第1話 待ち合わせ場所は喫茶店
ウサギのメモ紙を持ちながら家を出て向かったのは、以前、訪れた喫茶店だ。
周囲を畑に囲まれた無骨なプレハブのお店。
入り口の横には新しいのぼりが立っていて、『キャラメルクリームカプチーノはじめました。』と書かれた旗がそよ風に揺られてひらひらしている。
女子高生狙いだろうか?
この通りは通学路でもあるので、学校帰りの子を狙えるのだろうが……背景畑。田舎丸出しのプレハブ小屋で出すには違和感があった。浮きまくっている。
キャラメルにクリーム。想像するだけで口の中が甘くなる。
まぁ、飲むことはないだろうと入り口に手をかけ、店内に入る。
チリンチリン、と。
来店を知らせるドアベルが鳴る。
相変わらず店内は外のプレハブとは違い、ちゃんと喫茶店をしている。景気良く天井で羽根がぐるぐる回っているのもそのままだ。シーリングファンというらしい。前来た時気になったので調べた。
外観とは違い、落ち着いたレトロな喫茶店。
ドアベルは来客を知らせたが、店員さんは出迎えてくれない。レジを見るも、人は立っておらず奥に引っ込んでいるようだ。
呼ぼうかなとも思ったが、店の奥に待ち合わせの人物を見つけてそのまま席に向かうことにする。
キィキィと鳴く床木の上を歩く。
待ち人の席の近くまで寄り、手に持っていたメモ紙を彼女に見えるようにテーブルの上を滑らせた。
「これ。見なかったらどうするつもりだったんですか?」
ポストに待ち合わせのメモなんて。
見るかどうかも不確定な連絡方法。下手をすれば気付かずに捨ててしまう。
実際、ポストの前で落とした。
気付いたとしても、昼まで寝ていたら間に合わなかった。
鎖錠さんがアルバイトの面接に向かう。その見送りがなければ、まだ寝ていたはずだ。
「待ちぼうけになってたかもしれませんよ?」
そう言いながら対面の席に腰を下ろすと、待ち人の女性は諦めたように笑う。
「その時はその時だから」
でも来てくれたでしょ? と、柔らかい表情で言うのは鎖錠さんの母だ。
初めて見かけた時の妖艶な色気は成りを潜め、無化粧無香水。前にこの喫茶店と出会った時同様ラフなスウェット姿であった。
鎖錠さん母の楽観的な考えに肩をすくませる。運任せにもほどがある。
ただもしかすると、彼女にとってはどちらでも良かったのかもしれない。
僕が来ても、来なくても。
確実性のない連絡方法と、諦観した表情からなんとなく、そう感じた。
来るかどうかも悩んだぐらいだし。
正直、鎖錠さん母とは会いたくなかった。
直接鎖錠さんから言われたわけではないが、彼女が母親を嫌っているのは一目瞭然。
こうして、鎖錠さんに隠れるようにして会うのは、なんだか密会のようで気まずさを感じる。悪いことではないはずなのに、鎖錠さんに対して申し訳ない気持ちになってしまう。
ただまぁ。
こちらも三者面談の件があったので丁度良かったと言えば、その通り。
「いらっしゃいませ」
「アイスコーヒーを1つ」
遅れてやってきた店員さんに注文を済ませる。「かしこまりました」と下がっていくのを見届けてから、提供された水で乾いた唇を濡らす。
そして、滑りの良くなった口を開く。
「それで、用件ってなんですか?」
「いきなり本題?
もう少し、会話を楽しんでもいいと思うのだけれど」
「勘弁してくださいよ……」
顔をしかめる。
会っているだけでも問題なのに、楽しく会話なんてできるはずもない。
しとやかに頬を撫でる鎖錠さん母は、不思議そうに言う。
「他の男性は、お金を払ってまで私とお話するのを楽しみにしているのに」
「店のお客さんと一緒にしないでもらえません?」
そりゃ、そういう目的で来ている男性客なら、鎖錠さん母との会話は楽しいだろう。
けれど、関係も立場も違う。
なにが悲しくてクラスメートかつ同居人の母親との会話を楽しまなければならないのか。
むしろ、針のむしろに座っているような気分なのだ。いつまでも座っていたらお尻が血だらけになってしまう。
手早く用事を済ませて帰りたかった。
「そうよね。そうだったわ。
ごめんなさいね?」
「いえ。こちらこそすみません」
申し訳なさそうに謝罪してくるその顔を見ると、バツが悪くなる。
瓜二つの顔。母娘とはいえ、鎖錠さんと似すぎている彼女に謝られると、同居人と被って見えてしまい、どうにも落ち着かない。
居心地が悪い。というよりも、接し方に困っている。
僕は鎖錠さんの味方で。
鎖錠さんは母親を嫌っていて。
目の前の彼女に対してあまり良い印象を持っていない。
誰かの言葉を信じて会って間もない人に嫌悪感を持つ、なんて。
良くないことなのは理解している。ただ、どうしたって仲の良い人の肩を持ちたくなる。
僕は聖人君子ではないのだ。理性で感情を表に出さないことはできても、心を入れ替えることはできない。
それでも良い。そう思う自分がいる。
けれども、鎖錠さんを彷彿とさせる顔で悲しまれると、どうにも彼女に対する悪感情の棘が抜けてしまい、対応に困ってしまう。
優しくしないと。慰めないと。
そんな感情が沸いてくることに、戸惑う自分がいる。
庇護欲とでも言えばいいのだろうか。
それは鎖錠さんにソックリだからというだけでなく、彼女本来の気質によるものもあるだろう。
なんか、根っからの貢がれ体質な気がする。そりゃモテるわ。女性から嫌われそうだけど。
「で、なにかお話があるんですよね?」
幾分柔らかくなった自身の声音に気持ち悪さを覚えつつも、どうにか話を切り出す。
すると、鎖錠さん母は「えっと」と躊躇うように零し、顔を伏せる。
チラチラと上目遣いでこちらを伺ってくる姿はとても一児の母とは思えない稚さで。
愛くるしいなぁと頬が緩みそうになるのを、太ももを抓ってどうにか引き締める。
くそぉ。鎖錠さんと同じ顔はズル過ぎる。
痛みで目尻が濡れるのを感じていると、鎖錠さん母もようやく心が決まったのか。
俯かせていた顔を上げて、娘と良く似た、けれども光のある黒い瞳を僕に向けてきた。
そして、
「ヒトリはあなたの家に移り住んでいる、のかしら?」
「…………うん?」
なにやら一瞬、脳が理解するのを拒否した。
「ちょっと待ってください」
戸惑う鎖錠さん母に右手の平を突きつけ静止を促す。
残った左手でおでこを押さえ、目を瞑る。眉間に皺が寄る。
トントントン、と人差し指で額の真ん中を小刻みに叩く。
ステイステイ。
待って待って。
つまり……なんだ?
鎖錠さん母がそういう質問をしてくるということは、だ。
この人に引っ越しの件は伝わっていなくって、けど、鎖錠さんは現在、僕ん家に居て……?
…………………………なるほど?
「お待たせしました。
アイスコーヒーです」
店員さんが届けてくれたアイスコーヒーを奪うように掴み、一気に飲み干す。「だ、大丈夫?」と心配してくれる鎖錠さん母にまぁ待てというように突きつけている手を左右に振る。
冷たいコーヒーが喉から落ちる。身体が内から冷える。
かき氷でも食べたように頭が痛むが、今だけはむしろありがたかった。
……うん。少し落ち着いた。
冷静に冷静に――――心の中で絶叫する。
母親に引っ越しの許可取ってなかったのかよぉおおおおおおおッ!?






