第4話 紅茶の淹れ方がわからない
ローテーブルの前にちょこんっと正座した妹さんが、物珍し気にキョロキョロと室内を見回す。
正面に座った私は彼女の反応が気になってしまってい、どうにも落ち着かない気持ちにさせられる。
誰かを部屋に通すなんて初めてだ。リヒトすら上げたことはない。
それこそ、母親すら……という思考に至った瞬間、ブツリと電源が切れたように脳が止まる。
スッと感情が冷めた。
余計なことを思い出しかけたからだ。
リヒトに拾われた日。この部屋であの女と見知らぬ男がしていたことを。
堕ちるのはこの際いい。だが、それはリヒトの妹がいなかったらの話だ。
心配させるわけにはいかなかった。
正直、妹さんにどう思われようともどうでもいい。
好かれようが嫌われようが、さして興味はなかった。
けれど、彼女を通してリヒトになにがどう伝わるのか。
それが不明瞭な以上、他の人のように適当に扱うわけにはいかなかった。
目の間の少女は容姿こそ似ても似つかないが、リヒトの妹で。
それだけで、嫌われたくないと思うには、私にとっては十分過ぎる理由であった。
とはいえ、真っ当に人と接したことなんて数えるほどで、どうすれば嫌われないかなんてわからない。
なので、
「飲み物と、なにか、食べる物は……いる?」
「あるなら貰う!」
お茶を濁し物で釣ろうと思うと、躊躇いのない元気の良い返事をされた。
これがリヒトなら『え? いやー、大丈夫』と言って、1度は遠慮するだろう。『本当に?』と再度確認すれば『じゃあ』と愛想笑いを浮かべながらようやく受け入れる気がする。
対照的な兄妹だ。
そう思いつつ、「ちょっと待ってて」と言い残して部屋を出る。扉越しに『はーい』とはつらつな声が聞こえてきて、耳に残る。
初対面で、しかもいきなり他人の部屋に上がっているのに緊張とは無縁なんだなと感心する。
……まぁ、私もリヒト相手に似たような感じだったが。とはいえ、あれは、特殊な状況と事例だったし。ノーカウントだ。例外である。
両端に埃。素足で歩いた痕。
掃除の行き届いていない廊下を見て、少しばかり後悔する。
こんなことになるなら、雑巾掛けでもしておけばよかった、と。
ただ、リヒトの家は率先して掃除をするが、自分の家だと途端にやる気がなくなるのはなぜだろうか。自分の家だからか。それとも、私の居場所だと思っていないからか。
そんな瑣末事を頭の隅に埃のように追いやっていると、キッチンに着く。
あの女は使わない。私も最近使うようになったばかり。
それ故に、入居時と変わらず綺麗な状態を保たれたキッチン。その上にある戸棚を開ける。なにもない。
次。キッチン下の引き出しを開けると、なにやら高級そうな紅茶の缶と、チョコレートを見つけた。あってよかったと、唇の隙間から小さく息が零れる。
嗜好品なんて買わないので、もしかしたらコンビニまで買いに行かないといけないかもしれないと考えていたからだ。
多分、来客用に購入したか、もしくは貰い物だろう。
あまり良い気分はしない。けれど、出さないよりはマシだろうと取り出す。
食べていいかはわからないが、優先順位はリヒトの妹だ。ちょろまかすことを決めた。
「……紅茶って、どう淹れるんだろう」
ティーパックではない、茶葉が剥き身で入った缶を前に途方に暮れる。
リヒトはコーヒー派で、紅茶はあまり飲まない。
そのため、コーヒーはパックだろうが粉だろうが淹れたことはあるし、喜んでくれるのであれば豆を挽くところからやるのもやぶさかではない。ないが、そこまでこだわっていなさそうなので、やらない。
スマホで調べればとも思ったが、生憎部屋に忘れてしまった。
取りに戻るのもなんだか情けない。しょうがないので、戸棚にあったティーセットを使い、コーヒーっぽく淹れてみることにする。
ティーパックのように、暫く漬けておけば大丈夫……なはずだ。
心配になるが、電気ケトルでお湯を沸かして、さっと準備する。玄関で待たせた上に、お茶でまで待たせるわけにはいかなかった。
近くにあったトレーにお茶とチョコレートを乗せて部屋に戻ると、リヒトの妹はローテーブルの前で大人しくちょこんと正座していた。
顔を上げた妹さんが「おかえりー」と言うので、「……ただいま」とまごつきながらも返す。
静かに座っている姿はぬいぐるみというか、人形みたいだなと思う。
同時に、似てない兄妹だなと。
長い銀の髪は地毛なのか染めているのか。
わからないが、随分と印象が違う。まさか義妹とか言い出さないよねと不安が過る。
妹さんを見つめながら、トレーをそのままテーブルの上に置く。
「ありがとうございます」
と言って、妹さんは早速アイスティーに手を伸ばす。
まだ暑いので、氷で冷やしてみたがどうだろうか。心配になるが、結露で濡れたグラスを両手で抱えて飲む表情は緩んでいて、その表情に嘘はないと感じて肩の力を抜く。
と、「わ」と突然驚きの声を上げたので、ビクリッと身体が跳ねてしまう。
ただ、その声には喜色が含まれていて、よくよく見るとその瞳はチョコレートを凝視して輝いていた。
「これ、都心にある有名なチョコレート専門のチョコだよね?
結構お高いやつ。食べていいの?」
「……好きにすれば」
「やったー!」
両手を上げて喜ぶ妹さん。
包装を解いて、箱を開け、中に綺麗に並んで収まっていた金の細工が施された1粒を摘む。
そのまま口に放り込むと「ん~」と両頬を手で包むように押さえて幸せに浸っている。
表情がチョコのようにとろけていた。
それ、そんな高いチョコだったんだ。
なんであれ喜んでくれているのなら良かった。食べてしまって良かったかどうかは……忘れることにする。
「……ふぅ」
アイスティーを飲み、チョコレートを食べて。
挟まる沈黙に背筋が伸びる。そわそわする。
正座をして折り畳んだ足を、しびれてもいないのにモゾッと動かす。
自分の部屋に他人がいる。そのことにまだ慣れなかった。
この部屋すらも、自分の居場所ではなかったと絶望したこともある。
それでも、使用頻度や自分の部屋という認識は下がっても、やはり心のどこかで自分のテリトリーだと思っているのかもしれない。
他人がいることに言いようのない忌避感がある。
心理的な縄張り。
こういうのをパーソナルスペースというのかもしれない。
リヒト相手であれば、そういうこともないけど。
そう思った瞬間、頬が熱を持つ。
どうして私はさっきから、なにかとリヒトを比較に出しているんだ。
意味が……わからなくもないが、のぼせ上がっているのは間違いない。
火照った身体を冷ますように、ガムシロもミルクも入っていないアイスティーで喉を潤す。
すると、タイミングを見計らったように、リヒトの妹が沈黙を破った。
「義姉さんは、兄さんの恋人さん?」
ぶっ、と思わず吹き出しそうになる。
急になにを言い出すんだこの子は。






