第3話 木に登って下りられない猫っぽい
家に帰って、夕飯を食べ終える。
今日の夕飯はハンバーグで、どうしてかハンバーグの中心にニンジンが1本丸々突き立てられていた。まるで、マ◯ターソードの如く。
また変な知識の取得をしてしまったんだなと思いつつも、今日は指摘しなかった。
もう1度ハンバーグが出てきた時にツッコミを入れたらどんな反応をするのか。
考えただけで頬が緩む。ちなみに、ニンジンはちゃんと中まで蒸してあって、甘くて美味しかった。
ちょっと悪趣味かなぁ。
そう思うも、正直、今の僕に指摘する余裕がなかったのもある。
テレビをつけて、テーブルを囲む。
モニターでは、大食いに挑戦した女性タレントが、丁度完食しているところだった。誇らしげに大皿を抱えている。ワイプで映っている司会者がおぉっと声を上げて感心していた。
観ている。というより、眺めているというべきか。
視界に映っているが、耳の右から左に流れるように、内容がスッと抜けていく感覚がある。数秒前の映像を思い出せない。
ちらりと視線を泳がせ、鎖錠さんを伺う。
「……(ぼー)」
彼女も似たようなものなのか、観ているというには意識がふわふわしている気がする。
黒い瞳の中にテレビの映像が四角く映り込んでいる。網膜に焼き付いているようで、実際はテレビになんて興味なさそうだ。
音が出て、動いているから目がいく。そんな程度。
猫みたいだな、と思う。もしくは、赤ちゃん。ようやくひとり立ちして、テレビの動きを真似する子供がなんとなく脳裏に過る。
猫か赤ちゃんか。
思考の表面でくだらないことを考えながらも、頭の中をずっと占めているのは、三者面談についてだった。
いつ話を切り出すべきか。
今か。今かも? いやもうちょっと待とう。
家に帰ってからというものの、踏み込もうとしては二の足を踏むばかりであった。
別段、話したところで『そう……』と言われて終わりそうな気もする。ただ、表に出さなくても内心引きずるんじゃないかと考えると、どうにも唇が乾いて動きが鈍る。
鎖錠さんはなにかあると自分1人で抱え込んで自滅するきらいがある。
夏休みの半ば。
プールを境に来なくなったのもそうだ。
突然居なくなったと思えば、いつの間にか住み着いていた。やっぱり猫かも。
環境的に、なにか悩みがあっても相談できる相手がいなかった弊害なのかもしれないが、表情にも出にくい分、察するのも難しい。ちょっと不機嫌かも、というのは声の感じからなんなとくわかるようになったけれど。
あらゆることに鈍感なようで、人一倍繊細というかなんというか。
扱いの難しいガラス細工に触れているかのようだ。
素直に言ってくれればいいのにと思ってしまうが、普段、本心を隠して適当に合わせるだけの僕がそんなことを考えるのは我儘なんだろうなぁと自重する。
腕を組み、テーブルの上に身体を預ける。
顔は鎖錠さんに向けたまま、忙しなく両手で前腕を擦る。
寒いわけじゃない。ただ、落ち着かないだけだ。
しょうがなかったとはいえ、今更ながらに安請け合いしたことを後悔する。
おのれぇ。
どうして僕がこんなことで悩まければならないのか。
先生なんだから自分で言えばいいのにさー。
断りきれなかった自分のことを棚に上げて、胸の内で、泣きついてきた駄教師に悪態をつく。
理不尽とわかっていても、適当に当たり散らさないとやってられない時もある。
とはいえ。
いつまでも、ぐずぐずしているわけにもいかない。
夏休みの宿題みたいに、明日やればいいやーと未来に送り続けて、最終日の夜に母親に叱られ、泣きながら日記を埋める作業は勘弁願いたい。
高校生になった今。少しは大人らしくあらなければ。
……このぐらいの歳になると、やっていなくても『まぁ、いっか』と気にしなくなるし、なんならごめんなさいと殊勝なポーズで謝ることばかりが上手くなっているのだけれど。
大人になるって悲しいね。大人筆頭の先生が生徒に泣きついてくる時点でお察しなのだが。
しゃーない。
身体と一緒にやる気を起こす。
さらっと訊いて、さらっと終わらそう。
返答はどうあれ、やったという事実が大事なのだ。
やりませんでしたではなく、やったけど出来ませんでしたの方がまだ言い訳のしようもある。
これが大人の処世術よ。
世の汚さばかりを肯定して、口を開こうとすると、
「リヒト」
不意に鎖錠さんの顔がテレビからこちらを向く。
タイミングぅ、と内心唸る。
今までお互い無言だったのに、どうして話しだそうとする瞬間が同じなのか。
正面から歩いてくる人を避けようとしたら、相手も同じ方向に避けてあわあわお見合いしてしまうのに似ている。
今あわあわしてるの僕だけなのだが。避けようとしてコケてしまったような気分だ。
「な、なに……っ?」
少々どもりながらも、なんとか声を絞り出す。
頬が痛い。口の中に血の味が広がる。咄嗟に口を閉じたせいで、頬肉を噛んでしまった。後で、口内炎にでもなりそうで憂鬱な気持ちになる。
眉を潜め、不審がる鎖錠さん。
ドキドキしたけれど、どうでもいいと思ったのか、それとも話を優先したのか、詮索してくることはなかった。
訊かれたところでどうということはないが、なんだがほっとしていると、鎖錠さんが口にした言葉を訊いて、抱いた安堵はコインをひっくり返したようにあっさりと驚愕に変わる。
「私、バイトするから」
…………なんですと?






