第2話 顔の良すぎるお隣さんと一緒に登校する
「忘れ物は?」
「ない。……あ、鍵」
朝食を食べ終え、登校の準備を終えた後、揃って家を出る。
ちょっとしたうっかりもあり、眉尻を下げた鎖錠さんに心底見下げ果てたという目を向けられたが、概ね問題はない。
慌てて部屋から鍵を取ってくる。
玄関で屈む時間すら惜しんで、運動靴の踵を潰して改めて玄関を飛び出した。
「あったあった」
「……靴ぐらいちゃんと履いて」
「ちょっと待ってね、と」
戻って早々、眉間に皺を寄せた鎖錠さんにお小言を貰う。
トントンとつま先で床を叩きながら、握っていた鍵を挿し込んで閉める。
片足で立ち、「よっと」と持ち上げた踵に指を突っ込み、潰れた踵を持ち上げる。もう片っぽも同様に。
「横着しないで」
「ごめんなさーい」
謝るが増々目を細める鎖錠さんにそっと顔を逸らす。小さく「……ごめん」と呟くと、はぁっとため息を零された。
鎖錠さんはドアに手を伸ばすとガチャガチャと閉まっているか確認をする。
こういうところを見ると、しっかりしてるというか、意外にも生活感があるなと思ってしまう。
荒んで、諦観しているのに、地に足が付いているというか……。うん、しっかりしてる。
そこから数歩。
いつもなら、隣室である鎖錠さんちの玄関前で見送られるのだが、今日は違う。
そのまま通り過ぎて、マンションの通路を一緒に歩いてエレベーターへ。
毎朝一人のエレベーター待ち。ただ、今日は制服姿の鎖錠さんが隣に並んでいる。
癖のある黒髪。どこか光に乏しい暗闇のような瞳。
制服であっても変わらず、大きな曲線を描く双丘はご立派で、ついつい魅入ってしまうこともしばしば。
これからこんな美少女と肩を並べて登校するのか。僕は。
帰りは迎えに来てくれるからよくある。けれど、行きはなかった。
だからだろうか。胸の内がソワソワするのは。
エレベーターが到着し、扉が開く。
乗り込みながらも、なんだか不思議な心地でじっと彼女の背中を見ていたら、振り向いた鎖錠さんと目が合う。
「……なに?」
なんでもない、と僕は首を横に振る。
疑問に対する答えを、僕も持ち合わせてはいなかったから。
■■
梅雨の明けた7月中旬。
真っ青な空模様に、カラリとした天気。
夏の訪れを知らせるように、気の早いツクツクボウシが一匹、他のセミに混じって鳴いている。
そんな季節。
美少女と一緒に登校する。
これだけ聞くと、男子の妄想というか、青春だなぁと思う。夢見た出来事。アオハル。
だからといって、ドキドキ甘酸っぱいイベントが起こるわけじゃない。
会話はなく、歩道と道路を分ける白い柵に沿って歩く。
並んで登校……というには、僕と鎖錠さんの位置関係はズレていたけど。
僕が前を歩き、彼女はその後ろを3歩下がって付いてくる。
状況だけ見ると、昔の理想とされた日本女性像というか、大和撫子っぽい。
けどまぁ、鎖錠さんはそういうのとは無縁だ。言ったら怒られそう、というか絶対に怒られるから言わないけど。
じゃあなんだと訊かれると、答えに窮する。正直わからん。
「鎖錠さん?
ちょっと、遠くない?」
「……そう?
普通でしょ」
気のない返事。普通ってなんだ。
暗に一緒に歩かない? と尋ねたつもりだったのだけれど、伝わってないのか、理解した上でなのか、物の見事にスルーされる。うぅむ。キンキンに冷えてやがるぜ、反応が。
だからといって、空気が悪いかといえば、そんなことはなく。
多分だけど、鎖錠さんがこの距離感を好んでいる、……んだと思う。確証はないけど。
この距離感の理由が僕と登校して付き合ってるとか噂されたくないとかだったら、今晩枕はべっちょべちょになる。けど、多分違う。
鎖錠さんは、そういう周囲の評判を気にしない。というか、それなら僕にお弁当を届けるためだけに、昼休みに教室を訪れたりしない。QED。証明完了。今夜の枕もカラッカラだぜ。
謎だ。家での距離感がベッタベタなだけによりそう感じる。
■■
校門が見えてくると、周囲は同じ学生服姿の少年少女たちが溢れ出した。
ガヤガヤと、学生らしい喧騒で賑わいを見せる。
団子みたいにギュウギュウ身体を寄せ合って歩く男子生徒の集団を遠目に見つける。
暑いのによくやる。バカだなぁ。
そう思うのと同時に、ちょっと混ざりたいと思ってしまうのは、僕もお馬鹿な男子高校生の一人ということだろうか。あ、先生に怒られた。
そんな学生らしい、どこにでもある登校風景。
ただ、少しだけその喧騒の中にどよめきというか、普段とは異なるさざめきが広がる。
その中心。視線の集まる先は僕……というか、鎖錠さん。当然、少し先を歩く僕もついでとばかりに耳目を集め、周囲の無言の圧力を肌でひしひしと感じる。痛いぐらいに。なんか、変に緊張する。
まぁ、理由は鎖錠さん。
見慣れない美少女が気になるのだろう。それに巨乳だ。服の上からでも見て取れる。思春期男子諸君が鼻の下を伸ばしたくなる理由もわかる。うん、おっきい。
そんな視線の中心にありながらも、本人は至って変わらず動じない。
鎖錠さんの世界。その内側と外側。
それはそのまま彼女の意識とイコールであり、どれだけ注目されようとも世界の外側に関心はないのだろう。
凄いな。小さな関心を覚える。そして、安堵も。
久々、どころか高校生活初めての登校で大丈夫かなぁという僕の心配は杞憂で終わってなによりだ。
学校へ行こうと誘ったのは僕。
悪気はないし、純粋に一緒に行けたらいいなーという思い付きだった。けれども、それで鎖錠さんが嫌な思いをするのは本意じゃない。将来のためなんておためごかしは、先生に任せる。
うん。なのでそれはいいのだけれど……僕が気になってしょうがない。
主に男子の視線が。その向かう先が、彼女のおっぱいであることに。
別に付き合ってないし、鎖錠さんを僕のだと喧伝するつもりもない。ただなんか、無性にモヤモヤするというか、イライラするというか…………。
「……なに?
歩き辛いんだけど」
「いいから」
今はこのままで。
男子生徒たちの視線を遮るように、鎖錠さんの前に立ち塞がるように歩く。
僕の態度に目を細めて不思議そうな反応を示すけれど、邪険にすることも、追求することもないのはありがたい。僕とて、なんでこんなことをしているのかわからないのだから。ほんと、なんでだ。
顔をしかめながら、内心ため息を零す。
学校に着く前からこれだ。教室ではどうなるんだ。
今更ながらに憂鬱になる。
さながら、動物が災害を予知するような予感は、教室に足を踏み入れた瞬間、的中することになる。
『同伴出勤だ――ッ!?』
クラスメートの女子たちのやかましく、甲高い声に出迎えられることによって。
うるせー。あと、出勤じゃなくて登校だ。