9月20日(水)のお客様
ここは、とある北の大地の片田舎に存在する「石川商店」。
住宅街近辺に店を構え、その周辺の住民たちを相手に商いを続ける個人商店だ。
その個人商店の家業の手伝いを行うのが、石川家の長男である少年。
地元高校の二年生であり、遊びたい盛りの普通の若者であった。
石川少年は今日も夕暮れ時にカウンターに座って店番をする。
父は近所に配達を、母は友人の家にお茶をしに行っている。
祖母は趣味の習い事で家を出ていて、丁度いない。
今この店の中にいるのは、石川少年ただ一人。
「…なんか、そろそろ来そうな予感がする。」
少年は頬杖をついてスマートフォンを弄っていたのだが、不意によぎった予感に顔を上げた。
彼の予感は、先日よりの奇妙な客人に由来する。
4日前に現れた勇者、そしてつい昨日訪れた魔王。
現代の品物を喜んで購入し、ファンタジーな世界のアイテムを置いていった二人。
二人が現れたときの共通点は「自分以外家に誰もいないこと」と「夕暮れ時であること」だった。
そして、その状況は現在にも当てはまる。
つまりそれらに類する何かが現れるなら、今がチャンスと言わざるを得ないのだ。
石川少年は、ちらりとガラスの引き戸に視線を移した。
彼の予感は、次の瞬間に的中することになる。
ガラリと引き戸が引き開けられた。
石川少年はいつも通りに「いらっしゃいませ」と声を上げて客人を出迎えようとしたが、現れた人物の姿にぎょっとしてしまう。
石川商店の引き戸を引き開けたのは、自分よりも少しだけ年下であるという印象を受ける少女。
黒いワンピースに革のブーツを身に纏い、栗色のボブカットヘアーの頭の上には、彼女のサイズから見るとオーバーな大きさのとんがり帽子が乗っていた。
その手に携えているのは、これまた彼女のサイズから見れば大きい竹箒。
どこからどう見ても、絵本やファンタジーの世界に出てくる、典型的な魔女。
彼女は魔女娘であることは明白だろう。
そして、彼女は泣いていた。
太い眉を垂れ下げ、円らな目に涙をいっぱいに貯めて、ボロボロと零しながら店内に現れたのである。
石川少年がぎょっとしたのは、彼女が泣いていたからだ。
「ちょっ、お客さん、どうしたんスか…?」
泣いている少女を放っておくほど、石川少年は冷血漢ではない。
魔女娘はぐすぐすと泣きながら、ワンピースの袖で涙を拭う。
真っ赤になった顔と潤んだ目が、石川少年を捉えた。
「お客さん…?
ここ…お店、なんですか…?」
嗚咽を漏らしつつ、震える声で魔女娘は問う。
石川少年はその言葉に、首を縦に振って肯定を示した。
少年の言葉を聞いた少女は、ぱあと涙まみれの顔を明るくする。
そして、カウンターにかじりつくようにその身を乗り出す。
「よかったぁ!
あのっ、あたしずっと探しているものがあるんです!
おばあちゃんがその、少し前から病気で!
それがないと治せなくて!
でも、あれは生えている場所が限られているから、あたしの知っているお店では全然仕入れてなくて!
どうしようって思ってて…あのっ、その…」
喜びと焦りからか、説明と言葉が支離滅裂になる魔女娘。
思い出したかのように言葉を詰まらせていったところで、石川少年が苦笑いしつつ「まあまあ」と両手で相手を押し込むような身振りを見せる。
「お、落ち着いてくださいっス…
お客さんの求めてるもんがウチにあるかどうかわかんねっスけど、相談には乗ります。
どんなものが欲しいのか、ちょっと聞かせてほしいんスけど…」
「そ、そうですよね、早とちりしてごめんなさいっ!」
石川少年を困らせていることを察した少女は、慌ててその身をカウンターの向こうへと引っ込めた。
そして、その手に持った厳つい竹箒を、ギュッと握って俯く。
深呼吸を一つして、再び魔女娘が顔を上げた。
石川少年は彼女が話し出すまでをじっと待つ。
「わ、私はここから少し離れた森の中に住む魔女です。
師匠でもあるおばあちゃんと二人暮らししていて、魔法のお薬や魔法の道具を近くの町に売って生きています。」
多分こことは違うどこかの話なのだろう、と石川少年は思う。
だが、別段口をはさむことでもないので、そのまま聞き流すことにした。
先ほどまでぐずついていた魔女娘だったが、今は落ち着いて話ができている。
続けて、彼女は口を開いた。
「なんですけど、最近おばあちゃんが流行り病に倒れちゃって…
魔法のお薬を作って治そうとしたんですが、実は材料が足りなくてお薬が作れないんです。」
魔女娘は俯く。
その声にはまだ涙が混じる。
恐らくはその流行り病、放っておけば死に至るようなものなのだと推測できる。
石川少年は眼前の少女の想いを感じ取り、心を痛めた。
しかし、次ぐだろう欲求の想像はつく。
そして、それは下手をすれば力になれないことだ。
「あの、店員さん、ここには『煉獄のザクロ』を置いていませんか!?」
煉獄のザクロ。
それが彼女が求める薬の材料の名前だった。
石川少年にとっては、聞き覚えのない、見たこともない代物の名称だろう。
だが、石川少年は不思議とその材料がどんなものなのか、なんとなく想像がついてしまった。
一瞬「この子の力になれるかも」という考えが過った。
「…えーっと…その煉獄のザクロって、もしかして真っ赤な果物みたいな?」
「そう、そうです!
赤い果物で、両手に乗せられるくらいの大きさで、手に乗せると中から熱がドクンドクンって伝わる感じのです!
魔界の瘴気が噴き出るような場所でしか採れない貴重なものなんですけど、そのまま食べると熱病の呪いを受けて死んじゃう危ないものなんです!
でもでも、ちゃんとした下ごしらえと調合をすれば、どんな病気でも治せるような万能薬ができるんです!
売って…ないですか…?」
魔女娘は手をパタパタとさせたり、丸いものを救い取るような身振り手振りを交えながら、彼女の探す魔法薬の材料を説明していく。
彼女の説明を聞けば聞くほど、つい先日聞いたばかりのあるアイテムのことが頭に浮かんでいく。
つい昨日、とある悪そうな鎧の人からそんなものを貰ったような、貰っていないような。
記憶に新しい非現実の出来事が、石川少年の脳内で像を結んだ。
「…あるっスよ。
ちょっと待っててください。」
石川少年はぽつりと呟き、カウンターから出る。
そのまま店の奥へ向かい、居住スペースへ。
建付けが少し悪い引き戸を開けて、そのまま自分へ割り当てられた部屋へと向かった。
その様子を、魔女娘は心配そうに、しかし大人しく見届ける。
時間はそれほど必要ではなかった。
石川少年はすぐに店の中へと戻ってくる。
しまりの悪い引き戸をとりあえずそのままにして、少年はカウンターに再度入った。
そして、カウンターの上に、一枚のポリ袋に入れられた赤い果実を置く。
ザクロによく似た赤いそれは、丁度昨日「魔王」を名乗る存在に手渡された、うまい棒と物々交換した代物だった。
「えーっと…これっスよね?」
「あーっ!!
それです!そうです!ホントにあるなんて!!」
カウンターの上に置かれた果実を見た魔女娘は、その表情から悲愴を取り払う。
まるで雨が降り続いた空がパッと晴れてしまうかのように、希望に満ちた顔を見せた。
そして、自分より背の高い石川少年へ視線を合わせるように顔を上げ、にっこりと笑うのだ。
「ありがとうございます!
ぜひ、これを売ってください!」
「あ、はい、どうぞ。
っていうか、持ってっていいっスよ。
こんなのいくらなのかわかんないし…」
「いいえ!ダメです、ちゃんとお代を払わないと!
でもあたし、急いで出てきちゃったから、今『ギル』の持ち合わせがなくて…」
正直さっさと処分してしまいたい果実の引き取り手が見つかったのだ。
石川少年は魔女娘にそのまま譲ろうと思ったのだが、少女はそれを許さない。
勢いよくぶんぶんと首を振る。
石川少年は別に構わないと言葉を付け足そうとしたが、彼女から飛び出した通貨単位だろう言葉のせいで一拍発言が遅れてしまう。
そうしている間に、魔女娘はどこからともなく丸い物体を取り出して見せる。
そっとカウンターの上に置かれたそれは、少女の掌で掴める程度の大きさの、透明なガラス玉か、水晶玉のようなものであった。
「だから、その、これと交換してもらえないでしょうか。」
「えーっと…これは何スかね。」
「あたしが作った『封魔のオーブ』です!」
石川少年の質問に、魔女娘が自信満々に答える。
アイテム名を聞いても、石川少年にはその使い方がさっぱりわからない。
名前からして危ないものではないとなんとなくはわかるのだが。
「この封魔のオーブは魔法の道具でして、ちょっと魔力を流せばどんな邪悪な存在でも千年は封じておくことができます!
あたし、普通の魔法と箒に乗ることは苦手ですけど、魔法の薬と魔法道具作りはとっても得意なんです!
この封魔のオーブもすっごい上手く作れたので、効果はおばあちゃんのお墨付きですよ!」
本当に自信があるのか、少女は「えへへ」と笑いながら道具の説明をする。
説明を聞く限りは、やはり危ないものではなさそうだ。
魔力がどうのだとか言っているため、使えるかどうかは定かではないが。
少なくとも、自分が持っていては文字通り宝の持ち腐れだろう「煉獄のザクロ」よりはマシであることだけはわかる。
石川少年は、封魔のオーブを手に取って、代わりに煉獄のザクロを差し出した。
「わかりました、じゃあ物々交換ってことで。
ほら、早くおばあちゃんのところに戻ってお薬作ってあげてください。」
「ありがとうございますっ!!
このご恩は忘れませんっ!!」
差し出された煉獄のザクロの袋を、少女が手にする。
満面の笑みを浮かべて礼を告げる少女に、思わず石川少年も笑顔を見せた。
入ってきたときは泣きじゃくっていた魔女娘は、煉獄のザクロを手に意気揚々と引き戸を開けて、外へ飛び出していく。
そして、表に出たと同時に箒に跨ると、まるで流星のようなスピードでその場から去っていった。
立ち去っていくときに「キャー!」という叫び声が聞こえたような気がするのは、気のせいではないはずだ。
彼女は自分が語った通り、本当に箒に乗るのが苦手なのが伺える。
少女が立ち去った石川商店は、また静寂を取り戻す。
冷蔵ケースの稼働音が響く店内に残されたのは、カウンターの上に置かれた透明な石の玉。
「魔力を流せば邪悪なものを千年封印する」という魔法の道具らしいが、少年には使い方がてんで思いつかない。
とりあえず持って、正面に向けて「ぬん!」と力を込めてみるものの、何も起こらない。
それは邪悪なものがいないからなのか、石川少年に魔力がないからなのか。
「…まあ、なんか魔除けにはなりそうだし、この辺に飾っとこうかな。」
石川少年はその謎の道具を、自分の後ろに備え付けられた棚に置こうとする。
なんかの拍子に放置されていた輪ゴムを滑り止めとして下敷きにし、そっと飾り付けた。
ごちゃごちゃと備品が置かれた棚の中に、ぽつんと置かれた透明な石。
それは夕暮れの日差しを反射して、きらりと輝いた。