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私の恋

作者: 宮野 空

私はあと少しでこの命が尽きる。これは私のこの短い寿命で出会った人の話だ。


健くんとの出会いは私が中学2年生だった頃、5月に毎年行われる近所のお祭りで名前を呼ばれたことだ。その時私は健くんの名前も何も知らず、名前を呼ばれたことに戸惑ってしまった。だが、私の名前は「さきな」という珍しい名前であり他にいなかったことから私だと考え名前ば呼ばれた方を向いてみたが知らない高校生が私に向かって手を振っていた。その時私は友達といたので「変だね。」と話してその場を離れました。午後8時になった時携帯に一通のメッセージが届いた。私はそのメッセージを見てすこし驚いた。それはさっき名前を読んできた高校生の中にいた中学の先輩からで、繋げた記憶はないのになぜ私の連絡先を持っているのかが不思議だった。でもそのことはあまり気にせずにメッセージには「さっきはごめんね。俺の友達がふざけてやりました。」と書かれており、私は「ふざけただけか。」とあまり気にせずに「大丈夫です。気にしてませんよ。」とメッセージを返し、そこで連絡は終わった。


数日経ったある日また「健」という先輩から連絡が来た。そこには「俺のこと知ってる?」と書かれており、「この前のお祭りで知りました。」と返しました。その数分後に「そうなんだ。さきなちゃんダンス部だよね。」と来て、私は「そうですよ。よく知ってますね。」と返し、その日から少しずつその先輩と会話が増えていった。


7月に入り、部活の活動で近所のお祭りでダンスを披露することになった。その頃もずっと健先輩とメッセージでの会話は続いていたが一度も直接喋ったことがなくて正直気まずかった。私が出るお祭りに見に来て欲しいと誘ったら「しょうがないな。いってあげるよ!」と言われ、少し上から目線でムカつくけど来てくれるのは優しいなと思った。お祭り当日、ダンスが終わり友達と屋台を回っていた時健先輩に会った。その時気まずかったことや、少しずつ健先輩のことを気になり始めていて目があっただけで、元から赤面症というのもあり顔が赤くなってしまった。その時一緒にいた友達に「顔赤いよ。大丈夫?」と言われたことからもっと恥ずかしくなってしまい、その日から健先輩に会うのが少しずつ怖くなってしまった。


8月に入り、部活も落ち着いて友達とよくお祭りに行くようになった。しかし、健先輩も毎回お祭りにいてどのような顔で先輩に会ったらいいかわからなくて、私は先輩がいるたびに下を向くようになってしまい、メッセージで話していてもどんどん距離が遠くなっていくように感じた。それでも健先輩と会うたびに私の心の奥では「嬉しい」という気持ちがあったため、私はどんどん健先輩のことが好きになっていっていることに気がついた。

9月に入り、期末考査が近づいてきた。私はあまり頭が良くなくて勉強が苦手だったけれど健先輩と点数勝負をするということになって、そのおかげで少しずつ勉強が好きになった。健先輩は私が頼んでいなくても過去問をくれたりなどすごく優しくてどんどん好きになっていった。点数勝負や過去問のおかげで私は一学期より点数を取ることができた。全部全部健先輩のおかげだよ。


10月に入り、毎年行われる文化祭が近づいてきた。私の学校の文化祭は各クラスでの合唱や部活動発表でダンス部、吹奏楽部の発表がある。私はダンス部に所属していたので、この頃からまた部活で忙しくなり、家での自主練もあったのでどんどん疲れが溜まっていった。それに加え、あまり友達との関係がうまくいかず悩むことも多くあった。それでも健先輩は私に毎日優しく、相談に乗ってくれたり笑わせてくれて、私はそれに救われていた。


文化祭当日、各クラスの合唱が終わり、昼休憩を挟んで衣装に着替えたりとても緊張していたが、階段で健先輩にすれ違い「頑張って!」と言われて私は恥ずかしかったけれどすごく嬉しくて「ありがとう!」と笑顔で返した。ダンス部の発表が始まり、私の出番になりステージに立つと3年生の男子から「さきなーー!!」とみんなから名前を呼ばれて戸惑ったが、それは健先輩が始まる前にみんなに叫ぶように伝えててくれたらしい。私はそれを聞いて本当にいい人なんだなと改めて思った。


11月に入り、あまり直接は喋れてはいなかったけれどメッセージで毎日やり取りを続けていて、毎日がとても幸せだった。体調が悪くなった日でも健先輩は私に優しく心配をしてくれた。健先輩は優しくて、面白くて、かっこよくてまさに私の理想の人だったので、私は「両思いだったらいいな。」と感じるようになった。でも健先輩の考えていることは私にはわからなかったし、先輩を好きになる人は他にもいて、私なんか勝てっこないと思い、「諦めなきゃ。」と思うようになった。


12月に入り、先輩を諦めかけてた頃私はある2つの病気にかかっていることがわかった。それは「肺動脈性肺高血圧症」と「起立性低血圧」という病気だった。肺動脈性高血圧症という病気は映画でしか見たことがなく、病気になったとわかった時はあまり実感がなかった。5年以上生き延びた人はほぼいないと分かり、私は胸が苦しくなった。もう一つの起立性低血圧という病気は対して害は少なかったのでダメージは少なかったが、もう一つの難病が私を数日間悩ませた。あと5年ほどしか生きられない。20歳になる前に死ぬ可能性だって少なくはない。まだ健先輩と話していたい。


病気のことで悩んでいたが、とうとうクリスマスが近づいてきた。そんなある日、健先輩から「クリスマスの日、少し会えない?」という連絡が来た。私はすごく驚いて、でも先輩に会いたくて、「会えるよ!」と返事を返した。ああ、病気のことを先輩に言わなくちゃ。誰か助けて。


クリスマス当日、約束の場所に向かうと健先輩が待っていて言われた言葉に私は驚いた。「ずっと好きでした。付き合ってください。」先輩は顔を赤くしながら私にそう言った。私は嬉しい気持ちと共に、涙が溢れ出した。止まらなかった。抑えきれないほど涙がこぼれ落ちた。先輩は戸惑って、それでも私を慰めてくれた。少し落ち着いた頃に私は先輩に病気で、あと5年ほどしか生きることができないということを打ち明けた。恐る恐る先輩の顔を見ると涙をこぼしながら私をそっと抱きしめた。私は驚いてしまったが、先輩はすごく温かかった。12月で風も冷たく、寒いはずなのにとても温かく感じた。「病気だからって関係ないよ。俺はさきなのことが大好きで、いつになっても変わらないと思う。俺にできることがあったら言ってほしい。」と私に言った。本当にずるいなぁ。断れるわけないじゃん。そう思って私は「迷惑かけること多いかもしれないよ。それでもいいの?」と聞いた。先輩は「当たり前だよ。全部全部受け止める!」と微笑みながら答えた。私はその言葉を聞いてもっと涙が止まらなくなり、泣きながら「ありがとう。お願いします。」と答え、諦めかけていた大好きな健先輩と付き合うことができた。


それから月日は流れ、3月になった。毎年3月は卒業生を送る会がある。私はその実行委員になり、卒業生を迎えにいく係になった。どうしても健のクラスの担当になりたくて同じ係の人にお願いして担当になることができた。送る会当日、健くんのクラスを迎えにいったら教室の前で待っていてくれた。「本当に俺のクラスにしてくれたんだ。」

「当たり前でしょ?」と二人で笑いながら話した。


あれから一年、またクリスマスが近づいてきた。私の病気は少しずつ状態が悪くなっていき、酸素を持っていないと辛いほどになった。こんな状態になっても健は変わらず私を愛してくれている。それを考えただけでも私は胸が苦しくなる。呼吸が苦しくなり、その度に「もっと生きたいなぁ。」と弱音を吐いてしまう。その度に健は怒った顔をして「諦めないで。俺は絶対諦めないから。」という。その言葉を聞いて私は毎回泣きそうになってしまう。なぜこんなにもいい人が私なんかと付き合っているんだろう。そう考えてしまう。私はあと何年生きることができるのか、答えがないこの病気に向き合うことがどれだけ大変なことか、そういうことを考えたくなくても頭の中に浮かんじゃうよ。ねえ健くん、本当に私なんかでよかったの?ただ健くんの時間を無駄にしてしまうだけじゃないのかな。


健くんと付き合ってから4年が経った。私は今近くの病院に入院をしている。もうあと少ししか生きられない。健くんはほぼ毎日会いにきてくれるけど、健くんを見るたびに死ぬのが怖くなってしまう。死にたくないよ。もう少し、あともう少しだけ、健くんと一緒にいたかったな。

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