也が答えた所であった。
「使う機会はないだろうが素晴らしい性能だな。魚は焼くのか?蒸すのか?」
話が舞い戻る。しかし四方八方に投げられる言葉のボールに清水透也は慣れてきていた。先ほどまではイザベラが投げる会話の方向性に驚愕し、しばしば足を止めたりしたのだが、今回そのような事は無かった。身体強化魔術を駆使し突き進む中隊に合わせて歩みを進める。
「いや、生のまま調味料をつけて食べるのが好みだ」
今度はイザベラが意表をつかれ驚愕する。ツリ目は限界まで見開かれ口を開けた。しかしすぐに口を結び、会話を続ける。
「ば、蛮族か!」
何を想像したのか。恐らくは、鋼のような筋肉に直接毛皮を羽織り、ぴちぴちと跳ねる魚に歯を突き立て、棍棒を両手に持ち振り回す、髭を蓄えた巨漢の類の何かではないだろうか。
これにはさすがのイザベラも前の会話を受け反応してみせた。
「ち、違う。生のまま切り、肉の部分を調味料に合わせて食べるんだ。捌くのだって相当の技量が要る高尚な料理だ」
自国の文化を蛮族の文化などと言わせておくわけにはいかない、とばかりに清水透也は早口に否定してみせる。
「ど、どう想像しても皿が血塗れになる……」
イザベラの反応に清水透也も理解を示す。頭を垂れ、うーん……と考え込んでいるところを見るに、正しいイメージを伝える言葉を探しているのだろう。
「よくそんなので魔導器が使えるものだ」
イザベラの清水透也のイメージは蛮族で決まったようだ。『男嫌い』も相まって清水透也に冷たい視線を向ける。
「あ、あぁ……。もうそれでいい」
清水透也は巡らしていた思考を破棄する。そんな清水透也の事などお構いなしに中隊は山脈の麓を越え突き進む。山脈は整備されている、とは言えないが横にも縦にも広く伸びる山道を展開し、確かに人が往来するためのものだという事を強く認識させる。左右には山脈を埋めるように乱雑に木々がそびえ立ち、また森林部への人の入りを拒絶しているようであった。
山脈がU字に抉られているとはいえ、そこに至るまでの開かれた道も壁のような山脈と言うのはなるほど中々の勾配を築いている。
しかし、それが坂のように急な傾斜を持つとしても、魔術士が台車と馬にかける魔術、各人が行使する身体強化魔術のおかげで滞りなく中隊は前進する。
進軍にあたり、漂う威圧から森林部の鳥や小動物は奥底へと帰っていく。ピピピと鳴く鳥が、中隊の先遣が差し掛かった木から飛び立った。
大きく開いた道のせいだろうか、風が強い。木々のざわめきと、軍人が無言ながらも立てる身に纏う金属の音が響き渡る。
「結婚はしているのか?」
不意にかける声はイザベル。次の質問を用意したみたいだ。風に乗り金の髪が流れる。
「していない」
質問に対して答える清水透也もまた黒い髪を風に任せて揺らす。
「結婚などと言うお芝居はくだらないな。爵位を持つ者は大変だ」
俺に言われてもな、と清水透也は投げやりに答えるがイザベルは無視して続ける。
「恋愛なんてくだらない。恋人だのなんだの猿みたいに滑稽だ」
お前はどう思う? とイザベルは清水透也に視線だけで問いかける。清水透也は投げられた視線に応えるそぶりも見せず続ける。
「あぁ。向いてないと思う」
「黙れ殺すぞ。趣味はなんだ?」
前半は抑揚のない口調で、後半はまるで友人に物を尋ねるように。イザベルをよく見ると、止まりかけていた汗が再び額に浮かび上がっている。
「ど、読書」
面接官の問に対して無難に答えるかのように清水透也は言葉を返す。そして、イザベルは得られた回答を手に取る事なく続ける。
「トウヤはいくつだ?」
「に、二十三」
「私は二十四だ。姉のように思って良い。私の趣味は訓練だ」
「あ、あぁ……姉のように思わせて貰うよ。それと無理に会話を続ける必要はないからな」
先ほどから、どちらが気を遣っているか分からない状況が続き、とうとう清水透也はイザベルに口を休ませるように提案した。それを受けイザベルはキョトンとした顔を見せる。
「そのような事は分かっている。それと、姉のように思うなど冗談も大概にしろ」
驚きに清水透也は目を瞠る。まさか自分が言い出した事をひっくり返されると思わなかったのだろう。
「関所が見えている。着いたらすぐに野営の準備だ」
そう言うとイザベルは足を速め、中隊の中に混じっていった。
すぐそこに見える大きく抉られた山脈からは日没が見える。まるで箱にしまわれるボールのように日は傾いていった。
中隊は早くも野営の準備に取り掛かる。
関所にて、超大型魔力貯蔵器以外の台車に乗せた野営のための準備物を展開する。軍人達が自分の与えられた役割を的確にこなし、野営の準備は迅速に進んでいる。
山脈を抉り、築かれた門のすぐ横には関所としての建物が見える。それは二百人の中隊を宿泊させるにはあまりにも小さいが、関所としては大規模だ。そのすぐ横で、野営の準備を展開する。一夜にして小規模の村が出来上がるようだった。
軍人達が準備を行う一方、中隊を指揮する将軍が関所としての建物の横で、関所の長に挨拶をしている。大規模の関所にも帝国から派遣された軍人がいるのだろう。輸送を担当する中隊とは別に軍人が列を作り、関所の長の後ろに控えている。
壮年の将軍のすぐ横には金髪のイザベルが見えた。将軍の後ろに並ぶ騎士達と別に構えているということはイザベル自体、騎士の中でもそこそこの地位を有しているのかもしれない。
辺りを見渡すと、大きな鍋から湯気が上がっている。そろそろ食事の準備が終わる頃だ。しかし喧噪はない。
通常は歩き疲れた軍人がぐるぐると腹を鳴らし食事に歓喜の声を上げるだろうが、中隊には誰一人として疲労を現す者はいなかった。
味方の陣地に入ろうが、警戒は決して弱めていない。超大型魔力貯蔵器には軽装重装様々な陸兵、魔術士が控えている。
配膳が始まり、予め決められていたのだろう、順次食事を取りに行く軍人さえ腰には自身の武器を控えている。
日は完全に落ち、火が灯された。
将軍とイザベラはどうやら、予め構えられていた建物の中で食事を取るようだ。関所の長と関所を警備している何人かの軍人と、建物の中に入っていった。
外には、将軍とイザベラを除く中隊を構成している軍人と以前より関所を警備している軍人。
ぱちぱちと鳴らす松明が、辺りを赤く照らす。
山脈の森林部は完全に闇に染まり、U字に抉り取られた部分が血を流すように赤く染まる。
U字に抉り取られた渓谷を挟んだ頂には幾つもの魔導大砲が見受けられる。
常に警備体制にあるのだろう。魔導大砲の傍には、もともと関所を警備していた警備兵が控えている。先ほど見た警備兵と合わせて百人と言ったところだろう。
配膳はまだ終わらない。今だ軍人が列をなし自分の順番を待っている。
突如――列に一本の矢が飛来した。
夜に溶け込むように高速で飛来した矢は、列で順番を待っている一名の軽装陸兵の頭部へ――。
しかし、矢が陸兵の頭部を貫く事は無かった。
後ろに並ぶ魔術士が魔術障壁を超高速展開。
極小の一点で張られた魔術障壁が飛来した矢を遮る。
時が止まったように、魔術障壁と矢が拮抗する。
瞬時に全員が抜刀。
統制された動きで各方向を警戒する。
魔術士は常時行使していた探知魔術を拡大展開する。
しかし、すぐに異常が見て取れた。
月を背に宙に浮く人影。その数三十。
雄大な漆黒の翼をはやし、血のように赤い瞳が闇を照らす。
手には闇に同化するようなドス黒い細見の長剣。身にまとうのは統制された緑の軍服。
アーメル大公国の吸血部隊。
アーメル大公国に生息する吸血鬼を乱獲し、構造を分析。兵士の体内を魔術的に作り替え吸血鬼化した部隊。
技術も資源も限られた小国アーメル大公国が大国に囲まれるも、吸収されない理由の一つ。
特筆すべきは、吸血鬼をも乱獲する兵士個人の戦闘能力。
吸血鬼化する事により、強剛な筋力、異常なまでの魔術耐性、そして悪魔的な生命力を得た兵士で編成された部隊。
吸血鬼化が与えられるのは強大な戦闘能力を持つ個人にのみ。
上乗せされた実力は自然と推し量られる。
月に照らされながら百人の警備兵が変異。
全員が瞳を血のように赤く染め、中央に金の亀裂を入れる。
背には申し訳程度に伸ばされた小さい翼。
吸血され絶対服従の隷属グールへ成り下がった。
人が恐れを抱くアンデット。
しかし中隊に恐れはない。従来通り統制された動きで迎撃に備える。
魔術士達が魔術障壁を幾重も展開。結果として障壁より高等な結界と化した。
グールに操られた魔導大砲が標準をこちらへと向ける。
轟音。
豪雨のように降り注ぐ魔導砲が開戦の合図となった。




