009-落ち着いて、そして冷静に
異世界の街。
内部の街並みは、異世界系ではお馴染みの中世ヨーロッパ。
大きな門をくぐったクシード達は、メインストリートを歩いていた。
石畳でできた自動車4〜5台は通れそうな広い道路と、その両脇には歩道と街路樹が目に映る。
グレーの石畳の道に彩りを添えるかのように、ドイツのローテンブルクで見られるようなメルヘンチックなデザインやビビットカラーで塗装された色彩豊かなが建物が規則正しく並んでいた。
どこかノスタルジックな雰囲気が漂う街並みだ。
クシードは彼女に連れられてしばらく歩いていると、中央に噴水が目立つ公園に着いた。
公園に着くと彼女から、ここで待っていて欲しい、とやっとの思いで理解したクシードは、颯爽と去っていく彼女を見送った――。
夕陽は沈み、黄昏時となった公園のベンチに座り、彼女を待つクシード。
街灯が放つオレンジ色を眺めていると、嗅ぎ慣れた香りが鼻をくすぐった。
この香りは、おそらくラベンダー。
トイレの芳香剤で使っているので、多分正解だ。
クシードが公園を見渡すと、入口付近にはラベンダーの様な花を持った少女の石像があった。石像の土台周りは花壇になっており、少女が手に持っている花と同じものが植えられている。
ラベンダーの香りにはリラックス効果が期待されている。
訳も分からず異世界に飛ばされ、オマケに死にかけた。
そして帰る方法は分からない上に、この後は謎の怪しい女とのディナーが控えている。
異世界なのは分かった。
しかし、ここはどんな世界で、彼女は一体何者なのだろう?
今思えば、誘い方が半ば強引だった……。
まるで宗教の勧誘みたいである。
クシードは以前、動画配信サービスで見たニホンのドラマを思い出した。
地方からトーキョーへ引っ越してきた主人公が、困っている美女を助けたお礼で食事に誘われるが、実はそれは怪しい宗教の勧誘で、そのままデスゲームに巻き込まれていくと言う作品である。
評価はとても低かったが、1クール全部見た。
宗教の勧誘は、食事や遊びと称して誘われるが、実際に待ち合わせ場所に行くと施設へ連れて行かれ、そこで強制的に入信させると、よくニュースで耳にする。
ああ言うのはノルマもある。
あの手この手で入信させるのが、カルト教団の常套手段だ。
考えすぎだと思うが、途中まで似た展開なので、本当に変な宗教の勧誘だったらどうしようかと思う。
やはりこれは逃げた方がいいのだろうか?
いや、でもどこへ逃げよう?
行く先は……、無い。
悩む選択肢は無く、立ち向かうの一択だ。
冷静な判断が出来る様、ラベンダーの香りで少しでもリラックスしようと、クシードは思うのであった――。
公園にあったモニュメント時計は、18:45頃を差している。柱の先端に時計が着いている商業施設や駅前とかでよく見かけるアレだ。
時計の盤面は12分割されているが、やはり文字は読めない。しかし、陽は沈みかけた黄昏時だったので、おそらく読み方は共通しているのだろう。
不安から心音が加速する中、クシードは時折、深呼吸をして気持ちを落ち着かせていると、公園の入口付近にスケッチブックと、新たに色の濃いハンドバッグを持った彼女の姿が見えた。
公園内にある、オレンジ色の街灯に照らされ映るその様子は、妖艶に美しい。
だが、その妖艶さがますます怪しい宗教の勧誘だと思わせてしまう……。
彼女と合流したクシードは、一軒のレストラン連れてこられた。
店内は多くの人たちで賑わっているが、クラブの様な喧騒さは無く、落ち着いた雰囲気。大人の佇まいが感じられる。
内装は、吹き抜けのある天井にアイボリー色の内壁、そしてダークブラウンの木製の床。ところどころに吊り下げられたペンダントライトは、街灯と同じオレンジ色の電球色にも関わらず、優しくて温かみのある空間を提供してくれる。
――なんと言うか値段の高そうな店だ。
「いらっしゃいませ。2名様でよろしいでしょうか?」
入口付近にいたボーイに案内され、クシード達は対面で座る2人掛けの席に座った。
「お飲み物はいかが致しましょうか?」
「ポポポポララランシューーー」
ボーイの問いかけに、彼女は明後日の方向を見ながら答えた。
ポポラランシューと言う、吃っているためか、正式名称の分からない謎の飲み物を注文された。
まぁ多分、食前酒だと思うが……。
「あのー、アートヴィーレさん――」
本当に宗教の勧誘だったら大変である。
主導権を握らせない様、先手を打たなければならない。
まずは、感謝の言葉に加えて言うべき事――。
「ボク、お金ないんですけど大丈夫でしょうか?」
お金が無いことを露骨に伝えて、教団の資金源にならないことをアピール。
本当に無いので嘘ではない――。
「だだだだだだだだいじょーぶふーッ」
――ほんとかよ。
しばらくして、ボーイがグラスに入った黄金色に輝き、きめ細やかな泡がフツフツと際立っている飲み物を持ってきた。
「お待たせしました、ポランシュとメニュー表でございます」
ポポラランシューでは無く、正しくはポランシュ。これはどう見ても、シャンパン。
乾杯用の食前酒の習慣は、世界は変わっても同じなのかもしれない。
シャンパンを左側へ置き直し、クシードは配られたメニュー表も開くも、やはり文字は読めなかった。
「注文、アートヴィーレさんにお任せしてもよろしいですか?」
彼女はメニューの1番上に書いてある文章を素早く指差し、注文は即決した。
ボーイ曰く、シェフの気まぐれコースらしい。
“うーん、どれにしよう?” とか、もう少し悩まなくてよかったのかな……?
メニューが決まると彼女はポランシュを手にし、鼻を近づけてクンクンと匂いを確認した後、グラスをグルグルと回すスワリングをした。
そして、再度鼻を近づけ、匂いを確認してからポランシュを口に含み、モゴモゴと頬が動いた後、飲み込む。
この世界のシャンパンの飲み方なのだろうか?
獣の様に匂いを嗅ぎ、マウスウォッシュを口の中に浸透させる様に転がしてから飲み込むスタイル。
失礼を承知の上だが、すんごい汚い飲み方だ……。
「このお店はよく利用されるのですか?」
ポランシュを優しくスワリングし、飲むフリをした後にクシードが質問すると、彼の問いかけに彼女は首を小刻みに横へ振って応えた。
妙な動きは続くが、シャンパンに変なクスリは入って無さそうだ。
周りに注意を配るも店内にも怪しい雰囲気は感じられない――。
その後も、クシードは周囲を気にしながら、何かと挙動不審な彼女に質問をしていった。
彼女はスケッチブックに文字を書き、吃りながら朗読して説明するスタイルなため、理解には少し時間がかかる――。
――どうやら彼女は、この店への来店は初めてで、以前から気になっていたそうだ。
今日初めて会った人と、今日初めて入る店。
ますます怪しいな、この人……。
「友達や彼氏とかだと、いつもどんな店に行かれるんですか?」
クシードは何気なく聞いた質問だったが、彼女の顔色が急激に曇った。
「…………」
「……アートヴィーレさん?」
どこかに気に障るワードでも含まれていたのだろうか?
困り果てた表情と震えた手で彼女はスケッチブックに文章を書き、書き終えると朗読を始めた。
『友達も彼氏もいません――』
次第に朗読する声は涙声になった。
『子供の頃からずっとです――』
「…………」
何を書いて話したかと思えば、いきなりボッチのカミングアウト。
あまりに突然のことに、クシードはリアクションに戸惑っていた。
「そそそしょしょれんれれれんと……」
「アートヴィーレンさん、落ち着いて! とりあえず、深呼吸しましょう!」
スーハーと数回、深呼吸すると彼女は、震える手でスケッチブックに新たな文字を書いた。
「ああああのあのあの、わたわるたわるたたたる……」
「大丈夫です! 一言ずつ、ゆっくりでええんで言って下さい!」
「わ……、た……、し……、は……」
「わたしは、はい。次、お願いします」
「かかか、か、かか、か……」
『――私は、会話が苦手です』
……うん、重々承知しておりますがな。