第4話 結局は顔
お腹も膨れて、ほどよい気だるさに満たされる。そのまま、またもやお布団よろしくダンボールの上で干されようとした。
けれど、鎖錠さんが目尻と口の端を下げて、働かないお父さんでも見るような蔑んだ目を向けてきたので、仕事しまーすとそそくさと隣の部屋に逃げ込む。
越してきたアパートは、築年数はそこそこだけれど、最近リフォームしたとかで部屋の中は真新しく見える。真っ白な壁紙に染み1つ見つけられない。
それでいて、家賃は築年数通りなのだから、ありがたやーと拝むばかりだ。なむなむ。
隣の部屋は寝室……というには、ダンボールばっかりで倉庫に見えなくもない。
壁には厚みのある直方体のダンボールが立てかけられていて、これが属に言う組み立て前のベッドというものだ。
見ているだけで面倒くさいけど、しょうがない。
「ちゃっちゃかやりますかぁ」
その辺に転がしていたカッターを手に取る。刃を出しっぱなしで手を切りかけたのには、胃がきゅっと萎んで冷たくなった。危うく、さっき食べたお蕎麦がじょばじょばんしちゃうところだ。
「くくく……今宵の村雨は血を欲しているぜよ」
「……はぁ」
なんだか、開けっ放しの隣の部屋からやるせないため息が聞こえてきたけど、気のせいということにしておいた。
チャキチャキ、と村雨丸の刃を調整して、ベッドのダンボールを開ける。
中から出てきたのはでっかい木の板とか、ネジとか、なんか色々書かれた説明書。
ほーん? と、鼻を鳴らして余裕ぶってみるけれど、こういうのは得意じゃなかった。プラモデルとか興味ないし、再燃したとかで流行っているらしいミニ○駆も走らせたことはない。
とりあえず、全部袋から取り出して、説明書を何度となく見比べながら、どうにかこうにか組み立てていく。
やっているうちに段々と楽しくなっていて……なんてことはなく、早く終わらせたいと作業が雑になるばかりだった。あ、ネジが斜めに。
「ふひぃー」
瞼を半分閉じて、額の汗を拭う。
部屋の角にはまるようにして出来上がった木組みのベッドを見ると、面倒とは思いつつも達成感があった。シングルにしては大きめで、2人で暮らしているのにベッドは1つ……なんだか足の裏がこそばゆくなってくる。
その上にえっさほいさとマットレスを置いて――バタリと、倒れ込む。
「ほひょひょ」
心地良く反発するスプリングに、子供みたいな声が出た。
18歳。今年で19にもなろうという、大人の階段を上るいい歳なのに。
でもこういうのは年齢なんて関係なくって、何歳になっても楽しいものだと、身体を跳ねさせては弾む感触を楽しんだ。
「うるさい埃がたつ……他に理由が必要?」
「……いらないです」
いたずらをした子供そのもののように怒られるところまでセットでなくてもいいとは思うんだけど。
しょぼーんと、そのままうつ伏せでベッドに力尽きる。大学に、ベッドの組み立てとちょっと疲れた。
「きゅうけーい」
そのまま目を瞑ると、呆れたような吐息が聞こえてきた。けど、咎められはしない。小言を口にするけど、鎖錠さんはなんだかんだと甘い。
ほっとくとなんでもやってくれるし……このままだとヒモになりそうで、それもいいかなって考えてしまう自分がちょっと怖かったりする。
働こうと、一瞬お腹に力を込める。
けど、今だけはとすぐに脱力する。両側から引っ張ってピンと伸びた紐が、瞬く間にたるむのを瞼の裏に見る。
ふにゃけていると、ギシッとベッドが沈んだ。
右側。丁度、顔を向けている側に、身体が少しだけ傾く。
目を開くと、そこには綺麗すぎる顔があって。
「……疲れた?」
「……別に」
いつもの素っ気ない返事。けれど、その顔は安心しきっていて、縁側で丸まって日向ぼっこをする猫にも見えた。
そんな気の抜けたような鎖錠さんを見ていると、無性に込み上げてくるものがあって、手が勝手に上を向く彼女の頬に触れた。
少し汗で濡れた、しっとりとた吸い付くような肌。ずっと触っていたくなる。
そんな僕の行為に鎖錠さんはなにも言わず、ただじっと、黒い瞳を向けてくる。その底のない深い瞳を見ていると、手だけじゃなく心の奥底にしまい込んでいたものまで引っ張り出されてしまって、つい、憂いが口から零れた。
「ねぇ、鎖錠さん……」
「……なに」
「本当に、これでよかったのかなって」
思うんだ。
結局のところ、僕がなにかしたわけじゃない。
鎖錠さんと一緒に居ただけだ。
高校3年間。
鎖錠さんと出会ってからの出来事は沢山あったけれど、僕がなにかしたことはなかった。ただ、流れるままに。まぁ、いいかと、受け入れてきた。
決断しない。踏み込まない。だって、面倒だし、疲れるから。
僕個人としてはそれでいいのだけれど、鎖錠さんのことを考えると濁る。透明だった池の水が、魚が暴れて土で汚れるように。
もっとなにかできたんじゃないか、とか。
僕がなにか行動を起こしていれば、もっと良い方向に物事は進んだんじゃないかって。
もっと、なにか……。そうすれば、鎖錠さんと母親だって。
けど、そのなにかは、今になっても僕はわからないままだ。
なにも変わらないことをよしとした自分に、もしかしたらという未練が付いて回る。
なにもしてこなかった癖に。後悔だけはいっちょ前にするなんて、格好つけているようで増々恥じ入る。
目を伏せる。鎖錠さんの顔が真っ直ぐ見られなかった。
「……よかったから。これで」
彼女の手が、僕の頬に触れる。最初は指先だけで産毛をなぞるように。次第に、覆うように手の平を押し付けてくる。
瞳を動かす。目の前にあるのは、後悔なんてなに1つないというように、穏やかな笑顔だった。
「リヒトがなにも求めてこなかったから、私はここにいる。
ただ、傍に居続けてくれたから、私は今こうしてリヒトに触れられているから。
だから、今も私は息ができる。
……あの時、呼吸の仕方すらわからなかったから」
頬から滑り落ちた手が、僕の手を優しく掴む。
「リヒトが私を拾ってくれたから、私は生きている」
そのまま導かれるままに、鎖錠さんの胸に触れる。
柔らかく沈み込む。情欲は不思議と湧いてこない。
代わりに、触れた部分から熱くなっていき、胸の奥から確かな心臓の音が手を伝って鼓膜を震わせた。どくんっ、どくんっ、と命の音に薄く瞼を閉じる。
安らぎを覚えて。ふ、と。重さなんてないはずの心が、少しだけ軽くなったような気がした。
「なら、……」
いっか、と。
そのままそよ風に揺られて、日だまりで眠るように意識を手放そうとした。
今日は良く寝られそうだと、呼吸を細くして……ふぎゅっとお腹を押し潰されて胃の中の空気を吐き出した。
「な、なに?」
閉じかかった瞼を目一杯見開くと、どういうわけか僕を仰向けにして鎖錠さんがお腹の上に跨っていた。
目を瞬かせていると、ジーッとチャックを開けて着ていた黒いパーカーをベッドの外に脱ぎ捨てる。
「ちょいちょい」
なにしてんのという僕の声は聞く耳持たず、ついで、中に着ていた白いシャツまで脱いでしまう。
ふくよかな胸を覆い隠すレースで飾られた黒い下着が外気に晒される。
なんとはなしに、この後の展開を予想した僕は、あー、と視線を逸しながら言う。
「疲れてるんだけど」
「……リヒトが悪い」
とん、と胸に手を添えられて、身体が震えた。拒否できそうにないなぁ。
それに、と鎖錠さんは笑う。
「やれば元気になるくせに。
――男なんて、そんなものでしょ?」
どこかで訊いたような台詞に、僕は諦めて嘆息する。
どうしてこうなったんだろうなぁ。
こんな美人と一緒に暮らすようになるなんて、昔の自分が訊いたら妄想乙なんて嘲笑するような現実が目の前にある不思議。
どうしてだろうと、迫ってくる鎖錠さんの顔を見て。
あぁ、そうかとようやく気が付いた。
僕はあの雨の日に、鎖錠さんを拾ったのが全ての始まりだと思っていたけれど、本当はそうじゃなくって。
マンションの住人の中で、唯一覚えていたその顔を忘れられず。
一目惚れなのか、顔が好みだったのか、記憶に残っていた理由はわからないままだけれど。
多分、きっと。
マンションの廊下で初めて鎖錠さんとすれ違い、一目その顔を見た時から、玄関の前でずぶ濡れで蹲る鎖錠さんを拾うのは決まりきっていて。
――結局、顔が良すぎるのがいけなかったんだよなぁ――
至るべくして至ったこの結果に、なんだかやるせない気持ちにはなるけれど。
いつものように、まぁいっかと折り合いを付けるのだけは上手くって。
ちょっと手を伸ばしただけで届く、鎖錠さんの赤い頬に触れる。
「……僕、鎖錠さんが好きだったんだなぁ」
「――――……な、」
2年越しの想いの返還。
それは独り言のような、酷い告白だったけれど。
まぁ、らしいよなって。緩い幸せに身を委ねながら、僕だけに懐いてくれた捨て猫を胸に抱き寄せた。
◆隣室の玄関前で顔の良すぎるダウナー系美少女を拾ったら、実は隣の席の不登校女子で、教室でお弁当を手渡してくるようになった。_fin◆
ここまでお読みいただきありがとうございます!
これにて、ダウナー系美少女完結となります。
こんな感じのラブコメを書いておりますので、
ぜひ他の作品も楽しみください!






