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「ごめん」
言って、仁美さんはわたしから目を逸らした。
「いつまでも一緒には居られないの。彩香には私だけじゃなくて、もっと広い世界を見てほしいから」
脳が理解を拒んでいるかのように、仁美さんの言葉が全く理解できない。
広い世界なんていらない。わたしの世界は仁美さんと一緒に居られるこの狭いアパートだけで充分なんだよ。
もしかして、やっぱり男のほうが大切で、話をはぐらかして厄介払いをしようとしてるの?
「仁美さんを困らせるような男よりも、わたしのほうが愛してるよ。それなのに、どうして離れようとするの?」
「……私、あなたを騙してた」
「え?」
「あなたが母親に捨てられて、残された父親からも虐待されていたのは以前から知ってたの。親戚でも噂になってたから。知った上で、あの日、ぼんやりと猫の死体を弄っていたあなたに声をかけて攫ったの。私なら可哀想なあなたをどうにか出来る。愛情を教えてあげれば助けてあげられるって」
何を言ってるの? わたしは仁美さんに愛されて変わったんだよ? あの日、確かにわたしは生まれ変わったんだから。
それなのに、どうしてそんな失望したような目で見るの?
「私が依存させちゃったみたいだね」
勝手にわたしを産んで捨てた母親や父親と同じように、仁美さんも勝手にわたしを拾って、手に負えないからって捨てるつもり?
「ごめんね。私なんかが誰かを救えるなんて、思い上がりだった」
仁美さんはこれまでで一番優しい、全てを慈しむ女神のような微笑みをわたしに投げかけた。
……そんなの、許さない。
そっちが勝手にするのなら、わたしだって勝手にさせてもらうから。
「あの男は仁美さんの綺麗な顔しか見てないよ。でも、わたしは違う。わたしは仁美さんがどんな顔をしてても愛してるよ」
「何を、言ってるの?」
女神の顔が引き攣る。
「これがその証拠だよっ」
言って、わたしは手に持っていたカッターナイフを思いっきり仁美さんの頬に突き立てた。
言葉にならない金切り声が部屋中に響き渡る。これまで見たことがないくらいに、仁美さんの顔が歪んだ。痛みに耐えきれないのか、陸に上がった魚のように縛られた体をジタバタと跳ねさせる。白い肌に刺さった刃を横にずらすと、真っ赤な血が溢れ出した。
「ほら、これでもわたしは仁美さんが好きだよ。少し傷がついたって、変わらず仁美さんは綺麗だもん。五月蝿い悲鳴だって、全部好きだよ」
わたしは血や涙や涎でぐちゃぐちゃになった仁美さんの顔を撫でる。わたしがつけた大きな傷に触れると、仁美さんはまた醜い悲鳴を上げた。
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