第3話 お隣さんに母親に会ってくれとお願いする
ない頭を無理に悩ませてもしょうがない。
時には気晴らしも必要とレトロゲームに勤しむ。
たまには超大作ゲームやっちゃうぞーと、長い年月のせいで角が欠けたり、表面が擦れてロゴが消えかかっているくすんだ灰色の筐体を取り出す。
最新のゲーム機に対応したバージョンも出ているが、やはりレトロゲームというのは当時のゲーム筐体で遊ぶからこそ趣があるというものだ。
キュルキュルとディスクの回る音に心躍る。F○Ⅶは神ゲー。
なーんて遊んでいたら、秋も終わりの月に踏み出そうとしていた。
10月終わり。後1日経てば、11月だ。
「…………。
なにしてたのかなーマジで」
コントローラーを握りながら、のけぞるようにしていた上半身だけがベッドの外に落ちるような体制。
なにをしていたのかと自分の問いに答えれば、海チョ○ボを作っていたとだけ。
現実逃避でほぼ1ヶ月使ってしまうという大失態。
当然、そんな怠惰に過ごしていて、三者面談の話を切り出す全うな案なんて思い浮かぶはずもなく。ゲーム画面が映るモニターには虚無になって育て続けたレベル99のキャラが並ぶだけ。
いやでも待ってくれ。
なにも考えていなかったわけじゃないんだ。ただ、どういう案を思いついても、どうあれ鎖錠さんが納得しないだろうなーというか、母親との確執はちょっとしたことでは埋まらないというか。
……まぁ、結局のところ夏休みの宿題現象なわけですが。これ以上はなにも言い訳すまい。
「はぁ……いでっ」
ため息を零した途端、ベッドに残っていた下半身が床にずり落ちる。
半眼になってぼーっとカーペットに転がりながら、結局のところやることは決まっていたんだよなーと内心悟る。
それとなく鎖錠さんに三者面談の話を振ってみたが、芳しい反応は返ってこなかった。
『そう。それで?』と冷え切った言葉に二の句も告げず、『なんでもありません……』と押し黙るしかない。
上手く誘導するとか、誤魔化すとか。
最初からそういう考えで通そうとしたのが間違いで。
結局のところ、正面から鎖錠さんに伝えるしか道はなかった。
その考えに至っていながら、わかりきった答えから目を逸し、他にも道はあるかもしれないと現実逃避を続けた結果が、レトロゲームの海に溺れて三者面談が後数日に迫った今なのだけれど。
「……しょうがないよなぁ」
力なく握っていたコントローラーをベッドに投げる。ボスッと着地した音がした。
当たって砕けよ。一か八か。はたまた一擲乾坤を賭す。
冷たくあしらわれるのも覚悟で、鎖錠さんに正直に話すことを決意する。
「…………。
ま、まぁ、明日でもいいよね」
決意……けつい?
うん。身体を起こしてベッドに投げたコントローラーを拾い上げる。
ヘタレではない。
決戦前夜。心の準備を整えているのである。
■■
そうして、決意を固めて挑んだ11月1日の夜。
アルバイトから帰ってきた鎖錠さんに『大事な話がある』と伝えて、リビングのテーブルの前に正座する。
『……着替えるから待ってて』という鎖錠さんを待つ数分は、まるで1分の時間が1時間にも伸びたように感じられた。大した時間正座をしていないというのに、足の先が痺れたように感覚がなくなっている。
ガチャッ、と廊下のドアが開く音に身体が跳ねた。
後ろを向かないまま身を固めていると、彼女が頻繁に着ているパーカー姿になった鎖錠さんが僕の横を通り過ぎた。
一瞥。流し目をくれた後、そのままテーブルを挟んで正面に座る。
視線の高さが合う。真っ暗で、虚ろな瞳が僕を映し出す。
「話ってなに?」
話……話……はなし?
「……な、なんだろう?」
「……はぁ」
「わー待って待って!?
思い出した! 思い出したから!
呆れてどっか行こうとしないで!」
おもむろに腰を上げた鎖錠さんを慌てて静止する。
緊張で頭の中が真っ白だった。事実、なにを言うか忘れてしまっていた。
危うく話し合いを最速最短で終わらせるところだった。
「……バカなこと言ってないで、用件があるなら早くして」
「はい……」
なんだか話す前から怒られてしまった。
実際に三者面談の話をしたらどんな反応を示すのか……先行きが不安過ぎる。
浮かした腰を下ろし、座り直した鎖錠さんと再び向かい合う。
無音が室内を満たす。時折、キッチンの方からピチョンッと水の落ちる音が波紋のように広がっていく。
顎を引く。膝の上で汗の滲む手を幾度と擦る。
上目気味に、鎖錠さんを見る。
その顔に浮かぶ感情は薄い。僕の反応に訝しんでいるぐらいで、ほぼ無と言ってもいい。
彼女の心に感情がないのは、真っ白だからではない。
様々な感情という名の色を塗り重ね、黒く染め上げられただけ。漂白ではなく、なにも感情を出せないほどに、多くの感情が彼女の中でせめぎ合っている結果、なにも感情がないように見えるだけだ。
そして、その大きな要因になっているのが鎖錠さんの母親。
鎖錠さんに『母親と会ってほしい』と願った時、一体どんな反応を示すのか。
怒るのか?
どうでもいいのか?
呆れるのか?
それとも――あの日のように泣くのか。
鎖錠さんと過ごした日々は半年にも満たないほどに短い。
けれども、過ごした時間の密度は濃い。なのに、彼女がなにを言うのか皆目検討もつかなかった。
泣いてほしくはない……けど。
それでも、多分、これは必要なことだから。
ぐっと拳を握る。溜まった唾を飲み込む。
顔を上げて、僕は言う。
「三者面談に出て――母親に会ってくれない?」
口にした。できた。そのはずだ。
確かに声に、音になって鎖錠さんの耳に届いたはずだ。
そのはずなのに、彼女に変わった様子はない。
言葉を発する前と後で、なに1つ変化がなかった。
まるで、1枚の写真のように。
「……」
「……」
痛い沈黙が場を支配する。
ざらついた紙で肌を撫でられるような感覚。
1秒進むごとにじわじわと喉を締め付けられて、呼吸が細くなっていくような息苦しさを覚える。
どれだけ時間が経ったのだろうか。
過呼吸になりそうな息のし辛さに胸を抑えようとした時、彼女が瞳を閉じた。そして、眉間にシワが刻まれる。
悪い変化。遂には喉が閉じて呼吸が止まる。
息苦しさか。それとも彼女の思わしくない反応のせいか。
血の引く音がぞわりと耳を撫でた。
「え、あ……のっ」
なんと言えばいいのか。口の残った空気でどうにか言い訳を募ろうとするが、意味のある言葉は出てこなかった。
頭の中が真っ白どころか、真っ暗になりそうで。
それでも、なにかを言おうとした時、鎖錠さんが深く深くため息をついて言う。
「……ほんっとうにあなたって人は」
途端、張り付いた空気が霧散する。
呆れたような、落胆したような。
けれども、決して怒りとは違う反応。
あまりにも想像とは違う鎖錠さんの態度にぽかーんと口を開けて、僕は瞼を瞬かせるしかなかった。






