第4話 もう母娘で話し合ってくれ
ちらりと盗み見た鎖錠さん母の表情があまりにも切実で、潤む瞳に耐えきれず顔を伏せた。
お金が愛情。
母娘を繋ぐ唯一の繋がりなんて。
人によってはそんなの愛情じゃないなんて声高に叫ぶだろうけれど。
僕はそうは思わない。
事実、僕とて今は一人暮らしで、親との関係性なんて月々振り込まれる生活費ぐらいしかない。
それでも、そのお金は僕のために両親が汗水流して働いてくれたもので、それを無償で差し出すというのは、大切に想っていなければできないことだ。
だから、不器用で、不格好で、歪な母親の有り様を否定しようとは思わない。……思わない、が。
鎖錠さん本人ならまだしも、それを僕が受け取っていいのかは別問題で。
「……ちょっと待ってください」
机に両肘を付く。両手で額を支えて、お腹に力を入れてふーっと長く息を吐き出した。
頭が重い。頭が熱い。
どうするのが正解なのか。
受け取らない。受け取る。
頭の中で天秤が揺れる。けれど、どちらかに傾くことはなく、不安定なままユラユラと動き続けていた。
別段、お金が惜しいわけじゃない。
……いや、欲しいかどうかで訊かれたらめっちゃ欲しいのだけれどそういうことではなく。
受け取った結果、この母娘がどうなるのか、と。
そう考えると、答えを決めあぐねてしまう。
鎖錠さんのことだけを考えるなら受け取らないのが正解だ。
元々、母親と距離を置きたがっているのだから当然だし、そもそもとして本人に確認もせず受け取っていいものじゃない。
だからといって、娘との関係を思い悩む鎖錠さん母の、最後の繋がりを僕が断ち切る判断をしていいものかとも思うのだ。
人間関係、それも血の繋がった母娘の最後の糸を、赤の他人でしかない僕が切るだなんてしたくはなかった。
いくら鎖錠さんの肩を持っていようとも、そこまで非情になりきれなかった。
人を嫌うのも、傷つけるのも。
大きなエネルギーが必要で、躊躇いを振り払って決意する必要がある。
僕に足りないのは、いつだって勇気だった。
と、いうか。
僕の意志が薄弱で残念だったとしても、だ。
最後の審判を他人に委ねるなという話でもある。
たとえ、本人たちにそんな意図はなかったとしてもだ。
重いのよ。ちゃんと自分たちで判断してくれ。
間に僕を挟んでやり取りをするんじゃない。
しかも、経由するだけならいざ知らず、話の1つひとつに僕の判断も求めてくるのだからたちが悪い。
なんでこんな……あぁ、くそ。
内心悪態をつきつつも、頭を悩ませ続ける。どうあれ、見捨てられないのだからより良い方向を考えるしかないのだから。
悩んで悩んで悩み抜いて…………。
どれぐらい時間が経ったのか。
体感、何時間も考えたような気分だった。
ただ、窓から差し込む日差しの傾きに変化はないので、大した時間は経っていないのだろう。
顔を上げる。
不安そうに唇を結ぶ鎖錠さん母に申し訳ない気持ちになりながら、僕は考え抜いた答えを口にする。
「申し訳ないですが、僕はそれを受け取ることはできません」
拒絶。それが結論。
本人が受け取るならともかく。
やはり、僕が鎖錠さんの知らないところで受け取るわけにはいかなかった。
「そう……」
鎖錠さん母が気の抜けた声を出す。
背中を丸め、捨てられた仔犬のような哀愁が漂い、胸が痛む。
それきり言葉を発しない鎖錠さん母。
重苦しい空気が僕との間に漂い、居座る。
はぁ、と嘆息。ほんと嫌になると思いながら、僕はもう一歩だけ、今度は無理矢理に踏み込んだ。
「こんな話は本人としてください」
鎖錠さん母が顔を上げる。血の気の引いた青い顔。
生気の失った黒い瞳に光を宿し、驚愕に目を見開いていた。
1度は断られた提案を、もう一度口にする。
けれども、今度は逃げることも、否定することも許さない。
こうして僕を巻き込んでいるのだから、最低限、本人たちも頭を悩ませるべきなのだ。
故に、今度は僕から決断を突きつける。
自分たちで話し合え、と。
「どうにか場を設けるので、直接鎖錠さ……娘さんと話してくださ……いっ!?」
ぶっ、と吹きかける。
僕の突拍子もない反応に驚く鎖錠さん母を気にしている余裕はなく、ガバッと咄嗟に顔を伏せた。というか、隠した。
いやいやいやいやっ!?
嘘でしょ!? そんなことあるぅっ!?
ドッと身体中の汗腺から汗が吹き出す。息をするのすら恐ろしく、両手で口を塞ぐ。
でも、そんな。あれだ。見間違いかもしれないし……ね?
そう願いつつ、微細な動きで顔を上げていき、僕の異変にオロオロする鎖錠さん母……その後ろを覗き見て――絶望する。
「……本日は面接ありがとうございました」
本当にそう思っているのかわからない、表情の死んだ顔で店員さんにお礼を告げるのは鎖錠さんその人で……。
ヘドバンする勢いでテーブルの下に頭を隠した僕は、心の声が漏れそうなほどに絶叫した。
おいぃぃぃぃぃぃいいいいっ!?
バイトの面接って、この喫茶店だったのかよ――ッ!






