第2話 どこにでもいる普通の女子高生(女装)
今更『やっぱキャンセルで』なんて言えず、絶望が胸の内を占める。
だいたいなんだキャラメルクリームカプチーノって。
名前からして甘さに甘さを足して暴力的な甘さにしましたという飲み物じゃないか。
しかも、値段は600円。結構高いし。
これが女子高生に人気なのか。
いやでも僕男だし。こんなの頼んだら変……あ、いや今は女の子だから変じゃなくて、むしろ正しい?
でも中身は男で……???
なにが正しくて、なにが間違っているのかわからなくなってきた。
唯一、わかることと言えば、このまま鎖錠さんに遭遇するのはマズイということだけ。
早く飲んで、早く帰ろう。そうしよう。
「……お待たせしました」
覇気のない声で、テーブルの上に注文していた飲み物が置かれる。
カプチーノに、ぐるぐると巻かれたクリームがデンッと乗っかり、キャラメルソースで艷やかに彩られているキャラメルクリームカプチーノ。
見ただけでも胸焼けするような甘さの暴力に頬が引き攣る。
これ、ほんとに女子高生に人気なの? 甘さどころか、カロリーのお化けじゃん。絶対、甘いことしかわからない。
「ありがとうござ……いっ!?」
届けてくれた店員さんにお礼を告げようとして、口が真横に引っ張られたように伸びた。攣ったように、頬の筋肉が膠着する。
「……いかがしましたか?」
心配して伺うような言葉だが、感情は乗っていない。
真っ直ぐ突っ立ったまま、エプロンでも隠しきれない豊かな胸部を丸形のトレーで隠すのは店員であり、最近同棲を始めたばかりの鎖錠さんである。
思いがけない登場タイミングに声も出ない。
バレた? ねぇバレた?
ハラハラと見上げる鎖錠さんの瞳はどこを見ているのか、僕を通り越しぼーっと遠くを見ているように映る。そのせいか、どうにも感情が読み取れず、なにを考えているのかがわからない。
家であればもう少し考えていることも読み取れそうなものだが。
僕が焦っているせいか、それとも、鎖錠さんの態度がよそゆきだからか。
初めてのバイトだろうに、緊張してないなってぐらいしか心情が伝わってこない。
「……い、いえ。大丈夫です」
努めて声を裏返し、高くして答えると、「そうですか」と言ってそのままあっさり離れていく。
その愛想の無さは店員としてどうなんだと思わなくはないけれど。
「……はぁぁっ」
鎖錠さんがレジカウンター内に引っ込んだのを見て、深く安堵の息を零した。
愛想の無さも、今この時ばかりは感謝しかない。
気付かれてない、よね? ね?
無味乾燥とした反応から、僕の正体を見破ったとは思えなかった。
もし鎖錠さんが気が付いたのであれば、
『……なにしてるの?』
と、露骨に不機嫌そうにするだろう。もしくは、
『……なにそれ。きも』
と、女装姿の僕に罵倒してくるに違いないからだ。……想像の中だというのに、蔑まれた視線と声を想像して背筋が震える。考えただけでこれだ。実際に言われた日には……ぶるぶる。
運が良いのか悪いのか。
幸い、鎖錠さんにはまだ気が付かれていないようだった。
半信半疑どころか、100パーセント疑っていたが、級友女子の服飾部としての腕前はピカ1であったらしい。変装……というか、女装技術に優れた服飾部という妙な才能の尖り方をしている気もしなくもないが、今は感謝しておく。
今度お礼をしよう。女子高生に人気のキャラメルクリームカプチーノでいいかな?
変装が上手く機能しているのなら、これ幸い。
諦めかけていた鎖錠さんの初アルバイトを見守るというミッションに移ることにした。
やたら長い銀のスプーンでクリームを掬う。
口に含むと、あまりの甘さにうぇっと舌を出したくなったが、今の僕は女の子である。「お、おいしいなー私甘いの大好きー」と笑顔でキャッキャして女子高生らしく振る舞う。
女子高生らしさとはなんぞやと問われると、見た目はともかく中身は男な僕はわからないけれど、多分振り返らないことだと必死に取り繕う。
……女装した過去も振り返らないようにしたい。
とりあえず、甘い物食べてキャッキャウフフしながらSNS映えする写真でも撮っておけば女子高生だろう。もう食べ始めちゃってるけど。
薄っぺらい女子高生像を元に、スマホで適当に激甘カプチーノを写メる。
そうして、身振り手振り女子高生(動詞)しながら、コソコソと店内を観察する。
間もなく日の入り。
夕焼け小焼けのチャイムも鳴り終わり、窓から見えるのは真っ暗な歩道と道路。
窓に映り込む歩行者は少なく、ヘッドライトを付けた車が忙しそうに行き交っている。
夕飯時とも少しズレた時間帯だからだろうか。
不安と緊張で入店時には見れなかった店内を改めて見渡すと客は少なかった。
そもそも、プレハブだからか。
テーブル席は5席と少なく、カウンター席もない。
だというのに、その席すら埋まっていないのだから、このお店大丈夫かなと不安になってしまう。新しくアルバイトを雇う余裕があるとは思えないのだけれど。
逆に、男性客はいないんだな……とちょっとだけ安心もする。
今いないだけなんだろうけど、女性客が多いというのは間違いなさそうだ。
これなら、ナンパとかの心配もなさそう。古き悪いチャラ男はいなかった。
薄いパッドの入った胸を撫で下ろしつつ、今度はレジに立つ鎖錠さんを伺う。
やる気があるのかないのか。
レジのカウンター内で猫のように大人しくしている鎖錠さん。
入店時に出迎えてくれた店員さんがレジ裏から出てくると、なにやらレジを操作しながら話し出した。恐らく、レジの使い方を説明しているのだと思う。
「ここまで大丈夫?」
「はい」
店員さんの問いかけに頷く鎖錠さん。
けれど、その反応は緩慢で、なんというか、全体的に緩い。
続けてあれこれと説明する店員さんとは対照的に、どうにもリアクションの薄い鎖錠さん。
意識があるのか疑いたくなる死んだ目でぽけーっとしていて、見ているこっちのほうがハラハラしてしまう。
せめてメモ取ろうよ、メモ。
ポーズでもいいからさ。棒立ちだと態度悪く見えるし、やる気あるのか疑わしいから。
もちろん。
僕は鎖錠さんが適当にやっているわけじゃないのは理解している。
自分からやると言い出したことだし、やる気の見えない態度とは裏腹に真面目なのも知ってはいる。
けどさ。そういうのって、初対面の人に伝わらないでしょ?
鎖錠さんの気質だし。しょうがないと言えばしょうがないのだろうけど。
表情はともかく。せめて行動ぐらいはやる気を示すべきではなかろうかと思ってしまう。
「説明はこんなところだけど、わからないところある?」
「ありません」
さらっと言う鎖錠さんに店員さんは「物覚え早いねー」とにこやかに笑っている。
ほ、本当に大丈夫?
あまりにもあっさりとした反応を見ると、逆に僕は不安を覚えてしまう。
激甘飲料でダメージを受けていたお腹がキュルキュル悲鳴を上げている。
なんだか初めてのお遣いを見守る親の気分……とお腹を擦っていると、店員さんが両手をパンッと合わせて「じゃあ」と切り出す。
「さっそくやってみようか」
え? 今からぶっつけ本番!?
もうちょっと練習とかあっても……。
「はい」
平然と頷き返した!?
そして、タイミング良くレジに向かうのは窓際の席でコーヒーを飲んでいた格好良いスーツのお姉さん。「お会計お願いします」と伝票を鎖錠さんに差し出す。
大丈夫か? と僕が心配しながら見守る中、鎖錠さんは伝票を受け取ると初めてのお会計に進む。うー、不安だ。






