010-未知なる懇親会
どうやら、彼女は純粋に人との会話が困難な、俗に言うコミュニケーション障害の持ち主なのだろう。
冷静に考えれば、これまでの奇行は宗教の勧誘のための演技だとすると、ツッコミどころ満載である。
――思い込みと言うのは非常に厄介だ。
彼女は幼少期からずっと人付き合いが不得意で、満足に話すことも出来ず、話したとしてもあの調子、周囲から変人として見られていたそうだ。
友達に恵まれず、ずっと独りだったと言う。
クシードにも理解できるところがあった。
彼は、男性でありながら女性の様な顔立ちと声をしており、華奢でしなやかな体つきをしている。
しかし、身も心も“男性”だ。女性の様な乳房の膨らみは無いが、少しくびれた腰を持つ特殊な体型の男である。
もちろん、男であるためアレはある。
しかし、トランスジェンダーでは無い。
見た目と中身が合わないことから、周囲に奇人として見られていた。
クシードの世界では、コミュ障やLGBTQについて理解は進んでいるが完全ではない――。
この異世界の街並みは、お馴染みの中世ヨーロッパだが、白熱電球があるあたり、おそらく20世紀初頭、近世ヨーロッパと同じような文明だと思える。
歴史的に考えてみて、クシードが生活していた22世紀に比べると生活水準は低いだろう。
となれば、ダイバーシティ(多様性)に関するような教育は進んでいないので、理解を得られることも無く、コミュ障に対する差別や偏見は酷かったと思う。
人は安定を好み、変化を嫌う。
理解できない変わりものには危機感を覚えるものだ。
もしかしたら、辛い人生を過ごしてきたのかもしれない。
それなのにこうして、コミュニケーションをとろうとするのは、自分を変えたいと言う意思表示なのだろうか――?
「…………」
「…………」
「お待たせしましたッ!」
ボーイが元気よく食事の配膳に来てくれたが……。
「……ぜ、前菜の、キッシュです」
会話が進まなくなり、何かの気配を察知したのか前菜を手際良く配置した後、ボーイは逃げる様に自身の持ち場へと戻っていった。
「せっ、折角なので、温かい内に頂きますか」
異世界のキッシュ。
ベーコンとほうれん草が入って美味しそうだが、3〜4日前の朝食で食べたキッシュとあまり変わらない。
異世界なのに、食べ物が共通……。
――彼女の素性は何となくわかった。
しかし、何を話そうかクシードはキッシュを食べながら悩んでいた。
彼女はコミュ障でボッチ。
そんな彼女がコミュニケーションを取ってくる。
と言うことは、友達が欲しい……のだろうか?
コミュニケーションにおいて、相手に興味を持つのは会話の基本と聞いたことがある。そのため、ここは、セオリー通りに進めるのが良いのかもしれない。
だが、異世界人相手に何を話そうか……。
……いや、ここは発想を変えてみるべきだろう。
身寄りのない外国で生活することになった、と想定しよう。
そうなれば、安定した生活を送るためにも、現地人と仲良くなる事が必要だ。
幸いにも言葉は通じ、目の前には奇妙だが友好的な現地人がいる。
「あの……、アートヴィーレさんは、ずっと独り的な事を言ってましたけど、今も独りなんですか?」
彼女は覇気もなくコクリと頷いた。
「そっかぁ、なんて言うか、そのー、独りじゃないと思ったんはボクだけ……なんですね〜」
「……?」
「ほら、会話が苦手って言ってますけど、そのぉー……、なんや、案外できてますやん?」
「…………?」
「現にこうやってコミュニケーショとれてますでしょ? ご飯も美味しく食べれてますやん!」
「――――」
声が小さ過ぎて何を言ったか聞こえなかったが、顔がほころんだのだけは分かった。
想定以上に感触は良い。
これはイケる――。
「あと、字がメッチャ綺麗ですよねぇ〜。実はボク、読み書きができないんで、教えてもらいたいんですよぉ〜!」
“教えるなんてとても……”と言いたそうな顔をしつつ、彼女はハニカミながら頭を横に振った。
本当に読み書きできないから、本当に教えてもらいたいんだよなぁ――。
「それよりも、今みたいに筆談で読み上げるスタイルやと、会話の練習になると思いません?」
彼女は少し考えるそぶりを見せると、コクリと頷いた。
「会話の上達のコツは、やっぱりしゃべる事やと思うんですよ」
「……」
「そして、その書いた文章は、ボクの文字の教科書になるわけなんですね」
「――――」
口元が僅かに動いたが、何を言っているかは分からない。しかし、元気が無くなっていた猫型の耳がピーンッと立っていた。
「ボク、冗談抜きで読み書きができひんので、お互いに協力し合って、助け合いませんか?」
目線は下を向いているが、頬を両手で抑えると彼女はゆっくりと頷いた。
――では、こちらの契約書にサインを。と言ったら契約がもらえそうな勢いである。
どっちが宗教の勧誘なんだか……。
「――――ぃ……」
“うれしい”とも聞き取れた。
とても小さな声だったので、正確にはわからない。
しかし、目からは涙がポロポロと落ちていたので、喜ばしい状況に間違いが無いだろう。
「スープ料理の……ラタ……、トューユ……、をお持ちしましたぁ〜……」
このタイミングでボーイが次の料理を持ってきた。
怪訝な顔つきでクシードを見た後、手際良く配膳し、再度逃げる様に持ち場に戻って行った……。
べっ、弁解の時間を……。
ボーイから見れば、どんよりと暗い雰囲気ときて、次に来てみると涙を流しているシーンに遭遇している。
目の前の女性は、悲しくて泣いてはいない。
嬉しくて泣いているんだ……。
精神状態を軽く掻き乱されつつも、クシードは早速、スープ料理のラタトゥーユを頂きながら、会話の練習に入った。
会話の練習とは言っても、美辞麗句を並べる様な会話では気苦労感が否めない。コミュ障の改善には親密度を上げることだと思うので、もっとフランクに会話を楽しむ方向性でいるつもりだ。
「そういや、アートヴィーレさんは、ご家族との会話も苦手なんですか?」
彼女は首を横に振った。
「なら、ボクを家族やと思って接するのはどうです? なんて言うか、その……、色々質問するから話しやすい感じで話してみるとか?」
彼女はコクリと首を縦に振った。
「よし、そんなら、まずはオレのことを呼んでみよう! えーっと……ミルフィッ! オレを家族やと思って接するんやでッ!」
ミルフィはウンウンと頷くと、胸に手を当て、スーハーと深呼吸をして息を整えた。
スケッチブックは、クシードの名前をメモしたページを開いている。呼び間違えることは、まずない。
“名前を呼ぶ”と言うシンプルなことだが、彼女は一般人とは少し違う。簡単な事も容易に出来ない。
誰もができる当たり前の事を、彼女は出来ないのだ。
別にそれをバカにして見下すつもりは毛頭ない。
ミルフィは自分を変えたくて頑張っているのだろう。そんな彼女を笑うのは言語道断だ。声が裏返っても、噛んでも気にしない。
変でも失敗しても、次に上手いことやれば良いだけのこと。
そのために、キッチリとフォローはする。
しかし、こうゆうのは自分との戦いである。
代わりには戦えない。
けど、背中を押したり、倒れない様に支えることもできる――。
ミルフィは、準備が整ったのか、キリッとした佇まいを見せると、口唇が動いた。
クシードもその様子を、集中して物事に取り組んでいる子供を見守る父親、の様な温かい眼差しを送っている――。
「お姉ぇ……ちゃん」
……。
「オレ、男やでッ!」
「……えぇぇーッ!」




