第4話 転校生と、新たな影
秋の風が校舎の廊下を抜けるたびに、少しだけ涼しくなってきた。文化祭から数週間、学校はいつものリズムに戻りつつあったが、俺――春崎晴――の心はどこか落ち着かない。しおりの活動は相変わらず好調で、配信の視聴者数も伸びている。だが、その分だけ危険も増えているのを、俺は肌で感じていた。
そんなある朝、朝礼のあとでクラスに一人の転校生が紹介された。彼女は背が高く、整った顔立ちに黒いボブが似合うクールな雰囲気を纏っていた。教室の空気が一瞬変わるほど、存在感があった。名前は橘凛。転校の理由は「親の都合」とだけ紹介され、生徒の好奇の目が一斉に向く。
凛は席に着くと、ざっと教室の中を見回した。視線は自然で、特に俺たちの列を見たわけではない。だけど、その視線の先にいたのは当然、白崎しおりだった。しおりはいつも通り、視線を避けるように机に顔を伏せていた。
昼休み、しおりが職員室から戻るときに、凛がさっと彼女の前に立ち塞がった。「あの、白崎さんだよね?」その声は意外と低くて落ち着いていた。しおりは驚いて目を見開く。周囲の友達もざわついた。
「え、なに?」しおりが小声で返すと、凛はにっこりと笑った。「私は配信を見るのが好きで。シオ・クレールって、よく観てるの。あの塩対応、最高だよね」
図星を突かれたように、しおりの顔が一瞬蒼くなる。俺は心臓が跳ねた。誰かに気づかれたかもしれない。凛は続ける。「あ、ごめんね。言い方キツくて。別に暴露しようとかじゃない。むしろ、仲良くなれたら嬉しいなって」
クラスの空気は一瞬ピリッとしたが、凛の口調は攻撃的ではない。どこか計算された「親しさ」が感じられる。その態度が、俺の中に小さな警戒心を呼び起こした。
放課後、図書室で配信の準備をしていたしおりと俺のところに、凛がふらりと現れた。彼女はニット帽を手に持ち、スマホをいじりながら近づいてくる。「ねえ、ちょっといい?」と凛。
「なんだよ急に」と俺が言うと、凛は目を細めてしおりを見た。「白崎さんが中の人だって、バレたら大変でしょ。私も配信をやるから、よく分かる。色んなリスクがあるってこと。それでも、ファンと近づきたい気持ちはわかるし――」
語り口は共感の匂いがする。だが、彼女の眼差しはどこか鋭かった。「協力するよ。私とコラボしない? 私のチャンネルで“地元散歩”的な企画をやれば、自然に外部の注目を分散できる。うまくやれば、白崎さんの身バレ危機も薄まる」
その提案は、一見すると善意に満ちている。だが、俺は直感的に違和感を覚えた。転校生が突然、人気VTuberの“接触案”を出すのは、あまりにも出来過ぎている。しかも凛の言い方は、どこか「交換条件」を含んでいるようにも聞こえた。
「交換条件?」と俺が訊ねると、凛は軽く笑って答えた。「謝礼とか、そういうことじゃない。私は――白崎さんと近づきたい。あと、晴くん。あなたが彼女の幼馴染って噂聞いた。面白いポジションだね。そういう“リアルが近い人”がいると企画は回しやすいんだよ」
しおりの顔がさらに青ざめる。幼馴染という立場を軽々しく言葉にする凛の物言いに、俺は腹が立った。だがその反面、冷静にならねばとも思った。凛が本当に味方なら、彼女の力を借りる手もある。けれど裏があるなら、関わるべきではない。
「どういうつもり?」としおりが聞いた。声は震えているが、彼女は目を逸らさずに凛を見つめた。凛は視線を外さず、静かに言った。「私は掘るのが好きなんだ。情報を。ストーリーにするのが上手い。だから、白崎さんの“二重生活”は、私の興味を刺激する。でも、それだけじゃなくて、本当に仲良くなりたい。晴くんはどうだろう? 幼馴染として、彼女を守るって簡単?」
その言葉は、嘲りにも似ていた。俺の胸に怒りと恥ずかしさが混ざり、言葉が荒くなる。「守るってのは軽く言えることじゃない。巻き込むなよ」
凛は肩をすくめ、無邪気に笑った。「ごめんごめん。言い方悪かったかな。じゃあ提案を変える。私、学園の外で動けるコネクションがある。イベントの企画もできる。もし白崎さんが本当に困ってるなら、プロの手を使って“安全策”を作ることも可能だよ。タダでやるわけじゃない。見返りは――あなたたちの“正直な反応”かな。リアルなやり取り、欲しいんだ」
その「見返り」という言葉が、俺たちの距離を縮める檻のように感じられた。しおりは目に涙を溜め、俯いてしまう。俺はぐっと拳を握る。彼女を守るためにできる範囲が、また一つ疑念で埋め尽くされていく。
「時間をちょうだい」と俺は言って、その場を離れた。廊下に出ると、風が冷たく頬を撫でた。心臓は騒がしく、思考はまとまらない。凛は計算高い。だが、本当に手を貸してくれる可能性もゼロではない。どう判断するかは――しおりの意志が第一だ。
夜、しおりにメッセージを送ると、すぐに既読がついた。「今日のこと、ごめんね。私、怖かった。凛さん、ただの優しい子かもしれないけど……」彼女の文面は短く、震えているのが伝わる。
俺は返信で一つだけ書いた。「――俺がいる。勝手に取引なんかさせない」
返事は来なかったが、しおりがどれだけ安心したかは分かる。明日は放課後に三人で会うという凛の提案が保留になった。だが、胸の奥には重たい予感が残る。凛という影は、これからじわりじわりと俺たちの世界を撹乱してくるだろう。
扉の向こうで、誰かが名乗りをあげた。善意か、罠か。答えはまだ見えない。




