001-異世界転移した青年の物語
いつの間にか景色は変わっていた。
原因は分からない。
でも、わかる事は命を落としたわけでもなければ、高いところから落ちたり、眩しい光にも包まれていないこと。
クシード・シュラクスは、ドイツとオーストリアの国境付近で見つかった遺跡を調査中だった。
神出鬼没であるモンスターとの戦闘に備え、検知レーダーを展開しライトを点灯しながらアサルトライフルを構え、神経を張り巡らせていた。
周辺を注意していたが、特別変わったところはない。
しかし突然景色が変わり、クシードは目を疑った。
――日差しがまぶしい。
彼のブルーグレーの瞳には、澄み切った青空と壮大な草原が映る。
爽やかで暖かい風が吹けば、耳が隠れるまで伸びた艶のある銀髪を撫でていた。
周囲を見渡しても同じ景色が続き、後ろへ下がっても遺跡には戻らない。
手を伸ばしても、どうゆうわけか数秒前まであった古びたコンクリートの壁の感触はなかった――。
「く、クシードさん、大変ですッ! GPSの反応が……消えました……」
女性型自律AIミオソティス、通称ミオ。
彼女は慌てていた。
クシードの右腕に装着された腕時計型PCから、体長約30cmのホログラフィーで出力され、勿忘草の様な青色のショートボブヘアから覗く、黄金色の眼を大きく開けていた。
「GPSの反応が……って、それ以前にオカシイことが起こりすぎなんやけど……」
仮想現実による演出かと思ったが、遺跡内はネットの電波はおろか電気すら通っていない。それに、足元に生える短い草花の絨毯を踏む感覚はかなりリアル。
仮想空間はコンクリートを草原に見せることができても、感触まで表現は不可だ。
どう考えても屋外にいる。
何より不可解なのが、GPSの反応が消えたこと。
青空が見える空間でGPSの電波が受信できないなど、到底考えられない。
「一体どうなって……ん?」
クシード達は状況を理解できず周囲を見渡していると、晴天の青空には似合わない黒色の飛翔体を見つけた。
この飛翔体の躯体からは首が伸びており、先端には引き締まった小さな頭。そして、2本の角。長い尻尾に、逞しい前足と後足の四足体があり、蝙蝠の様な翼もあった。
地上から見上げているこの場所からでは、その大きさは分からないが、戦闘機や無人機では無いと、すぐに理解できる。
実際に見るのは初めてだが、不思議と既視感はあった。
絵本や映画などで見たことがある“アレ”。
「なぁ、ミオ、空を飛んどるアレ……」
「アレですよね――」
クシードが真紅のコートの下に着用している漆黒のナノマシンスーツ。この身体能力強化スーツには、首元を一周するようにカメラが配置されいる。
カメラのズーム機能を稼働させ、ミオは既視感のある飛翔体、“アレ”を確認した。
「すごいッ! すごいですよッ! アレ、ブラックドラゴンじゃあないですかーーッ! 私、初めて見ますぅーーッ!」
「何で、“珍しいもの見つけました!” みたいな言い方やねん……」
飛翔体“アレ”は、どう見ても創作物でお馴染みのドラゴン。
空を優雅に飛んでいたが、観光客の様に眺めているクシード達の存在に気づいたのか、ブラックドラゴンは大きく旋回を始めた。
「ん? なんや……? こっち来るで」
「どうしたのでしょうね?」
ブラックドラゴンは飛行機の主翼に見られるフラップを下げて減速する様に、その巨大な躯体を垂直に起こして着陸体勢となって、クシード達の元へと迫ってきた。
ドォォォーーンと、轟音が鳴り響き、地面が揺れる。
ブラックドラゴンとの対峙。
その大きさから、自然と目線は上がった。
体長は3階建の一軒家ぐらいだろう。
鈍く光る黒色のボディは、重量感もあり威圧感は凄まじい。
気づくとクシードは1歩2歩と、後ずさりをしていた。
これも仮想現実……にしては出来過ぎた演出だ。
かと言って、ドラゴンなんてモンスターはこの世には存在しない。
モンスターの誕生は今から約60年程前の2040年代。この頃、天変地異や世界的な大戦争が勃発し、生物界に異変が生じてモンスターが誕生した。
この人間や家畜を襲う異形の生物は、毎年の様に新種が発見されるが、さすがにこんな巨大ドラゴンはいない。仮に存在したとしても、今までニュースにならなかったのが不思議なくらいである。
でも今はどうだろうか――?
SNSに投稿すると、“リアルすぎィィィ”や“ガチ過ぎて吹いた”、などのコメントでバズりそうな生き物が目の前にいる。
「なっ……、なぁミオ、このドラゴンどう思う?」
「ビッグデータにアクセスできないのでわかりません。けど、私のストレージ内のデータを見てもドラゴンなんて創造上の生き物ですよッ!」
「やっぱ、そうやよな……」
「あー、でも、えっと、データ内整理して推測とかしますので、あのー、えーと……」
高性能な演算能力を持つAIでも、情報処理が追いつかないくらい不可解な現象……。
困惑しているクシード達は差し置いて、ブラックドラゴンは肉食獣のような重厚で低い唸り声を出し、これは一体何だろうか? と、懐疑的とも思える眼差しでクシード達を見ていた。
「これ、挨拶とかした方がええんかな? 勝手に敷地に入ってすいません的な……」
「無意味ですよ……あーいや、でも、ドラゴンは大体知能が高いですから会話ができますよッ! たぶん……」
創作物の世界では、ドラゴンとの会話が可能な作品も多い。
クシードは挨拶を試みるため、恐る恐るブラックドラゴンに近づいた。
「……こ、こんにちわ、ええ天気で――」
「グオオオオオオォォォーーーーーーーッ!!!」
元気な返事と言うより、もはや咆哮。
ビリビリと大気は揺れ、大きく開けた口の中には、鋭利な牙が並んでおり恐怖度をより一層底上げされる。
それ以前に会話は成り立っているのだろうか……。
ブラックドラゴンは涎を垂らし鼻息も荒くしながら、一歩ずつ、ゆっくりとクシードの元へと近づいた。
「なぁ、ミオ……、あの涎の感じは……」
「エサとして、見られて……ますよね……」
まさかの歓迎ではなく捕食……。
アフリカのサバンナへ放り出された感覚だ。
弱肉強食の世界に放り出されたと考えた方が早い――。
「ミオッ、戦闘システム起動やッ!」
「はいッ、了解ですッ!」
クシードは正面にいるブラックドラゴンの動向を注視しつつ、携行しているアサルトライフルの安全装置を再び解除した。
同時に、ミオは祈りを捧げるように目を閉じ戦闘システム起動の準備を始める。
「――バッテリー残量 82%、ディメイションバランサー調整完了、ブレインインパルスデータ接続、更新、フィジカルアシスト正常……、システムオールグリーン。クシードさん、行きますよッ! 戦闘システム、起動ッ!」
戦闘システムが起動した漆黒のナノマシンスーツに、鈍い赤色に発光するラインが流れた――。