第10話 闇に咲く光、そして「夜猫」の声
夜10時。北町の裏路地は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
冷たい風が吹き抜け、薄暗い街灯が時折チカチカと瞬く。
俺――春崎晴は、しおりと並んで立っていた。
背中には汗が張りついている。息をするたびに、空気が重くなるような感覚。
ポケットの中のスマホが一度震えた。
運営からのメッセージ。「GPSは有効。異常があれば即通報」。
それだけだ。簡潔で、頼もしいが、どこか遠い。
「……行こうか」
しおりの声が震えているのに、目は真っすぐだった。
俺たちは、一歩ずつ奥へと進んだ。
路地の最奥には、古いレンガの壁と、使われていない倉庫のような建物。
そして、壁際の公衆電話――昼間、あのメモが貼られていた場所だ。
そこに、もう誰かがいた。
「……待ってたよ、晴くん」
闇の中から現れたのは、細身の人影。
黒いパーカー、帽子を深くかぶり、顔は見えない。
けれど、その声を聞いた瞬間、背筋に電流が走った。
――女の声。どこかで聞いた。何度も聞いた。
「夜猫……なのか?」
女はゆっくりと顔を上げた。
街灯の光が頬を照らし、その一瞬――俺は息を呑んだ。
「凛……?」
そう、そこにいたのは、しおりのクラスメイトであり、同じ放送部の副部長――白鳥凛だった。
だが、その表情は、俺の知っている彼女とは違っていた。
冷たく笑いながら、スマホを掲げている。
画面には、しおりが泣き崩れている様子を切り取った静止画。
配信中には決して見せたことのない「素」の姿。
「すごい反応ね。まさか私のこと、ここまで追ってくるとは思わなかった」
「どういうつもりだ、凛! お前が“夜猫”なのか!?」
凛はくすりと笑い、指をひとつ立てた。
「夜猫は“ひとり”じゃない。私たちのグループの名前。
……あなたたちの“理想”を、壊すのが目的」
「理想……?」
「ええ。VTuberっていう“仮面の世界”が、どれだけ嘘でできてるか。
ファンが信じてる完璧美少女像が、いかに脆いか――証明したかったの」
凛の言葉に、しおりの肩が震える。
「じゃあ、私を……利用して……」
「違うわ。あなたは“選ばれた”のよ。
だって、あなたこそが“完璧に見える嘘”の象徴だから」
その言葉が落ちた瞬間、俺の中で何かが弾けた。
「――ふざけるな!!」
気づいたら前に出ていた。
凛のスマホを叩き落とし、壁に押しつける。
「お前はただ、羨ましかっただけだろ……!
努力してる奴を、笑って壊して、安心したかっただけだ!」
凛の瞳が、わずかに揺れた。
だが次の瞬間、冷たい笑みが戻る。
「……じゃあ、これを見ても同じことが言える?」
彼女がポケットからもう一つの端末を取り出す。
画面には、リアルタイムの配信画面――**“夜猫LIVE”**のタイトル。
そして視聴者数がどんどん上がっていく。
コメント欄が荒れ狂っていた。
「何これ、配信事故?」
「春崎としおり、リアルバレ確定?」
「これが“塩対応の中の人”ってマジ?」
凛は微笑む。
「今、世界中が見てる。あなたたちの“秘密”を」
「やめろ……! そんなことして何が――」
言いかけたそのとき、後ろからパキッと足音。
振り返ると、もう一人――山本が立っていた。
だが、その手には見慣れないカメラ。
「……ごめん。俺も、放送してる」
空気が止まった。
「……山本、お前……」
彼は苦しそうに眉を寄せる。
「脅されたんだよ。断ったら、俺の家族の情報を晒すって……!」
凛が冷たく笑う。
「そう。夜猫はね、“真実を映す”グループ。
誰もが“見たいもの”を見せてあげる。例外なんてないの」
しおりは震えながらも、一歩前へ出た。
「……なら、見せてやるよ。私の“本当”を」
彼女はスマホを取り出し、自分の公式チャンネルの配信を開始した。
同時配信。
画面が二分される。ひとつは凛の闇。もうひとつは、しおりの光。
「私の名前は篠原しおり。
VTuber“白月しお”として活動してます。
でも、仮面を被ってたわけじゃない。
誰かを笑顔にしたくて、声を届けてただけ。
それが“嘘”だって言うなら――私は、その嘘の中で生きる」
その瞬間、コメント欄が一変した。
「本物の“しお”だ!」
「泣きそう……」
「これがリアルの強さ……」
凛が顔を歪める。
「……バカみたい。そんな綺麗事で――」
「綺麗事じゃない。お前が“壊したい”と思った理想の中に、
俺たちはちゃんと生きてる」
俺が言い切ると、凛の肩が小さく震えた。
やがて彼女は力なく笑い、スマホを地面に落とす。
「……いいわ。あんたたちの勝ちよ」
凛は静かに背を向けた。
だが、歩き去るその足元には、何かが転がっていた。
小さな、星の絵が描かれた缶のふた。
俺としおりは、それを見つめて息をのむ。
「……あの“秘密の箱”のふただ」
つまり、凛だけじゃない。
まだ“夜猫”の中に、もう一人いる。
俺たちの過去を、覗いた“本当の侵入者”が。
夜風が吹く。
配信が終わり、街灯が一つ、消えた。
残ったのは、静寂と、月の光。
そして――画面の片隅に浮かぶ、ひとつのコメント。
「――次は、“星の箱”を開けようか?」
――闇はまだ終わっていなかった。




