引退冒険者、娘と剣を交える
「——おい、フィリア。殺す気か?」
「うん、本気でいくって言ったよ?」
木剣が唸りを上げ、レオンの頬をかすめた。
次の瞬間、父の足がすっと動き、娘の背後に回り込む。
「甘い」
「ひゃっ……!?」
スパン、とフィリアの尻が芝に吸い込まれた。
「……一本」
「ちょ、ずるいっ! それさ剣っていうか暗殺術じゃない!?」
「剣とは勝てばよいのだ。文句は勝ってから言え」
「くっそー……!」
空は快晴。風は心地よく、鳥が鳴いている。
ここは、世界を救った英雄が隠居した田舎の村。その英雄の娘が、毎日ボコボコにされている場所でもある。
「でも、だいぶ動けてたな」
「えっ……?」
「三手目までは、俺でもギリギリだった」
そう言って、父——レオン・ヴァルグレイヴはニッと口元を緩めた。
それは、戦鬼と恐れられたかつての最強冒険者が見せる、数少ない父の顔だった。
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「……ところで父上」
「やめろその呼び方は」
「いや、なんか最近、貴族の娘っぽい話し方の訓練してて」
「お前は羊追いの農家の娘だ」
「剣も魔法も教えてくれる農家ってなに?」
「……農業、極めるのも奥が深いぞ」
レオンはそう言って、肩から鍬を下ろす。戦場で剣を振るうより、今の生活の方が疲れると最近は思い始めていた。
平穏。静かな日々。娘との他愛ない時間。
——この日常を、守りたいと思っていた。
だが、世界はそれを許してくれない。
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「緊急事態! 魔族の群れが街道沿いに出たぞ!」
「戦闘可能な者は急げ! 防衛戦だッ!」
怒声が村を揺るがす。
レオンは一瞬、空を見上げ、そして言った。
「フィリア。帰れ」
「無理。行く」
「命令だ」
「なら、剣を置いて私の手を取って」
少女の蒼い瞳が、まっすぐに父を射抜いた。
「私、弱くない。お父さんが育てた娘だよ?」
「……」
レオンは、黙って倉に向かう。
そこにあるのは、封印した剣。神造の魔剣アルドレイヴ。魔王を断ち、国を救った伝説の刃。
その鞘を手にした瞬間、空気が変わる。
草が震え、鳥が逃げ、風が止まった。
「よし、行くぞ。俺の後ろから離れるな」
「うんっ!」
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夜の街道。焚き火のように赤く揺れる魔族の瞳が、こちらを睨む。
魔族兵が十数体。中心に立つのは、漆黒の仮面をつけた将級の魔族。
「……戦鬼レオン。生きていたか。面倒な奴が出てきたものだ」
「それはこっちの台詞だ。こんな田舎にわざわざ、何しに来た?」
「お前の娘に用がある」
その言葉に、レオンの殺気が爆ぜた。
「……悪いが、俺の娘に触れた瞬間、世界から消えることになるぞ」
「面白い。やってみるがいい!」
戦いが始まった。
剣が閃き、炎が走る。風がうなり、影がうごめく。
父の剣が雷鳴の如く魔族をなぎ払い、娘の魔力が閃光のごとく空を焼く。
この夜、伝説が蘇る。
そしてその傍らには、もうひとつの伝説の種が芽吹いていた。
——世界最強の親子の物語が、いま始まる。