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EVORVER  作者: 風戸輝斗
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第三章

 翌日午前九時、部屋の入口に〈転移装置〉が出現した。身支度に不備がないか確認し、三人は光の雨に身を投じる。瞬く間に視界が白く染め上げられていく……。

「んっ……」

 目を開くと、降り注ぐ陽光が瞼を焦がした。三日ぶりの日差しだからか、いやに眩しく感じられる。もっとも人工的な光か自然光かは定かでないが。

 光に目を慣らすためにぱちぱち瞬きを繰り返し、まずはいつも通り状況確認に努める。

 周囲には大勢の参加者がいる。レンとカリナの姿もあった。今回は前回と異なり、最初から参加者が同じ場所に集められているようだ。

 視線を上向ける。くるりと周囲を軽く見渡し……なるほど、自分が円形闘技場のような場所にいるのだと理解が追いつく。舞台を取り囲むように設置された、階段めいた緩急のある石造りの腰掛け椅子は、如何にも闘技場といった風だ。

 視線を下向ける。足下は砂で埋め尽くされている。誰かが動くたびに、じゃりっと砂利の擦れ合う軽やかな音が奏でられる。平坦な砂上。遮蔽物のようなものは一切置かれていない。

 果たしてここは塔の内部なのかと疑わずにはいられない広々とした闘技場だった。

 これまでの近未来的試練会場とは一風変わった、石造りが目立つ古色蒼然たる試練会場。頭上に広がる一面の青は、科学の織り成す技か。どこまでが天然物で、どこまでが科学の産物かはツキクサにも区別がつかない。それほどまでに、ルスティカーナの科学技術は発達している。〈エボルバー〉の苦痛を礎に、ルスティカーナの科学技術は日々進歩している。

 ほどなくして運営の女性がやってくる。一礼して口を開いた。

「皆様おはようございます。本日はこの場所で、第三試練を行います」

 辺りに漂う空気が切迫していく。多くの人が察しているのだろう。ここは闘技場、そこで試練を行うという宣言がなにを意味しているのかを。

「第三試練の内容は、三対三のチーム戦です。第二試練を共にクリアし、昨晩同じ部屋で過ごされたお三方をひとつのチームとさせていただきます」

 レンとカリナが視線を向けてくる。どちらも嬉しげな顔をしていた。ツキクサは微笑み混じりに頷きを返し、続く運営の言葉に耳を傾ける。

「また今試練は勝ち上がり形式ではなく、一勝した時点で次の試練の参加を確約――最終試練出場決定とさせていただきます。つまり、二十チームの内十チーム――最大三十名の方が最終試練に臨む資格を得ることができる、という次第になります」

(二十チーム?)

 疑問を覚えたのは、この場に間違いなく六十人以上の参加者がいたからだ。

「またこの試練は三人での参加が必須条件となりますので、必要定数を満たされていない方々はその時点で脱落とさせていただきます」

 湧き上がった疑問はすぐに解消された。ざわざわと戸惑いの波が生じ、確かにどよめいた参加者を間引けばそれくらいのチーム総数になりそうだなと、ツキクサは納得した。

「勝利条件は、相手チームを戦闘不能にすることです」

 つまり、必ずしも命を奪う必要はないということ。どれだけの人間がそう解釈しているのかはわからないが。

「試合表につきましては、説明終了後に上空に3Dホログラムを投影いたしますので、そちらをご確認ください。今試練は命を落とす危険性があります。参加を辞退したいという方がおられましたら、〈転移装置〉からお帰りいただいて構いません。ただ、その時点でその方の所属されるチームは不戦敗ということになりますので、ご了承のほどお願いいたします」

 無駄な説明だ。辞退したいと願うのは気弱な人間だろう。そんな人間が、残るふたりに引け目を感じながら保身に走るとは思えない。嫌々ながらも第三試練に参加するのだろう。

「それでは、皆様のご武運を心よりお祈りしています」

 深々と頭を下げて運営が話を締めくくると、参加者の半数ほどが忽然と姿を消した。第三試練の参加資格を持たない者たちだろう。

「わからないな」

 なぜ殺し合う必要のない場面で殺し合うのか、ツキクサには理解できなかった。

 殺さなければいけない場面以外では、一切の殺戮に及ばない。

 それはツキクサが自身に課している制約だった。


 ここまで勝ち進んだ実力者の意地のぶつかり合いだけあって、一回戦目から熾烈な戦いが繰り広げられていた。

「吹き荒れろッ!」

 レイピアの使い手である男が叫んだ。するとひゅるひゅると小さな風が吹きはじめ、それは徐々に暴威を増していき、やがて荒々しく砂塵を巻き上げる無数の竜巻が生み出された。

「どうする。まだやるか」

 その光景を前に、しかし対峙する大剣を構えた女性は微笑みを崩さない。

「無論やるとも。ここで逃げては、散り入った仲間に背を向けられない」

「そうか。……やむを得ないな」

 男がつぶやいたのを皮切りに、竜巻が女性めがけて躍動する。四方から迫りくる竜巻に女性は遮二無二剣を振るう。が、その抵抗が功を奏すことはなく、すぐに竜巻の餌食となる。切り裂かれた女性の衣服が宙に舞い上がり、やがてそこに赤が混じりはじめる。

「さっきの威勢はなんだったんだよ……」

「向こう見ずな勇気。蛮勇とでも言いたいのか」

「なにッ!?」

 竜巻が消失すると、全身を風の刃に切り裂かれて血だらけの女性が姿を見せた。呼気を荒くしつつも、女性は大剣を支えになんとかといった様子で立っている。

「乱発はできないのだろう? ならば勝機はこのタイミングでしか生まれないと思ってな」

 満身創痍ながらも強い戦意を宿したまなざしを男に向けると、女性は吶喊しながら大剣を地面に突き刺した。直後女性の周囲の砂粒がふわふわと浮かび上がり、やがてそれは中空に無数の直線を描きながら猛然と男へ進撃する。

「見上げた胆力だよ」

 光の矢となり迫りくる砂という凶器に、しかし男は動じない。片手を軽く持ち上げる。と、砂の光線は突如として軌道を変え、蒼穹に吸い込まれていった。

「そんな……連発はできないはずでは……」

 驚愕する女性に、男はレイピアを握りしめて猛進する。反撃を試みる女性だが、既に大剣を動かす余力は残されていない。レイピアが女性の喉元に迫り――しかし血飛沫は上がらない。

「降参しろ。無駄な命は奪いたくない」

 ぎりぎりと歯ぎしりする女性に、男は臆せず鋭い眼光を向けつづける。

 やがて観念したように、女性が小さなため息を漏らした。

「参った。私の負けだ」

 かくして第一戦の幕が閉じられた。

 最終試練進出を決めたのがひとり。〈地下〉行きとなったのがひとり。そして、死者が四人という結果に終わった。

 生存したふたりは瞬く間にそれぞれの場所に転移されて、四つの屍は運営が後始末に取りかかっていた。眼球破裂していたり、片腕がなかったりと、凄惨な有り様となった残骸もある。

「酷なことしやがる」

 隣に座るレンが言った。死骸を見やるレンは悲痛な面持ちをしていた。

「あのふたりには端から殺し合うつもりなんてなかった。にも拘わらず、戦場にいたから殺された。戦場にいたからって理由で殺されたんだ。これが個人戦だったのなら、あのふたりは迷いなく辞退することを選んでたんだろうな」

 言って、レンはツキクサの隣に座るカリナの顔色をちらと窺う。

「……」

 呆然としていた。なんとも感じないから動じないのではなく、目の前の惨状が見慣れないものだから脳が理解を拒んでいるといった風だった。

 やはりこの子は優しすぎる。そしてその優しさは、この試練において仇となり、命を危険に晒す。戦場では、殺す覚悟のない人間から死んでいくのが定石だ。

「カリナ」

 ツキクサが名前を呼ぶも反応はない。視線は命を失った肉塊に釘付けだ。その横顔から、彼女の図太さや傲慢さといったものは少しも感じられない。瞳は憂いを帯びていた。

「カリナ」

 やや声量を上げて名前を呼ぶと、カリナは肩をぴくっと跳ね上げてツキクサを振り向いた。

「急にどうしたよツキクサ。お前からオレに話しかけるなんてはじめてなんじゃねぇの?」

 からかうような口ぶりに覇気はない。浮かべる笑みも弱々しく、それが虚勢から繕われたものであることは明白だ。目に見えてカリナは気落ちしている。

「あと五試合したら僕たちの番だが調子はどうだ」

「……ベストコンディションだよ。誰とやっても負ける気がしねぇ」

 外された視線が、強気な言葉とは裏腹に彼女が戦闘を拒んでいることを諷意していた。

「ならよかった。活躍を期待しているよ」

「……まかせろ。オレが蹴散らしてやる」

 自分に言い聞かせるように、カリナは引き締まった面持ちでつぶやいた。

 その姿を見て、ツキクサは決意を固めた。

「スパルタなことするねぇ」

 ニヤつきながらレンが揶揄してくる。

「まさか。僕はいつだって本人の意思を優先する。選択を強いるのは嫌いなんだ」

「なるほど。やっぱ優しいヤツだよおめぇさんは」

 迂遠な物言いをしてもレンには通じないようだ。

「どうだか」

 感謝よりも罵倒された回数の方が多く、願いを叶えるためならどんな犠牲も厭わないつもりでいる人間は『優しいヤツ』とは呼べないのではないだろうか。少なくともツキクサは、自分が優しい人間だと思ったことは一度もない。

 そつない返事をするも、レンが微笑みを絶やすことはなかった。

 できることなら戦闘意思のない全員を戦線から退けたいところだが、これはチーム戦、第一試練のようにはいかない。手の届く範囲にいる人しか救うことができない。

 観客席を見渡せば、カリナ以外にも青ざめた顔をする参加者は多くいた。

 慄く参加者の中に、ひとり見知った少女がいた。モモエだ。

 第一、第二試練は運良く潜り抜けて来れたのだろうが、第三試練は三対三、対峙は避けられない。そうなったとき、果たして彼女は生き残ることができるのか。

 身に纏う柔和な雰囲気や日常を切り取ったような身なりを見るに、その可能性は極めて低いだろう。少なくとも、これまでのように運だけで勝利することには期待できない。

 行く末を見届けたいところではあるが、生憎と彼女の所属するチームの試合はツキクサより後に控えているため観戦できそうにない。

 やはり下手に関わりを持つものではないなと、ツキクサはため息をついた。

 他人ではない誰かが傷つくと、憂鬱が殊更に胸を満たして嫌な気分になる。

 ツキクサはその感覚が嫌いだった。


〈エボルバー〉と雖も、全員が全員、戦闘のプロフェッショナルとは限らない。自らに備わった力の使い方を熟知している人がいれば、そうでない人もいる。相手を殺めてしまう人の多くは、自分の〈エボルブ〉の危険性を理解していなかった。

 暴発という形で命を奪い、募る罪悪感から悲嘆に暮れて、その隙に命を掠め取られて――

 だからといって、実力者同士の決闘が常に第一戦のような形で収束していたわけでもなく、命を落とす人は複数いた。ツキクサの試合が予定されている第七戦に至るまでに、死者がひとりも出ない戦いはなかった。更に言えば、決勝に三人揃って進出するチームはひとつもなかった。最多でもふたり。チームの誰かひとりは欠けるのが必然という雰囲気が醸されていた。

「三人で勝ち進めるよな?」

 第七戦開始一分前――真円状の戦場には六人の参加者がいた。

 北に並ぶのはツキクサ一向。南に並ぶのは相手チーム一向。

「あったりめぇだろ。俺たちゃあ敵同士でもあるが、同じ宿で過ごした仲間でもある。てめぇの前でむざむざ死なせたら男の名が廃るってもんよ」

 先行きを案じるようなカリナの問いかけに、レンは力強い返事を返す。

 カリナは相変わらず本調子とは言い難い様子だが、一方のレンは活気に満ち満ちている。首をこきこき鳴らし、足首をくるくる回し、委縮した気配はまるでない。さすがは元暗殺者と言ったところか。その悠然とした態度が今はとても頼りになる。

「安心しろよリナ。俺とツキの手にかかりゃ相手が誰だろうが――」

 遥か向かいに佇む相手陣営に視線を投げた直後、レンの顔色が変わった。

「おいおいマジかよ。百発満中のラルクスがなんでこんなトコにいんだよ……」

 引き攣った笑みを浮かべている。

「そこまで腕が立つヤツなのか」

「ああ。全長三メートル以上あるバケモンをひとりで屠ったらしい」

 その化け物がどれくらいの凶暴性を秘めていたのかにもよるが、なんにせよ、人の身で大型異形を単身討伐したのなら大した功績だ。逃げずに挑んでいる時点で、かなりの肝っ玉の持ち主であると予測がつく。

「それは厄介だな」

 なかなか降参してくれなさそうだ。

「その百発満中のラルクスっていうのはどいつだ」

「真ん中で長ぇ槍構えてるヤツ。額のバンダナがトレードマークだ」

「あぁ、あいつか」

 ツキクサはその人物を知っていた。というのも、第一試練で気絶させた強者のひとりだから。

「ほかのふたりはなにか知ってるか」

 ラルクスの隣には、弓筒を担いだ落ち着いた風体の少女と、鉄パイプを持った筋骨隆々な男がいた。

「いいや、知らねぇな。リナはどうよ」

「……」

 レンが話を振るも、砂上に結ばれたカリナの焦点は持ち上がらない。

「おいッ!」

 野太い声を上げて、レンがカリナの肩に両手を乗せる。

「ひゃっ!?」

 カリナの服の布面積は狭く、肩は常に一糸まとわない状態にあるので、レンの手の感触はいやでも直に伝わる。唐突に人肌を感じれば、誰でも驚いて竦み上がるものだ。

「な、なに許可なくオレに触ってんだよ! ぶっ殺すぞこの野郎ッ!」

「そうそう、リナはこうでなくちゃな。神妙な顔はお前さんには似合わねぇよ」

 湛えられた微笑は、レンの優しさがそのまま表出したかのようだった。

「誰がバカだゴラッ!」

 が、カリナはレンの優しさを挑発の類と解釈したようだ。ビシッと人差し指をレンに突き立てて、久方ぶりの獰猛で自信に満ちた、彼女の代名詞とも言える表情を浮かべる。

「死ぬんじゃねぇぞレン! てめぇには帰ったらオレが天才だってことを証明してやるよッ!」

「おっ、そいつは助かるな。是非とも農業のあれこれを俺に教えてくれ」

「なんでオレが手解きしなきゃなんねぇんだよ……」

 ぷるぷると固めた拳を震わせるカリナ。しかし、手が出ることはないのだろう。ツキクサは、カリナが暴力を振るう場面を一度として見ていない。

「ふたりとも、ちょっといいかな」

 カリナが調子を取り戻してくれて助かった。

 おかげで、なにも懸念することなく戦いに専念することができる。


 ◇


「てめぇ舐めてんのか」

 開始早々、憤怒の形相でラルクスが言った。正面で槍を構えてやや腰を下ろした彼は、いつでも戦闘に移れるといった風だ。

「侮ってはいないよ。ただ、一対三でちょうど釣り合いが取れそうだなと思ってね」

 相対するツキクサは、檜皮色の鞘がついたままの剣を半身に構えて微笑を湛えている。もう一本の剣は腰に携えたままだ。現状では使うに値しないと判断してのことだった。

「こいつ……」

 ラルクスの放つ怒気が一段と凄みを増す。

 観客がどよめていた。それもそのはずで、これまでにひとりで三人に挑んだ人物はいない。

『僕がひとりで相手を殲滅する。だからふたりは背後で待機していてくれないか』

 そうツキクサが提案を持ち掛けて今に至る。

 遥か後方でツキクサを見守るふたり。

 なにも戦力外だから待機を命じたわけではない。ふたりには傷つけてほしくなかったし、傷ついてほしくなかったから、待機を命じたのだ。もうひとつ、ひとりで戦いたい理由があったが、あくまでそれは二の次だ。

 カリナは言わずもがな、レンもできれば戦闘を避けたいと思っているだろう。昨夜、レンは言っていた。愛する少女が殺さないでと泣いていた、と。それは今でも尾を引いているはずだ。

 だからツキクサはひとりで戦うことを選んだ。

 抵抗なく戦闘に身を投じることができるのは自分だけだったし、こんな〈国政補佐官〉でもない〈エボルバー〉相手なら、どれだけ群れたところで相手にならないからだ。

 勝利を確信しているからひとりでの戦闘を望んだが、傍から見れば、ツキクサはさぞ滑稽に見えていることだろう。当然だ。大多数の観客にしてみれば、ツキクサは実力を知らない誰かさんでしかないのだから。一方のラルクスは、相当な手練れとして某所に勇名を轟かせているようだ。観客がツキクサに向ける憐憫を含んだまなざしが、彼の知名度と腕前を物語っていた。

「腕慣らしには悪くない相手だな」

 明日からは最終試練、ウォーミングアップにはちょうどいい。

「正気ですか」

 そう淡白に問いかけてくるのは、凛冽たる雰囲気を揺蕩わせる弓筒を背負った少女だ。ツキクサが唯一警戒している相手でもある。

「あぁ、正気だよ。それより君、弓使いなのにこんな近くにいていいのかい?」

 恐怖を刺激する声色を選んだ。すっと目を細めると、少女はぶるりと背筋に冷水でも流されたかのように身体を縮こまらせた。大したことないなと、ツキクサは表情には出さず安堵した。

「後悔しても知りませんから」

 そう吐き捨てて、少女は後方に走っていく。遮蔽物のない弓兵はさほど脅威にならないので、優先順位は低い。屈服させるのは最後で問題ないだろう。

「お前、知らないのか。ラルクスは百発満中の異名をもつ衛兵だぞ」

 鉄パイプを一定の間隔で手に当てながら、筋骨隆々な男が問いかけてくる。見た目だけで判断するなら、この男は一番の強敵だろう。顔に深く刻み込まれた創傷がそう思わせるのか。

「知っているとも。その上でこうするのが妥当だと思ったんだ。なにか不満でも?」

「……なるほど。相当な強者と見た。背後のヤツから殺ろうと思ったが、まずはお前を倒した方がよさそうだ」

 言って、鉄パイプを構える。その隣では、ラルクスが目を閉じて深呼吸を繰り返している。弓兵の少女も充分な距離を確保したようで、早速弓矢を弦に引っ掛けていた。

「では、はじめようか」

 ツキクサの剣とラルクスの槍が絡み合う轟音が響き渡った。


 ――開始から二分が過ぎようとしていた。

「はぁはぁ……あぁッ!」

「どうした。百発満中の異名はこの程度か」

 会場の誰もが息を呑んでいた。

「ウオオォォォ!」

「そんな単調な攻撃では、いつまでも僕を捉えることはできないよ」

 三対一。火を見るよりも明らかな多勢に無勢。

「弓矢も同じ。ワンパターンだ。〈エボルブ〉に頼りすぎなんじゃないか」

 ――ツキクサが優位に立っていた。

 槍を受け流し、鉄パイプを受け止め、弓矢を弾き返し。

 ただの一度も被弾していない。すべての攻撃を見切ったように防いでいる。

「ふぅふぅ……ハアァ!」

 ラルクスの攻撃の手はまるで緩められる気配がない。乱舞の如く刺突される槍は、常に一定の鋭さを保っている。言い換えれば、一瞬として手抜かりがない精密な突きと言える。

 そんな彼に備わる〈エボルブ〉は圧縮だ。

 故に彼の槍は百発百中を可能とする。自身と相手との間に満ちる空気を圧迫、あるいは弛緩すれば、常に自分にとってベストな距離感で槍を突くことができる。

 しかし、空気圧の変化になど並大抵の人間には気づくことができない。戦闘に没頭している間は、彼我の距離が近づこうが遠のこうが気づかないものだ。

「ん」

 鞘で刺突の嵐を凌いでいると、目にも止まらぬ速さで弓矢が迫りくる。が、認知された時点で弓矢は凶器としての効力を失う。身体を軽く捻ってかわ――そうと思ったが、背後にレンとカリナがいるので、やむなくもう一本の刀を引っ張り出して弓矢を叩き落とす。

「こいつを使うつもりはなかったんだがな」

 想定以上に相手陣営の連携が強固なため、ツキクサひとりで三人の相手をしてかつ、後ろにいるレンとカリナを守るのはやや厳しい。

「……悪い。弓矢はまかせていいか」

 失って出し惜しみを後悔するのは御免だ。できれば最後まで頼りたくなかったが、「もうひとりの仲間」の力を借りることにする。

 ツキクサの問いかけに呼応し、かたかたと刀が揺れ動く。すると刀はツキクサの手を離れて宙に浮かび、まるで守護するようにツキクサの周囲を旋回しはじめた。

「な、なんだよそれ」

 と、驚愕の声を上げる鉄パイプの男は、平衡感覚を一時狂わせる〈エボルブ〉を宿している。

 男の戦闘技術こそ突出したものはないが、この力はわかっていても対処のしようがない厄介なものである。だから、最初に倒すのはこの男だとはじめから目途をつけていた。

「『万夏ばんか』、ラルクスの相手はまかせた」

 一見すれば『水鳴』と変わらない姿形をしたツキクサのもうひとつの愛剣――『万夏』。しかし『万夏』は性能面では『水鳴』と大きく異なり、そのひとつは独立行動を可能とすることにある。その戦闘力はツキクサに比肩するほどである。また『万夏』にはもうひとつ大きな特徴があるのだが、この戦いでその力が解放されることは恐らくないだろう。

「おいおい、俺はコイツと戯れてろってか」

 ツキクサの胸元めがけて槍が突き出される。が、『万夏』が側面から衝突したために軌道が大きく揺らぎ、槍は遠心力のままにしばし中空を彷徨った。ラルクスの顔に喜色が浮かぶ。

「どうやらただの玩具じゃねぇみてぇだな」

 ラルクスの興味が『万夏』に向いた隙に身を翻し、やや離れた場所からせせこましい妨害を繰り返してくる鉄パイプの男の元に疾駆する。

「ひっ……、く、くるなぁ!」

 ひとりであるために防戦一方となっていたが、ふたりとなった今なら、簡単に場を制圧することができる。

 男の間合いに入る直前、牽制するように矢が飛んできた。

 防ぎ、弾き、叩き落とす。正確無比な三連射だが、脅威にはならない。死角を突くことのできないこの場において、弓矢でイニシアティブを取ることは不可能と言ってもいい。もっとも彼女が狡獪で、はじめからレンとカリナに狙いを絞っていたのなら話は変わっていたが。

 素材補強の〈エボルブ〉を宿す少女は、決まって弦の質を上げていた。

 そのために、高速で矢を射ることや三本の矢を同時に放つことが可能になっていた。どちらも月並みの弓にはできない芸当だ。

「悪いがここで退場してもらうよ」

 遠目に少女を見やる。無数の弓矢を弦に番えて今にも放とうとしている。

 ――右目の視界が霞んだ。

 少女が突然慌てふためく。弦が負荷に耐えきれずに切れたようだ。

 これで彼女は敗北したも同然だろう。弓幹や弓矢を補強し近接戦にシフトすることもできるが、即座にそう判断できるほどの機転が少女に備わっているとは思えない。――まずはひとり。

「降参することを勧めるがどうする」

 振り返り、鉄パイプの男に鞘を突きつける。

「……わかった。お前さんの言うことに従えばいいんだな?」

 鉄パイプを捨てて、男はいやにすんなり投降の意を示した。

「そうか。……無駄な抵抗したらわかってるよな?」

「んなことしねぇよ」

 言った直後だった。

 地面が溶け落ちたような感覚を覚えた。足がふらつき、体勢が崩れる。

「なんてな。お前さん、ちょいと人が良すぎるんじゃないか?」

 男の顔には醜悪な笑みが張りついていた。表情から推測するに、男は虚を突いたと思っているのだろうが、ツキクサはこの男がこの状況で〈エボルブ〉を使わないはずがないと確信していたので、まるで焦燥は生じなかった。

「忠告はしたからな」

 ――右目の視界の霞みが強まった。

 地面が平素の盤石さを取り戻した。ツキクサは体勢を整える。もう妙な感覚はない。

 一方の男は、鉄パイプを振りかぶったまま、地面に吸い寄せられるように転倒した。

「は? なんで俺が転んで――」

「嘘はよくないって、子どもの頃に学ばなかったか」

 振りかぶった鞘で、首筋に力強い一撃を見舞う。男は筋骨隆々で首が太かったため、意識を奪うためには手荒い一撃を加える必要があった。

「かッ……」

 白目を剥いて、男は卒倒した。――これでふたり。

「あとひとり」

 ぼそりとつぶやき、ツキクサは硬質な音色の奏でられる方角に首を巡らす。

「ちっ、なんだよコイツ……ッ」

『万夏』が優位に立っていることは明白だった。

 劣勢から脱しようとラルクスが突きを放つがそれは空を切るばかり、木の葉のように不規則な動きで宙を彷徨う鞘のついた剣を掠めることさえも叶わない。

 隙をついてはカウンターに転じる『万夏』だが、ぺちんぺちんと、腹部にも頭部にも腑抜けた反撃をするばかりで、ついぞ決定打となることはない。

 嘲弄するかのような『万夏』の動きにラルクスは業を煮やし、ますます洗練された突きを放つ。が、やはり『万夏』を捉えることはできずに、同じような展開が繰り返される。

「ありがとう。僕の意を汲んでくれて」

 会場の誰もが釘付けになっていた。

「あのラルクスが手も足も出ないのか?」「あんなの反則じゃねぇか」「マジで一対三で勝っちまうよアイツ……」「よかったぁ、相手があの人じゃなくて」

 誰もがツキクサの実力を認知した。畏怖している。戦いたくないと思っている。

 狙い通りの展開だ。

 ツキクサは地面を蹴り上げ、猛然とラルクスに迫る。ツキクサの接近を感知したラルクスだが、感知したところで、『万夏』に防戦を強いられる状況が一転することはない。

 ラルクスの懐に身を忍ばせ、ツキクサは冷然と微笑んで言った。

「悪いな、二回も気絶させることになってしまって」

 もっとも、ラルクスは第一試練でツキクサに気絶させられたことを覚えていないようだが。

 ――右目に映る世界が半分閉ざされた。

 驚愕に歯を噛み締めながらも、ラルクスはツキクサに一矢報いようとする。さすがは名を轟かせる衛兵と言ったところか。その勇敢な姿勢に、ツキクサは心の中で敬意を示した。

 ラルクスが槍を刺突する――が、それはツキクサの銀髪をそよと揺らすことしかできない。

 側頭部に鞘をぶつける。前傾姿勢になっていたラルクスは、そのまま地面に倒れ込んだ。

「どうする。君ひとりで戦うかい」

 背後まで迫っていた弓使いの少女に問いかける。弓矢を握りしめていた少女だが、ふるふるとかぶりを振って弓矢を投げ捨てる。

「わたしたちの負けです」

「うん。それでいい」

 緊張を解いて頬を和らげる。ツキクサだって、できることなら誰とも戦いたくないのだ。

「試合終了です」

 運営のアナウンスが入り、ツキクサチームの勝利が確定した。

 信じられないとばかりにあんぐりと口を開く観客に、ツキクサは剣を突きつける。意識的に冷徹な表情を作り、傲慢さの滲む声色を選んで言った。

「誰が相手だろうが、僕は容赦しない。〈祝祭〉を求める以上、明日の最終試練で僕と戦うことは避けられない。命が惜しいなら、第三試練終了後に辞退することを勧めるよ」

 しんと、会場が静まり返る。野次を飛ばす人はいない。誰もがツキクサの実力を認めたからだろう。

『万夏』が懐に収まる。労いの意を込めて柄をそっと撫でて、後方で待つ仲間の元に足を運ぶ。

「悪い。少し時間をかけすぎたかな」

 レンとカリナは揃って苦笑する。

「俺、お前とだけは絶対戦いたくねぇわ」

「オレたちはお荷物でしかねぇから、待ち惚け喰らったってわけだな……まぁ、こんなパフォーマンスされちゃあ納得せざるを得ないんだけどさ」

「それは違うよカリナ。ふたりを大切に思っているから、待機するよう命じただけだよ」

 身体が発光に包み込まれる。転移の時が近いようだ。

「じゃあ、また後で」

 そう自発的に声をかけたのは、はじめてのことかもしれない。

 ふたりとの関係をここで終わらせたくないと思う自分がいた。今回はいつにも増して、刹那の友人に肩入れしてしまっている。

 今回の試練にしてみてもそうだ。三人で戦いに挑めば、間違いなくもっと楽に試練を終えることができた。そう理解していたが、ふたりが傷つかない選択を優先した。迷いはなかった。それが当然の選択だと、内側にいるもうひとりのツキクサが主張していた。

「おう。すぐ探し出すぜ」

「目開けて昨日と同じ部屋にいりゃあ、探す手間が省けていいんだけどなぁ」

 カリナの嘆きに、レンが悪戯な微笑を返す。

「なんだかんだ、俺らのこと仲間だと思ってくれてんだな」

「は? なに今更なこと言ってんだよ。オレたちはとっくに友だちだろ?」

 沈黙が満ちた。

「……え? オレ、なんか変なこと言ったかな?」

 なにもおかしなことは言っていない。ただ、カリナがあまりに自然な流れで口にしたものだから。純粋な彼女が、さらっとツキクサとレンは『友だち』だと口にしたから。

 カリナにとってはなんでもないその言葉は、ツキクサとレンにしてみれば特別なものだった。

 狼狽するカリナになにも声をかけられないまま、転移の瞬間が訪れる。

「……ふたりとは戦いたくないな」

 白が視界を埋め尽くす中で転げ出たその声は、いやに情感を含んでいた。


 こうして、ツキクサは第三試練を終えた。

 六人全員が生きたまま試合を終えたのは、先にも後にも第七戦だけだった。


 ◇


 転移先は見慣れた個室だった。第一試練終了後に使用した部屋とよく似た構造をしている。が、部屋を出てまもなく、この部屋は先日使用した部屋とは別の部屋だと理解する。

「驚いたな。まさかこんな近くにいるとは」

 ちょうど部屋から出てきたレンと鉢合わせた。前回向かいの部屋にいた人物はよく覚えていないが、少なくともレンでなかったことは確かだ。

 隣の部屋の扉が開いた。カリナだった。

「なんだ、実質同室みてぇな距離にいるじゃねぇか。……で、誰の部屋に集まるんだ?」

 それから三人はレンの部屋に集まり、食事をしたり、他愛のない話をしたり、そんななんでもない時間を過ごしながら、第三試練が終了するのを待った。楽しい時間だった。

「ただいまをもって、すべての試合が終了いたしました」

 部屋の上部にあるスピーカーから流れる音声に、三人は口を結んで耳を傾ける。

「最終試練出場者は、計十七名となります」

 それくらいに絞られるだろうなとは思っていた。その中、あるいは脱落したが〈地下〉行きになった参加者の中に、モモエが含まれていることを祈るばかりだ。

「明日の最終試練の内容は、参加者の中に紛れた〈国政補佐官〉の討伐です」

「っ」

 息を呑んだ。

「〈国政補佐官〉……ってあれだよな、なんかすげぇヤツしかなれないっつー」

「まぁそんな認識で間違ってねぇな。しっかし、そんなすげぇヤツが混じってるとかおっかねぇことするなぁ運営さんも。……すげぇヤツ?」

「見事討伐された方に、〈祝祭〉の権利を譲渡いたします。最終試練は、明日の午前十一時より行わせていただきます。また、今試練につきましては、試練開始前に辞退用の〈転移装置〉を用意いたしませんので、ご了承のほどよろしくお願いいたします」

 ツキクサは顔をしかめた。これでは第三試練でのパフォーマンスが水の泡だ。

「重ねて注意事項となってしまい申し訳ありませんが、試練時間外での暴力行為は一切禁止とさせていただきます。発覚次第、最終試練参加権利剥奪の処置を取らせていただきますので、くれぐれも粗相のないようお願いいたします。……それでは皆様、明日の試練に備えて英気を養ってください。運営からの連絡は以上です」

 アナウンスが終わり、部屋に静謐が沈殿する。

「なぁツキ」

 しかしそれは、刹那の出来事。レンの問いかけで、沈黙はすぐに攪拌される。

「そうだよ」

 レンがなにを問いたいかは聞かずとわかる。ツキクサも嘘をつくつもりはない。

「僕は〈特別国政補佐官〉だ」

 言った直後、レンとカリナの顔が目に見えて凍りついた。

 まったくべガルアスはなにを考えているのか。そう不満を募らせたところで、ツキクサに抗弁する権利が生まれることはない。〈特別国政補佐官〉であるツキクサには、国王への助言や助力は認められているが、異見することは認められていない。あくまで国政を補佐するが故に、〈国政補佐官〉という肩書きがつけられているのだ。

「つ、つまりなんだ」

 あたふた身振り手振りを交えながらカリナが口を開く。

「願いを叶えるためには、ツキクサをぶっ倒さなきゃなんねぇってのか?」

「そうなるな」

 一対十六の戦いになるかもしれない。今日の試練で腕慣らししておいて正解だった。

「いや、できるわけねぇだろそんなこと。友だちを傷つけられるかよ」

「そう思っているのなら、明日は無駄な抵抗をしないでほしい」

 視線の矛先をレンに変える。

「レンも同じだ。僕はふたりを傷つけたくない」

「いいや、俺は諦めねぇぜ」

 逡巡はなかった。

「サユを生き返らせるために、てめぇの命を賭けるって決めてんだ。ツキが相手だろうが、この願いだけは諦めるわけにはいかねぇ」

 ツキクサを射抜く瞳は、断固たる決意に満ちている。敵愾心に燃えている。

「レン……」

 戦いは避けられないと悟って胸が痛んでしまうほどに、レンとの絆は育まれていた。はじめて『友だち』と呼べる相手と巡り合えた気がした。

 けれど――

「おいおいなんだよ、柄にもなく泣きそうな顔しやがって。……ツキ、俺たちは仲間だが、いずれは〈祝祭〉を巡って殺し合う宿命にあったんだ。……まぁお前さんがターゲットの〈国政補佐官〉じゃなくて、俺とツキとリナの三人で共闘できたらよかったなぁとは思うけどよ」

 弱々しく叶わぬ理想を紡ぎ出し、視線を床に落とす。

「……けど、嘆いたってどうにもなんねぇ」

 しかし顔を上げればその弱さは霧散し、なんとしてでも悲願を遂げようとする覚悟の顔つきになる。

「前に話したが、俺は元暗殺者だ。お前のその命、本気で掠め取りにいくから覚悟しろ」

 こうなったらツキクサも覚悟を決めるしかない。ツキクサにだって、レンと同じように救いたい大切な人がいるのだ。そのために、〈特別国政補佐官〉という国家の犬を演じてきた。まもなく集大成だというのに、こんなところでうかうかと死んではいられない。

「僕に挑んだことを後悔するなよ」

「ご忠告どうも、〈特別国政補佐官〉さん」

 これまでの信頼関係はなんだったのか、と言いたくなるほどにふたりは激しく睨みつけ合う。

「お、落ち着けってふたりとも! 試練は明日からだろ? それまでは仲良くやろうぜ? な? っていうかよぉ、倒すのは〈国政補佐官〉ってヤツで――」

「カリナはどうするんだ?」

 なんとか仲裁を試みようとする心優しい明日の敵に問いかける。

「オレ? オレはツキクサとは戦わないよ。友だちを傷つけてまで叶えたい願いじゃないし。面倒だけど、地道に自分の手で村を復興させていくよ。遠回りも嫌いじゃねぇからさ」

 にっと無邪気に歯を光らせる。この期に及んでも、カリナはカリナのままだった。

 ツキクサは確信する。――自分はこの子に剣を振るえない。

「そんな甘い姿勢でやり過ごせる世界じゃねぇよこの先は」

 カリナを突き放すような、ひどく冷たい声色でレンは言った。

「じゃあなんだ、リナは明日の試練でツキの護衛でもすんのか」

「あたりまえだろ。友だちなんだから」

 臆さずカリナは言い返した。いつもの強気なカリナだった。

「お前、自分がなに言ってんのかわかってんのか? ツキは敵なんだぞ?」

「誰もそうは言ってねぇじゃねぇか。〈国政補佐官〉ってヤツがターゲットなんだろ? ツキクサは自分が〈特別国政補佐官〉だっつってた。そうだよな?」

 視線で問うてくるカリナに、頷きを返す。

 確かにその通りだ。ただの簡略化という可能性が高いが、あるいは……。

「つまりなにが言いてぇかっつーとさ、ほかにいるんじゃねぇかって思うんだ。〈国政補佐官〉ってヤツがさ」

 絶対にないとは言い切れない可能性だった。それに、べガルアスからツキクサになにも連絡が入っていない。ツキクサに一参加者としてではなく、〈特別国政補佐官〉として立ち回ってもらいたいときは、あらかじめべガルアスから指示が届くのだ。単に連絡が遅れているだけかもしれないが、用意周到なべガルアスが未だに連絡してこないというのはやや妙である。

「そう言い切れる根拠は?」

 依然、レンは猜疑心を募らせたままだ。

「え?」

「それはリナがそうあってほしいっていう願望だろ。ツキは〈特別国政補佐官〉。〈国政補佐官〉の中でも上位の存在ではあるが、〈国政補佐官〉であることには違いない。間違ったこと言ってるか?」

 至極もっともで論理だったレンの反駁を、しかしカリナはため息ひとつで一蹴する。こめかみを抑えてゆるゆるかぶりを振りながら言った。

「はぁ。……レン、お前ちょっと頭冷やした方が――」

「あぁ、レンの言うことは正しいよ」

 カリナの茶々を遮って言った。

 ツキクサが敵になっても、ふたりは仲間だ。くだらない理由で仲違いしないでほしい。

「じゃあ、僕は退席させてもらうよ。短い間だったけどありがとう。楽しかったよ」

 いつ以来だろう。繕ったものではない、心からの微笑みを浮かべることができた。

「……あぁ、ありがとな」

「何言ってんだよツキクサ。オレたちは友だちじゃねぇか。オレたちは三人でひとつの――」

 カリナが言葉を紡ぎ終えるより早く部屋を後にした。

「……後悔なんてないさ。僕にとってなにより大切なのはキノカだからね」

 キノカか友だちか。どちらを選ぶのかと迫られてキノカを選んだと思えば、なんてことはない当然の選択だ。迷うはずなんてない。後悔なんてするはずがない。なぜならツキクサにとってはキノカがすべてで。ほかはすべてどうでもよくて、そうやって長年過ごしてきて……。

「あぁ、くっそ」

 そう自分に言い聞かせてきた。そうしないと、〈特別国政補佐官〉という鍍金が剥がれてしまいそうだったから。

「友だち、か。……キノカも欲しかったよな。俺だって欲しかったんだから」

 ベッドに仰向けになり、ツキクサは弱さを吐き出す。雑念を吐き出す。

 すべては明日のために。キノカを救うための最終プロセスを踏みしめるために。

 明日で〈特別国政補佐官〉として過ごす日々も終わりを迎える。

 そう思うと、胸がすっと軽くなった。

「慌てるなよキノカ。もうすぐコンソメスープ煮上がるからさ。……野菜を入れる……のは、それから…………だから」

 ツキクサの意識は、瞬く間にいつかの思い出の中へと吸い寄せられていった。


 ◇


 がさがさと布団の擦れる音がして、ツキクサは目を覚ました。

 隣を見やれば、夜目が効いていないツキクサから見てもはっきりわかるほどに、布団が盛り上がっている。そこに誰かいることは間違いなかった。

(『万夏』が対処していないということは、知人か誰かか?)

 ツキクサに危機が迫れば、『万夏』が自動で退ける。その『万夏』が壁に寄りかかったまま微動だにしないことが、闖入者の安全性を裏打ちしている。

 もぞもぞと布団が動く。目が暗闇に慣れてきたおかげで、ツキクサはそこに誰がいるのかわかっていた。というのも、布団から唐紅のサイドテールが飛び出していたからで。

「なにしてるんだカリナ」

「っ」

 息を呑んだ気配がしたかと思えば、すぐさまガバっと布団が浮き上がって、カリナがご機嫌斜めな顔を向けてくる。気にせず電気をつける。

「なんで起きんだよ! 脅かそうと思ってたのに台無しじゃねぇか!」

 理不尽な言い分だった。起き抜け早々のバイタリティに富んだカリナの声は、少々刺激が強すぎる。入り口横に浮かび上がる時刻を確認すれば、「01:13」を示していた。

「……」

 道理で眠気と疲労が抜けきっていないわけだ。早朝というより深夜の時間帯だった。

 頭の後ろで手を組み、カリナは興が削がれたと言わんばかりのふくれっつらをする。

「異性が夜這いしてきたっつーのに、顔色ひとつ変えねぇんだもんなぁツキクサは」

「兄の矜持だ。俺はキノカの幸せを見届けるまで、色恋沙汰には一切首を突っ込まない」

「へ?」

 ぱちぱちとカリナが瞬きを繰り返す。

「……」

 つい素で本音を吐露してしまった。〈特別国政補佐官〉になってから、はじめて人前で失態を演じた気がする。こほんとわざとらしく咳払いし、落ち着いて話題を切り出す。

「それでこんな夜中になにしにきたんだ?」

「キノカ……まぁ、誰にだって秘密のひとつやふたつあるよな。ツキクサだって人間だし」

 うんうん頷くと、カリナはあぐらをかいて腕を組み、ツキクサの質問に応じる。

「えっと……あっ、どうしたらツキクサみてぇに強くなれるのか教えてもらいたくてきたんだ」

「なるほど」

 それは建前で真の目的が別にあることは明け透けだが、眠気覚ましも兼ねて少しだけカリナの苦肉の策に溺れることにしよう。

「カリナはどうして強くなりたいんだ」

「強くなりてぇから、強くなりてぇんだ」

 無茶苦茶な理屈だった。

「……話は変わるが、カリナは第一試練で何人倒したんだ」

「……三人」

 急に暗いトーンになったのは、そのときの光景が脳裏に浮上したからだろう。

 少し驚いた。カリナは一度も武器を振るったことがないと思っていた。

「それは正当防衛のような形で?」

「まぁ、そうとも言えるな。襲われてるヤツを救うことを正当防衛っつてもいいのなら」

 この返事は予想通りだった。暴力に頼らざるを得ない状況に陥らない限り、カリナの戦斧が真価を発揮することはないのだろう。

 カリナは優れた〈エボルブ〉も宿している。本腰を入れて戦闘訓練をすれば、かなりの実力者となれる可能性を秘めている。が、彼女の優しい心根がそうなることを許さないのだろう。

 宝の持ち腐れだと非難するつもりはない。ツキクサは、カリナには今のカリナのままでいてほしいと思っている。善良。その性向は、今となっては絶滅寸前の稀有なるものだ。

「……あのさツキクサ」

 そっぽを向いて、ぶっきらぼうにカリナは言った。

「なんだ」

「その、さ……明日、本気でレンと戦うつもりなのか?」

 視線が向けられる。眉根を寄せて悲しげな顔をしていた。どこまでも優しい子だと思った。

「そうせざるを得ない状況になったならね」

 正直な気持ちを口にすると、カリナは項垂れるように俯いた。

「……こんなの間違ってる」

 小さなつぶやきだった。

「〈祝祭〉を勝ち取れるのがひとりである以上、競り合うのは仕方ねぇことだ。けどさ、だからって死んじまうのは違うだろ。ここにいるヤツらはみんな〈エボルバー〉なんだろ? せっかく選ばれたんだからさ、その力は誰かのために使うべきだろ。……傷つけるために使うのは、おかしいじゃねぇか」

「カリナ……」

 声を震わせながら主張し、持ち上げられた瞳は、儚く揺らぐ涙の膜に覆われていた。

「今日死んでいったヤツらはさぁ、そこまでして叶えたい願いがあったのかなぁ。命を賭してまでほしいものあったのかなぁ。……だとしても、オレには理解できないよ。生きてるだけで充分幸せなことじゃねぇか」

「そうだな」

〈祝福の日〉に多くの人が死んだ。今生きている人は、生きているだけで幸運だと言える。

「ごめんなツキクサ。オレ、なんとかレンを説得しようと試みたんだけどさ。その、オレって馬鹿だからさ、うまく説得できなかったんだよ」

 両目から滴り落ちる涙を拭いながら、申し訳なさそうに言ってくる。

「仕方ないよ。レンの願いは、〈祝祭〉に頼らないと叶えられないものだからさ」

 それはツキクサも同じだった。だから〈特別国政補佐官〉になった。

「……いやだ。ふたりに戦ってほしくないよぉ」

 第三試練で死を身近に意識したことが響いているのか、カリナは非常にナイーブな状態になっている。しかし、自分の死ではなく友人の死を危惧して涙するところがなんともカリナらしく、その純朴たる想いがひしひしと伝わってくるものだから、ツキクサまで胸が苦しくなってしまう。そっと抱擁して、ツキクサは自身に課している制約を声にする。

「大丈夫。僕は誰も殺さない。レンは死なないし、カリナも死なないよ」

 何人も〈地下〉送りにはしてきたが、一度として命を奪ったことはない。試練中に『水鳴』の剣身が閃いたことは、一度としてなかった。

「わかってるよ、ツキクサは誰も殺さない。気絶させるだけに留めるって。でもさ、レンはそうするとは限らないし、周囲のヤツらもそうするとは限らねぇだろ?」

「問題ない。何人相手だろうが、僕が負けることは万にひとつもありえない」

 ただの〈エボルバー〉に負けては、〈特別国政補佐官〉の名折れだ。

「はは、ツキクサが言うと妙な説得力があるな」

「あたりまえだろ。俺は誰にも負けねぇよ」

「なんかキャラ変わってねぇか?」

「気のせいだろ」

 カリナの直向きな想いが、素のツキクサを呼び起こしただけだ。

「村の復興だったよな。カリナがしたいのは」

「ん、そうだけどそれがどうした?」

「悪いが〈祝祭〉だけは誰にも譲れないんだ。だから約束するよ。この先カリナが困ったら、俺は迷わずお前に手を貸す。とりあえずはそれで手を打ってくれないか?」

「……ほんと、いいヤツだなお前は」

 背中に回された腕に力が込められた。

「なら、涙が止まるまで胸を借してくれ」

「お安い御用だ」

 少しでも早く涙が止まるようにカリナの頭を撫でていると、入り口の扉が開いた。

「ツキ、起きて…………」

 レンだった。こちらを見て絶句している。

「え、お前らいつの間にそんな関係になって――」

 ばちんと乾いた音が響いた。『万夏』がレンの頭頂部を叩いた音だった。

「いってねぇな! 否定するにしろ、もうちょい優しくしようとかいう心意気はねぇのかッ!」

 ふんすふんすと鼻息を荒くするレン。『万夏』が勝手に動いただけなので、ツキクサに責任は……などと思っていると、『万夏』はふわふわツキクサの元に近づいてきて、カリナの後頭部でくるっと回転。すぐに乾いた音が耳を突いた。

「いっつ~……おいツキクサやんのかてめぇゴラッ! ぶっ殺すぞッ!」

 涙目で胸倉を掴み上げてくる。この涙はさっきまでのセンチメンタルの余韻ではなく、痛みで自然と浮かんだものだろう。

「ついさっきまで殺し合わないでって涙目で懇願してたのに……」

「るせぇ!」

 大層ご立腹のようだった。

「おいッ! 突っ立ってねぇで手貸せレン! 袋叩きにするぞ!」

「だな。こいつはお灸を据える必要がありそうだ」

「ふたりともさっきまで喧嘩してたんじゃ……」

 痛覚ほど人間の意識をささくれ立てるものはない。ふたり揃って強襲してくる。そんな暴走気味のふたりを撃退しようと『万夏』も輪に交わり、おかげでふたりの怒りの熱は、冷めるどこか増していく一方だ。この件に関しては、全面的に『万夏』に非がある気がした。

「それでレンはなにしにきたんだ?」

 一悶着が去ったところで、遅れながらにレンに問いかけた。

 三人はベッドに大の字になっていた。衣服は乱れて、身体から汗が噴き出して。寝る前なのに……などと不満がありつつも、ツキクサはそれほど悪い気分ではなかった。むしろ清々しい気分だった。胸のわだかまりは、綺麗さっぱりなくなっていた。

「優先順位を取り変えた。俺も明日は、リナといっしょにツキを守る方向で行こうと思う」

「おおっ! レンッ! お前ってばいいヤツだったんだなッ!」

 身体を起こすなり、カリナは興奮のままにレンの胸に飛び込んだ。

「ぐふぅ!」

 苦悶の声とベッドが軋んだ音が重なり、その音色をすぐさまカリナの笑い声が上書きする。

「よかったよかった! オレたちは三人でひとつだもんな!」

「お前がそんなに強く仲間意識を持ってたことが俺には一番の衝撃だよ」

 ふぅとため息をつき、柔和なまなざしをツキクサに向けてくる。

「まぁリナの説得が功を奏したってのもあるにはあるんだが、ふと思ったんだ。仮に友だちを犠牲にしてサユを生き返らせたとして、そん時にサユが喜ぶのかって。考える間でもねぇ。アイツは喜ばねぇだろうな。誰も殺さないでってサユに頼まれたあの日を除いて、俺はその言いつけを律儀に守ってきたワケだからな。それをサユは喜んでた」

 だからさ、と身体を起こし、レンは懐から二丁の拳銃を取り出す。黒光りする拳銃は知っているが、真っ白な拳銃ははじめて目にするものだ。

「俺は友だちを守る。サユに誇れる俺であるために」

「後悔しないか」

「するわけねぇだろ。てめぇが決めたことなんだからさ」

 シニカルに口の端を持ち上げる仕草は、ここ数日で見慣れたものだ。

「……まったく、自分の願いを捨ててまで僕を守ろうだなんてふたりは人が良すぎるよ」

「友だちなんだから当然だろ」

「あっ、それオレが言おうと思ってたのに。過去に戻って取り消してこい」

「んなことできるんなら、永遠に過去に留まってサユとイチャついてるよ俺は」

「さっきから言ってるその、サユ? って誰のことだよ。レンの恋人かなんかか?」

「嫁だが?」

「嫁!?」「お前、十八で結婚してんのかよッ!」

 ぎょっと目を見開き、レンは身体を仰け反った。

「……びっくりしたぁ。ツキでも驚くことあるんだな」

「そりゃあ僕も人間だからね。それにしても、まさか結婚していたとは……」

「婚姻したのは十歳の頃だけどな」

「十歳!?」「オレがお漏らししてた頃じゃねぇかッ!」

 それから小一時間ほど雑談に花を咲かせると、レンとカリナは睡魔に屈して眠ってしまった。自身の部屋に戻ることなく、ツキクサのベッドの上で……。

「ありがとうふたりとも」

 寝息を立てるふたりに毛布を掛けて、ツキクサはふたりに頭頂部を向けるような形で横たわった。歪な体勢だが、これも一興かなと思いそっと目を閉じる。すぐに安らかな眠りに落ちた。

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