琥珀色の瞳。
初めて彼と会ったのは、我が家で開かれた小さなお茶会だった。
そのお茶会は両親が学生だった頃の友人たちを招いた、身内だけの気軽な同窓会のようなものだと話していたのを覚えている。
参加者の親に連れられて来た子供たちは五歳から十歳前後で、その中でも私は年長の方、彼は一つか二つ年下に見えた。
もっと年少の子供たちは庭を転げ回って遊んでいる。
転んで縁石に頭をぶつけやしないか、バラの棘に刺されたりしないか、小さな池に落ちたりしないか。
周囲のことなど気にせず動くので、ハラハラした私は侍女と共に子供たちの後ろをついて回って世話をしていたと思う。
彼はそんな集団から少し離れたところにいて、観察するように子供たちを見ていた。
「どうしたの? あなたは遊ばないの?」
「……悪いって言われるから」
「え?」
「僕の顔……みんな気持ち悪いって」
「あなたの顔が?」
誰がそんなひどいことを言ったのだろう。
憤慨して近づけば、彼は少し怯えて俯いた。
ざっと見ても別におかしなところは見当たらない。
「私はどこも気持ち悪いと思わないわ」
ゆっくり、静かな声でそう言うと、彼が恐る恐る顔を上げ視線が合う。そして私は目をみはった。
彼の瞳は茶色というより黄色や、オレンジに近い不思議な色をしている。
「わぁ! あなたの瞳は宝石の琥珀みたいね」
そう言ったらびっくりしたように一歩後ずさった。
「あ、気に障ったらごめんなさい。とてもきれいだなって意味よ」
「……」
慌てて言い足せば、瞳を隠すようにもう一度うつむく。
顔立ちは整っているが、茶色の髪と相まって目の色以外は地味な印象がある。
おとなしい性格のようなので、駆け回る元気な子供たちにやり込められたのだろう。
私はお姉さん気質を出して一緒に遊ぼうと誘い、花壇へ誘った。
「ここは私の花壇なのよ。庭師のマークスに好きな花を集めてもらって育てているの」
「花が好きなの?」
そう言えば、声は小さいが答えを返してくれた。
「好きよ、色とりどりできれいだしかわいいのもあるし。私は朝晩にお水をあげる役目をさせてもらっているの」
草花の成長期は朝晩の間にびっくりするほどツルが伸びていたり、背が高くなってたりするから面白い。
「このつるバラたちは数時間でこのくらい伸びたのよ」
そう言って私は自分の左手をあげ、中指の先端からヒジまでを右手で指し示した。
彼はへぇと感心したような顔をしてくれたので満足する。
「黄色と白のつるバラは小さなアーチに絡ませて一つ二つ咲き始めたところ。お茶会がもう少し後だったら、満開になったところをあなたにも見せてあげられたのに」
「うん、見たかった」
「咲いたら招待状を送るから、また遊びに来て」
はにかんだ笑顔で頷く彼を見て、私の心臓がコトンと音を立てた。
パズルのピースがかちりとハマったような感覚。
そして不思議な確信めいた予感が私の中に降りてくる。
この子とはきっと、ずっと一緒にいることになるだろう。
私は彼の目をじっと見つめる。
「約束よ」
「うん」
私たちはどちらともなく手を繋ぎ、風に揺れるつるバラを両親が呼びに来るまで眺めていた。
だが彼との約束が叶えられることはなかった。
この出会いの直後、我が国にクーデターが起きたのだ。
発端は非嫡出子の男爵令嬢が王位継承者や有力貴族の子息たちを籠絡し、貴族社会をかき回したことだった。
その件は子息たちの醜聞で終わると思われたが、不和はおさまらず一部の貴族がクーデターを起こしてしまう。
王国軍がクーデター軍を鎮圧したが、緊張状態は長く続き、そこに隣国の手が伸びてきた。
身内の小競り合いで国力が弱っていたところに侵略された結果、我が国は自治を失い、隣国に統合されて滅びた。
今では隣国の一地方となっている。
我が国の貴族たちは爵位と領地、そして財産を取り上げられ、平民になった。
国民は亡国の責任は全ての貴族にあると考えており、軋轢や排斥が至る所で起こる。そのため多くの元貴族たちは身を守るため、他国へ移住した。
私たち一家も例外ではない。同じ場所に居つけず何国か流浪し、たどり着いた隣国の片田舎に住み着いた。
その地で父親が商売を初めたがたいして軌道に乗らず、生活は困窮している。私は口減しのつもりで街道沿いの宿屋に住み込みで働くことにした。
宿屋の仕事は大変だが、なんとかこなせていける。だが、主人夫婦と夫婦の姑、大おかみが余所者にとても厳しい人だった。
仕事が遅いと何度も怒鳴られ、打たれ、食事もほんの少ししかもらえないまま日の出前から真夜中まで働かされる。
住み込みで食事も出しているからと、給金は子供の使い走りと変わらないほどしかもらえない。
ノロマ、グズと罵られこき使われ、日々雑用に追い立てられる。
ただひたすら心を殺して生きる私の唯一の癒しがつるバラだ。
幼い頃から育ててきた黄色と白の二種類は家を出るときに植木鉢に挿し木をして持ち出した。
流浪生活のために地植えはできなかったので植木鉢のままだが、枯れずにいてくれるのが本当にうれしい。
時期になれば可愛い花を見せてくれる。
私に与えられた二階の物置部屋の小窓につるバラを置き、日々水をやり挨拶を続けていた。
日当たりがいいとは言えないが、つるバラは日々成長し、植木鉢から垂れ下がるよう伸びていく。
いつかこの小窓を彩るように咲いてくれるだろう。
それだけを楽しみにしていたら、大おかみが血相を変えて私の部屋に入ってきた。
「何やってんだい、この阿呆は!」
「え」
「こんなものがあっちゃ、つるに掴まって強盗に入ってくれと言っているようなものじゃないか!」
大おかみはそう怒鳴って植木鉢を取り上げ、窓の外へ投げ落とした。
ガシャンと植木鉢の割れる音が聞こえる。
慌てて窓の下を覗き込めば、植木鉢は割れ、つるバラは無惨に折れ曲がっていた。
「私のバラがっ」
「この余所者め! 夕食は抜きだよ!」
私は大おかみの剣幕に怯えながらも、階下に走る。
痛々しくなってしまったつるバラの残骸をかき集め、エプロンに包んでいると、主人夫婦も何事かと現れた。
私を追ってきた大おかみの話を聞いて、主人が激昂する。
「お母の言うことは間違っちゃいない。つるを伝って侵入されたらえらいことになる。まさかお前は盗賊の手先だったのかっ?」
「と……とんでもないっ」
「おい、こいつの荷を改めろ。盗賊と通じてる証拠を探せ!」
荷といっても私は二着の着替え以外持っていない。だが大おかみとおかみはその二着を引き裂くように隅々まで調べた。
貯めていたわずかな給金も取り上げられてしまう。
「何も出ないよ」
「じゃあもう他の場所に隠したのかもしれないね。こんな怪しいやつを雇うわけにはいかない」
「そうだな、今すぐ出ていけ!」
私は主人に思い切り尻を蹴られ、叩き出された。
主人一家の理不尽な仕打ちに声が出ない。
私はつるバラの残骸をかかえて、ふらふらと森へ向かう。
「どこかに植えてお水をあげないと枯れてしまう……」
早くこの子たちを助けなくちゃ。
その一心で森を歩き、日当たりのいい場所につるバラを植えた。
小川を探し、エプロンに水を含ませて、つるバラの根元で絞る。
土が色を変えて水を吸収したのを見て、私は座り込んだ。
「これで一安心ね。でも困ったなぁ……」
そう声に出す。
クビになってしまった。これからどうしよう。
今日の食事はまだもらえていなかったので、昨日の夜から何も食べてない。
「お腹、空いたなぁ……」
木の実か何かを探して口にした方がいいのはわかっているが足は動かない。私はただぼんやりつるバラを眺める。
そうこうしている間に辺りが暗くなってきた。
遠くから獣の遠吠えが聞こえ、恐怖を覚えた私は這うようにノロノロと森を彷徨う。
どのくらい歩いたのか。
流れの速い川に行き当たった。
頼りない月あかりでは森の中の深い暗闇を照らすことはできない。
森の中を歩くより、川のほとりの方が見通しがきく。
私は喉を潤し、少しぐらつく岩に腰掛け、膝を丸めて俯いた。
「ここで少し休んで、また朝になったらつるバラにお水をやらないと……」
そこではたと気づく。適当に彷徨っていたので、つるバラを植えた場所までどう戻るのか分からない。
「どうしよう……」
今まで一緒にいた黄色と白のつるバラ。もう会えないかもしれない。
そう思ったら涙がどんどん溢れてきた。
「もう、私には、なんにもなくなっちゃう……」
色んなことがあったけど、頑張ればいつか幸せになれると思っていた。昔ほどじゃなくても、ご飯を食べられて、安心して眠れるところがある。
それだけを望んでいたのに、全然ダメだった。
これから何ができるのかさえ、見通せない。
私は声をあげて泣き続け、いつしかとろとろと寝たようだ。
ふと、深い眠りから引き出されるように覚醒する。
なぜ自分が目覚めたのか分からず、ぼんやり空を仰いだ。
星空は美しく、陽はまだ昇る気配はない。
涙で汚れた顔を川の水で洗おうと立ち上がったら、ガサガサと下草を踏む音が聞こえて、とっさに身構える。
獣だろうか。
そう思った瞬間、獣に追いかけられ爪で引き裂かれ食べられる映像が頭の中に浮かぶ。
身を隠すところを探そうとしたが、足は震えてちゃんと動かない。
這うように進めば、手のひらや膝に岩が当たり痛みにうずくまってしまう。
どうしよう、ここで死ぬのかな?
「でも、もうなんでもいいや。疲れちゃった……」
恐怖と絶望と、それと同じくらい投げやりな気持ち。
だがその思考さえ、だんだんと麻痺していくのが自分でも分かる。
……食べられる時、痛くないといいけど。
そう覚悟を決めたら、雲が空にかかり闇が深くなる。
そしてガサリ、と枝を掻き分けて大きな黒い影が川辺に現れた。
四つ足じゃなく二本足だ。
頭から黒いマントをすっぽりかぶっていて、まるで死神のよう。
マント越しにもその長身と屈強な体格が見てとれる。
もしかして街道沿いに現れる盗賊だろうか。
捕まったら、いたぶられて殺されるのだろう。
怖い。
麻痺したはずの思考に強い恐怖が戻ってきた。
逃げることもできず、ガタガタ震える私に盗賊が近づいてくる。
その時、動けない私の両足にするりと何かが巻き付いた。
「ひっ、蛇っ!?」
命を諦めたつもりだったのに、本能的にそれを振り払おうと手を伸ばす。
「え?」
だが感触は蛇ではない。
目を凝らしていると、呼応したように雲が晴れて月明かりが戻る。
そのおかげで二本の長く、細いつるが私の足に巻き付いているのが見えた。
「これは……」
つるの向こうは盗賊へ真っ直ぐに伸びている。
私の視線を受けて、盗賊はマントから布袋に入れられたつるバラを取り出した。
「あなたたち……」
見間違わない。私のつるバラだ。
つるがありえないほど伸びて、私に巻き付いている。
「あの……」
混乱した私から少し離れた場所に盗賊は座り込む。
恐る恐る盗賊をうかがえば、マントのフードをばさりと下ろした。
闇夜に猫のような黄色い瞳が浮かび上がり、ひた、と視線が合う。
この色に見覚えがある
陽光の下では少しオレンジが強かったはずだ。
「……夜は黄色が勝つのね」
そうつぶやくと彼は瞳を見開いた。
「……覚えていたのか」
「あなたのことを? 忘れるわけないわ。そんな綺麗な瞳を」
そう言うとあの時もみたいに彼は目を恥ずかしそうに伏せた。
そして彼はつるバラの入った布袋をそっと私に差し出す。
受け取って胸に抱えたら、つるはシュルシュルと縮んで布袋の中に収まった。
「素材探しに森へ入ったら、この花を見つけて」
君のつるバラだとすぐに分かった。
そう言う彼に今度は私が「覚えていたの?」と問う。
「あの日のことを忘れるわけがないだろう」
微笑した彼が、懐かしそうに私を見つめてくる。
気恥ずかして今度は私がうつむいてしまう。
「俺が近づくと、つるバラが必死に訴えるようにざわついたんだ。君はどこにいると聞けば子供のように身をよじってきた」
「か、風が吹いたのではなくて?」
「違う。だから君に何かあったのだろうと思って、つるバラに魔法をかけた」
「魔法?」
「君の元へ案内するようにとね。俺は魔術師なんだ」
盗賊ではなかったのか。
「そう……なの。そんな魔法があるのね」
「最近開発した。愛用品などから持ち主を探す」
「すごい」
魔法を開発することができるなんて想像もつかない。
でも彼はなんてことないような表情のままだ。
「おかげでこの子たちに会えたわ。連れてきてくれてありがとう」
「いや。……何があった?」
彼に問われ、ポツポツと事情を話す。
主人一家の対応に彼は憤り、そして私に食べ物を分けてくれた。
木の実入りパンはとても美味しい。
魔法でお湯も沸かし温かいお茶を二人で飲んでいたら、またポロポロと涙が出てくる。
彼は痛々しげに私を見つめ、小さくつぶやいた。
「こんなにやつれているなんて……見つけられないはずだ」
「え?」
「俺はさっきのような魔法じゃなく、人の魔力を判別できる。だから君の魔力を追って行方を探していた」
「私の魔力? 教会で判定を受けた時に魔力はないと言われたわ」
「十歳になったら受けるものだろう? だが人間は誰でも魔力を持っているんだ。強いか弱いかだが……君は弱い」
「そう、なの?」
「それに君は、あの頃から魔力をつるバラに分け与えていたから」
「えぇと?」
彼の言っていることが分からず、私は子供のように首を傾げた。
「君が俺につるバラを紹介してくれたとき、わずかずつだが、魔力も注いでいた。おそらく水をやる時にも魔力を流しているはずだ」
そうなのだろうか。まだ不思議顔の私に彼は「無意識でやっていたと思う」と付け加える。
「だから今や、このつるバラは君の使い魔のようなものだ」
腕の中の黄色と白のつるバラは、彼の言葉を肯定するように震えた。
「そして」
彼は少し視線を逸らして続けた。
「俺たちの魔力は増幅し合う」
「魔力が?」
「あぁ。今さっきも、君と出会った時も、魔力が共鳴し合ったのを感じた」
彼はそう言うと、ひそやかに続ける。
「……初めて会った時、君に一目惚れをした」
私はその言葉に出会ったときのように胸がときめいた。
「会えない間は、何か欠けたままのような気がして居ても立ってもいられなかった。だからずっと探していた」
「探して、いてくれたの?」
「会う約束をしただろう。俺の魔力で、すぐに見つけられると思っていたのに、こんなに長い時間がかかってしまった」
彼は悔しそうに言う。
今はすっかり大人びた、私より年上に見える彼の表情に、出会った時の面影が過ぎる。
私の胸が、あの時と同じようにコトンと音を立てて動き出す。
「私も会いたかった。見つけてくれて……本当にありがとう」
「これからずっと、俺と一緒にいてほしい」
「……はい」
私たちはどちらからともなく、手を繋ぐ。
じんわりとあたたかくて、不安や体の疲れが消えた。
彼は興奮したように声を上げる。
「すごい」
「え?」
「俺の魔力がぐんぐん強まっていく」
「そうなの? 私は感じないわ」
「そばにいれば、そのうち分かるよ」
そう言うと彼は琥珀色の瞳をうれしそうに細めて微笑む。
彼の瞳は空に浮かぶ三日月と同じ色をしていた。