ひとでなし
3日後にマーメイヌ子爵家に顔を出すと憔悴した様子の子爵と婚約者の長女マーサ。そして、その妹がいた。
「準備はできているのであろうな」
子爵の内心は察して余るほどに苦渋に満ちているものの「どうか娘を、マリーエッタのことをよろしくお願いします」と頭を下げた。
ただただ娘たちを先行きを案じて父親が娘の頭を下げる姿に胸が痛んだ。
「妹をどうか、マリーエッタに無体をなさらないでください」
そう、つぎに婚約者のマーサが言った。
「オレの使用人として恥じないのであれば、めったなことはしない」
最後に、当のマリーエッタだけが暗く重苦しい空気のなかでどうしようもないことを理解しているのか大きく、そして快活に「よろしくおねがいします」と挨拶をして頭を下げた。
「オレはやさしい主だからな、さきに言っておいてやる。お前はもう貴族の娘として扱われることがないとまず自覚しろ。そして、これからはボウセイ家の使用人のひとりだ。いずれはオレ専属ということになるだろうが、姉のために精々懸命に励めよ」
そうだ。あくまで姉であるマーサのために働いてくれればいい。思いあまって毒殺とか考えられては目も当てられないから、お前には姉という人質がいるんだぞと予防線も張っておいた。
「はい。ボウセイ家のいち使用人として恥じない働きをしてみせます」
オレはマーサの妹の様子をみた。マリーエッタは貴族子女の常識としてこれまで長く伸ばしていた髪を短くしていた。髪型としては後ろ髪を顎のラインあたりで切って軽くしたおかっぱボブといったところか。
「身なりの心構えはできているようだな。行くぞ。馬車に乗れ」
オレは踵を返して馬車に乗った。マリーエッタは不安気な表情を浮かべる家族のふたりを振り返らずにそれに続いた。そこで、オレはいいこと思いついたとマリーエッタに声を掛けた。
「そうだ、貴様に最初の仕事をやろう。これを父親に渡してやれ」
オレは懐から傷薬を取り出した。
「これは一般にある傷薬のようにみえるが特別製だ。お前の父マーメイヌ子爵は体調が優れないと聞いてな。特別に調合させたものだ」
「え、あの」と妹君はオレからの思いもよらない気遣いに驚いた表情を見せた。
「勘違いするなよ」と、さも愉快だという表情でオレは続けた。
「これは実験的に調合されたもので効果の程がわかったものではないぞ。まあだがしかし、オレは実験の成果をしれて、貧相な子爵家は貴重な薬を得る。一挙両得。娘のための金さえ満足に用意できない子爵におあつらえむきだろう」
「ッ。あなたはっ……」マリーエッタはそこで言葉をとめて、口惜しいとばかりに顔を歪めた。
「どうした。何が不満だというのだ。お前が子爵をおもうのなら有難く頂戴して感謝を述べるべきところだろう」
これで確実に助かるとは限らないけど、なんとか用意したんだ。頼むから受け取ってくれ。
「なら、こうしようではないか。この特別製の傷薬が子爵に必要であるかどうか、お前が判断しろ。ただまあ」と、逆なでしそうな表情を必死に作って笑う。
「いまのままでは、子爵の命は長くはないぞ」と。
そして、明確な怒りを込めた視線を向けたマリーエッタと対峙することになった。
それから少し、ふと馬車の外を見た。
そこにあったのは家族の別れの情景。直視できずに馬車のなかで目を閉じて考える素振りで待った。
結局、マリーエッタは傷薬を手に取った。沸き上がった怒りに身を任せてもなにひとつ良いことがないと飲み込んだのだろう。マリーエッタは、オレの言葉の真偽が気になったのか子爵に詰め寄っていた。
そうして、さらにしばらく。抱擁している父と娘ふたりの姿があった。
「いつまでやっている。行くぞ」
馬車から声を掛けた。居た堪れない。娘を売らせる行為を強いた子爵への罪悪感でおかしくなりそうだ。けれど、まだやることが残っている。屋敷に戻ったオレは、ボウセイ家の執事を呼びだし、使用人を集めさせた。
「今日からここで奉公することになったマリーエッタだ。オレの婚約者の妹だが扱いは平民と同じだ。こいつもオレのそば仕えとするから、オレの使用人として恥ずかしくないように、ようく叩きこめ。いいな」
まるでデジャブだ。使用人たちの冷たい目がどこまでも、冷たい。ただ1人だけ後輩ができてうれしそうな猫人族の娘がいるが、それだけだ。
「マリーエッタ。お前はもう貴族ではない。ただの平民、使用人としてオレに仕えるがいい」
そう尊大に告げてから、その場を離れた。
叔父については事前に話を通していた。簡単なことだ。
「いまのうちに教育をたたき込み、いい具合に成長するなら、オレの妾にしてもいいとおもった」とクズ丸出しの発言をすれば、叔父は「好きにしなさい」とまったく興味をしめさなかった。
オレはひとでなしだ……。




