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『このあいだちょっと失敗っていうか、上司とちょっと喧嘩してさ。うちの会社は基本的にチーム組んで仕事するんだけどさ、別のチームの後輩がミスして俺に相談してきたわけよ。もちろん本来なら後輩は自分の上司に相談しないといけないんだけどさ、上司が出張で不在で携帯もつながらなくて、急を要することだったからそいつものすごく焦って、それで俺に相談してきた。』
「うん。」
『そいつとちょっとした知り合いでもあったからさ、助けてやりたかったわけ、俺としては。幸い俺ができる範囲のことだったから、ちょっと助けたんだよ。』
「うん。」
『それで、その後輩はなんとかミスはカバーできた。』
「うん、よかったね。」
『ところがさ、後輩がそのことを上司に報告したんだよ。自分がミスして、俺に助けてもらったってこと。それは実際正しいことだと思うんだ。ミスしたこととか、どう処理したかとか、小さなことでも報告しておかないと大変なことになるから。それはいいんだけど・・・その報告を聞いた後輩の上司が、俺の上司に礼を言いに来たらしいんだよ。』
「うん。」
『礼っていうか皮肉だな。「先日はどうも、うちの部下が君の部下に助けてもらったそうで。うちを助けてくれるなんてそちらもずいぶん余裕がありますね。おかげで今回はそちらより業績上回りましたけど」ってね。』
「うん・・・。」
『でさ、そのあと俺の上司きれちゃって。そんな報告聞いてないって俺に怒ったわけ。だいたいなんで人のチーム助ける余裕が俺にあるのかって。そんなことする余裕があるなんて、普段自分の仕事を手抜いてるからできるんだろうってさ。』
「うん。」
『さすがにそれ言われたらちょっと俺も腹立って。「確かに報告しなかったのは悪いと思います。すみませんでした。でも、結果的には会社の業績に貢献しているのだからいいじゃないですか。」って言ったわけ。』
「うん。」
『そしたらさ、「お前はそれで仕事ができているつもりなんだろう?でもなあ、そんな仲良しごっこしているようなお前の能力なんてたかがしれてるし、上にも上がる器もない」って言われてさ。』
「うん。」
『いよいよ俺も腹立って、「俺は仕事がもっとできるようになりたいと思っているけど、そこまでして上にいくような卑劣な人間になりたくない」って言ったわけ。』
「うん。」
『そしたらさ、その次の日から仕事の量が増える増える・・・日付が変わっても家に帰れないし、あきらかに雑用と思われるものも多いし、あ、ちなみに今も会社だったりするし。』
「うん。」
はあーっと、大きなため息が聞こえた。
『ごめんな、久々に電話かけてこんな愚痴で。』
「別に大丈夫だよ。」
『なんか佐田って聞き上手だよな。一気にしゃべっちまった。』
「そんなことないと思うけど?」
『いや、そうだよ。』
「ううん、ただ聞いてるだけじゃん。」
『いや、すごい助かる。』
久野が苦しい顔をしているのが目に浮かんだ。なんだかんだ言って彼は我慢強い。いつも周りの愚痴を聞いたり、アドバイスをしたりしている。久野自身はあまり人にそういうところを見せたりしない。
見せられないのかもしれないなあ、と思った。だからこそ、電話をしてきたのがわたしだったんだろう。
近くにいる友達だと、悩みを話したところで「そんなことくらい」って言われるのが怖い。久野は一流企業に就職しているから、なおさら人からそう思われる。いいところに就職してそれなりの給料をもらっているんだろうから、それくらいしんどくたって当たり前だ、とか。そんな悩みなんて日常茶飯事だ、とか。おまけに友達が仕事もしながら趣味もして毎日楽しく過ごしているのを聞いたりすると、ものすごく自分が情けなくなったりする。
だから、自分のことをある程度知っていて、なおかつ距離が遠い人。つまりわたしのような人に悩みを話すのが一番楽なんだと思う。
昔からなんとなく悩み事の相談を受けやすい原因は、きっとわたしが人からそんな距離をとって生活しているからなんじゃないだろうか。
「久野はさ、たまには立ち止まってもいいと思うよ。」
『えっ?』
「窓開けてみなよ。たぶんたくさん星見えるよ。」
『ちょっと待って。』
こつこつ、と久野が歩いているだろう音が聞こえた。本当に窓のそばにいってくれているらしい。
『あー・・・ほんとだ。都会でも結構見えるわ。てか、結構ビルの明かり消えてるし。もうそんな時間だもんなあ・・・。てか、佐田は何してんの、こんな時間まで?』
「ちょうど星見てたの。だから、星が見えるって言ったの。」
時計は午前2時を指している。
『寒くない?っていうか電話したの俺だよな・・・大丈夫?』
「大丈夫、大丈夫。それよりさ、久野。」
『ん?』
「久野はもうちょっと、自分の弱みを見せたほうがいいと思うよ。みんな久野が頑張ってるってこと知ってる。久野は間違ってないよ。久野は久野のやりかたでいい。そういう久野だからみんな久野のまわりに集まるんだよ。みんなそれで久野に甘えてるけど、ほんとは心配してると思う。だから、周りに頼って、甘えてもいいと思うよ。そうしたほうがみんな喜ぶ。」
『・・・・・』
「久野はちゃんと、光ってるよ。久野だからみんな頼るし、久野を必要としてる。」
はあー、っと大きなため息がまた電話口で聞こえた。
『俺さ、佐田ちゃんに電話してる時点で甘えてるって思ったけどさ、やっぱり佐田が俺のほしい言葉をくれるってわかってたから電話したんだろうな。』
内心その言葉にはどきりとしたけれど。少しでもこの会話が久野の役に立ったならいい。
「そう?これくらいなら甘えているうちにも入らないと思うよ。」
『・・・そんなことない。』
「入らないよ。久野、いつもちょっと頑張りすぎ。結局最後は面倒なこと引き受けてひとりでやっちゃうでしょ。大学のときだって散々、面倒な会計引き受けたり喧嘩の仲裁したり、あげくの果てに久野が悪者にされそうになったこともあるじゃない。久野は優しいから、それら全部を手放せって言っても絶対しないと思うんだ。でもね、もう少し自分を大事にしてもいいと思う。自分を大事にできるのは自分だけだよ。久野の代わりは誰にもできないんだから。」
『・・・佐田って、一見周りに関心なさそうにしているけどほんとよく人のこと見てるよな・・・』
「そんなことないよ。」
『そんなことあるって。』
それは相手が久野だからだ。大学の頃から彼はいつも輝いていて眩しかったから。その強い輝きは本当に羨ましくて、憧れた。あんな風に輝くことができれば誰かがわたしを見つけてくれるだろうか、と思ったから。
『ちょっと泣きそうだわ。』
「久野くんを泣かすことができるなんて光栄です。」
ちょっとおどけて言うと、こら、と小さな声が聞こえた。
実際、彼はほんとにきついんだろう。なんかちょっと、そばにいたら抱きしめてあげたいなあと思ってしまった。
「しばらくは忙しいんでしょ?じゃあひと段落着いたらご飯でも食べに行く?何か奢るよ。」
『ほんと?って、俺って食べ物で釣られるわけ?』
「だって、ほかに思いつかないんだもん。」
『まあいいか。めったに動かない佐田さんとお会いできるんですから。』
「光栄ですか?」
『はい。もちろん。』
まじめくさって答える久野がおかしくて笑うと、電話の向こうからも笑い出す声が聞こえた。
こんな風に大学時代に笑って話したことなんてなかったなあと思いながら、こんなのもいいなあと胸の中があたたかくなった。
ひとしきり笑って落ち着いた頃、また久野が話し始めた。
『佐田も、あんま無理すんなよ。』
「え?」
『辛くても、言わないだろ。淡々とこなすだけで。』
「・・・・・」
『知ってたよ、ほんとはしんどいこと。でも気づいてほしくなさそうにしてるから言わなかったけど。』