第7話 今日だけは許してあげる
頭を抱えて、鎖錠さん側にお尻を突き上げる。
もちろん、故意にしたわけではなく、驚いて咄嗟に逃げようとした結果なのだが。
鎖錠さん側から見れば相当間抜けな絵面だろう。
廊下でお尻を突き上げているとか、蹴り上げられても文句を言えない。
妹様ならまず間違いなく蹴り飛ばしてくるだろう。
「まぁ、いいけど」
幸い、僕がどんな奇行を働こうがどうでもいいのか、鎖錠さんはあっさり流してくれる。
それはそれで関心がなさすぎて悲しいのだけれど。
わざわざ自分から広げたい話題ではないので黙っていることにした。
すとん、と持ち上げていたお尻を床に下ろし、反転。
正座をして鎖錠さんの『そういえば』の続きを待つ。
鎖錠さんは『なにをしてるんだ』という目で僕を見下ろしてくるが、やはり、さして興味はないのかなにもツッコムことはなかった。ありがたいことです。
代わりに、
「バイト決まったから」
端的に、用件だけを言い残して、再びリビングの扉を閉じて消えていった。
決まった?
アルバイトが?
ということは、面接して直ぐ採用ということだろうか。
それはまた豪気というか。
即決するほど人が足りなかったのだろうかと思ってしまう。
そんなにお客さんもいなかったし、店員不足には見えなかったが……まぁ、いいか。
今、興味があるのは鎖錠さんがバイトに受かったということ。
めでたいことだ。
パタパタ両腕を振る。
アルバイトをすると訊いた時は、なんだか寂しかったけれど。
こうして、受かったと聞くと、我が事のように嬉しくなる。
さっきまで抱いていた罪悪感とか緊張なんてシャボン玉のように飛んで割れてしまう。
胸の内に残ったのは春の陽気のようなポカポカで。
じっとしてられないと、立ち上がって廊下を駆け出す。
「おめでとう鎖錠さん!」
「うるさい」
バタンッと音を立てて扉を開けると、さっそく叱られた。
開けた勢いが強すぎたのか、跳ね返ってきた扉に「いてっ」と頭をぶつける。
「……はぁ」
バカを見るような目を向けられるが、今はそんなことどうでもよかった。
「お赤飯?」
「……初潮はとっくに終わってるから」
「しょっ……!?」
とんでもない発言につんのめる。
なにを言い出すんだ急に。
もじもじと指を絡め、うにょうにょと唇をわななかさせる
「そ、そういうセンシティブというか、繊細な話は、その……なんて返せばいいのか困るから、冗談でも止めて」
「赤飯って言うから」
言ったけども。
別に、お赤飯って初ちゴニョゴニョだけじゃないじゃん。祝い事の時に出すものじゃん。
じゃあどんな時よと訊かれると、初ゴニョ以外の例は出てこないのだけれど。
あれ? じゃあ、赤飯って言い出した僕が悪い? セクハラ案件ですか?
「と、ともかく!」
声を上げて誤魔化す。
「……静かにして」とお小言を頂戴したけれど、反射で「それはごめん」と謝るだけで特に反省はしてない。今は湧き上がるテンションに任せる時である。
「今日はパーティだね!」
わーっとと両手を上げて宣言すると、「ぱー、てぃー……?」とまるで初めて耳にした言葉のような疑義に満ちた声で言う。眉間に深い皺が刻まれ、見るからに『なんだそれは』と顔が物語っている。
「いやいや、パーティね、パーティ。
別段珍しく――」
ないでしょ。と、言おうとしたけど、口は動かなかった。
そういえば、目の前の少女は誕生日とか、クリスマスとか、そういうイベントでパーティをしたことがあるのだろうか。
家庭環境を鑑みるに、ない……のかもしれない。
もしかしたら、記憶の奥底。幼い頃にあったのかもしれない。
ただ、いつ頃かはわからないけれど、母親との関係が途切れて以降はそういうこともなかったはずだ。そもそも、そういったことを祝うどころか、日常生活すらままなっていなかったように思うし。
そう考えると、なんだか無性にお祝いしなきゃという思いが強くなる。
ただの自己満足。でも、それでいい。
僕がやりたいと思ったのだから、自己満足だろうとなんだろうとやるべきなのだ。
というか、やる。
「というわけで、今日のおゆはんはお寿司でも頼もうかと――」
「――は?」
スマホを取り出して出前アプリをプッシュしようとしたら、ドスの効いた声がプッシュしてきて指先が凍る。
怖々顔を上げると、先程まで無表情に近かったはずの顔に、明確な怒りが浮かび上がっていた。
な、何事? 失言した僕? 夕飯をおゆはんとか可愛く言ってみたのが癇に障ったの?
「お、おゆはんなんて二度と使わないから許して……」
「なに言ってるの?」
どうやら違ったらしい。
じゃあなにに怒ってるのとブルブル震えて涙目で訴えかけると、鎖錠さんはムスッと唇をへの字に結んだ。
「……私の作ったご飯は食べたくないって、そういうこと?」
「……へ?」
鎖錠さんが小さく唇を尖らせる。
最初、なにを言われたか理解できなかった。
けれど、へそを曲げたように顔を背けた鎖錠さんを見つめていると、理解が後から追いついてきて、自然と頬が緩んだ。
そういうこと……だよね?
可愛いなぁと思って見ていると、増々鎖錠さんの唇が不機嫌そうに歪む。
「……なに笑ってるの?
もういい。一生料理なんてしない。
出前でもなんでも好きにして」
「ごめんごめん。
からかったつもりもないし、
出前だからって鎖錠さんのご飯が嫌になったわけじゃないから。
ね? 機嫌直してよヒトリちゃん?」
「っ、……ほんと、そういうっ」
真っ赤な顔でキッと睨みつけられる。
なんか怒らせてしまった。
けれど、先程までの怖さはなく、精一杯怒ってますと態度で示すような子供のようでなんだか微笑ましくなってしまう。
あやすつもりで鎖錠さんに手を伸ばす。
払いのけられるかなと思ったが、なにも言ってこないし、手も下げっぱなし。そのまま髪に触れて撫でると、黙って俯いてしまう。
なんだかほんと子供みたいだ。
「今日はちょっと豪勢に手巻き寿司にでもして、一緒に作ろっか。
いくら食べたいいくら。あと、ウニ」
「……安かったら」
なんだか主婦みたいなことを言い出して笑う。
そのまま撫でていた頭から手を離す。
鎖錠さんは俯いたまま。顔は上げない。
動かなくなっちゃった。
電池でも切れたのかなと思っていると、ふいに両頬に手が伸ばされてドキッとする。
ひんやりと、スベスベとした陶器のような手で、顔の形を確かめるように撫でられて――ふにっと両頬を摘まれてしまう。
そのまま、ふにふにと弄ばれる。
「はの……ひゃにふんの?」
「別に」
そう言いつつも、少し痛いくらいに摘まれ、上下左右ふにふに引っ張られる。
「色々と……色々と思う所はあるし、言いたいことはあるけど」
伏せていた顔を上げる。
その顔は不満に満ちていると思っていたけれど、
「今日だけは許してあげる」
あまりにも自然に浮かべられていた微笑みに、束の間息をするのも忘れて見惚れてしまう。
そっと離れた鎖錠さんの手。
彼女の手は冷たかったはずなのに、触れられていた部分がいやに熱を持っていた。
なんだか白昼夢でも見たような気がして、意識がぽーっとしていると「そうだ」と鎖錠さんが思い出したように口を開く。
「連絡先、教えて」
バイトの緊急連絡先で登録したいからという鎖錠さんに、僕は「……う、うん」と頷くことしかできなかった。
◆第2章_fin◆
__To be continued.






