海琉とのひととき
深夜の静けさが広がる街を歩きながら、茉莉はふと空を見上げた。冬の澄んだ空気の中、満天の星が輝いている。その美しさに心を癒される一方で、胸の中に小さな違和感が広がっていく。
涼和との打ち合わせは順調だった。しかし、音楽への終わりなき追求が、彼女の心を少しずつ蝕んでいるような気がした。
「やっぱり、あのコード進行は変えたほうが良さそうだな…」
茉莉は小さく呟きながら、自宅マンションのエントランスにたどり着く。エレベーターの中で深呼吸をし、気持ちを切り替える。部屋のドアを開けると、温かい光とテレビから聞こえるバラエティ番組の音声が彼女を迎えた。
「おかえり!今日はずいぶん遅かったな。」
ソファでくつろいでいた白石海琉が顔を上げ、嬉しそうに声をかけてくる。
彼は現在最も注目されている若手アイドルであり、茉莉の恋人だ。多忙なスケジュールの合間を縫って彼女の家に訪れ、半同棲状態にある。彼らの関係は極秘だが、そんな生活が少しだけ日常に馴染みつつあった。
「ただいま。」
茉莉は靴を脱ぎながら微笑みを返した。
「涼和さんのところ?」
「うん。曲を見てもらってたの。」
茉莉がリビングに入ると、海琉が立ち上がり、彼女の肩に手を置く。
「お疲れさま。俺には分からないけど、茉莉って本当にすごいよな。」
「海琉だってアイドルとして活躍してるんだから同じだよ。」
茉莉は笑いながらコートを脱ぎ、キッチンへ向かった。ポットに水を注ぎ、紅茶の準備を始める。
海琉は彼女の後ろからそっと抱きしめる。
「でもさ、俺が家で待ってるだけじゃ、茉莉の役に立ててない気がするんだよ。」
「そんなことないよ。こうやって家に帰ったときに海琉がいてくれるだけで、すごく助かってる。」
茉莉が振り返りながら言うと、海琉は少し照れくさそうに笑った。
「俺、本当に茉莉と付き合えてるなんて信じられないよな。」
「またそれ?何回目?」
茉莉が呆れたように笑うと、海琉は肩をすくめて冗談めかした口調で言う。
「だって本当だもん。俺なんかより、茉莉にはもっとすごい人が…」
「やめて。」
茉莉は少しだけ厳しい声で彼を遮った。そして、優しく微笑みながら続けた。
「海琉がいてくれるから、私は頑張れるんだよ。それだけで十分なの。」
彼女の言葉に、海琉の顔が一瞬輝く。
「…ありがとう。茉莉がそう思ってくれるなら、俺も頑張れる。」
茉莉は彼の手をそっと握りしめた。その瞬間、彼女の胸には温かいものが満ちていくのを感じた。
――しかし、この平穏な時間が長くは続かないことを、茉莉はまだ知らなかった。
二人はリビングのソファに腰を下ろし、肩を寄せ合いながら紅茶を飲んだ。テレビでは芸人たちが賑やかに騒いでいるが、二人にとっては心地よいBGMに過ぎない。
「なあ、茉莉。」
海琉が急に真剣な顔で口を開く。
「俺、茉莉とこうしていられることが、夢みたいなんだ。忙しくても、つらくても、茉莉がいれば全部どうでもよくなる。」
彼の言葉はまっすぐで、疑いの余地がないほど純粋だった。その瞳に映る茉莉は、まるで彼の全てを支える存在のようだ。
「…ありがとう。私も同じ気持ちだよ。」
茉莉は優しく微笑みながら、彼の肩に頭を預けた。
その瞬間、茉莉の中で音楽と恋愛というふたつの世界が交錯する。穏やかな日常と、終わりの見えない音楽の道。そのバランスをどう保つべきなのか、彼女はまだ答えを見つけられずにいた。
――星が輝く夜空のように、この時間が永遠に続けばいいのに。
茉莉はそう願いながら、そっと海琉を見つめた。
次回の更新は
1月22日(水)0時00分です!お楽しみに!