第1話 同居人のバイト先に女装して来店する
「バレたくないんでしょう?
ならば変装だー!」
そんな宣言と共に、服飾部の部室に連行された僕は、あれよあれよという間に着替えさせられてしまう。
「ちょっ、なんで女物……っ!?」
「はーい。
静かにしましょーねー?
口紅がズレちゃうから」
「口紅を付けたくないんだけど!?」
大きな鏡の前に座らせられ、抵抗する間もなく化粧まで施され。
気が付いた時には、鏡の向こう側で見知らぬ少女が恥ずかしげな表情を浮かべていた。
……誰、これ?
いや、別段骨格が変わったわけでもないので、僕の面影はあるのだけれど、女性物の服に化粧を施しただけなのに、随分と女性らしさが増している。
驚いてじっと見つめていると、鏡の少女も僕を見つめ返してくる。
当たり前のことのはずなのに、なんだか知らない女性に見つめられているようで恥ずかしくなる。思わず、視線を鏡から外してしまう。
「むふふ」
考えていることがバレているのか。
からかい混じりの声に肩をすぼめる。履きなれないスカートに心もとなさを覚えて、膝の上の両手をギュッと握り込む。
感じたことのない種類の羞恥心に、背中が熱くなっている。吹き出した汗は身体の一部が零れ落ちているようで、いつしか身体の形を保てなくなってしまうんじゃないかと思ってしまう。
消えてなくなってしまいそうな僕と違い、級友女子はどこまでいっても楽しそうだった。
カシャカシャと、よくわからないスプレー缶を振っているのがなんだか不穏。
「後は毛先を整えて、艶出しすれば完成ー。
言葉遣いも直せば、可愛い可愛いおんにゃのこだね!」
「……これで本当に僕だってバレないの?」
「わ・た・し。
ね?」
後ろから後頭部を指先でツンッと押される。
途端、頬がぎこちなくなった。一人称を変えるというのは、思っていた以上に勇気がいる。
上唇を噛む。小さく痛みを覚えた後、慎重に声を発した。
「…………。
……私」
「いよしっ!」
顔を上げると、鏡の中で級友女子が親指を立てていた。
なんだかなぁ、とやるせない気持ちになっていると、「で、バレないかどうかだよね?」と彼女が話を戻す。
「安心して!
今の日向君は完全に女の子だから!」
親指と人差し指で指ハートを作り、あはー! と笑う級友女子。やたらテンションが高い。
やや不安を覚えながらも、そういうことならとこの時は納得したけど――
――いや全然ダメでしょう!?
なぜこうなったのか。
女装で喫茶店を訪れる経緯を頭の中で回想していた僕は、あばばばっと静かに慌てふためく。
店員さんに案内されたテーブルに両肘を付き、頭を抱えて俯くばかりだ。
飲まれていたのだ、勢いに。
元々精神的に弱っていたのもある。そこに『なら私に任せろー!』と級友女子がイノシシのように脇目も振らず突進してくるものだから、考える余裕もなかったのだ。交通事故である。
『可愛い!』『イケる!』『女の子!』
と、衣装や化粧で着飾っている最中も、褒め倒してくるものだから『そういうものか?』とその時は納得してしまったけれど。
なんだかんだ、女の子に変身した自分の姿を見て『ちょー可愛いのでは?』と思ってしまったけれども!
冷静に!
考えると!
普通にヤバいことをしていることに、今気が付いた!
気付いてしまったのだ!
なんなら最後まで自分の可愛さに酔っていたかったのに!
女装だけでもアレなのに。
その姿で人目のある喫茶店まで訪れて。
なにより、同居人のアルバイト先に女装して向かう、なんて。
字面の危なさが半端でなかった。それだけで、犯罪臭がプンプンで、捕まってもおかしくないほどに。
僕が同じことをされたら別居案件である。
ただ、ヒトリの男装が似合わないかといえば、全くの逆で。間違いなく似合う。
隠しきれない胸部はともかく。
暗い影のある雰囲気に、切れ長の目。中性的でクールな彼女には、男装はよくハマるだろう。
個人的にスーツ姿をみたい。ネクタイを緩める瞬間とか最高。めっちゃしゅきぴ。
はっ。
いかんいかん。心までメス堕ちしてしまう。
うぐぉおと喉からうめき声を絞り出して、頭を抱えたまま額をテーブルにくっつける。
『変装なら極端から極端!
行き過ぎるぐらいが丁度良いのよ!』
なんて、級友女子の言葉を鵜呑みにしてしまったが、やはり、もしかしなくても騙されているのではなかろうか。
そもそも、いくら服装や化粧で雰囲気を変えたからといって、顔を隠しているわけでもなし。
バレるでしょ、これ。
そういえば、級友女子も『バレたくないんでしょ?』とか『完璧に女の子!』とかは口にしていたけど、絶対にバレないとは一度も言っていなかったなと今更ながらに気が付いてしまう。
やっぱり騙されてるよねこれ……!
いえい! と、脳内でダブル指ハートを決める級友女子が憎たらしい。
店内に鎖錠さんの姿はまだ見当たらない。
このまま帰ったほうがいいのではと腰を浮かしかけたが、
「ご注文はいかがいたしますか?」
「あ……」
良く見る女性の店員さんに声をかけられてしまい、中途半端に腰を浮かしたまま固まってしまう。
え、あ……と声が出ない。オロオロとしていると、注文に困っていると思ったらしい。
卓上に立てかけてあったメニュー表を広げると、その中の1つをトンッと指差す。
「こちら、新商品のキャラメルクリームカプチーノはいかがでしょうか?
女子高生に人気なんですよ?」
ニコッと笑顔を向けられ、とにかくこの場をどうにかしようとコクコクッと何度も頷いてしまう。
「ありがとうございます。
ご注文承りました。それでは少々お待ち下さい」
そう言って去っていく店員さんの背に「あ……」と小さく零して、僕はストンッと浮かしていた腰を為す術もなく椅子に落とした。
ちゅ、注文してしまった……。






