第6話 喫茶店から帰り、エプロン姿で出迎えられる
揃って居合わせてしまったせいで驚いてしまったが、鎖錠さんのアルバイト先としてこの喫茶店は合っているのかもしれないと思う。
家から近いし。
プレハブの外見はともかく、店内は洒落た喫茶店だし。
店員、お客。揃ってあまり多くなさそうなので、人見知り、というか、人と関わる気のない鎖錠さんにとってはベストマッチだと感じた。
とはいえ、まさかここだったとはなぁ、と思わずにはいられなかった。
心のどこかで、ここはないだろうと考えていたのかもしれない。
この喫茶店はマンションから近い。そして、娘がいなくなってからも落ち着きなくストローをコップのふちに沿わして回す母親の行きつけだ。
それを鎖錠さんが知っているかはわからないが、偶然バッタリ鉢合わせるなんてことも十分想定できるわけで。
アルバイトをするなら、もっと遠くというか、鎖錠さん母が絶対に行かない場所を選ぶと思っていた。それがどこかというと、貧困な僕の頭では中々思いつかないのだけれど……えーっと、レトロゲームショップとか? いや、これはただの僕の趣味だわ。
今日のニアミスは偶然とはいえ、鎖錠さんも想定していなかったとは思えない。
母親が来るかもしれないけど関係ないという開き直りか、それとも来ないだろうと高を括っていたのか。
鎖錠さんたりえない僕にはわからなかった。
なんだか頭が痛い。
肩肘を付いて、髪をぐしゃと掴むように撫でる。
面倒な事態ばかり起こっている気がするのは気のせいだろうか。
僕なんか悪いことしたかなぁと正面を向いて、チュルチュルとストローでミルクティーを飲む鎖錠さん母を見る。
一児の母とは思えない愛くるしい仕草だ。
現在進行系で、鎖錠さんに悪いことしてる気がした。
そんな気はないんだけど。
やるせないため息を零しつつ、僕は椅子から立ち上がる。
鎖錠さん母がストローから赤い唇を離す。口紅の付いたストローに一瞬目を奪われながら、僕はポケットを漁り、綺麗に折り畳んでいたプリントをテーブルの上に広げた。
――三者面談のご案内
あ、と鎖錠さん母が声を零す。
戸惑い、泣きそうな顔で彼女は見上げてくる。
だからといって、今更なかったことにする気はない。
投げ捨てるように、はたまた機械的に僕は言う。
「さっき言った場を設ける話」
極力鎖錠さん母の顔を見ないようにして、卓上の伝票を手に取って背を向ける。
指先でひらひらと伝票を上下に振り、さよならの代わりとした。
「どうするかは任せるので、考えておいてください」
それだけ言い残し、僕は鎖錠さん母と別れてレジへと向かった。
お会計を終わらせて、「ありがとうございました」という言葉を背に受けながら店の外に出る。
幾重にも重なった街路樹の葉の影。その中でぽつんっと立ち尽くす。
鎖錠さん母にも、先生にも。
これで最低限の義理は果たしたかなと、少しだけ肩の荷が下りた気分だった。
秋のそよ風が心地良い。
その割に、両肩が下がり気味というか、なんなら店に入る前より重い気がするのはなんでだろうか。
本日、幾度目かになるため息を吐き出す。
「……鎖錠さん、帰ってるよねぇ」
家に帰るというのに、気と足が重く。
歩いて10分もかからない帰路を、行きの倍はかけてズリズリ戻っていった。
■■
「……おかえり」
「た、ただいま」
家に戻ると、玄関でエプロン姿の鎖錠さんに出迎えられた。
エプロンで出迎えられるのもいいなと浮ついたのは一瞬で、上ずりそうになる声ををどうにか堪える。
ちょっと気まずい。まるで浮気だなという危険な思考を振り払い、逃げるように背を向けて、脱いだ靴を揃えるためにしゃがみ込んだ。
と、
「どこ行ってたの?」
ドキーンッと心臓が大きく跳ねた。
今もっとも訊かれたくない質問第2位である。
ちなみに、第1位は誰と会ってたのだ。
この質問のいやらしいところは、相手の素性を把握しているのに、質問した相手にあえて答えさせて罪悪感を煽り、罰そのものとすることで――じゃなくって。
いかんいかん。
これでは本当に浮気男みたいではないか。
浮気じゃない。浮気じゃないよー? ちょぉっと誰と会っていたか言いたくないだけだよー?
「……あー」
言葉が出てこない。間延びした声で時間稼ぐ。
どうしよう。一瞬、誤魔化そうかなと安易な考えが浮かんだ。
けれども、そもそもあそこの店員さんには前回も今回も、鎖錠さん母と一緒にいるところを見られている。
バイトに受かれば、店員経由でバレる可能性は高くなり、『どうして嘘を付いたの?』と問い詰められるのは必定。
その相手が鎖錠さん母とわかれば倍プッシュ。死刑は免れない。ガクブル。
なので「喫茶店」と素直に答えることにする。正直者がバカを見ない。そんな優しい世界であることを祈る。
ただ、誰とお茶をしたかまでは言わない。
訊かれなかったから。なんて、物語の伏線を雑に隠した言い訳のようなことを思う。まさか、自分がそんなことを考える日が来るとは思わなかった。
あれ。絶対わかった上で言ってないよね、と当事者になるとより理解できる。
「……喫茶店」
じーっと。
擬音が聞こえてきそうなほど、真正面から、視線で刺すように見つめられる。
真っ暗な瞳をジト目にし、なにかを疑っていそうな雰囲気。
もしかして……バレてるの?
じわじわと首の後ろに汗をかく。そのまま背筋を伝い、寒気が身体の芯を突き抜けた。
ドキドキドキ。
鎖錠さんの反応を待っていると、
「……そう」
と。それだけ口にしてリビングへと戻っていった。
廊下とリビングを繋ぐ扉がバタンッと閉じられる。
空間は閉じたはずなのに、咎めるような重苦しい空気が換気したようにどこかへ抜けていく。
ついでに、へなへなと足の力まで抜けてしまい、ぺったりと冷え切ったフローリングにお尻を付けて座り込む。
「助かっ、た?」
で、いいのだろうか。
わからないが、追及してこないのであればそれでいいだろうと思う。思いたい。思わせてください。
ほんと。身体に悪いなーと早鐘する心臓を胸の上から押さえると、
「――そういえば」
「うばひゃいっ!?」
戻ってきて扉の影から顔だけ覗かせる鎖錠さんに声をかけられ、心臓が破裂するんじゃないかってぐらい跳ねた。一瞬、風船のように膨らんで、内側から胸を押されたような気さえする。
大丈夫だよね? 破れてないよね?
震える手で傷がないことを確かめる。
「……なにしてるの?」
「い、いやぁ……?
雷様かなにかかとぉ」






