第6話 母娘の対面。待つ彼。
三者面談が始まった日。
自宅に帰ってきた僕は、着替えもしないままベッドの上に倒れ込んでいた。
こんなことすると、鎖錠さんに『シワになる』と小言を言われるものだが、今日はいない。
いつも授業を受けたり、お弁当を食べたりしている教室。
そこで先生――そして、鎖錠さん母と話をしているところだろうから。
正直、帰らずにそのまま学校で待っていようと思ったけれど、
『家で待ってて』
と、言外に早く帰れと追い払われては、顔面をしわくちゃにしてとぼとぼ帰路につくしかなかった。
帰宅してからも、意識を学校に置いてきてしまったように落ち着かない。
ベッドに倒れ込んだまま、右に左に何度も寝返りを打つ。
「……~~っ」
手を伸ばして抱え込んだ枕に顔を埋める。
言葉にも、声にもならない苛立ちを吐き出し、枕が震えた。
どうなってるんだろう。
ちゃんと話せているのかな。
喧嘩とかしてないよね。
先生いるし大丈夫だと思うけど。
いやでもあの人頼りになるのかな。
でも、鎖錠さんは大丈夫って言ってたし。
けどでもだってそれがどうなって――
落ち着かない落ち着かない落ち着かない。
痒くもないのに全身を掻きむしる。ジタバタと手足を動かしてベッドを叩く。
僕が心配したところでもはや意味がないのはわかっている。
それでも、なにもしないでいるというのは、今の僕にとってはあまりにも難しかった。
だからといってゲームをする気にもならない。
この際、内から湧き上がる衝動を発散するために、大声を上げながら外を走り回ってこようかと思った時だった。
ガチャっと、玄関の鍵が開く音がしたのは。
うつ伏せだった顔を起こす。
腕立て伏せの要領で身体を持ち上げ、ドタドタと部屋を飛び出し、鎖錠さんを出迎えようとする。まるで、飼い主が帰ってきたのを尻尾を振って出迎える犬みたいだった。
そう思いつつ、ドアノブをグッと握り込み――ピタッと止まる。
こう、あからさまに気にしていましたよーって態度で出迎えるのは恥ずかしいことなのでは?
思う。
それに、もしかしたら、話し合いは上手くいかなかったかもしれない。
だというのに、僕が開口一番『どうだった!?』と根掘り葉掘り問い質すというのはいかがなものかと思うわけでして。
見方によっては野次馬。面白がっている第三者でしかない。
ゴクリッと、訊きたい欲求と興奮を唾と一緒に飲み込む。
落ち着けー落ち着けーと深呼吸。
あくまでクールに。なんでもないですよー気になってませんよーという体を装う。
僕からは訊かず、鎖錠さんが話してくれるのを待つべきだ。
そうだ、と大きく頷く。
小指。薬指。中指。人差し指。親指。
ぺったり張り付いたシールを剥がすよう、ドアノブから手を離す。
そのまま1歩後退。静かに、けれども確かに廊下を歩く音が近付いてきて泡を食う。
飛ぶように背中からベッドに倒れ込んだのと、部屋のドアが開いたのはほぼ同時だった。
「……リヒト、いる?」
「う、うぃ……」
どうにか取り繕えたが、勢い余ってベッドに沿う壁に頭をしたたかに打ち付けた。
痛みで叫びたい衝動を抑え、顔が引き攣りそうになりながらもどうにか返事をする。
「そう……」
じんじんとする頭の痛みをベッドのシーツを握り込んで耐える。
必死にいつも通りを演じていると、キィッと金具が軋んだ音を立てながらドアが開いていくのがわかる。
足の裏でカーペットを擦る音がする。
鎖錠さんが部屋に入ってきて、近付いてきているのだろう。
リビングにも向かわず、そのまま僕の部屋に直行したということは。
なにがあったにせよ、説明してくれる気はあるんだなと。
天井を見上げながら思っていると、急に視界が遮られた――鎖錠さんの顔に。
「……な、なに?」
「……」
ギシッとベッドが軋む。シーツの衣擦れの音が耳をざわつかせる。
どういう理由か、覆いかぶさってきた鎖錠さん。
下がベッドなのも相まって、まるで押し倒されたかのような態勢に目を白黒させてしまう。
顔の両脇に彼女の腕が立てられ、身動きできなくなる。
足の間を埋めるように膝が入り込み、なんともいえない感触に唾を飲み込む。
このまま食べられてしまうのではなかろうか。そう思わせてしまう状態と雰囲気に息を呑んでいると、真上にある彼女の唇から言葉が降ってきた。
「メモ紙よりも前に、あの女と隠れて会ってた?」
「……あばー」
全然違った。艶のある話ではなかった。
どうやらこの行為は絶対に逃さないという鎖錠さんの意思表示であり、僕は鎖錠という名の檻に囚われた哀れな獲物でしかなかった。
そう認識した時には逃げ場はなく。
じっと咎めるように細められた瞳が嘘を許さず。
もはや誤魔化すこともできないと、彼女の腕で作られた檻の中で僅かに顔を傾ける。
「……ごめん。
…………ふへっ?」
謝ると、頬をふにっと摘まれる。
痛いような、触れられているだけのような、絶妙な力加減。
謝罪の意味も込めてなすがままにされていると、ふにふにと頬を弄ばれ続ける。
「はにょ……?」
ぐにぐにぐに。
上に横に引っ張られ、ほっぺたが蹂躙されて暫く。
満足したのか、最後に大きく引っ張ってペチンッと音を立てて離される。痛い。
「これで許す」
どうせ私のためだからと、憂うように零された言葉になんと言えばよかったのか。
なにも言えずにいると、ぐいっと顔の距離が縮まって目を見開く。
「ただ、この前も言ったけど、次やったら許さないから」
釘を刺される。こくこくと頷くしかなかった。
鼻先が触れ合うようなそんな距離。正直、それどころじゃなかったから。
こうも顔を近付けるなんて初めてで、どうにも意識してしまう。
前から思っていたけど、やっぱり綺麗だよなぁ。
まつげは長く、切れ長の吊り上がった目。
鼻筋が通っていて、これだけ近付いているのに肌は真っ白で、シミ一つ見つけられない。
見慣れてきたのもあったせいか、最近はそう思うことも減ったが、変わらずお顔が良すぎる。
心臓に悪いなー。
早鐘する鼓動を耳で感じながら、瞼を閉じて目の毒を遮る。
鎖錠さんがどいてくれるまで待とう。
そう思っていたのだけれど、一向に動く気配がない。
諦めて瞼を開けると、やっぱりそのまま彼女は底の見えない暗い瞳で僕を見下ろしていて当惑してしまう。
「あのぉ……どいてほしいんだけど?」
お願いしてみるが、返答はなし。
どうすんだこれ?
困ってえへー? ともはや笑うことしかできないでいると、ずっと閉じていた薄い唇を鎖錠さんが小さく開いた。
「……あの女と。
母親と、話した」
彼女の言葉に、心臓が縮み上がる。
訊きたかった話……ではあるけど、同時に訊くたくなかった話でもある。
どんな結果になったのか。
固唾を呑んでいると、
「また、一緒に暮らさないかと言われた」
「――」
思考が止まった。






