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EVORVER  作者: 風戸輝斗
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第五章

「遠路はるばるご苦労だったな。リバル、この者に椅子を用意してくれまいか」

「かしこまりました」

「いえ、私のことはお気になさらず。このままの体勢で問題ありませんので」

「そうはいかんよ。客人は丁重にもてなすのが礼儀であろう」

 その日、ツキクサははじめてべガルアスと対面した。

〈特別国政補佐官〉となってから四つ目に配属された国――ルスティカーナ。

 これまで何人かの国王と接してきたが、べガルアスほど国王に相応しい人材はいないとツキクサは第一印象だけで確信した。

 堂に入った悠揚たる風体。玉席に腰掛けこちらを見つめる瞳は優しくも冷たく、柔和でありながら鋭利にも感じられる。本物だった。彼がこれまで出逢った王という権力の上であぐらを掻くお飾りだけの暴君と格が違うことは明白だった。

「どうぞお座りください」

「ありがとう」

 リバルが用意した椅子に座し、べガルアスが口を開くのを待つ。

「路頭に迷った末、両親は子を捨てて逃亡」

 書類に目を向けたまま、べガルアスは言った。

「以降両親は消息不明のまま、現在に至るまで音沙汰なし。それから妹とふたりで平穏な日々を過ごすも、〈祝福の日〉に妹は他界。かつての平穏な日々を取り戻すべく、〈特別国政補佐官〉の責務を全うしている、か」

「仰る通りです」

 べガルアスが読み上げたのは、ツキクサの現在に至るまでの経歴だ。

「ふむ。凄絶な半生よのう。これほどの不幸に見舞われているのだから、幸福を享受する人間を煩わしく思ったこともあるのだろう」

「はい。幾度となく思いました」

「素直だな」

 正直者は嫌いじゃないよとつぶやき、べガルアスは書類を机に置く。

「余の保持する〈祝祭〉を奪い、宿望を遂げようとは思わないのかな」

 頬杖をつき、本音を引っ張り出すように鋭い眼光をぶつけてくる。嘘をついたら承知しない。そう暗に警告するかのような視線に思えた。

「陛下は〈祝祭〉の加護を得てご存命されているとお聞きしています」

 見つめ返したまま、緩やかに言葉を繋いで質問に応じる。

「私が私腹を肥やしたがために陛下がお亡くなりになられたとなれば、国民は目くじらを立てて私を非難することでしょう。いえ、非難どころか私の想像を凌駕する酷刑を国民は求めるに違いありません。そうなれば、私の希求する平穏な日々は近づくどころか遠のいてしまいます。ですので、いずれ宿望を遂げたいという気持ちはありますが、そのような形で達成しようとは思っておりません」

「なるほど」

 べガルアスは頷いた。

「〈国政補佐官〉に十年従事すると、〈輔弼連合〉が如何なる願いも叶える、という話を前任である〈国政補佐官〉が口にしていたのだが、汝はその制度を利用するつもりなのかな」

 ルスティカーナに配属される〈国政補佐官〉はツキクサで五人目だと、〈輔弼連合〉からあらかじめ知らされている。

「左様でございます」

〈国政補佐官〉では手に負えない問題だから、〈特別国政補佐官〉であるツキクサにお鉢が回ってきたのだろう。〈特別国政補佐官〉は、得てして入り組んだ問題のある地域に派遣される。

「汝は十五歳から〈特別国政補佐官〉として活動しているようだが、〈輔弼連合〉に所属したのは七歳の折だと聞く。信じがたいが本当の話なのかな」

「はい。誠の話であります」

「なるほど。今年でちょうど節目というわけか」

 言って話を締めくくると、べガルアスは腰を持ち上げ、あろうことか、自らの足でツキクサの元に歩きはじめた。ツキクサは慌てて立ち上がる。

「陛下、私が――」

「よい。汝は座っていなさい。王が民に歩み寄るのは当然のことだろう」

 少なくとも、これまでのツキクサの任地にいた王にはそのような美学がなかった。

 言われた通り椅子に座り直すと、べガルアスは程よく筋肉のついた細腕を伸ばしてくる。

「余はべガルアス。ルスティカーナ王国国王である」

「……」

 握手を求めているのだろうか。一国の首領ともあろう偉大な人間が。

「王とて人間だ。根源は民となんら変わらん。遠慮せず余の手を握り締めろ。汝と同じ体温を宿していることを感じられるはずだ」

 そう言われて逡巡するのは反って非礼であろう。無骨な手のひらを握り締めると、固い感触が返ってきた。確かな温もりがあった。べガルアスは微笑んでいた。

「〈輔弼連合〉所属、〈特別国政補佐官〉ツキクサと申します。以後ルスティカーナを拠点とし、しばしの間活動していく所存です。不束者ですが、何卒よろしくお願い申し上げます」

「そう畏まらなくてよいのに」

 王という地位に就く人間が易々と漏らすのは憚られそうな柔和な微笑み。

「……」

 この男が悪事を働いているというのはなにかの間違いではないかと、ツキクサは思った。

〈輔弼連合〉がツキクサに課した使命は、べガルアスの〈祝祭〉の奪取並びに後処理だった。


 ◇


「リバルから汝が〈祝祭〉の略奪を企てていると聞いて、余は驚きと同時に喜びを覚えたよ」

 あれから三か月。いつかこの瞬間が訪れることはわかっていたし、覚悟もしていた。

 腰をやや低くするべガルアスの両腕には、両端に向かうに連れて先端が尖っていく角形の棒が添えられている。長さは四十センチほどか。光の反射具合を見るに、構成物質は金属であると見るのが妥当だろう。

 一見すれば、一切の細工の施されていないトンファーだった。あれはフェイクで真の武器は別にあるのか、はたまた形状変化するのか、ツキクサには憶測することしかできない。というのも、これまでに一度としてべガルアスが戦闘している場面を見たことがなかったからだ。

「汝は人間味に欠けていたからな。まるで精密機械と対話しているかのような気分だったよ」

「当然だ。感情を殺せない人間は〈国政補佐官〉になれないからな」

 同情心が同居していては、命を奪うことなどできない。〈国政補佐官〉である以上、国王の命令とあれば、一も二もなく殺戮に及ばなくてはならない。もっとも、あまりに不合理な命令である場合に限り、異見する権利を認められているが。

「今一度問いたい。ツキクサ、余の野望に手を貸そうとは思わぬか」

「ああ。手を貸すつもりはないよ」

 間髪置かずに返答する。

「あなたの選択のおかげで国が豊かになっているのは疑いようのないことだ。しかし、だからといって〈エボルバー〉を虐げることが許されるわけではない」

〈地下〉には〈エデンの塔〉で脱落した〈エボルバー〉が何人も囚われている。人権を無視した治験を幾日も受けている。これを残虐非道な行為と言わずしてなんと言えよう。

「そんなものは理想論にすぎまいよ。発展に犠牲はつきものだ。都市開発のために森林を焼却する。交通の利便化のために空気を汚染する。何事にも良い面と悪い面が存在するものだ。善は悪という比較対象があってはじめて成立する。善は悪で、悪もまた善なのだよ」

 統治者の提唱する社会理論には確かな重みがあった。が、だからといって肯定はできない。

「悲痛な叫びを礎に奏でられる歓喜の声が美しいと、あなたは本気で思っているのか?」

 べガルアスはため息をついた。

「〈特別国政補佐官〉とはいえ、やはり十七歳の子どもだな。汝の義憤はもっともだし、立場が逆なら余も同じ行動を取っただろう」

「なら――」

「それでも余は余の正義を貫く。民の笑顔のためにな」

 強い決意を宿した瞳を見てツキクサは確信する。

 なにを言ったところで、この男の決意は変わらない。傷つけ合うことでしか、互いの正義を証明することはできない。

「〈エボルバー〉を犠牲にルスティカーナの科学技術を進歩させ、世界の覇権を握り続け、余はルスティカーナを理想国家とする。〈祝福の日〉に多くの人間が息絶えていく中で、余は〈エボルブ〉と同時に〈祝祭〉を享けた。そして無限の命を手に入れた。その瞬間に悟ったのだよ。余はなんのために生まれたのか。それはきっと、息絶えるその瞬間までひとりでも多くの民に幸福を分け与えるためなのだと」

 立派な国王だと思う。現に今も国民からの信望は厚く、街中を歩けば多くの民が感謝と憧憬のまなざしを向ける。

〈祝祭〉を享ける以前から、べガルアスは王だったようだ。八十、九十、そんな老齢でありながらも、国民は彼を支持しつづけたようだ。

「故に余は汝の正義を否定する。余の計画を邪魔するものは何者であれ容赦せん」

 そんな彼を〈エボルブ〉が狂わせた。常軌を逸した力が、彼に誤った選択をさせてしまった。

「脇の三人。余に歯向かわないというのであれば傷つけん。モモエ〈国政補佐官〉の失態も不問としよう。どうやら汝らは、ツキクサの友人であるようだからな」

 たったひとつだ。

 たったひとつの欠点だ。

 けれどその欠点はあまりに大きく、あまりに多くの人間を傷つけて。

 ――ツキクサは『水鳴』の鞘を外した。

「どちらの正義が正しいか、白黒つけようじゃないか」

 月の下で凪ぐ水面のような淡い輝きを放つ縹色の剣。

 その剣身が人間相手に向けられたのははじめてのことだった。

「どうやら気持ちの整理がついたようだな。では――」

 べガルアスはさらに体勢を低くし、力強く地面を蹴り上げツキクサに接近する。

 三メートル近くあった両者の距離は、瞬きののちに完全に詰められていた。

(速いッ!)

 空気を切り裂き迫るトンファーを、剣の側面でかろうじて防ぐ。かすかに火花が散り、ぶつかった双方の武器が部屋を覆い尽くすほどの金属音を響かせた。どうやらトンファーが金属製であるという推測は間違っていなかったようだ。

「ほう、これを防ぐか。さすがは〈特別国政補佐官〉といったところかな。これまでの〈国政補佐官〉は初手で仕留められていたのだが」

「……なるほど。道理で命を落とすわけだ」

 べガルアスに温情があってよかったなと思う。

 今の一手が三人の誰かに向けられていたのならば、間違いなく命を落としていただろう。

 ツキクサの額から一筋の冷や汗が滑り落ちた。


 幼少期からの鍛錬によって培われた身体能力。戦闘に特化した〈エボルブ〉。それらを基幹とするツキクサは、長らく「苦戦する」という状況に追い込まれたことがなかった。

「ははッ! どうしたどうしたッ! 避けてばかりでは追撃の手は止まらんぞッ!」

「くッ――」

 重く鋭く、ちかちかと明滅する閃光のような連打は、もはや軌道をほとんど視認することもできない。吹きつける風圧と攻撃の直前に瞬く先端の輝きだけを頼りに、ツキクサはなんとか攻撃をいなすことができていた。

『万夏』とふたりでやっとという状況だった。

 モモエ戦のように『万夏』が仲間を守ることに徹していたのならば、既にツキクサは絶命していたことだろう。べガルアスが一対一を望んだことだけは、この絶体絶命と言える状況の中で唯一幸運と言えることだった。

「はあッ!」

 トンファーによる乱打が止まったかと思えば、流麗な軌道を描く三日月蹴りが迫りくる。接触寸前にやや後方に身を退き回避する。が、べガルアスの攻撃の手は緩まない。宙を切った足を瞬く間に軸足に変えて、槍のように鋭利な前蹴りを放ってくる。

「かはッ……!」

 爪先がツキクサの肺腑を捉えた。激痛が全身を迸り、腹部から喉元にかけて熱い感覚が込み上げ、軽い呼吸困難に陥る。

 思わず身をかがめると、眼前にトンファーが迫っていた。――躱せない。致命傷を避け最低限の負傷に抑えようと首を傾けると、頬を掠める直前に『万夏』がトンファーを弾き飛ばした。

「ほう」

 弾かれたトンファーに引き寄せられて、べガルアスはやや体勢を乱す。それを好機と見たのか、『万夏』は鞘から飛び出し、べガルアスの喉元に直進する。

「ダメだッ!」

『万夏』の柄を掴み、ツキクサは手元に引き寄せる。なにがあっても、『万夏』でべガルアスを傷つけるわけにはいかない。

 ベガスアスは哄笑する。

「対峙した相手の〈エボルブ〉が咀嚼できるというのも酷なものよ。知らないままなら、こうも醜く足掻くこともなかったろうに」

 べガルアスの俊敏な動きは人間の域を優に超えているが、しかしそれは〈祝祭〉による恩恵にすぎない。〈祝祭〉を享けた人間の身体能力が飛躍的に向上するという事前知識はあったが、まさかこれほどのものとは思っていなかった。

 それだけならまだ太刀打ちできたかもしれない。現に今も、『万夏』で決着寸前にまで追い込んでいる。

 しかし、あのままべガルアスの喉を裂いたとしても彼は絶命しないのだ。

 べガルアスの〈祝祭〉の真価は不死の力――超再生にある。

 防戦しながら一度腕を掠める反撃を見舞ったのだが、浮かび上がった真紅の直線は瞬く間に肌色に塗り替わった。そしてその真紅の直線は、代わりにツキクサの腕に浮かび上がった。この現象を引き起こしているのが、べガルアスの〈エボルブ〉。

「超再生に加えて、万物を反転する〈エボルブ〉。加えてそれらは、僕の〈エボルブ〉で無効化できないときた。正直、勝機が見出せずに困っているよ」

 先の『万夏』の一幕に限らず、反撃可能な瞬間は何度か訪れている。しかし、べガルアスの〈エボルブ〉がそれを阻む。結果として、ツキクサは劣勢に陥らざるを得ない状況にあった。

「ならば諦めたらどうだ。既に満身創痍であろう」

 べガルアスの言う通りだった。

 右の視界は完全に閉ざされていて、ひっきりなしの戦闘で身体は疲弊しきっている。

「そうは……いくかよ」

 それでも、ツキクサは立ち上がった。

 掠めた斬撃で制服は何か所も破け、頬や腕から鮮血が滴り、胸の内側では熱く燃え盛るような不快感がわだかまっている。

 それでも、立ち止まれない。立ち止まることは許されない。

「キノカを救うって約束したんだ」

 最愛の妹のためと思えば、どんな苦難も逆境も乗り越えられた。

「そのために、今日まで生きてきたんだ」

 その瞬間は、あと少しで手の届く場所にまで迫っている。

 遥か頭上で瞬きつづけている極彩色の立体ひし形結晶――〈祝福の欠片〉。

 あれを掴み、権利さえ手にすれば――

 大切な家族との日常を取り戻せる。あたたかな日々を過ごすことができる。

「こんな、ところで……あと、一歩のところでッ!」

 身体に鞭打ち鼓舞するように気持ちを声に出し、奥歯を強く噛み締めてべガルアスを睨み据える。

「諦めて堪るかッ!」

 ツキクサの決意に、べガルアスは微笑で応えた。慈愛を感じさせる柔らかな微笑みだった。

「なるほど。汝のいう平穏な日々とは、妹と過ごす日々を指していたのだな」

 言った直後、べガルアスの姿が消えた。

 否、目にも止まらぬ速さでツキクサの背後に回っていた。

「ならば、天上で妹との平穏な日々を過ごさせてやろう」

 横目に迫りくる切っ先が見える。腕を持ち上げ防ごうとするが、蓄積された疲労が祟ったのか、腕が言うことを聞かない。

「……ッ!」

 ぴくぴくと痙攣する腕に、それでも動け動けと念じてやっと動いた。が、『水鳴』で攻撃を防ぐのは厳しいだろう。闇雲に剣を振り上げず、ツキクサは冷静に思考を巡らせる。

『水鳴』で応戦することはできない。『万夏』なら応戦できたかもしれないが、攻撃を封じるためにツキクサが握り締めてしまっている。『秘技』も、この状況においては頼ることができない。となれば回避しかない。上半身をやや前に倒し、なんとか場を繋ごうと試みるが――

「幕引きだ」

 憔悴した身体に、ツキクサの意思を完璧に遂行する余力は残されていなかった。

 意思の伝播がコンマ数秒遅れた。その数秒は致命的だった。

(くそ……)

 まもなくトンファーはツキクサの側頭部を捉える。先端の尖ったそれが頭部を穿てば、命を落とすのは必然だろう。

 これまでか。

 胸の内側から諦観の念が込み上げる。

「ごめんなキノカ」

 つぶやき静かに目を閉じると、すぐに突風が髪を切り裂いた。痛みは襲ってこなかった。

「ぐッ……」

 その苦悶の声は、ツキクサではなく、べガルアスの口から漏れ出たものだった。


「演技とはいえ、一度助けてもらいましたからね」


 相手との実力差を誰より理解しているはずの少女の声だった。

「貴様……自分がなにをしたのか理解しているのか?」

〈国政補佐官〉である彼女にはわかっていたはずだ。

 べガルアスが次元の違う相手であると。歯向かえば死は免れないと。

「ええ、わかっていますよ」

 モモエの短剣が、べガルアスの腰部を貫いていた。

「忠僕を誓った殿方に狼藉を働いた。命を奪いかねない殺傷を見舞いました。〈国政補佐官〉にあるまじき愚行です。解雇処分は免れないんでしょうね」

 苦笑し、モモエは追い打ちをかけるようにもう一本、べガルアスの腰部に短剣を突き刺す。

「うぐッ……せっかく、命拾いしたというのに、愚かな、ことを……」

 不規則なべガルアスの呼吸は、図らずもモモエの攻撃が効いていることを示唆していた。

「こほこほっ!」

 咳き込みモモエは吐血する。べガルアスの〈エボルブ〉により、彼女には与えた苦痛がそのまま返されているはずだ。

「自分から……辞職連絡するのは、嫌なんですよ」

 息も絶え絶えだというのに、モモエは微笑んでいた。短剣を握る小さな手も、身体を支える肉付きのいい肢体も、悲鳴を上げるようにぷるぷる震えているというのに。

 それでも、彼女は短剣から手を離さず立ち続ける。

「だからですね、パイプ役であるツキクサさんに死んでもらうわけにはいかないんですよ」

 虚ろな瞳がツキクサを映した。

「……そういうことにしてくれませんか? 実際の理由はあまりにベタなので」

 ――ありがとう。

 力なく微笑み、モモエはそう感謝を口にした気がした。

 聞き取れなかったのは、モモエが苦悶の声を上げて沈み込んだからだ。

「少し侮りすぎたようだな」

 そう言うべガルアスの顔からは、余裕が見て取れた。

「は、はは……うそ、でしょ……いくらなんでも速すぎません?」

 両膝を床につけて右肩を押さえるモモエ。そこからはどくどくと血が溢れ出している。べガルアスが肘打ちの要領で攻撃した際に、トンファーの先端がモモエの肩を貫いていた。

 身を翻してモモエを睥睨するべガルアスの顔は、どこか悲しげに見えた。

「夢半ばの少女の未来を絶つというのは気が進まんが……止むをえまい」

 腕を後ろに引き、攻撃の意思を示す。

「国の未来のためだ。すまんな」

 モモエが固く目をつぶった直後、パンっと乾いた音が轟いた。

「む」

 べガルアスが攻撃を止めたのは、彼の頬で鱗粉のようなものがチラついたからだろう。

「驚いたな。この期に及んで〈国政補佐官〉ですらない人間が首を突っ込んでこようとは」

 べガルアスの視線の先にはレンがいた。

「〈国政補佐官〉じゃないからって舐めてると、イタイ目見るぜ?」

 にっと勝ち気にレンは微笑んだ。

 レンの構える白光りする拳銃からは、もくもくと白煙が立ち込めていた。

「アンタは既に、俺の『檻』の術中だ」

 直後、「わわっ!」とモモエの声がした。見ればカリナがモモエを担ぎ、べガルアスから距離を取っている。

「ちょ、持ち方が雑ですっ! これじゃあパンツ見えちゃいますって!」

「んなこと言ってる場合かッ! 死にてぇのかピンク髪ッ!」

 毒が体内を巡り、腰部と肩が負傷しているとは思えないほど元気なモモエの声に、ツキクサはほっと胸を撫で下ろした。どうやら一命は取り留めているようだ。

「いつの間に……」

 呆然とつぶやくべガルアスの姿を見て、ツキクサはレンが「時間感覚を鈍磨させた」のだと悟った。

 それがレンの〈エボルブ〉。彼は対象の時間感覚を遅滞、あるいは加速させることができる。

 レンの助力がなければ、カリナがモモエを救出することはできなかっただろう。

「……」

 これで三人も部外者ではなくなった。ツキクサ同様、三人もべガルアスの野望を阻まんとする敵と見做されたことだろう。

「……ようやく活路を見出したぞ」

『万夏』に三人を護衛してもらう余裕など、もはやツキクサには残されていない。

 となれば、集団で戦うのが得策であると言えよう。個々では力が及ばずとも、集団になればべガルアスにも太刀打ちできるかもしれない。その策を、ツキクサはたった今閃いた。

 レンの銃撃のおかげで、今のべガルアスの空間認識力は鈍磨されている。簡単に距離を取り、三人の元に足を運ぶことができた。

「大丈夫かツキ。その場凌ぎにしかなんねぇけど、一応処置しておくぜ」

 言って、レンはツキクサに銃弾を放つ。痛みはない。むしろ引いていく感覚がある。痛覚が全身を巡る感覚を遅滞させたのだろう。

「なるほど。モモエが意識を保っていられるのはレンのおかげか」

「あぁ。てめぇとリナとモモエちゃんには、既に万一に備えて処置が施してある。三十分くらいしか効き目はねぇけどな」

「上出来だ」

 あと五分もあれば、片をつけることができる。

「三人の手が借りたい。協力してくれるか」

 問わずとも返事はわかりきっていたが、それでも念のために確認しておく。

「はじめからそのつもりだ。てめぇの命、お前さんに預けるぜ」

「ていうかよ、ツキクサはいつもひとりで無茶しすぎなんだよ。もうちょっとオレたちのこと頼ってくれてもいいんじゃねぇの?」

「このボロボロの状態で戦えって、ツキクサさんもなかなか酷なこと言いますね。けどまぁ、私が加わることで勝率が少しでも上がるというのなら、喜んで加勢しますよ」

「ありがとうみんな」

 ツキクサひとりでは、決してべガルアスには勝てないだろう。

 けれど仲間となら――五人でなら勝機はある。

 ツキクサは仲間に策を打ち明けた。

 大人数と作戦を共有することはあれど、共闘するのははじめてのことだった。


「話は済んだかな」

 ツキクサが仲間に作戦の概要を話し終えるまで、べガルアスは奇襲を仕掛けてこなかった。

 温情か、あるいはそうすることが勝利を決定づけるための最適解であると判断してのことか。恐らくはどちらも正しく、間違っていないのだろう。

「そういうあなたも、多少は回復したようでなによりだ」

 べガルアスはふっと微笑を湛えた。

「やはり汝には気づかれていたか」

「ええ、仲間の決死の覚悟のおかげで、あなたも無敵ではないと知ることができました」

 今もべガルアスの腰部からは、ぽたぽたと血滴が一定の感覚を刻んで零れ落ちている。

 恐らく意識外からの攻撃に対し、べガルアスの超再生と反転は機能しないのだろう。

 現にモモエの腰部には傷がひとつしかなかった。彼女は二度短剣を突き刺したのに。また、レンの〈エボルブ〉がべガルアスに有効になっている間、レンにはなんの異常もなかった。

 以上を踏まえて、ツキクサは前者の仮説を立てた。

 べガルアスの反応を見るに、おおよそ間違ってはいないのだろう。

「しかし気づいたところで、易々と逆転の一手が打てるわけでもあるまい。汝とモモエは既に満身創痍、残りふたりは余にとって恐れるに足らん相手だ。この劣勢をどう打開するのか、是非とも見せてもらいたいものだよ」

 やや腰を下ろし、軽く握り締めた拳を腰に添え、もう片方の手を伸ばしてずっしりと構える。

 はじめ彼を見たとき、なぜトンファーを選択したのだろうと疑問に思った。

 たしかにトンファーは攻守面ともに優秀な武器だ。しかし質量やリーチ、使い勝手のよさを考慮すれば、剣や槍の方が優れた武器と言える。

 それでもトンファーを選択したのは、彼にしてみればトンファーがもっとも自身に適合した武器であったからだろう。彼の多種多様な突きや蹴りは、一朝一夕で体得できるものではない。気が遠くなるような歳月を武道に費やし、はじめて体得できるものだ。ツキクサはそれなりに武道に精通しているが、それでもべガルアスの境地には遠く及ばない。

 べガルアスが〈祝祭〉と〈エボルブ〉頼りの戦闘経験に乏しい相手なら、ここまでの苦戦は強いられなかった。根底に技術があり、その技術が最大限生かされる武器を選び、そこに常軌を逸した力が加わっているから、べガルアスは難敵なのだ。

「ああ、目にもの見せようじゃないか」

〈水鳴〉を構え、隣には〈万夏〉を浮遊させ、ツキクサはひとつ、大きく深呼吸する。

「いくぞべガルアスッ!」

 爪先で床を跳ね上げ、ツキクサはべガルアスに接敵する。

「勇猛な戦士だ。汝ほど余を脅かした敵はおらんよ」

〈水鳴〉と〈万夏〉が連撃を仕掛けるも、べガルアスはトンファーで飄々と受け流していく。「はあッ!」

 振りかぶる腕に力を込め、速く鋭い剣舞でべガルアスに迫る。力強い金属音が響き渡り、中空に火花が咲いては消えていく。

「まるで魂そのもので戦っているかのようだな。燃え尽きんと足掻くその姿勢、余は嫌いではないよ」

 清々しい顔をしていた。一方のツキクサの心臓は今にも張り裂けそうなほどに高鳴り、額には玉の汗が浮かんでいる。攻撃の手数が減りはじめる。

「そろそろ限界か」

 言って、べガルアスが片足を振り上げた瞬間をツキクサは見逃さなかった。

「今だカリナ!」

「おうまかせろ!」

 カリナには、始終ツキクサとべガルアスからやや離れた場所にいるよう指示していた。

「いくぞゴラァ!」

 五メートルほど距離を置いた場所にいるカリナは、足元めがけて目一杯戦斧を叩きつける。と、ぴしぴしと床に亀裂が走り出し、それはツキクサとべガルアスの足場にまで達する。

「ぬぅ」

 床が震動する。突如として足場が不安定になり、べガルアスは体勢を崩す。この展開が想定通りであるツキクサは瞬時に対応できるが、予期していなかったべガルアスはそうはいかない。

 ぱんっと銃声が轟いた。

「小賢しい真似を」

「マジかよ。今のに対応すんのかよ……」

 カリナが意表を突いたら銃弾を放つよう、レンには指示を出していた。

 ぱぱぱぱんとレンが連弾すれば、べガルアスはそれに応戦せざるを得なくなる。レンの銃弾が厄介なものであることを、先刻の被弾で理解しているからだ。

「オレも忘れてもらっちゃあ困るぜ!」

 べガルアスの死角から、戦斧を担いだカリナが迫る。繰り出される一閃の速さは短剣に劣らぬもので、その一撃はべガルアスの衣服を掠めた。

「あ、当てちった」

 牽制するだけで充分だと伝えておいたのだが、まあ起きてしまったことは仕方ない。

「余に攻撃を当てた、だと?」

 レンとカリナが、べガルアスにとって脅威になり得る存在だと認識させる。

 そのファーストステップは、べガルアスが驚愕に目を剥いている様子を見るに成功と言えよう。ふたりは役割を果たしてくれた。

「モモエ!」

「わかりました!」

 次はツキクサとモモエの番だ。負傷したモモエには、端から戦闘に加担してもらうつもりはなかった。彼女に頼んだのは援護のみ。

「少し危機感を覚えているんじゃないか」

「そうきたか」

 ツキクサがふたりに分身したというのに、さしてべガルアスは驚いていない。これは想定内なのか。が、表情に余裕はなく、額にはじんわりと汗が広がりはじめている。形勢が傾きつつあることは明白だ。

「ここが正念場だ! ふたりとも気を抜くな!」

「「おう!」」

 モモエの〈エボルブ〉は、なにも当人にしか使えないわけではない。ツキクサはモモエの〈エボルブ〉でふたりに分身していた。しかし他者に力を行使する場合、倍増できるものはひとつまでという制限があるようなので、身体がふたつになっただけで、身体能力や剣の性能は変化していない。

 とはいえ、多勢が優勢になるのが戦場の理である。ふたりのツキクサ、『万夏』、カリナ、レン、五人で一気呵成に畳みかける。カリナとレンは急所を狙っていないのだが、そんな思惑を知る由もないべガルアスは、すべての攻撃に対処の手を回さざるを得ない。

「ふッ! ぜあッ! はは、やるではないかッ! 余は最高に高まっておるぞッ!」

 五対一でようやく防戦一方の状況を強いたものの、致命傷に至る傷は一向につけられない。身体と布地の間に空気を孕み浮き上がった衣服や、動作に伴って棚引いた髪を時折掠められる程度。致命傷どころか、掠り傷さえも負わせることができない。

「バケモノかよ……」

 カリナがつぶやいた直後、モモエが遠方から暗器を投擲するが、それはすげなく床に弾き落とされた。

「万全のツキクサさんより手強いんじゃないですかこれ……」

 べガルアスの体力は無尽蔵にあると見ていい。このまま集中砲火しても、先に体力が底尽きるのはツキクサ側だ。一見ツキクサ側が優勢であるように思えるが、しかしそれは一時のことでしかない。あと一分もすれば、戦局は真逆のものに転じるだろう。

 ――すべてツキクサの想定通りだった。

「カリナ!」

「あいよッ!」

 戦斧を背に収めて後退し、カリナはべガルアスに指鉄砲を向けて叫ぶ。

「落ちろッ!」

 直後、べガルアスの膝が九の字に折れて足裏が床に沈み込んだ。

「ぬぐッ!」

 動きが一時止まる。カリナの〈エボルブ〉で、べガルアスには自身の十倍の体重が圧し掛かっていることだろう。さしものべガルアスと雖も、この現象を無視することはできない。

「あぐッ!」

 そしてその現象は、瞬く間にカリナに反転される。

 きしきしと鳴り響く軋んだ音は、カリナの膝から生じているものなのか、重圧に耐えきれず床から生まれている音なのか。バキっと、硬い音が耳を突いた。床がひび割れていた。カリナの膝が半ば無理やりといった様子で折り畳まれる。やがて額も地面に引き寄せられていき――

「やれツキクサ!」

 顔を上げたカリナの額からはだらだらと汗が滑り落ち、歯を強く噛み締めた表情からは息苦しさを感じ、それでも瞳には強い輝きが灯っていた。

「言われずともやってやるさ」

 微笑み返し、対峙するべガルアスに目を向けると、ぱんっと乾いた銃声が轟いた。べガルアスの首付近で、砂金めいた微小な粒が刹那のきらめきを見せる。

「いけツキ!」

 それがレンの援護射撃であることは、確認せずともわかる。

「くッ、これは少々……」

 べガルアスの顔が苦悶に歪んだ。

 モモエの短剣の傷が完全に癒えておらず、恐らくは多少の毒が体内に残留していて。加えて、日常生活では決して経験することのないであろう大きな重圧に、時間感覚の狂いという異常状態まで付与されているのだ。

 これなら、万全とは程遠い状態にあるツキクサにも十二分に勝機がある。

「彼らを取るに足らない相手だと侮ったのが運の尽きだったな」

 べガルアスの前後を陣取る。ふたりいるツキクサの内、前方にいるツキクサは『水鳴』を、後方にいるツキクサは『万夏』を携えている。

 前後から同時に剣を閃かせる。べガルアスの顔にみるみる恐怖が浮かび上がり、

「やるではないか」

 毅然と微笑んだ。

 剣が到達するより早く、後方のツキクサに後ろ蹴りが見舞われた。

「かはッ……!」

 槍の如き足蹴の先端は、寸分違わずツキクサのみぞおちを捉えた。

 モモエの〈エボルブ〉には、分身体との痛覚が共有されるという欠点がある。

 べガルアスの背後にいたツキクサは消滅し、前にいたツキクサは激痛に溜まらず腰を折る。握られていた『水鳴』が、からんと音を立てて床に落ちた。

「あの一瞬でここまで余の肝をつぶす策略を企てるとは大したものだよ」

 意識が朦朧としていて、べガルアスの声はよく聞き取れなかった。

「さよならだツキクサ」

 べガルアスの姿が何重にも重なって見えた。どのべガルアスも、共通してトンファーを振り上げていた。

「ツキ!」「ツキクサ!」「ツキクサさん!」

 武器もなく、攻撃を躱す余力もない。

 べガルアスの勝利は確実という状況だった。

「――で、背後から汝の自立する剣が不意打ちを見舞おうという寸法なのだろう?」

「っ!」

 動顛したツキクサの表情を見て確信したのだろう。べガルアスが振り返ると、まさに今この瞬間に、『万夏』がべガルアスの首を斬り落とそうとしていた。

「そうくると思っていたよ」

 旋回し迫りくる『万夏』に、べガルアスは勢いよくトンファーをぶつける。狙ってのことか、トンファーの鋭く尖った切っ先と『万夏』の刃渡りが衝突した。キンっと短く鋭い音が響いたかと思うと、『万夏』の刃渡りにピシッと亀裂が走る。

「あ……」

 やがて刃渡りは銀色の欠片となり、ぱらぱらと床に降り落ちた。剣身を失った柄が落下する。カンっと音を立てて床に転がった『万夏』は、それっきり動かなくなった。

「さて」

 身を翻したべガルアスに、ツキクサは唇を噛み締めて鋭利なまなざしをぶつける。それが今のツキクサにできる背一杯の威嚇だった。身体は巨大な岩石でも乗せられたかのように重く、まるで動きそうにない。ふっと、べガルアスは鼻を鳴らす。

「これで正真正銘のフィナーレだな」

 言って、べガルアスはトンファーを振りかぶる。表情、所作、それらすべてから歓喜を色濃く表出させていた。

 トンファーが目前に迫る。が、ツキクサは顔を恐怖に染め上げず、目を逸らす素振りさえも見せない。〈特別国政補佐官〉としての矜持が為す技か――などと思い、べガルアスはツキクサの勇気を讃えているのだろうか。きっとそうだろう。そんな表情をしている。

 ツキクサは微笑んで言った。


「あなたの負けだ」


 ――直後、べガルアスの背中から血飛沫が吹き上がった。


「は?」

 不意の出来事に気を取られ、トンファーはツキクサを捉えることなく宙を切った。

「わたしは、あなたの考え方は間違ってると思う」

 懐かしい声だった。

「国のみんなの幸せのためにっていう動機は立派だけど、だからって誰かを傷つけることが許されるわけじゃないよ」

 その声は以前聞いたときよりも、少しだけ大人びて聞こえて。

 あぁ成長してるんだなぁと、ツキクサは思わず涙ぐみそうになる。

「な、ぜ……」

 べガルアスが膝をつき、倒れ込み、かくして背後から一撃を見舞った人物がその姿を見せる。

「わたしたちの正義の勝ちだね」

 小さな女の子だった。

 白銀の長い髪を降り注ぐ淡い光に照り返す小柄な少女は、握っていた剣を黒い物質に変化させて手のひらに吸い込み、ツキクサに弾けるような笑みを見せて駆け寄ってきた。

「やったね! 兄様!」

 兄様。昔から変わらない呼び方だ。

 幼い頃からまるで変わらない少女の無邪気な笑顔に、ツキクサは一時、積もった疲労感と身体を蝕んでいる倦怠感を忘れた。

「えへへ~、ひさしぶりの兄様の身体だぁ~」

 抱きつくなり、身体にすりすり頬を擦りつけてくる。

 ツキクサは目頭がじんじんと熱くなり、胸にあたたかいなにかが満ちていく感覚を覚えた。

 それでもなんとか平静を保ち、小さな頭をそっと撫でながら柔らかく微笑んでつぶやいた。

「元気にしてたか、キノカ」

 ツキクサの目尻から一筋の涙が滴り落ちた。

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