第5話 暴露予告と、夜の誓い
噂は、思ったよりも早く広がった。
朝、ロッカーの前で友達に「昨日の放課代、なんか変なのあったよね?」と囁かれる。その片言の会話の最後には必ず「シオ・クレール」とか「白崎」だとか、聞き覚えのある単語が混ざっている。教室の端では、既に何人かがスマホを覗き込んで囁き合っている。文化祭の話題は収まらず、代わりに“誰がシオ・クレールの中の人か”という不穏な玩具が回され始めていた。
俺――春崎晴――は、朝から落ち着かなかった。昨夜、橘凛が図書室で提案してからというもの、しおりの表情がどんどん曇っていった。凛は「手を貸す」と言いつつも、どこかで得をする匂いを消さなかった。今日、もし凛が行動に出るならば、状況は一気に変わる。俺は放課後にしおりと会う約束をして、胸の中で備えを固めていた。
昼休み。俺のスマホに匿名の投稿が届いた。短い動画のリンクと、「明日18時。白崎の正体を暴く――」というテキスト。リンク先はまだ公開されていない“予告”ページらしい。送り主は不明。だが、文面の単刀直入さに、腹の奥が冷たくなった。
放課後――約束どおり、俺は学校の裏手にある小さな公園でしおりを待った。しおりはトートバッグを抱え、髪を軽く結んでいつもより少しだけきちんとした格好をしていた。目の下には、昨夜の疲れがうっすら残る。
「晴……」彼女は声を震わせながら近づいてきた。「なんか、ネットで“明日暴露”って言ってる人がいるんだ。身に覚えないアカウントから、脅しみたいなの。私、怖いよ」
「大丈夫。俺がついてる」と俺は言った。軽い口調で言おうとしたが、それは自分への暗示でもある。しおりは俯き、手をぎゅっと握る。バラバラに見えるものをどう繋ぎ合わせるか、それが問題だった。
彼女は続けた。「凛さんとは会ってない。放課後も一回話して、提案だけ受けたけど。今日、凛さんも見かけたの。なんだか……彼女、あちこち動き回ってるみたいだった」
「わかった。とりあえず、明日18時はどこにいる予定?」と俺は訊いた。
「配信はいつもどおりやる。たぶん、家でアーカイブを流す形。だけど、配信外で誰かが突撃してきても困る。晴は、その時間、俺の家にいてくれる?」
その言葉に、俺は躊躇なく頷いた。「もちろんだ」
夜。しおりの家は静かだった。両親は仕事で遅く、家の中は二人きり。窓の外には街灯が並び、冷たい秋の空気が流れる。配信開始までの時間、俺はソファで雑誌を読みながら、ときどき玄関を確認する。しおりはリビングのテーブルにPCを置き、念入りにマイクをチェックしていた。だが、手元は震えている。
配信が始まる。アバターはいつもの塩の笑みでコメントを裁き、視聴者は楽しそうに書き込みを飛ばす。だが、コメント欄の奥に「18時に暴露する」という書き込みが見え隠れする。アカウントは匿名、IDも荒削りだ。運営に通報するべきかもしれないが、まずは冷静に対処したい――しおりの意向を尊重して、俺は運営への連絡は配信の合間に済ませることにした。
「晴、コメントで“暴露”って流れてる。無視でいいかな?」しおりが小声で訊いてくる。俺はモニタの向こう側の世界と現実を交互に見比べて答えた。「まずは運営にスクショを送った。対応を待とう。配信は中断させない方がいい。慌てると動揺が広まる」
しおりは目を閉じ、小さく息をついた。画面越しの塩は強い。実際のしおりは、すぐにその皮を纏って配信を続けた。だが俺は、裏で着実に動いていた。通報のスクリーンショットを別の連絡先にも送る。もし何か起きたとき、さらなる証拠が必要になる。
18時――配信が佳境に差し掛かった瞬間、玄関のチャイムが鳴った。画面外のドアベルに反応して、コメント欄が一瞬ざわめく。「誰か来た?」という書き込みが飛ぶ。しおりは息を呑んだ。俺は立ち上がり、ゆっくりと玄関へ向かった。
ドアを開けると、そこに立っていたのは橘凛だった。黒いコートに身を包み、無造作に髪を払う彼女の顔は昼間より明るく見えた。ポケットからスマホを取り出し、礼儀正しく会釈する。
「こんばんは。訪ねてすみません、白崎さん。差し入れ持ってきました」凛の声は低く落ち着いている。表情の奥には何かを測るような冷静さがあった。
しおりは玄関先で硬直している。画面越しの視聴者はこれを見逃しておらず、コメント欄は瞬時に反応した。「現地凸!?」「顔バレ!?」「どういうことだ」
「凛さん、なんで来たの?」しおりが震える声で訊ねる。凛は柔らかく笑って答えた。「私は約束を守るだけ。あなたが安全に配信できる環境を整えたい。外の危険を分散させるって提案したの、覚えてる? 今日はそのために、少し手伝いに来ただけ」
それは善意の言葉だ。だが、俺は疑念を捨てられなかった。凛が本当に助けたいのか、それとも状況を掻き乱す“駒”を探るために近づいているのか――。胸の中の違和感は消えない。
「差し入れだけなら玄関先で結構です」と俺は言い、凛の手から小さな紙袋を受け取る。中には手作りらしいクッキーと、手書きのメモが一枚入っていた。メモには「ファンの声をもっとリアルに。晴くん、君の対応、なかなか良かった」とだけ書かれている。文面は薄く、計算された余白がある。
「ありがとう」としおりはぎこちなく返す。凛は軽く肩をすくめ、「じゃあ、これで」とその場を去ろうとする。だが、出口の直前、彼女は振り返って言った。
「ただし――もし何かあったら、私は黙っていない。暴露することはできる。だけどそれをしなければ、もっと面白いものを見せてもらえるかもしれない。選択はあなた次第だよ、白崎さん」
言葉は脅しにも取れるし、挑戦状にも聞こえる。凛は微笑んで消えた。玄関の扉が閉まると、リビングに重たい沈黙が戻る。しおりは膝を抱え込み、ゆっくりと肩を震わせた。
「晴、私……どうしたらいいの?」その問いは、幼馴染としての俺に向けられている一方で、彼女自身に向けてもいた。俺は彼女の手を取り、強く握った。
「まず、外には出ない。配信は今のまま続けつつ、運営には訴え続ける。もし暴露したい奴がいるなら、こちらにも手はあるってことを分からせる。あと――」俺は少しだけ言葉を選んだ。「俺が全部守るなんて無理だ。でも、逃げ道は一緒に作る。しおりのやり方は、しおりのものだ。それを壊す奴には、俺がちゃんと対処する」
しおりは目に光を取り戻した。小さく笑い、「晴、ありがとう」と囁く。彼女の表情はまだ不安に満ちているが、どこか安堵も垣間見える。俺はその夜、決めたことがあった――どんなに下手でも、どんなに回り道になっても、彼女の“現実”を奪わせはしないと。
だが、街の片隅では既に誰かが準備を進めている。匿名のアカウントは、次の告知のためのページを更新し始めた。時間は刻々と迫る。
明日、世界がどう動くかは分からない。だけど――今夜、俺たちは誓った。秘密を守るのも、表情を取り戻すのも、一歩ずつだと。
――終わり、ではなくて、次はもっと鋭い局面が来る予感がした。




