第2話 増えた荷物は相手のためで
引っ越しの作業があるからと、鎖錠さんは家に1人残った。
確かに、引っ越し作業はなかなかに切迫していたけれど、ここは持ち家で、引き払うわけじゃない。
入れ替わりで家族も戻ってくるんだから、まとめきれなかった荷物は後日送って貰ってもよかった。
高校最初で最後の卒業式。出席してもよかったと思うけれど、鎖錠さんの反応は冷めたものだった。
「興味ないから」
「あー……、そう」
昨日も訊いたし、出る時にも再三確認を取ったけれど、心変わりはないようだ。まぁ、今更出席したいと言ったところで、もう式は終わっているのだからどうしようもないんだけど。
少しばかり、しこりが残る。
「……高校は、リヒトがいるから行ってただけ」
僕を慮ってか、ダンボールの蓋を閉じた鎖錠さんが言葉を付け加える。
「私にとっては、そんなことより、新しい生活のほうが大切だから……」
「そっか」
頷かれる。僕は吐息を零す。
高校、というか、鎖錠さんにとって学校生活とは、青春の1ページでもなんでもなく、生きる上で余計なモノでしかなかったのだろう。
小学校、中学校については、今になっても訊けてはいないけれど、そう今と変わっていないんだろうなーと想像はつく。
行くには行って。誰にも興味も持たず、関わることもない。
それよりも、家のほうが鎖錠さんにとっては切実だった。
だから、高校は不登校だったんだろうし、僕が居なければ行くこともなかったんだろう。
鎖錠さんに必要ない、というか、高校生活を楽しんでいる余裕はなかったっていうのは、わからないでもないんだけど……。
なんだかなぁ、と思うのだ。寂しいと、感じてしまう。
僕とて、高校生らしい青春を送ってきたわけじゃないけれど、鎖錠さんとお弁当を食べたり、授業を受けて、時には怒られたりするのは、なんだかんだ楽しかった。学園祭で級友女子に女装させられたのも、今では良い思い出……のはずだ。そう思いたい。僕に告白してきた節穴男は今でも許さんけどな。
だから、ただ時間が経過しただけ、みたいな鎖錠さんの態度は、僕であっても琴線に触れて。
手に持った白い花飾りを、彼女の髪にそっと差す。うん、似合ってる。
ガムテープを持った鎖錠さんの手が止まる。顔を上げた。物言いたげな黒い瞳。
「……今、忙しいのわかってる?」
「鎖錠ヒトリさん」
構わず、僕は澄ました声で言う。
「――卒業、おめでとう」
「…………」
鎖錠さんが目を丸くする。ふへと、変な笑い声が込み上げてくると、「……バカ」と呟かれてしまう。
ばっかでーす、とおどけようかとも思ったけど、頭に付けた花飾りに優しく触れている鎖錠さんを見て止める。
目元に力がこもり、沸き立つ気持ちを噛み締めているように見えて。
僕は見ていないよ、という体を装って、新しいダンボールを作り始める。
ダンボールに詰めているのは、僕の物が多い。置いていく物もあるけれど、なにを? と、なかなか判断に困る。引越し先はそう広くないので、送っても結局捨てるなんてこともありえるし。
鎖錠さんは物が少ないので簡単に荷造りが終わる……とはいかない。
昔はそうだったけれど、今となってはそこそこ荷物が増えていた。
女子高生らしい物も増えている。服だったり、化粧品だったり。顔は良いのにファッションに興味がなかったことを考えると、随分な変わりようだ。
一番増えたのは料理道具だけど。
半ば趣味になっていて、今ではレシピを見ないで作るのは当たり前。キャベツの千切りなんて料理人顔負けの速さになっている。
…………まぁ、私物が増えたとはいえ、そのどれもが僕のためというのだから、時折、重圧に押し潰されそうになるんだけれども。
鎖錠さんを見ると、頭の花飾りに触れてフリーズしたままだった。
そんな思い耽るものかね。こっちが恥ずかしくなってくる。
なにより、これでは引っ越し作業どころじゃないと、両腕を上げて伸びをする。
「休憩でもしよかった」
「……帰ってきたばかりじゃない」
そうだけどね。
「手がつかないみたいだからさ」
「……誰のせいだと」
睨まれる。さぁ? と、両手を上に向けて肩をすくめておく。
コーヒーでも淹れると、キッチンに向かおうとしたけれど、「私がやる」と鎖錠さんに止められる。花飾りは頭に付けたままなのが、なんとも。
「たまには僕がやってもよくない?」
「私のほうが美味しく淹れられる」
「そうだけども」
まぁいいかと、カウンターに手をついて、コーヒーを淹れてくれる鎖錠さんを眺める。
なんとなく、こうしてキッチンに立つ鎖錠さんを見ているのが、僕は好きだった。
「……なに」
「べつにー?」
鎖錠さんが唇を固く結ぶ。
邪魔と追い払われると思ったけれど、言ったところで無意味だとでも思ったのか、手早く作業を始める。
ケトルでお湯を沸かしながら、コーヒー豆やドリッパーを並べていく。
前はインスタントだったけれど、しばらくしてドリッパーに変わっていて、コーヒー豆にもこだわるようになっていた。
僕がコーヒー派だから、という理由だけれど、僕自身はそんなにこだわりは強くない。今となっては鎖錠さんのほうが味にうるさいくらいだ。
そのうちサイフォンとかコーヒーメーカーを買うんじゃないかと思っている。
本質的に凝り性なんだろう。以前はそんな余裕なかっただろうし、そういう個性が表面化しているのは良い傾向だと思う。
コーヒーフィルターに粉を注いでドリッパーにセットした鎖錠さんが、顔を伏せたまま目線を向けてきた。
「……ほっぺ、どうしたの」
「ほっぺ?」
「絆創膏」
撫でると、そこには確かに頬とは違う感触があって。
「あーね」
そっと、顔を逸らす。ちょっと、訊かれたくなかったなぁ。
疚しいことでもあると思ったのか、瞳が細まり視線が強くなる。どうにも、鎖錠さんは僕がなにか隠し事をするのが許せないらしい。
なんでもかんでも知ったところで、幸せにはなれないと思うんだけど。
ただ、誤魔化したところで余計拗れそうだなと頬をかく。元々、隠しようもないし、隠す気もなかった。
でも、言いづらい。
「これは……あれ」
「だから、なに」
「昨日の夜、さ……。鎖錠さんが引っ掻いたというか、ぶつけたというかぁあー……ねぇ?」
「……わた、し?」
眉根を寄せて一瞬訝しんだけれど、僕の言わんとすることを察したらしい。
赤面し、真下を向いてしまう。
動揺からか手元が震えて、コーヒー粉が零れている。
「……ごめん」
「いやー」
なんだかこっちまで照れてしまい、耳たぶを撫でて明後日の方向を見た。






