第2話 恋する男の子の妹と遭遇する
会わなくなれば、多分、リヒトは寂しく思ってくれる。
けど、自ら私に会いに来ようと行動は起こさないと思う。
来る者拒まず、去る者追わず。
なんて、聞こえは良いが、受け身なだけだ。
意気地なし。ヘタレ。なんて呼ぶ人もいるかもしれない。
私自身、少し不満でもある。もう少し、なにか、未練というか、なにかしらの行動を起こしてくれてもいいのに、と。
とはいえ。
リヒトがそんな性格だったからこそ、今の関係があるわけで。不満に思うのは、少々贅沢なのかもしれないし、我儘だろう。
それに、今はどうあれ、最初はそんな受け身なリヒトが私を拾ってくれたことから始まったのだ。リヒトにだけ勇気を出せというのは、それこそ筋違いだ。傲慢でもある。
男なんだから、なんて。
女々しい言い訳は口にしたくなかった。
私がこのまま恥ずかしさに負けてなにもしなければ、リヒトとの関係は終わる。
それは嫌だった。絶対に。それこそ、死んだ方がマシだ。
過去の自分が知ったら信じられないだろうが、今の私はリヒトを支えに生きている。
出会ってからたった3ヶ月でよくもまぁここまで。
自分自身に驚くが、なってしまったものはしょうがない。
なにより、率先して自殺する気はないが、死んでも構わないと考えていた過去の自分よりはマシだろうと思う。その生きがいが、男で、まさか恋だったとは、予想外甚だしいのだけれど。
じゃあ、その生きがいを守るため、どうすればいいのかというと、結局のところ会わないことには始まらない。
で、その結論に行き当たると、迷路の袋小路にハマったように思考が止まる。
懊悩するばかりで、前進ができなくなる。
足は1歩も前にいかず、踏みとどまってばかりだ。
「……ぁぁあああっ」
髪をぐしゃぐしゃにかき乱す。
喉の奥から意気地のない自分に対する苛立ちが、濁った叫びとなって漏れ出した。
「せめて、連絡先を交換しておけば……っ」
顔を合わせず、スマホでならまだ踏ん切りが付いたのに、と。
後悔ばかりが思い浮かぶ。
そもそも、親すら登録されていないスマホだ。
連絡先は0件で、連絡ツールとして考えたことすらなかった。
もっぱら、ネットで調べ物をするぐらいだ。
「どうにかしないと……」
自分でも初めて聞くような、湿り気のある情けない声が漏れた。
スンッ、と鼻が鳴る。あぁ……ダメだ。落ちそう。
俯いて気落ちしていると、ふと辺りが暗くなる。
まさか、私の気持ちが周囲を暗く澱ませたのか?
一瞬そう思うも、まさかと否定。
雲でもかかったのだろうと顔を上げて、思わず身構えた。
「……んー?」
銀髪の小柄な少女。
大きなまん丸の瞳で私を見下ろし、頬に指を添えながら私を見下ろしている、見知らぬ女の子が私の前に立っていた。
どうやら、彼女の影が私に被って暗くなったらしい。
「……え、……と」
「……ふむふむふむふーむむ」
身体を右に傾け、左に傾け。
ゆーらゆーらメトロノームのように揺れ動く少女は、私を見てなにかを考えている様子。
誰だろう……。
そんな不躾とも取れる視線を向けられた私は、戸惑うしかなかった。
同じマンションの子だろうか?
にしては、こんな目立つ銀髪の、美少女と言っても過言ではない愛らしい女の子は見たことがなかった。
まぁ、あまり人に興味がないので、見かけても忘れただけかもしれないけど。
と、そこまで考えたところで、はたと気が付く。さーっと血の気が引いた。
思い至った可能性が正解だと告げるように、目の前の少女は腰を屈めて、私の顔に近付くと、ニカッと人懐っこい笑顔を浮かべる。
「もしかして、私の部屋を使ってる、義姉さん?」
ね、姉さん?
呼ばれ慣れない呼称に戸惑いつつ、ようやく彼女がリヒトの妹であることを認識する。
黒髪に、銀髪。
髪色はもちろん、容姿のどこを取っても似つかない兄妹だ。
私の部屋を使っているという言葉からもまず間違いはないのだけれど、見た目からは血の繋がりを感じず、本当に兄妹なの? と勘ぐってしまう。
「……た、多分、そう、だけど。
あ、と…………」
こういう時、なにを言うのが正解なのだろうか。
とりあえずお礼? それとも、自己紹介? 好きな物はなんですか?
見合いのような話題探しが頭を廻る。ついでに、目もぐるぐる回ってきて倒れてしまいそうだ。
「うんうん。そっかそっかー。
とりあえず、落ち着いてくださいねー」
腕を組んで何度も頷いた妹さんは、「はい深呼吸ー」と私を落ち着かせようとする。
言われるがまま、息を吸って、吐き出す。すー、はー。
「うわすご」
「?」
なにやら驚いているが、よくわからない。
ただ、深呼吸のおかげか少し気持ちが楽になった。それを見計らってか、「丁度話したいと思っていたんですよ」と言い、家に上がってと誘ってくる。
「さっそく帰省した目的が果たせた」と気になることを口にしているが、私はそれどころではなかった。
え? 上がるの? 今から?
あれだけ泊まっておいてなんだが、抵抗があった。
それはリヒトがいないからなのか。
それとも、夏の出来事を思い出すからかはわからないけれど。
物理的な玄関という壁だけじゃなく、透明ななにかが私を拒んでいる気がしてならなかった。
返答もできず戸惑っていても、現実は非情に進む。
足を止めて座り込む私を待ってくれはしない。
「えーっと、どこだったけかな」
鍵を探しているのか、妹さんがスカートのポッケを漁る。
見つからないのか、躊躇う様子もなく可愛らしいピンクのキャリーケースを広げて、中をゴソゴソと探る。
その間も、懊悩煩悶する私であったが、どうやらその悩みは杞憂で終わるようだ。
広げたキャリーケースの上は、ぐちゃぐちゃになった荷物が山となり、これが収まっていたのかと驚く量であった。
少女は一頻り捜索した後、顔を上げる。
そして、えへっと誤魔化すように首を傾けて笑った。
「鍵、持ってくるの忘れちった」
その言葉に、気が抜けたように胸を撫で下ろす。
見つからなかったことが、はたして幸か不幸かはわからないが、今この時の私の心は安堵に満ち満ちていた。
「義姉さんの家、上がってもいい?」
……ただ、その安堵も直ぐに掻き消え、新たな問題と直面することになるとは思いもしなかった。
勇気のない私への罰か試練なのだろうか。
「えへー」と太陽のように笑う少女の顔を見て、私は顔をこわばらせるしかなかった。






