030-野に咲く漆黒の妖艶花
クシードはレッサーテングの討伐について相談しに、ニッコーサの店へ訪れていた。
予算の都合上もあるが、洞穴内は狭いこともあり、武器は拳銃であるデルバデルスで十分だそうだ。
それより、洞穴内は暗いため、生活魔石のヴィスタを内蔵した暗視ゴーグルと閃光弾の使用も推奨してくれた。
魔法が発達した世界なのに、暗視ゴーグル?
“凝視”と言う、暗所や濃霧、砂嵐の様な場所でも視界が確保できる支援グリスタがある。
だが、個人がグリスタを装備できる個数は3〜4個が平均的で、いくら脱着が容易とは言えど、実際は急に戦闘が始まるもの。
いちいち換装させる余裕は無いので、貴重な一枠を埋めてまで装備する必要は無いそうだ。
そのため、多くの冒険者は暗視ゴーグルを使用しているんだとか。
「気をつけてね、クシードちゃんッ! また顔を見せに来るのよッ!」
「暗視ゴーグル返しにまた来ますって!」
予備も含めた暗視ゴーグルと、レッサーテング戦用の道具を揃えたクシードはニッコーサの店を後にした。
時刻は午後16:00手前。
クシードは、夕飯の食材を買いに商店街へと向かった。
さて、今晩は何を作ろうか――。
◆◆◆
ニッコーサの店から商店街までは、少し距離がある。
交易が盛んなルシュガルは、東西南北から伸びるメインストリートを軸に、ニューヨークのマンハッタンで見られる様な格子型の構造をしている。
――コッチの道を通ってみようかな?
クシードはいつもメインストリートをよく利用するが、路地を通ればショートカットできることもある。
夕飯までは時間に余裕があるので、気分転換に通ってみることにした。知らない道を敢えて通り、街を知るのもいい機会だ。
クシードが選んだ道は、大通りから分岐した幅5m程の道。
人通りはまばらだ。
少し歩くと、路上でポツンと絵を販売している露店を見つけた。
普段であれば、気に留めることも無く通り過ぎるのだが、なんとR指定のいかがわしい絵が何十枚と並べられていたのだ。
あまりにも衝撃的な光景に、クシードは二度見していた。
コンプライアンス的に大丈夫なのだろうか?
いずれも自主規制でモザイク処理にされる男女のあーんな絵や、こーんな絵ばかりである。
売り主は不在なのか、小さな椅子の上には、どこか見慣れた青色の花を描いた絵があった。
写真立ての額縁に丁寧に納まっている、青く小さく可憐な花。
こればかりは唯一規制されない絵だ。
「これ……勿忘草(ミオソティス)かな?」
クシードは、懐かしさを感じながら、小さな椅子の上にある、青色の花の絵を手に取って眺めていた。
「ゴメンねぇ〜、それ売り物じゃあないんだぁ〜」
クシードが花の絵を眺めていると、後ろから声が聞こえた。おっとりと間延びした口調で話す女性の声だ。
「お花を摘みに行ってましてぇ〜」
クシードが振り返り、僅かに視線を落とすと、このたくさんのヤバい絵を描いた本人であろう、頭に牛のような突き出しの角を生やした、コーヌ族の女性がいた。
艶のある黒色で少しウェーブがかったミディアムボブヘアに、若干タレ目の黒い瞳とラメの入った淡いピンクベージュのアイシャドウ。
グロスが効いて、ぷっくりとした唇と右下にはホクロがある。
ミルフィやパーレットとは全く違う、オトナのオンナの色気が漂うお姉さんだ。
そして何よりも、コーヌ族の女性は必ずと言っていいほど、豊満なバストの持ち主である。
黒をベースに紫のレースが施されたシックなデザインの割に、やけに胸元が大きく開いたホルターネックのワンピースを纏っている彼女。
クシードとの身長差からくる上目遣いという相乗効果も重なって、男の欲望がムラムラと刺激される。
「綺麗な花の絵やと思いまして、つい……」
「えへへぇ〜、ありがとぉ〜。でもぉ〜、こっちの絵も見てほしいなぁ〜」
鼻の下を伸ばしながらクシードは、コンプライアンスに抵触している絵画達を見渡した。
「……芸術レベルがムチャクチャ高すぎて、ボクには分からないんですけど、やっぱり高尚な趣味を持たれた方がお求めに来るんですよね?」
「う〜ん、どぉだろぉ〜? 誰も買ってくれないからぁ〜、分かんないなぁ〜」
――でしょうね。
「それよりもぉ〜、……おねえ……おにい――?」
「お兄ですッ!」
断じて、オネエでは無い。
「お兄さんッ! 一枚どぉですかぁ〜?」
って言われても、こんな絵を持ち帰ると、ミルフィにドン引きされる。かと言って、どこかに捨てるのも、それはそれで問題だ……。
「これらの絵は、よう分からへんので、出来れば花の絵の方がいいんですけど」
「ん〜、それ非売品ん〜。なのでぇ〜、コッチの絵を買って欲しいなぁ〜。1ジェルト……、う〜ん、50クレインでもいいのでぇ〜。生活に困っているのぉ〜」
「花の絵を書いた方がええんやないんですか? 現に、ボクがこうやって惹きつけられたやないですか?」
「えぇ〜、あんまり、描きたいと思わないよぉ〜」
描きたいものしか描かない。
芸術家あるあるだ。
「生活のためには描かなあかんと思いますよ?」
「そうだけどぉ〜……、でもぉ、実はぁ〜」
飄々としたこのコーヌ族の女性は、少し前屈みになって腕を組み、大きな胸の谷間を強調して、クシードの隣に寄り添ってきた。
「ナ・イ・ショ・の・オ・シ・ゴ・ト、をしてるんだぁ〜」
……ゴクッ……。
ないしょ の おしごと だと。
「気になるぅ〜? 絵を買ってくれたらぁ〜、教えてあげるよぉ〜」
ふわりと香るジャスミンの様なフローラル系の香り。
これは嗅覚も誘惑されてるぅ。
彼女は人差し指を口に当て、クシードの顔を下から覗き込む様にして微笑えんでいた。
これは、もしや……。
こういった機会は、異世界に来てからはからっきしで、ご無沙汰だ。
分かってはいる。
分かってはいるけど、ニーズが発生している。
需要があるので供給しなければならない。
「い、1じぇるとで、いちまいの、えを……」
「絵はぁ、1ジェルトでいいよぉ〜、でっもぉ〜、情報料としてぇ〜、合計……800ジェルトかなぁ〜?」
財布の中には500ジェルトぐらいあったハズ。
様々な冒険者から聞いた話だと、プロの店のプロによるプロの仕事にプロが求める費用は、平均2,500ジェルト。
もちろん、粗悪なプロの店も存在するが、その場合は安かろう悪かろうである。
しかし、今は2,500ジェルトを要求されてもおかしくない状況だ。
800ジェルトなんて破格である。
……だが、ここで値段交渉をしてでも欲望に負けたら、ミルフィに何て説明すれば良いだろう。
家ではお腹を空かせて健気に待っているのだ。
そして現在も家賃、光熱費、食費など生活費を色々と工面してもらっている……。
そうだ。
そうなんだ。
ここで負ければ、ミルフィを裏切ることになりかねない。
「……ごめんなさい。晩御飯作らなあかんのでしたわ。帰りを待ってる人がおるんです」
断腸の思い。
苦渋の決断。
またしばらくは左手が頼りになる……。
「えっ! お兄さん素敵ぃ〜。カッコイイィ〜」
コーヌ族の女性は、目を輝かせてクシードを見つめていた。
なぜかよく分からないが、気に入られたようだ。
「そのお花の絵、お兄さんにあげるぅ〜」
「これ非売品ちゃうの?」
「気が変わっちゃったぁ〜。なのであげちゃう〜」
「……金は1クレインも払わへんけど、ほんまにいいんですか?」
「いいよぉ〜、あっ、でも代わりにぃ、お名前だけでも教えてほしいなぁ〜」
名前など聞いてどうするつもりだろうか?
電話や電子メールなどが無いこの世界で、名前だけ聞いても連絡先は分からないと思うが……。
怪訝に思いつつも、クシードはコーヌ族の女性に名前を教えた。
「ウチはアマレティ・ショコラーデ。アマレティって呼んでね、クシードォ〜」
「ほんなら、アマレティさん――」
「アマレティッ! 呼び捨てにされたいぃ〜」
やっぱり変な人だな、っとクシードは一瞬思ったが、大抵の芸術家は変わっている。
逆を言えば至って普通の絵描き屋なのだろう。
「アマレティ、この花の絵、貰ってくでッ!」
「あぁ〜ソレソレッ、いい感やぞいねぇ〜」
「……ほな、これで行くわ」
「は〜い、またお喋りしようねぇ〜、ばいばぁ〜い」
両手を大きく振って再会を願うアマレティを背に、クシードは商店街へと向かった。
セクシーな見た目に反して、ほんわかキュートでミステリアスな性格のアマレティ。また、お喋りをしに会いに行きたくなる不思議な魅力のある女性だった。
次に会う時は、多めにお金を持って行こうと思う。
◆◆◆
「ただいまッ!」
「おかえり……」
「見てみ、ミルフィ。花の絵もらったんやで」
「かわいい、絵、やんな……」
「そういや、本当は何て名前の花か聞いてへんかったな」
「じゃ、じゃあ、今度、おお花屋、さんに、行って、みみよ……」
アマレティから貰った花の絵は、リビングのテーブルの上に飾り、クシードは夕飯の支度を始めた。
今晩のメニューは、パンをベースに、エビとキノコのアヒージョ、そしてアスパラガスとチーズの生ハム巻きだ――。
「そういや、この花の絵な、路地の道端で絵を売ってるコーヌ族の女の人がおって、その人からもらってん」
夕食を食べながら、クシードは花の絵についてミルフィに話していた。
「道端……、おんなの……ひと……」
ミルフィは目を丸くしながら、何か思い詰めた様子で言葉を口にした。
「なんや? オレ、何かヤバいことでもしてしまった?」
「あ、あの……あのな……、パパも、ママも、その、ろ、露天商の、人と、絶対に、かかわったら、あかん、って、何度も、言うて、たん、やわ……」
なぜ露天商と関わってはいけないのか、ミルフィは理由を知らない。両親の言っている事だからと、素直に彼女は従っていた。
何にしろ、ミルフィの両親が“絶対に関わるな”と強く忠告しているとなれば、おおよそ察しはつく。
何かトラブルが起きなければ良いのだが……。




