第3話 文化祭と、バレそうな空気
文化祭の季節が来た。校内は風船や手作りの看板、クラスごとの装飾で溢れていて、普段は無口なしおりもどこか落ち着かない様子で準備に追われている。俺、春崎晴はというと、クラスの出し物の手伝いをしながらも、どうしても目があちこちに向いてしまう。理由はただ一つ――今日の放課後、しおりが“配信の裏側”をスマホで繋ぎながら、文化祭を舞台にした生配信をやるからだ。
放課後になると、しおりは既に装いを変えていた。制服の上に薄手のローブを羽織り、髪には控えめな飾りを付けている。アバターに合わせたちょっとファンタジー寄りの小物。リアルでも“らしさ”を出したいのだろう。だが、相変わらず顔は伏せがちで、目を合わせるとすぐそらす。俺はそれを見て、胸の奥が熱くなった。
「晴、今日はちょっと緊張する。来てくれてありがとうね」しおりは小さく笑った。声が震えているのを、俺は見逃さなかった。
配信は体育館の一角を使って行われることになっていた。配信機材は運営の協力で簡易セットが組まれ、俺はしおりの“舞台進行”を手伝う役目だ。視聴者参加コーナーや、文化祭限定のファンコールを演出する。コメント欄は開始前から盛り上がっていて、「現地組もいる?」という書き込みが何度も見える。心のどこかで、嫌な予感が過る。
ステージが始まると、しおりは画面越しにいつもの“塩対応”の皮を被って登場した。アバターは冷たい微笑みを浮かべ、MCの一人として淡々と進行する。だが時折、目の端で体育館の観客席を見やる。誰かがこちらを指さしているのか、視線が集まるのがわかる。
「晴、ちょっと来て」としおりが耳打ちする。俺がステージ袖に寄ると、彼女は低い声で続けた。「さっき、コメントで“現地でしおり見た”って書き込みがあった気がする。運営には言わないでほしい。だけど……もし直接来たファンが中へ入ってきたら対処してほしい」
事情は理解できた。学校側は“特定の外部者が来て騒ぐ”ことを極端に嫌う。もし熱狂的なファンがしおりを見つけたら、いっぺんに事態は大きくなる。何より、彼女自身がそれを一番怖がっているのだ。
「わかった」と俺は頷いた。役目は単純だ。ファンらしき人間を見つけたら、やんわりと遠ざける、もしくは学校の係に誘導してもらう。だが実際は頭の中で“特定”の可能性がぐるぐるして、手のひらが少し汗ばんだ。
体育館では演目が進み、しおりのコーナーが佳境に差し掛かる。そこで、予想は的中した。入り口から一人の女子高生が手を振りながら入ってきた。彼女の目は異常にキラキラしていて、カメラに向かって「シオ・クレールですか!?」と叫びそうな勢いだ。制服のリボンには、どこかで見覚えのある非公式のシールが光っている。
「晴、あの人……」しおりの声がかすかに震える。俺も彼女の方をちらりと見た。表情が硬い。間違いなく危険域だ。俺は急いで彼女の前に出て、自然な笑顔を作って声をかける。
「こんにちは! この学園祭は見どころ満載だから、ぜひ回ってってください。こっちは射的コーナーで、さっきから人が来ないから助かるよ!」無難に誘導する。女子高生は一瞬戸惑った表情を見せるが、すぐにニヤリと笑い、射的コーナーへ歩き始めた。俺は内心で安堵する。だが、その一瞬で彼女が振り返り、こちらをちらりと見た。目が合うと、彼女の表情は閃光のように変わった。
「えっ……あの、あなた――」彼女は小声で呟き、手に握ったスマホを急にこちらに向ける仕草をした。周りには観客の波がある。もし今、写真を撮られたり、動画が上がったら、一気に拡散する。俺は急いで彼女の手首に軽く触れ、視線を反らせる。
「すみません、写真は禁止なんですって。文化祭協力の約束でね」と俺は言う。嘘だが、場を収めるにはそれで十分だった。彼女は渋々スマホを下げ、射的へ向かった。肩の力を抜いた瞬間、しおりが俺の肩を軽く握った。掌に伝わる彼女の温度が、いつもより生々しく感じられた。
配信終了後、楽屋に戻ったしおりはぐったりして椅子に沈み込んだ。「ありがとう、晴。あの子、写真撮ろうとしたけど、なんとか止められてよかった」涙が一瞬だけ目に浮かんだ。握られた手をそっと俺が隣に置くと、しおりはふっと笑った。
「晴って、本当に頼りになるね。幼馴染ってだけじゃない、戦力だよ」と彼女は照れ隠しに言った。俺はむっとして、面映ゆい気持ちを隠すために腕を組む。
「別に、戦力って言われても困るけどな。単に座ってただけだろ」と俺は言ったが、声が少し高かったかもしれない。しおりは顔を赤くして笑い、目を合わせる勇気をふと出した。
「ねえ、晴。今日、ちょっとだけいい?」彼女の声は小さかった。俺はすぐに頷いた。しおりは窓際に歩み寄り、体育館のアーチ越しに飛び去る風船を見た。
「今日、ありがとう。本当に。もし、もっと外部の人が押し寄せたら――私、どうなっちゃうんだろうって不安になる。晴がいてくれると、ちょっとだけ強くなれる気がするんだ」
その言葉を聞いた瞬間、胸の中にある何かがふわりと崩れるような気がした。幼馴染以上の感情が確かにそこに宿りつつある。だが、状況はシンプルではない。彼女は人気のVTuberだ。彼女を守るということは、しおりの“仕事”と“人生”の境界線を守ることでもある。俺が踏み込める場所は限られている。
「しおり……」言葉を紡ごうとしたそのとき、楽屋の外から声が聞こえた。「シオ・クレールさーん! 差し入れ持ってきたよー!」ファンの声だ。現場は一瞬でピリッとした空気に変わる。
しおりは顔を引きつらせ、俺の手をぎゅっと握った。汗ばむ掌が頼もしさと緊張を同時に伝える。「行くね」と小さく言うと、彼女は立ち上がり、仮のドアを開けて外へ向かった。俺は後を追う足を止めなかった。
扉を開けた瞬間、視界に飛び込んできたのは、カメラを持った中年の男性と、満面の笑みで差し入れを差し出す少女の姿だった。男性はイベントの取材らしく、名刺を差し出す。少女はしおりを見て輝く目で「写真撮ってもいいですか?」と訊ねる。
ここで、バレるか、守れるか。俺は深呼吸をして、学園のルールとしおりの希望を両方考えた。そして、自然な笑顔でこう言った。
「ありがとうございます。ただ、今日は学校の内部ルールで、外部取材や写真は控えていただいてます。せっかく来てくれたのに申し訳ない。しかし、こちらのロビーで配布物と一緒に交流タイムを取るので、安全にご案内しますね」
驚いた顔の彼女たちに、俺は丁寧に説明しつつ、しおりを安全な位置へ誘導した。小さな嘘が大きな盾となり、事なきを得る。しおりは俺の隣で一度肩を落とすと、ほっとした様子で目を閉じた。
帰り道、夕焼けが二人の影を長く伸ばしていた。しおりはぽつりと言った。「晴、今日、ありがとう。私……晴がそばにいると、安心する。これって、幼馴染だから、ってだけかな」
「そんなの、幼馴染であることのご褒美だと思えばいい」と俺は照れ隠しに言った。彼女はふっと笑い、俺の腕に軽く寄りかかる。ほんの短い瞬間、二人はただの高校生に戻った。
だが、夜のSNSには既に“今日の学園祭で変な出来事があったらしい”という噂が少しだけ流れている。小さな火種はいつか大きな炎になるかもしれない。俺たちはその火種を、どうやって消すべきか。それはまだ答えのない問いだ。
物語は、また一歩進んだ。守るために嘘をつき、支えるために近づく。幼馴染という立場が、時に甘く、時に苦い責務になることを、俺は少しずつ理解し始めていた。




