10月6日(金)のお客様
ここは、とある北の大地の片田舎に存在する「石川商店」。
住宅街に店を構えて早三代、繁盛しているとは言い難いものの、住宅街の住民たちに親しまれて今もある個人商店である。
だが、最近は夕暮れ時、経営している家族の長男がそこにいる時だけ、奇妙な客が訪れる不思議な空間と化していた。
そんな日常に染まってきた少年は、今日も今日とて夕暮れのカウンターで一人客人を待っている。
初めて奇妙な客が石川商店を訪ねてから、月を跨いだ。
北の片田舎に駆け寄る秋の足音は早い。
風が冷たくなってきたと思えば、もう朝晩は気温が10を下回ることも多くなるのだ。
入口に程近い場所に配置された会計用の店番カウンターにも、冷たい風が吹き込まれることも多くなった。
ドアからの隙間風に悩まされる時期になってくるだろう。
「…そういえばそろそろ防寒の時期か。
めっきり寒くなってきたよなあ。」
誰に聞かせるまでもなく、独り言ちる。
カウンターの片隅で放置されている小さなパネルヒーターの出番であろうか。
そう思考を巡らせている少年を引き締めるように、ガラリとガラス戸が引き開けられる音がした。
同時に、山の冷たい風もひゅうと店の中へ入り込んでくる。
「っ、寒っ!
いらっしゃいませーって…
あ、魔女っ娘ちゃん!」
突如入り込んだ秋風に身を震わせつつ、石川少年の首は出入り口のガラス戸へと向けられる。
すると、そこに立っていたのは、見覚えのある人物であることがわかった。
思わず口をついて、彼女のことを呼ぶ。
呼ばれた彼女、魔女っ娘は、以前の泣きそうな表情など微塵も見せておらず、ニコニコと本来の表情であろう明るい笑顔でそこにいた。
「こんにちは店員さんっ!
先日はとってもお世話になりました!」
石川商店に元気よく足を踏み入れ、天真爛漫な声で挨拶をする少女。
黒いワンピースに同じ色の大きなとんがり帽子、栗色のボブカットヘアーの彼女は、小柄な体を大きく折り曲げて礼をする。
その様子に、石川少年はニコニコとした笑顔を返しつつ、「いやいや」と手を振って見せた。
「気にしなくていいっスよ、むしろアレの処理にこっちも困ってたくらいっスから。
…で、後ろのお方はどちら様?」
謙遜でもなく本当のことを正直に口にすると、石川少年は不意に魔女っ娘の後ろにまた人がいることに気づく。
その外見から、恐らく彼女とどのような関係であるか、ということを想像するには易い。
後ろの人物の格好自体は、魔女っ娘と良く似通ったものであった。
真っ黒なワンピースタイプの衣装に、使い古された革のブーツ、そして黒いとんがり帽子。
ただ、容姿はまるで違う。
それは魔女っ娘と違い酷く印象的であり、到底好感を抱けるような雰囲気ではない。
その髪は長く伸ばされ、艶も何もない白い毛束はまるでモップのようであるとも言える。
もっさりとボリュームだけはあるそれは帽子によって押さえつけられ、人物の目元を目深に隠してしまっていた。
そんな白い毛束の隙間から見える鼻は長い鳥の嘴のようで、先端には目立つ大きなイボがついている。
不気味な三日月に開いた口元はしわだらけで、隙間から見える歯はスカスカでボロボロだ。
童話に出てくる典型的な「悪い魔女」をそのまま現実世界に呼び出したら、こんな感じになるだろうという容姿だと言えば簡単だろうか。
「この人はあたしのおばあちゃんです!
店員さんが売ってくれたお薬の材料のおかげで元気になったんですよ!」
「その節は孫が世話になったねぇ…おかげでアタシはこんなにも元気になったんだよぉ…
イッヒッヒ、イィーッヒッヒッヒ!」
石川少年にとっては予想通りの関係性である。
だからこそ、彼女の存在に驚きはしない。
眼前のあからさまな存在がケタケタとありがちな悪い笑い声で高笑いしようとも、「あ、元気になったのか、よかった」程度の感情しか湧いてこないのだ。
すっかり慣れたものであるが、この場にそれを指摘する人物などはいなかった。
「それでねえ、今日はこの子のピンチを救ってくれたお店を見に来たついでに、ちょっと買い物をしたいのさ…
この子にお礼を兼ねて美味しいお菓子を作ってあげたいのだけれども…何かいいお菓子の材料はないかい?」
「えへへ、おばあちゃんのお菓子はとっても美味しいんですよっ!
おばあちゃんに丁度いいものはありませんか、店員さん!」
「お菓子の材料っスか?
う~ん、そうっスねえ…」
まるで年を取った木の枝のように節くれだった細い指を持った手で、魔女の祖母は魔女っ娘の頭を帽子の上から撫でて見せる。
魔女っ娘はその様子に嬉しそうに笑いながら、相変わらず屈託のない可愛らしい笑顔で無邪気に問いを投げた。
二人の問いを受け、石川少年は顎に手をやり頭を捻っていく。
宙に視線を泳がせて、考えるが、如何せん彼は菓子どころか料理の経験もあまりない。
特に菓子なんてたまに遊びに来る、家を出た姉の娘、とどのつまり「姪」に作るアレしかほぼ作れない。
(…ん?
あ、アレはどうだろう…)
不意に浮かんだ菓子。
姪に作ることもあるアレの存在を、石川少年は思い出した。
「魔女っ娘ちゃん、おばあちゃん、お家に卵とかミルクはある?」
「今日はどっちもあると思いますよ?
おばあちゃんがお菓子作りの準備をしていましたから!」
「よし、それならアレにしよう。
ちょっと待っててくださいっス!」
石川少年は軽い身のこなしでカウンタースペースから跳び出して、食品類が並ぶ棚へと歩いていく。
そんな彼の姿を、魔女っ娘とその祖母はにこにこと笑いながら見て、少年の帰還を待つのであった。
石川少年が棚からそれを掴んで帰ってくるまでに、そう時間はかからなかった。
彼は手にしたものをカウンターにおいて、改めて魔女っ娘と魔女に向き直る。
「これはどうっスか、ホットケーキミックスです!」
彼がカウンターの上で僅かに滑らせたそれは、赤を基調としたパッケージの箱。
彼らにとっては見覚えのない文字が踊る、シロップとバターを乗せた菓子の絵が描画された箱であった。
「ホットケーキ…ミックス、って言うのかい?」
「ホットケーキって、ここに描いてあるお菓子のこと?
なんだかとっても美味しそうですねっ!
パンケーキに似ている気がするなあ!」
首をひねる魔女のおばあちゃん、その隣で声を上げたのは魔女っ娘だ。
箱に描かれた絵を指さして、嬉しそうな声を出している。
その声を聴き、石川少年は頷いた。
「おっ、パンケーキはそっちにあるんスね。
それなら全然話は早いっスよ。」
「パンケーキは何度か作ったことあるよぉ…
それで、このホットケーキっていうのは、どう作ってあげればいいんだい?」
「簡単っスよ。
まずは卵とミルクを良く混ぜてから、この箱の中身の粉を一袋分入れて、混ぜて焼くだけっス。」
魔女のおばあちゃんの問いかけに答えつつ、石川少年はボウルを抱えて泡立て器で撹拌していく様子をジェスチャーする。
「なにせこの俺も出来るんスから、簡単でしょ」と付け足して。
そのシンプルな作り方を聞いた魔女のおばあちゃんは、「ヒッヒッヒ」と笑い声を返した。
「本当にだねぇ、これならあの子と一緒に作って食べられそうだねぇ…
簡単で美味しそうなお菓子が作れるなんて、まるで魔法の粉だねぇ。」
「俺もそう思うっスよ。
しかも驚かないでください、この粉、実はホットケーキ以外も作れるって聞いたことがあるっス!」
興味深そうにしげしげと箱を手に取り、眺める魔女のおばあちゃん。
そこに石川少年はもう一押しとばかりに情報を付け足した。
ソースは自分の姉だが、姉はこのホットケーキミックスでパウンドケーキやらクッキーやら、蒸しパンやらを作っていた気がする。
石川少年はその様子を見ていただけではあるものの、ホットケーキミックスへの価値観が大幅に変わった出来事であるのは確かだ。
その衝撃を共有するように、石川少年は指を一本立てて、おばあちゃんに情報を提示するのであった。
当然、魔女のおばあちゃんは口元で驚いて見せた。
一緒に、隣にいる魔女っ娘ちゃんも驚いた顔を見せてから、にっこりと笑みを深めるのだった。
「ホットケーキミックスって名前なのに、ホットケーキ以外も作れるんですかっ!?
凄いなあ…あたし、おばあちゃんのホットケーキと、ホットケーキミックスのお菓子が食べてみたいな!」
「そうだねぇ…こりゃあ研究の腕が鳴るじゃあないか…面白いねぇ…
よし、店員さん、このホットケーキミックスを二つくらいくれないかい?」
「はいはいっ!ありがとうございまーす!!」
石川少年はおばあちゃんの言葉を受け、軽快にカウンターを飛び出した。
既にカウンターの上に置いた一箱に、もう一つ赤い箱を追加するために。
カウンターの上に並んだ箱二つ。
石川少年はレジスターの数字を叩いて、料金を計算する。
二箱で占めて400円、一箱200円であった。
その値段を見ながら、魔女のおばあちゃんは懐をまさぐっている。
「店員さん、アタシは感謝しているんだ…
病気も直してもらえて、こうして孫と食べるお菓子の材料も売ってもらって…
だから、お礼も兼ねて、これを受け取ってほしいのさ。」
魔女のおばあちゃんは懐から薄いガラスの板のようなものを取り出して置いた。
大きさは丁度自分が持っているスマートフォン程度であろうか。
石川少年はレジスターを叩く手を止めて、その差し出されたガラス板に目を向ける。
一緒に見ていた魔女っ娘ちゃんは、その板を見て目を丸くした。
「おばあちゃんっ!これを店員さんにあげるの!?」
「そうだよぉ、これを渡してもいいくらい、この店員さんにはお世話になっているじゃないか…」
二人の反応から、それがとてつもなく価値のあるものであることは伺える。
だが、石川少年にはそれが何かてんで見当がつかないのだ。
頭にクエスチョンマークを浮かべながら、視線を魔女のおばあちゃんと魔女っ娘へと移動させていく。
「これは、素敵な魔法の本のようなものでねぇ。
この水晶板には『知識の精霊リリ』が封じられていて、どんな疑問や質問にも答えてくれるんだよ…」
「ステキな…マホウの…ホンのような…それって…あとリリって…」
聞き覚えのある単語になりそうな言葉の羅列。
魔女のおばあちゃんが語る言葉を途切れ途切れに放つ石川少年を見て、おばあちゃんは何を思ったのだろう。
この「素敵な魔法の本のようなもの」の使い方がわからないとでも思ったのだろうか。
「そうだねぇ、使い方がわからないかね。
ちょっと実演してみようか…出ておいで、リリ。」
魔女のおばあちゃんが水晶の板に向けて言葉をかける。
その言葉に応え、水晶の板にリング状の光が灯った。
「はい、お呼びでしょうか。」
リングの光が波打つように動いている。
機械的な口調に波打つリングの光、そしてこの水晶板の形状。
どこをどう取っても石川少年にとっては見慣れたものの気がしてならない。
何とも言えない表情を浮かべた石川少年を尻目に、魔女のおばあちゃんは質問を投げかけた。
「明日のこの地方の天気を教えておくれ。」
「明日のこの地方の天気は、晴れです。」
魔女のおばあちゃんの言葉を受けて、リリは数秒のラグの後に答えた。
この地方とは恐らく石川少年がいる地方のことであろうと考えられる。
確かに、スマートフォンに表示されていた明日の天気は晴れ予報だった。
この水晶板がどんな原理なのかは理解できないが、信用ができないとも言い切れない代物であることがわかる。
「…こうしてね、リリを呼んでから質問をすれば、どんなことだって答えてくれるのさ…
もし今はわからなくても、世界中の知識を学んで、答えの幅を広げていくんだよ。
ほうら、便利なものだろう?」
「よかったね店員さんっ!
この精霊を封じた魔法道具はすごいんだから!
おばあちゃんのお礼、受け取ってね!」
「え、あ、はあ…
確かにスゴイっスね…ありがとうございます。」
石川少年はどこか呆気にとられたまま、カウンターに乗せられた「リリ」に視線を落とす。
やっぱり、形状も性質もどこかで見たことあるものそのものだ。
しかし、目の前で嬉しそうにしている魔女のおばあちゃんと、魔女っ娘を見ていると、無粋なツッコミは引っ込んでしまう。
大人しく水晶の板に手を伸ばし、自分の方に引き寄せた。
それと同時に魔女のおばあちゃんはカウンターに乗った赤い箱を二つ抱え、魔女っ娘と手を繋いで店を出ていかんと準備をした。
「ありがとねぇ、店員さん。
アタシはこれからホットケーキミックスで楽しくお菓子を作ることにするよ。
さぁて、こいつをどう料理してやろうものか…イッヒッヒッヒ、イィーッヒッヒッヒ!」
身体を揺らしつつ不吉な甲高い笑い声を残して、魔女のおばあちゃんは店を後にしていく。
そしてそんなおばあちゃんに手を引かれた魔女っ娘ちゃんの別れの挨拶に手を振り返して答える石川少年。
ガラリとガラス戸が開いて、閉まって、またいつもの静寂に包まれた店内で、残されたのは石川少年と水晶の板だ。
フウ、と少年はため息をついて、不意に口を開く。
「…ヘイ、リリ。」
「お呼びでしょうか。」
「…その喋り方とか、もしかしてなんか意識してる?」
「すみません、よくわかりません。」