007-約束の言葉
呼吸を整えながら、騙し騙し、痛みを緩和させているが、時折り深呼吸をするとリズムが崩れるのか、激痛がクシードの全身を襲った。
本当に耐え難い痛みだ。
負傷した右肩の血は相変わらず止まってくれない。
機能が停止したナノマシンスーツは、色こそ黒色で分からないが、出血した血で染まっている。
そして、超集中の反動もあり身体が重い。
満身創痍の中、クシードは身体を引きずる様にして林道を歩いていると道を少し外れた場所に、数十分前に見た“青色”が、うずくまっているのが見えた。
あれで蜂どもから隠れていたつもりなのだろうか?
クシードは彼女に近づいた。
足音で気付いたのか、彼女はゆっくりと音がした方を振り向き、クシードを認識すると、ゆっくりと立ち上がった。
「……」
虚ろな表情……、なんだか様子がおかしい。
確かにクシードの身体は悲鳴を上げている。
大怪我をしていることは間違いなく、ナノマシンスーツに切創の跡はあるが、怪我の程度は分かりにくい。
平然を装っているつもりだが、彼女は怪我を心配している様子は全くと言っていいほど感じられなかった。
「ど、どうも……、先程は……その……」
怪訝に思いながらもクシードは会話を試みたが、脳裏に一瞬、運命の出会い発言が頭をよぎった。
「―――――――ガ……」
「ん?」
何か言葉を発した彼女は両腕を前へ伸ばした。
そして、一歩一歩、大地を踏みしめる様に、ゆっくりと近づいてくる。
「――ガ――――ケケ――ガ――……」
焦点の合っていない目をしながら何かを呟き、じっくりと近づいてきた。
……奇妙な光景だ。
「……がケガケガガケケけガ――がケケガ――」
距離が詰まるとハッキリ聞こえる。
妙なうめき声……というか呟き。
腕を伸ばしながら、じわりじわりと近づいてきている。
この姿は――。
「ゾンビ……?」
なんでまた急にホラー?
相手が一歩前進すると、クシードは一歩後退していた。
「ゲガケガケガエガケガケガガガケガケガ――」
「クッ!」
ドラゴン、蜂と来て次はゾンビ。
異世界だからって、こんなデタラメな組み合わせは有りなのだろうか……。
しかし、三度も重なる戦闘。
深傷を負った身体でどこまで戦えるのか……。
それに相手はゾンビと分かっても、グロさはまだ無く至って普通の美人。綺麗な人型を保っているため、撃つのは気が引ける。
クシードは、まずは威嚇射撃をしようと、左手で拳銃“ファンネ”を掴み、ホルスターから引き抜こうとした。
「!」
――が、背後にあった樹木に腕をぶつけ銃を落としてしまった。
そして落とした銃がなぜか見つからない。
突然の事で色々と訳がわからないが、唯一分かるのは、非常に危険な状況であること。
銃を無くし、視線も下に落としている。
至近距離にいる敵から目を離すのは自殺行為だ。
クシードは早急に視線を元に戻す。
だが、目に映った光景――。
「ゲェガガガガァァァァァァーーーーッ!」
口を大きく開けて、両腕をクシードの顔に伸ばして迫ってくる女ゾンビの姿があった。
猫の耳と尻尾がある通り、口の中にはネコ科特有の鋭い犬歯が見える。あの牙を持って愛しい人を激しく求める様に絡みついてくるのだろう。
好きすぎて食べてしまいたい、と美女に言われるのは大歓迎であるが、目の前にいるのは美人ではあるがゾンビ。
本当に食べられてしまう。
回避行動に移らなければ――。
けれどクシードの身体は、超集中の反動や怪我で既に限界を迎えていた。
捕まると殺られる。
スウェイで避けて間合いをとりたいが、身体が思うように言う事を聞いてくれない。
身体よ、動いてくれ……。
頼むから……。
『――どうかご無事で』
途中で終わってしまったが、ミオが充電切れ前に言おうとした最後の言葉がクシードの頭に浮かんだ。
ミオはこの異世界をずっと行動を共にすることは出来ないと、最初から予想はしていた。そのため、最後の言葉は、これからの旅の安全を祈願する言葉だったと思う。
クシードの家から少し離れた場所で暮らしている彼の両親も、モンスター駆除という危険な仕事に身を置くことに反対はしなかったが、心配が絶えないと口をこぼしていたことも同時に思い出した。
怪我や病気は家族を、ひいてはミオも心配させる。
いつも安全と健康を最優先に、と言っていた。
それと、クシードが子供の時から両親と約束していたことがある。
どんな時も、“ただいま”と言って帰る。
元気に明るい顔で、ただいまと言って父親と母親の元へ帰ってくると。
約60年前の2040年代に天変地異や、世界的な大戦争の勃発により発生したとされる生物の変種、モンスター。
この脅威を除去する仕事は、人々の生活を守る大切な仕事。同時に自身の命を危険に晒す仕事でもある。
クシードは幼少期から銃の扱いが得意で、学生時代はアルバイトとしてモンスター駆除業に励み、高校卒業後はモンスター駆除の専門会社に入社。
20歳の時にモンスター駆除をメインとする“何でも屋”を独立し、取引先にも恵まれて仕事は順調だった。
ごく普通な一般家庭の生まれで、優しい両親に大切に育てられきたクシード。
モンスターの駆除をして救われた人がいると聞けば、心配をしながらも両親は喜んだ。
立派に育ってくれて良かったと――。
しかし、モンスターの駆除は油断をすれば大怪我をする。
準備は入念に、そして悲観的に。あらゆる条件を想定しながら現場へ向かう。
駆除活動中は理不尽な事が多い。だからこそ楽観的に挑まなければならない。
他の業種の仕事でも言えることだが、命に関わることなのでなおさらだ――。
だが、今回ばかりは理不尽が多すぎた。
原因不明で異世界への転移。
想像上の生物ドラゴンとの戦闘。
物資の紛失。
未確認で新種の蜂型モンスターとの戦闘。
そしてミオの充電切れ……。
一体何があってこのような目に遭わなければならないのか?
数多の生命を奪ってきた代償か?
しかしそれは、人間の生活に危害を加えたモンスターのみだ。
弱い人達を脅威から守るために戦ってきた。
なのになぜ……?
考えても理由はわからない。
到底、思いつかない。
様々な思いがクシードの頭の中を巡っているが、ただひとつ、彼が分かっていることは目の前の事実。
ゾンビ映画系でよく見る、命の灯火が消える最後のシーンだった。
父さん……、母さん……、ミオ……
約束した“ただいま”の言葉。
どんなに辛いことや嫌なことがあっても、玄関の前で泣き止み、口角を上げて両親にかけてきた言葉。
どうしても乗り越えられなかった時は、必ず両親は気づいてくれた。
いつも優しく暖かく、時には厳しく、とても大切に育ててくれた父親と母親……。
今度の休日は両親の結婚記念日なんだ。
久しぶりに帰省し、いつものテレビ電話では無く実際に会うつもりだった。
それこそ、プレゼントを持ち感謝と祝福の言葉を添えて――。
最高に明るい笑顔で、“いつもの約束”を守りに行くつもりでいた。
だが、その約束は……。
その約束はもう……。
守れそうに無い。