第4話 朝、バイトの面接を見送る
「アルバイトの面接があるから」
休日の朝。そんな言葉と共に。
黒のワイシャツにボトムスというシックかつラフな格好の鎖錠さんに僕は起こされた。
「いっふぇはっっはい……」
「……いってきます」
休日ということもあり、つい先程まで寝ていた。
ボサボサの頭を撫でながら、玄関前でへにょへにょした力の入ってない手を振って鎖錠さんを見送る。
『見送りはいらない』と言われていたが、こういうのは様式美だし、見送らなければという謎の使命感がある。
それに眠いし怠いが、お見送りというのはなんだか気分が良い。ちょっと気分が高揚する。
眠さも相まってそのまま伝えると『なにそれ……』とくだらなそうな口調で言われたが、落ち着かなそうに耳たぶを擦っていたので多分照れ隠しだろう。
玄関扉が締まる瞬間、僅かな隙間から小さく不器用に振られた手が見えて満ち足りた気分になる。
ガチャンッと音を立てて扉が閉じた。数秒後、錠もかかる。
僕が中にいるのわかっているのだから鍵ぐらい任せればいいのに。
律儀に鍵を閉めていくのは、鎖錠さんらしいなと苦笑が漏れる。
「アルバイト……バイト、仕事かぁ」
眠気に負けて倒れるように、白い壁に寄り掛かる。
ざらついた肌触りが心地よく、ぺったりと頬を押し付けた。ぷにっと頬肉が持ち上がる。
口から零れた言葉には実感がなく、そして虚しい。
空気中に溶けて、あっさりと霧散してしまう。けれども、頭の中にはいつまでも残り続けて、いくら吐き出したところで消えることはなかった。
「ちょっと、寂しい……よね」
偽らざる本心が漏れた。
まだ眠気があって、見送って1人になったからか急に孤独を感じる。
カッコつけしいめぇ。自嘲するも、崩れ落ちるようにズルズル肩を壁に擦りながら、しゃがみ込む。
少し前まで。
鎖錠さんの行動の全ては僕に繋がっていた……というのはなんだか自意識過剰みたいで全身が痒くなるし、自己嫌悪に身悶えするのだけれど。
実際、そういうところがあった。
他人を拒絶しているのに、人に飢えている。
酷い矛盾。星を掴むような衝動は、一生かかっても叶わなさそうであったが、どんな偶然か、たまたま僕に手が届いた。
今思い返せば、依存に類する感情を抱かれていたのかもしれない。
けれども、それは僕だからというわけでなく、状況さえ揃っていれば誰でもよかったんだろうなぁとも思う。
自分を下卑するつもりはない。事実、こうして鎖錠さんと関係を築いているのは僕なのだから、今更誰かに代わってもらおうなんて思ってもいない。
ただ、なんとなく、寂しいなぁって。
一緒に暮らすようになって、生活する距離は近付いた。
けれども、触ったり、抱きついてくるようなことはなくなって、物理的な距離は遠ざかる。
学校にも通うようになって。
今度は、アルバイトまでするようになるなんて。
しゃがんだまま、膝を抱えて顔を伏せる。
はぁあああっ……。と、長い長い億劫な息を吐き出す。
肺に溜まったモヤモヤを追い払うように。
「これが子離れというものか……」
なんだか年頃の娘を持つ父親の気分だ。
子供どころか彼女すらできたことがないので、そういう気分というだけで、世の娘を持つ父親と同じ気持ちかはわからないけれど。
そのうち『パパの服と一緒に洗濯しないで』とか、『パパとお風呂入らない』とかキツイ口調で言われちゃうのだろうか?
いや、混浴なんてしたことないし、パパじゃないんだけどね?
けど、それを鎖錠さんに置き換えて、
『……近寄らないで』
と、蔑んだ目で見られるのを想像したら、したら……ゾクッと身体が震えた。
もしやこれが恋? なんて。勘違いするわけもなく、開いちゃいけない性癖の扉をそっと閉じる。
部屋に戻って、ベッドに倒れ込む。
眠気は既に消えていたが、身体に力が入らない。なにもやる気がしなかった。
「もしかしたら、甘えられてたことに優越感を覚えてたとか……?」
口にすると、なんだか自分の感情にしっくりきてしまい、我が事ながら嫌だなぁとベッドに顔を押し付けてうーっとくぐもった声を出す。
離れていくのは寂しい。
引き止めたいという思いもある。
けれど、それは僕の感情で、身勝手で。
ひとり立ちして真っ当に生きようとしている鎖錠さんを縛り付ける理由にはならない。
「うん……見守ろう」
声に出すと、意識が明瞭になる。
頭痛がスーッと引いていくように、頭を締め付けていた紐が緩んだのを感じる。
鎖錠さんを見送った時に抱いていた孤独感も、消えたとは言えないが小さくなっている。
気の持ちようとはよく言ったものだ。
なんだかやる気も出てくる。
今ならなんでもできそうな気分だった。
よし、と起き上がる。せっかくの休日。なにから手をつけようかと目元を拭う。
……。
「顔、洗うかぁ……」
目やにが取れて、一気に現実へと引き戻された。
寝間着の寝癖だらけでなにしてるんだろうねぇ、僕は。
■■
郵便物を取りに降りるのに着替えようかと思ったが、まぁいっかとそのまま部屋を出る。
どうせ直ぐだからと鍵もかけず、そのままスタスタ階段を降りた。
秋の朝。半袖半ズボンだと、手足を撫でる風が少しだけ冷たく感じて、階段を2段、3段と飛ばして降りる。
1階の廊下。エントランスに繋がる両開きの扉の片方を開けて、ポストの密集した壁面に向かう。
部屋のポストを指差し確認。なにかきてるかなと小窓を覗き込む。チラシと封筒の影が見えた。
ぐるぐるダイヤルを回して、キィッと錆びた音のする蓋を開ける。
寿司屋のチラシ。水道工事のマグネット。
資源、ゴミ……と中身を確認していくと、小さな1枚の紙片がひらひらと花びらのように足元に落ちていった。
「おっと」
近くにある紙ゴミ用のダンボールにいらないチラシを放り込みながら、床の紙片を拾う。
チラシではない。ウサギの形をしたメモ紙だ。
管理人からの連絡にしては可愛らしいそれを拾い上げ、訝しみながら確認する。
ふと、ツンッとする香水の匂いが鼻孔をくすぐった。
『お話があります』
時間と場所が書かれたその下。
記載された差出人の名前に僕は息を呑み、目を見開いた――
◆第1章_fin◆
__To be continued.






