9月22日(金)のお客様
ここは、とある北の大地の片田舎に存在する「石川商店」。
近所の住宅街に住む人々を中心に商いを行ってきた、小さな個人商店である。
だが、最近なんだか様子がおかしくなってきた気がする。
そう思っているのは、石川商店を切り盛りする石川家の長男。
普通の高校生を自称する彼は、今日も夕暮れ時の店のカウンターに座って店番を行うのだった。
西日が橙色に染まりつつある秋の夕暮れ。
この時間は丁度お客さんが途切れるころだ。
そのためか、父も母も祖母も、店をアルバイトである息子に任せて他の用事を済ませてくる、ということも多い。
冷蔵ケースの稼働音だけが響く静寂の店内。
そんなときは決まって「アレ」が来る気がする。
もうこの短期間に4回も来ているのだ。
二度あることは三度あるとも言うだろう。
最早非日常が来るということは、あり得ない話ではないのだと考える。
石川少年は思わず引き戸に目を向けた。
同時に、引き戸が開く。
「やっぱりか」と、石川少年は手にしていたスマートフォンを傍らに置いた。
奇妙な客人が、この夕暮れ時に店の中へと足を踏み入れたのだった。
それは、今まで現れてきたファンタジー世界の住民とは全く違う何か。
その身体には骨格というものが存在するのかどうかもわからなかった。
まるでゴムホースのような若草色の無数の触手をくねらせて、湿った音を立てながら、それは器用に地面を歩く。
触手の束の上に乗せられたのは、巨大な頭部としか形容できない楕円形の塊。
白目のない大きな目をくるくると別々に動かしつつ、周囲を観察しているように見える。
最早この世界の生き物、この星の生き物であると言ってもよいのかわからないそれ。
人によっては「名状しがたき星海の住民」とも言うかもしれない存在。
地球の生き物で例えるなら、タコかクラゲが一番近いかもしれない。
若草色のボディを持ったよくわからない存在と対峙した石川少年だったが、やることは最早一つだった。
「いらっしゃいませー」
接客である。
最早慣れたものだ。
短い期間に非常識に触れて感覚が麻痺したのか、少年の声は驚きすらも伴わぬ平常心。
ただ、その表情はどこか薄ら笑いにも近い、諦念にも近い何かであったかもしれない。
「縺薙s縺ォ縺。縺ッ 縺。縺阪e縺?§繧
縺薙%縺ッ 縺翫∩縺帙〒 縺?>縺ァ縺吶??」
名状しがたき何か、とりあえずは一般的に「宇宙人」と呼ばれるであろうそれは、聞いたこともないような言語で語りかけてきた。
勇者や魔王、魔女娘は問題なく会話ができていたというのに、なぜかこの存在は会話ができない。
石川少年は頭の上に無数のクエスチョンマークを浮かべつつ、その頬をひきつらせた。
「あ…えーっと…何か、お探しで…?」
三度の非現実と対峙した彼でも、言語不明の正体不明に今まで通りの接客ができるのかと言えばそうではない。
若干身を引きながら、宇宙人に更に言葉を返してみる。
宇宙人はその円らな双眸でじっと石川少年を見つめ返す。
「繧上◆縺 縺サ縺励?縺翫→繧ゅ□縺。縺ォ 縺翫∩繧?£縺九▲縺ヲ縺九∴繧翫∪縺
縺翫∩縺帙?縺ェ縺 縺ソ縺ヲ 縺サ縺励>縺ョ 繧ゅ▲縺ヲ縺阪∪縺」
この世のどこの言葉とも似ても似つかないそれを喋る宇宙人は、少年にそれだけ言って、くるりと踵を返した。
そして、ゴムホースのような触手をくねらせて、それはゆっくりと店内を練り歩き始める。
コンクリートの地面を、湿った音を立てていく。
しかし、その足元に湿った足跡はついていないのは不思議な部分であった。
石川少年は、物珍しそうに周囲を見渡しながら進んでいく若草色の軟体生物の背中を、ただ呆気に取られて見ているしかできない。
宇宙人が最初に入った棚は、お菓子売り場ではなく、日用品の棚であった。
レトルト食品や調味料、缶詰や瓶詰のご飯のお供から、乾燥した主食群が並ぶ、雑貨な棚である。
高齢者が多い住宅街の人々を気遣ってか、全体的に棚の背は低めになっている。
故に、棚の間に入っていった宇宙人の姿は丸見えだ。
少年が日常的に見ている世界に、非日常の中の非日常が紛れ込む姿は、奇妙な感覚に襲われる。
少年はとうとう「自分が白昼夢を見ているのではないか」という錯覚にすら襲われた。
三度あったあの経験から、現実なのだろうとなんとなく察しているが。
そんなどうでもいい思考を巡らせている中、宇宙人がある物体を手に取った。
それは、白いビニールのパッケージに、赤い果実と野菜の境目の農作物が描かれた調味料の袋。
わかりやすい言葉で説明すると「トマトケチャップ」である。
「あ、えーっと、それ、わかりますかねぇ。
トマトケチャップっていうんですけど…」
トマトケチャップを手に取った宇宙人に、石川少年がすかさず解説を行う。
宇宙に「トマト」「ケチャップ」という物体の概念があるのかどうかはわからないし、この現代日本の知識がどれだけあるかもわからない。
案の定、宇宙人はそれを二本の触手でくるくると回転させるように観察を開始する。
表情の変遷はあまり見られないが、その頭上にはクエスチョンマークが浮かんでいるようにも見える、気がした。
少年の言葉を聞いてか聞いていないか、宇宙人の観察の手は止まらない。
円らな離れ目でじっと袋を表面から観察して、首を傾げて見せる。
そしておもむろに袋の両端を触手に吸着させると、バリっと音を立ててトマトケチャップの包装を開いた。
開いたトマトケチャップは、当然プラスチックのボトルの中に入っているわけで。
宇宙人はそれをするすると触手を巻き付け、取り出した。
「…あの…それが何か、わかります?」
「縺オ繧? 縺薙l縺ッ
繧上l繧上l縺ョ 縺励g縺上j繧?≧縺ォ 縺ォ縺ヲ縺セ縺吶?」
石川少年は、宇宙人がそれが何かを理解できるのかどうかが一番の疑問であった。
だからこそ、何かフォローができればという精神で、ゆっくりカウンターから出て、宇宙人に近づいていく。
宇宙人は、ボトルを持ち上げ、底面まで観察していた。
何か言っているのだが、石川少年にはやはりさっぱりわからない。
だが、それの構造をなんとなくわかっているかのように、キャップを開け閉めしたり、キャップを回していた。
似たような形の代物が、この宇宙人の文化にはあるのかもしれないと、石川少年は推測する。
そんな石川少年の心中をよそに、宇宙人は自由だった。
キャップを回して開けて、銀色の内ブタを見つけると、どういう原理で行っているかわからないが、そのぶよぶよとした手先で器用にぺりぺりと開封。
赤い野菜を凝縮した液体が顔を覗かせていることだろう。
「…あんまり、店の中で商品を開けないでほしいなー…というか。」
石川少年はやんわりと、地球でのルールを示唆する。
宇宙人はとにかくこちらの言葉はわかっているようで、石川少年の方に首(?)を捻じ曲げると、触手の一本で後頭部のような場所を搔きながら、軽く頭を下げるような動作をした。
「ごめんごめん」とでも言っているのだろうか。
「縺薙l縺ッ 縺ゅ→縺ァ 縺帙″縺ォ繧薙r繧ゅ▲縺ヲ 縺九>縺ィ繧翫∪縺
縺昴l縺ァ 縺医∴縺ィ 縺ゥ繧後←繧鯉シ」
宇宙人は内ブタを開封したケチャップにキャップを戻す。
そして、おもむろにそれを頭部に近づけると、「チュッ」という音を立てて見せたのだ。
音的に明らかに啜っていた。
よく見たら赤い内容物は減っているし、プラスチックで形成された容器がへこんでいる。
何度見直しても、宇宙人はケチャップをそのまま、生で啜っているのだった。
「えっ!?
あの、それ実はそのまま食べるものでは…」
そのままで食べるものではないのだと、驚愕の表情を浮かべた石川少年は伝えようとした。
そんな石川少年を尻目に、宇宙人はぴたりと動きを止める。
若草色の巨大な顔面の正面に二つ付いた円らな瞳を含め、表情には一つも変化がない。
しかし、その背景に稲妻が走ったように見えた気がする。
「縺。縺阪e縺?§繧 縺薙l縺ッ 縺翫>縺励>縺ァ縺吶?
繧上l繧上l縺ョ 縺サ縺励↓縺ッ 縺ェ縺 縺ゅ§縺ァ縺
縺吶▲縺ア縺上※ 縺九☆縺九↓ 縺ゅ∪縺上※ 縺励g縺」縺ア縺
縺ゅ§縺後%縺上※ 縺翫>縺励>縺ョ縺ォ 縺医>繧医≧縺セ繧薙※繧
縺昴s縺ェ 縺阪′ 縺励∪縺」
ケチャップから口(?)を離した宇宙人が、近くにまで寄ってきた石川少年に詰め寄るように何か言う。
何かを熱弁していることはわかるのだが、いかんせん今までとは勝手が違うとしか言いようがない。
なにせ、言葉が一つもわからないのだ。
ぐいぐいと押し付けるようにケチャップのボトルを前に出してくるのだが、石川少年は何をしたらいいのかわからず、ただ「ええと」と口ごもるしかない。
「なんか…気に入られたんなら、よかったっス。」
とにかく、この反応は怒っているわけではない、多分。
そう判断した石川少年は、愛想笑いをしつつ、告げる。
確かに、宇宙人はケチャップが気に入ったと思われる。
その証拠に、宇宙人は棚にあったケチャップをあるだけその触手に巻き付けて手にしていく。
そして、そのままカウンターへ。
気に入ったこれを土産にするつもりなのだろう。
石川少年も急いで、足早にカウンターへ向かい、レジの前を陣取るのだった。
レジの上に並べられたケチャップは、開封済みが1つと、未開封が7つ。
合計8つであった。
石川少年はその並べられた8つのケチャップをレジで打ち込み、計算する。
「えーっと、合計で…」
表示された値段を言葉にせんとする少年のそれを遮るように、宇宙人がどこからともなく何かをバラバラとカウンターに置いた。
取り出された物体は、美しく虹色に輝く石。
まるで金平糖のようにも見える、いくつもの棘を持った石であった。
夕暮れの日差しを受けて虹色を反射するそれは、宝石の原石であると言われても納得のいく物体。
それがおおよそ15個ほど置かれたのだ。
「縺。縺阪e縺?? 縺、縺?°縺ァ 縺ォ縺帙s繧医s縺イ繧?¥ 縺医s
縺薙l縺ァ 縺溘j繧 縺ッ縺壹〒縺吶?」
「えっ、お客さん…これ、もしかして、お金…?」
石川少年は目の前に置かれた虹色の石15個と、宇宙人の顔を交互に見やる。
しかし、宇宙人はどこ吹く風。
触手を伸ばして、カウンターに並んだケチャップを絡めとった。
手早く8つのケチャップを回収し、触手の中に収めるようにして携帯したそれは、どこか入ってきた時よりも嬉しそうに出口へ向かう。
「縺ゅj縺後→縺?#縺悶>縺セ縺励◆ 縺。縺阪e縺?§繧
縺薙%繧 縺ィ縺ヲ繧 縺阪↓縺?j縺セ縺励◆
縺セ縺溘″縺セ縺吶?」
無数にある触手の一本をガラス戸の取っ手に引っかけた宇宙人が最後にそう言い残す。
石川少年には何一つ伝わらない言葉だったが、恐らくは友好的なものなのだろう。
だが、正確な返しがわからない少年は、ただ愛想笑いをするのみ。
宇宙人はその笑みを見て、無表情に触手の一本を左右に振って見せた。
地球流の挨拶を真似たのかもしれない。
そうして宇宙人は、店の外へ。
店の外へと出ていった瞬間、黄昏の西日よりもずっと強い光がカッと店の中へ飛び込んだ。
まるでカメラのフラッシュのようにも感じるそれは、石川少年の視界を一瞬だけ奪って消える。
石川少年が顔を覆った手をどけてみても、そこはいつもの静かな店内のみが残されていた。
開けていったはずのガラス戸は、何事もなかったかのように閉まっている。
しかし、四回目で既にわかっていることだが、夢ではない。
それは、カウンターの上に置かれた金平糖のような虹色の石が物語っているのだ。
「…多分宇宙人のお金なんだと思うんだけどなあ…」
石川少年はカウンターの上に置かれた石を一つ摘まみ上げて、眺めてみる。
まだ金貨としての体裁を保っていた「ゴールド」に比べても、謎の物質すぎるそれは、夕暮れの日の光を反射して虹色に輝くのみ。
少年はカウンターの上に散らばったそれをざらざらと集めて、商品を入れるために備え付けてあるレジ袋の中へ。
ビニール袋に収まった奇妙な通貨は、また新たなコレクションとして、彼の部屋に加わることになったのであった。