第4話 女装リヒトちゃんのしっぱい
「お、……お会計を……お願いします」
「……」
まさかの鎖錠さんレジ。店員さんは裏に引っ込んでいて姿が見えない。
もうちょっと待つべきだったかなぁと思うのは後の祭り。
声でバレないよう、極力声量を抑えて、電子決済画面を開いたスマホをおずおずと差し出す。
「お、お願ぃします……」
「………………」
じ――――と。
なにやら視線を感じる。汗がダラダラ吹き出しそうだ。
化粧が落ちるのが怖いなんて、人生で初めての経験である。得難くもないし、なんなら一生経験したくなかったが。
「あ、あのぉ……?」
スマホで顔を隠しながら声を絞り出すと、鎖錠さんはなにも言わずに画面に表示されたQRを読み取る。ティロンッという決済音。
「……ありがとうございました」
なにやら怪しまれていたけれど、確証はないはずだ。そうであってくれ。お願いだから。
レシートも受け取らず、逃げるように喫茶店を飛び出す。
秋風が木々を揺らし、汗で濡れた頬を通り抜ける。店内との温度差を感じた。
急に冷え込んだような感覚。首の裏側を拭うように撫でる。
「空回ってたなぁ……」
意識せず、自嘲めいた呟きが漏れた。気が抜けたように肩が垂れる。
このまま風に拭かれていたい物悲しい気分だが、そうも言ってられない。
そろそろ鎖錠さんのバイトは終わる。そして、今の僕は女装である。
人様にお見せしていい姿ではない。なんなら、親が見たら泣く。妹が見たら笑いながら泣く。
「早く帰って着替えないと、玄関で答え合わせする羽目になっちゃうよね」
それはごめんだと、僕は点滅する青信号が赤に変わらない内に、小走りで横断歩道を渡る。
■■
「お帰り」
「……ただいま」
家に帰ってから暫くして。
バイトから帰ってきた鎖錠さんを玄関で出迎えた僕は、対面早々うろんな目を向けられてしまう。
「な、なに?」
「……いや」
熱視線に心臓がすくみ上がるが、なにも言うことなく僕の横を通り過ぎる。
なんか、勘づいてる?
ドキドキするけど、鎖錠さんは「夕飯の準備するから待ってて」と言うだけ。
うん。大丈夫、大丈夫。
安心させるように胸中で何度も呟くが、どうにもいつも以上に視線を感じて不安を拭い去れない。
夕飯を囲んでも、その視線は止まず、むしろ強く感じる。
「……(じー)」
「……っ(ダラダラ)」
食欲も失せる視線の嵐に耐えられなかった。
訊きたくはない。訊きたくはなかったけれど、しょうがない。
箸と茶碗をテーブルに置く。
伏せていた目を上げ、半眼の黒い瞳を真正面から見つめ返す。
「な、にか付いてる……?」
慎重に問うと、鎖錠さんは手に持っていた箸をカチャンと音を立てておく。
親に叱られる前の空気を感じて肩がビクッと跳ねた。
どういうわけか、そのまま手を伸ばされて思わずギュッと目を瞑る。
なにをされるのか。来る衝撃に備えていると、グイッと柔らかさと硬さを伴うなにかが下唇を擦った。
な、なんだ。
驚いて目を開けると、そこには鎖錠さんの親指があり。
指の腹がなにやら赤い塗料のようなモノで汚れていた。
唇を指でなぞられた。その事実にカーッと頬が熱を持つ。
同時に疑問を抱く。なんで、急にそんなことをしたのか。
理解が追いつかず「っ?」「……?」とキョドっていると、鎖錠さんが赤くなった親指を自分の唇に押し付け、ゆっくりとなぞる。
「あ……」とその行為に喉から空気の抜けるような声が零れた。
つーっと、かすれながらも色付いた唇は、まるで紅を塗ったようになり――
「……こういう趣味があるの?」
――ッ!?
そこで。
初めて。
気が付いた!
化粧落とし忘れた――――ッ!!!?
心身共に疲れていたからか。
それとも、鎖錠さんが直ぐに帰ってくるかもしれないからと焦っていたからかもしれない。
着替えだけ済ませて、化粧を落とすのをすっかり忘れていた。
なんでどうして……っ!?
バカ野郎。酷いやらかしだ。今からやり直したいが、当然なにもかも手遅れで。
「い、いつから気付いて……っ!?」
「カプチーノの写真撮ってた時。
スマホ一緒だったから」
バカなのかな――ッ!?
痛恨のミス。
というか、めちゃくちゃ証拠を残していた。
女子高生の行動をトレースするあまり、持ち物でバレるという当たり前のことがコロッと抜け落ちていた。
「……まぁ、見た時から怪しかったけど」
呆れを含んだ声でそう言った鎖錠さんは、ついで珍しく、その顔に嗜虐的な笑顔を浮かべる。
「ふふっ。
またのご来店をお待ちしております――リヒトちゃん?」
「もう絶対女装なんてしないからぁぁあああっ!?」
あまりの羞恥心にパタリと倒れた僕は、暫くの間うぐぉおっとうめき声を上げてのたうち回っていた。
唯一の救いは、あははと小さくも声を上げて楽しそうに笑う鎖錠さんを初めて見られたことだけだった。
◆第4章_fin◆
__To be continued.






