10月9日(月)のお客様
ここはとある北の大地の片田舎で店を営む「石川商店」。
住宅街にぽつりと佇み、地元の住民たちを中心に商品を仕入れ、販売する個人商店である。
そんな石川商店には、夕刻時に商店の長男が店番をした時のみに訪れる奇妙な客が存在するのだ。
日常と非日常が混在する時間も最早定番となりつつある今日この頃、彼はいつもの通りに店のカウンターで一人客を待つのであった。
北の田舎町に訪れた秋は日に日に深まっていく。
刻一刻と寒波が身に染みる時期に近づいていくのがわかる。
出入り口にほど近いカウンターに座っていると、それをひしひしと感じるのだ。
そんな石川少年が用いた今年の秘密兵器こそが、足用のパネルヒーター。
小型のそれはカウンターの下のスペースにすんなりと収まり、そこに座る者の脚をじんわりと温めてくれる。
「まだ出すの早いかなって思ったけど、リリの言う通り今日は寒くなったから、出して正解だな。
教えてくれてありがとな、リリ。」
『いえいえ、どういたしまして。』
石川少年は足元の温もりに顔を綻ばせながら、スマートフォンと同じように傍らに置いた水晶の板をつつく。
つつかれつつもお礼を言われた水晶の板は、淡々とした機械的な口調で言葉を返す。
先日訪れた客人からお代の代わりに受け取ったそれは、確かに便利な代物であった。
そう、まるでスマートフォン端末のAIのように。
「しかしまあ、お客も来ないから暇だし、足元はあったかいし…
なんか眠くなってくるよな…」
石川少年はそう呟くと、うつらうつらと舟を漕ぐ。
そのまま頭の重さに耐えかねたように、腕を枕にしてうつ伏せになってしまった。
そうして少年の意識は、短い微睡の中に沈んでいく。
『…もしもし。
もしもし、起きてください。
お客様がお見えになっていますよ。』
微睡の底で、声が聞こえる。
機械的で単調で、どこか独特のイントネーションを含んだそれを聞いた少年は、がばと勢いよく頭を上げた。
「はっ、ふぁい!
いらっさいませ!!」
寝起きと焦燥のせいで、口が上手く回らない。
そのせいで無様な嚙み倒したような言葉が出てきてしまった。
しんと静まり返った店内に響く、なんとも格好悪い音の響き。
そして、その言葉は訪れていた客人にはしっかりと聞き取れていたようで、くすくすと微かな笑い声が響いたのだ。
石川少年の顔が見る見るうちに熱を帯びて紅潮していく。
そのまま、彼は眼前で笑いを零す彼女と目線を合わせることになった。
透けるような白い肌、ボリュームのある金色の羽毛のような長い髪、涼やかなつり目気味の目線と、どこか吸い込まれそうな妖艶な光を宿した深い藍の瞳。
淡い桃色の薄い唇は、愉快そうにほんのりと弧を描いている。
長いまつ毛は細められた目元へと華やかな彩りを添え、印象的な瞳の吸い込まれてしまうような魅力を際立たせていた。
白く細い腕で頬杖をつき、カウンターに上体を預ける彼女の服装は、今の季節には相応しくないほどに薄着。
だが、それがまた彼女の美しさ、蠱惑的な香り、謎めいた存在感を強める。
長々と説明したが、簡単に言えば、この世のものとは思えないほどの「絶世の美女」だ。
それがこの辺鄙な地のちっぽけな店のカウンターに存在していた。
石川少年の顔が別の意味で熱を帯びる。
「かわいらしい寝顔でしたわ、店員さん。」
「…し、失礼いたしました…」
耳朶を叩く声は深く、優しく、蕩けるような音。
聞きやすく耳について離れない。
いつまでも聞いていたいような感覚に陥ってしまう。
「ここはイシカワ、というお店でよろしくて?」
「は、はい、そうです。」
形の良い唇が言葉を紡ぐ。
石川少年はその声を聴き、その内容に対する返答を返すので精いっぱいだった。
彼女の一挙一動から目が離せない。
「まあ、よかったですわ。
以前からここの評判は聞いておりましたのよ。
珍しくて面白くて、それでいて望みの物を売っている店であると。」
「そ、それは光栄っス。」
眼前の女性が頬杖を解いて、繊細で細い指同士を搦めて見せる。
目を細めた笑顔が向けられると、心臓の鼓動が高鳴るのが聞こえた。
緊張の残る笑みを返せば、彼女はまたくすくすと笑う。
照れ隠しに後頭部を掻くことしかできなかった。
「ここなら、わたくしの求めている物が見つかるかもしれませんわ。
わたくしの探し物、聞いてくださる?」
「も、勿論っス!
お任せくださいっス!」
石川少年は首を二度縦に振って、文字通りの二つ返事で彼女の言葉を聞き入れることを約束する。
何を求められるのかもわからないが、彼の言葉からは「必ずそれを探そう」という意思が聞いて取れた。
その返事は彼女を満足させるに十分な物であったらしい。
眼前の女性はにっこりと笑みを深めた。
「まあ、感謝いたしますわ。
わたくし、喉を労わるものを探していましてよ。」
絡まっていた白魚の指が解かれ、彼女の細い首へ。
そっと巻き付くようにして喉を押さえた。
そして、小さく控えめな咳を一度してみせる。
「少し前から喉がどこかいがらっぽくて…それだけなら構わないのですが、実は近々大きな舞台がありますの。
わたくしを見込んでくださっている、ある尊きお方からの願いで、絶対に失敗ができない舞台なのですわ。
そんな大事な舞台ですが…わたくしこんな枯れた喉では到底あの方が満足できるようなものを披露できません。」
枯れていると自称するものの、聞き入ってしまう程の美しい声で彼女は自らの身の上を奏でる。
悲し気な顔はどこか芝居がかっており、大袈裟な印象だ。
外見の美しさや話の内容から、石川少年は彼女を「役者」か「歌手」のような存在なのだろうかと推測した。
そんな役者、歌手の類であろう彼女は、改めて伏せた目線を石川少年に向ける。
真っすぐに向けられた藍色の瞳の美しさに、石川少年はただ息を飲むしかできない。
「お願いですわ、店員さん。
わたくしの喉に優しいものを、何か売ってくださいませ。」
「は、ハイっス!
ちょっと待っててくださいっス!」
首に当てられていた指が、まるで祈るように合わさった。
懇願するようなその様子を受け、石川少年は再び二つ返事を返す。
そして、急いでカウンターから跳び出すと、お菓子が並んだ棚へと物色に行くのであった。
「お待たせしました!」
いつもよりも早く、石川少年がカウンターへ転がり込むように戻った。
その腕の中には、いくつかの菓子袋が収まっている。
だが、異世界から来ただろう彼女には見慣れぬもの。
それを藍の双眸で見た彼女は、不思議そうに首を傾げて見せた。
「まあ、それは何ですの?」
「これは『のど飴』っていうお菓子っスね!」
美しい彼女の興味に晒されたそれを、石川少年はカウンターの上へ並べる。
様々な果実が描かれたオレンジ色の袋のものと、シンプルに文字だけがデカデカと書かれた青い袋のものだった。
まずは、と言わんばかりに石川少年はオレンジ色の袋のそれを手に取る。
「こっちは『カンロ ノンシュガー果実のど飴』っていいます。
普通のど飴ってスーッとするんスけど、こののど飴は全然スーッとしないんス。
味も美味しいし、俺はのど飴買う時はこっち買うってくらいっスね。
あんまりハーブとかミントとか得意じゃないってんならおすすめっスよ。」
そういって、石川少年は眼前の女性にそれを差し出すように再度カウンターへと置いた。
カウンターに置かれたそれを、女性はまじまじと見ている。
「描かれている果実は見覚えがあるものが多いですわね。
レモン、オレンジ、桃に葡萄…どれも瑞々しくておいしそうですわ。」
どこか艶っぽい声色で告げられ、また石川少年の心臓が高鳴る。
そんな彼の様子を気にかけず、彼女の視点は次ののど飴の袋へと導かれていく。
「こちらは?」
「あ、ああ、えーっと、そっちはですね『龍角散ののどすっきり飴』です。
味はまあ…すごく癖があるんスけど、効き目は滅茶苦茶バッチリっス。
絶対に効くのど飴がいいってんならこっちの方がいいっスね、味は癖あるんスけど。」
藍色の視線が向いたのど飴の袋を持ち上げて見せる。
青と白のシンプルなパッケージに文字と少しのイラストだけが描かれたそれは、質実剛健をまさしく絵に描いたような代物。
中身も同様であり、間違いなく効き目があると豪語できるような代物だ。
そんな説明を聞いた女性は、にっこりと笑みを深めて見せる。
「まあ、飴なのにお薬のようですのね。
どんなお味なのかしら。」
「よければ味見してみますか?」
喰いついてきた女性の言葉に、石川少年は更に重ねる。
言いつつ、彼はオレンジ色の袋の方を手に取ると、その封を切った。
そして開いた口の中へと手を突っ込むと、中身の小袋を取り出して見せる。
小さなビニールの袋に包まれたそれを、女性は興味深げに見る。
石川少年は小さなそれを摘まみ、ギザギザの端から割いていく。
そこから顔を出したのは、シンプルな楕円の、半透明の飴玉であった。
桃色の袋から取り出した、桃色の宝石のような飴玉だ。
「まあ、綺麗。」
そのままそっと差し出されたそれを受け取り、女性は目を細めて微笑む。
そして、薄い唇に放り込んで、ころころと口の中で転がす。
咥内で溶ける甘味に、思わず彼女が頬に手を当てて、笑みを深めた。
「これは…桃の味ですのね。
甘くて、ほんのり酸っぱくて…香り高い。
果実そのものの味とは違うけれど、これはこれでとても美味しいですわ。」
「で、ですよねー!
めっちゃおすすめっス!」
どこか急くような、興奮した様子を隠さない石川少年。
続けてもう一つののど飴の袋を手に取った。
そして封を開けて、その口を開いて彼女の方へと向けてやる。
この飴は個包装ではないため、手を入れるのは忍びなかったからだ。
女性は細く白い指を袋の中に差し入れて、淡い黄色の粒を取り出した。
そしてそれを、躊躇いなく口の中へと放り込む。
溶けだす味に、驚いたように目を見開いた。
「まあ、こちらはとても体によさそうな味がしますわ。
薬草を煮詰めたポーションの味にも似ているかもしれませんわね。
そして、喉を爽やかに、涼やかにするこのすうっとした感覚…舐めているだけで喉の調子が戻りそう。
…味は先の飴の方が好きですが、こちらもとても良い物ですのね。」
数多のハーブが配合された複雑な香味に、彼女はただ驚く。
比較的万人受けしやすいとはいえ、正しく「体にいい」を体現したような味。
向こうの世界にもこれに似た食味のものがあるということを、石川少年は彼女の言葉から知る。
「素晴らしいですわ店員さん。
どちらもわたくしの希望を満たす物…どちらかだけなんて勿体ないですわね。
どちらもいただけるかしら?」
「お褒めに預かり光栄っス!
喜んで!」
石川少年は彼女に試食させたそれらを袋に詰めると、いつもより軽やかな手つきでレジスターを打ち込む。
料金は530円と表示された。
「ええと、これで足りまして?」
その料金を受け、女性はどこからか取り出した財宝をカウンターの上へ。
大ぶりな宝石に彩られた首飾りや指輪、そしてあからさまに豪奢な作りの王冠などが並べられる。
どこかで見たような支払方法だと石川少年は思ったが、それを追求することはない。
「じゅ、十分すぎる程っスよ!
ありがとうございました!」
「まあ、こんなありふれたものでよろしいだなんて…お値段も良心的ですわ。
本当に、ありがとうございます、店員さん。
これでわたくし、一世一代の晴れ舞台に上がれます。
…副官様がおっしゃった評判通りですわね。」
嬉しそうに手を合わせた後、袋に詰めてもらった商品を手に取り、彼女は微笑む。
とろけるような、甘い微笑を伴い紡がれる言葉に鼻の下を伸ばす石川少年だったが、不意に耳にした単語が引っかかる。
副官様。
どこかで聞いたような、知っているような。
それに、その副官の評判で来たときたものだ。
「ごきげんよう、店員さん。
また何かありましたら、力になってくださりますと助かりますわ。」
「…え、あ、ハイっス。」
しかし彼女にそれを質問する前に、素早く女性は身を翻して、出口に向かっていく。
そんな最中、不意に黙っていたリリが声を出した。
『イシカワ様、足元を見てください。』
リリに促されるまま、カウンターから身を乗り出して、その足を確認しようとする。
そこにあったのは、普通の人間のそれではないものだ。
どこかオーロラのような、パールのような虹色で光を反射する、淡い水色の鱗に覆われた、魚のような下半身だった。
ご丁寧に、彼女が移動したであろう場所には、湿ったものを引きずったような跡が見受けられる。
石川少年は靄のかかっていた頭をガツンと殴られたような衝撃を受け、ハッキリとした思考を取り戻す。
彼女の声の魔力を打ち払う程のショックを受けたのだ。
そして、足を見られた女性だが、正体が知られたことを意に介せず、こちらに微笑だけを残して立ち去っていくのであった。
驚愕の表情を浮かべる石川少年と彼女を隔てる様に、最後にガラスの出入り口が閉められれば、いつもの静寂が店の中を包む。
「…なあ、リリ、あれって…」
『セイレーン、うたごえモンスター。
海に住み、近くを通りかかる船を歌声で誘惑するよ。
歌声に魅了された船は海に引きずり込まれ、セイレーンの餌食になってしまう。』
「…いや、そういう何モン図鑑的な説明はいいから。」
彼の疑問に答える様に告げられた説明は、ふざけた口調ではあったが、彼の罪悪感を煽るのには十分。
セイレーンは歌声を餌にして船を沈めるモンスターだという。
そして、モンスターの中の副官と言えば、あの人しかいないだろう。
つまり、彼女の一世一代の舞台、尊きお方からの依頼とは。
結びついた先のことを思うと、少年の顔は青ざめていく。
「…なあ、リリ…俺のせいでどっかの世界滅んだらどうしよ。」
『そのときはそのときです。』
適当なリリの返事に、石川少年はただ悶々とするしかなかった。