雲は地上で返り咲く
「お前、またタバコなんか吸ってんのか」
そう言って西宮圭は胸ポケットからペンのような薄紅色のスティックを手に取り、口に当て捻った。先端に光が灯る。
少しすると西宮の顔は淡い赤みを帯び始めた。
「雲菓子、美味しいですよ」
「菓子なんて良いもんじゃねぇだろ、それ」
「先輩のよりはまともですよ」
雨霧有希は西宮の口元の“それ”をじっと睨む。
「雨霧、頑張るのはいいが無い話をでっち上げるのはご法度だぞ。」
「でも実際にそれによる被害が出てるんです!」
彼女は思わず声を荒げる。
「けどお前、そう言ってる割には証拠の一つも掴めてねぇじゃねぇか」
部下を揶揄いつつ、西宮はもう一度スティックを勢いよく吸い込む。僅かに上機嫌になった足取りとともに、雨霧を残しオフィスへ戻って行った。
「証拠なら、掴んだ。あとは説得するだけ。」
一人残された友希も指を口元へと運ぶ。こちらも先端に光が灯ったが、直後彼女の口から白い雲が自らの居場所を求め空へ舞って行った。
“AMORE”
『尽きる事の無い愛を貴方へ』を売り文句に、言葉の通り愛を補給する嗜好品として四年前に突如世に放たれたそれは様々なメディア、インフルエンサーの興味を得て瞬時に爆発的な数のユーザーを得た。
見た目は電子タバコに似ているものの、本体を捻る事で内側から薬品が噴射され即座に体内へと吸収される仕組みになっている。
吸引すると使用者は愛されていると感じ、多大な幸福感を得ることが出来る代物だった。
友希は発売当初からAMOREに対し唯ならぬ反感を覚えていて、ドラッグによる幻覚作用と何ら変わりないと思い生理的に受け入れることが出来ないでいた。彼女は自身の記事を通してそれをずっと訴え続けて来たが、既に手厚い支持を得ている商品に何の影響も出すことが出来ずにいた。
友希はオフィスへ戻り自身の机からファイルを手にする。そのまま西宮の席へ向かい彼の席にファイルを叩きつけた。
「先輩が何度も何度も口にした証拠とやらを持参しました。読んでみてください」
西宮は社内で唯一彼女の主張を、少なくとも聞いてはくれる人物だった。
目の前で尋常ならない威圧感を放っている彼女の視線に圧倒され、彼は渋々ファイルを開く。
中にはAMORE使用者と見られる数人の基本情報と現状などがみっちり羅列されていた。
「お前...記者は探偵じゃねえぞ?」
軽い皮肉を口にしながら、西宮は報告書を読み始めた。
Case no.02
姓名:麻生直樹
年齢:十六歳
散らかっていますがどうぞ。
お茶でも用意しますので座ってくだ…あ、要らないですか?分かりました
AMORE…ですか?はい。使ってます。俺の周りも皆使ってますよ。
同年代の子は大体親から貰ってると思います。最近どの家庭も共働きですし。貴方の周りにも結構居るんじゃないですか?多分頻繁に見てると思いますよ。
異常…ですか?特に感じた事は無いですね。むしろ逆です。これ一つあれば寂しい思いをしないし、メンタルケアにすごく役立ってます。俺は結構人見知りでお世辞にも明るい性格とは言えないんですけど、これを使ってからは初対面でも普段通りの自分で居られる様になったんです。その事を両親に伝えると両親も買ってあげた甲斐があったと喜んでましたね。俺は気づいてなかったんですけど、結構心配していたみたいで...二人とも、もう大丈夫だと言って最近は気兼ねなく外出したりしてますよ。未だにラブラブだなんて息子からしても羨ましいです。俺も将来はああなりたいですね。
もう行かれるんですか?何かすみません、俺ばかり喋っちゃって…これで良かったんですか?そう言ってもらえると俺も役に立ったみたいで嬉しいですね。また何かあればいつでも来てください。基本夜遅くまでは一人でいるので。
西宮は麻生の周辺状況の説明を読み、表情が僅かに硬くなった。
『麻生両親、不倫による離婚裁判中』
「そんな修羅場で暮らしながら愛されていると感じる事が異常なんです。どれだけ上手に隠したとしても、親の不仲ぐらい”普通”は気づくでしょう。彼にはそれが出来ていない。本人はむしろ幸せな家庭だと思っている節もあります。おかしいんですよ。自分の置かれた状況を全く認知できていない。それもこれも全部、先輩の胸ポケットにあるそのドラッグの所為だと思えませんか?」
オフィス内に響き渡る怒涛の主張。皆の視線が西宮と友希に集まる。しかしブレーキが壊れた友希は止まらない。
「AMOREが与えるのは愛なんかじゃない。少なくとも麻生少年にとっては親の無関心を誤魔化すための質の悪い幻覚剤でしかありません。」
「雨霧、お前も一端の記者なら発言には気をつけろ。今お前が口にした事は俺を含めて多数の人間を麻薬中毒者だと決めつけたんだぞ」
西宮の言葉は正論だった。しかし友希にとってそれは事実であり、だからこそAMOREの批判を続けて危険性を訴えていた。
「お気に障ったのならすみません。ただ私はそれが間違ったとは思いません」
そう言う友希の視線には少年に対する哀れみと、この悲惨な環境を作り上げた物に対する憎悪が見て取れた。
短いため息が机を撫でる。西宮はファイルに目を戻し、ページをめくった。
Case no.03
姓名:新カリン(本名:小鳥遊恵美)
年齢:二十五歳
ハーイ!毎日新たな姿を!新カリンだよー
たまたまカリンのスケジュールが開いてて良かったね!こんな事滅多に無いんだよ〜正にレアケースですッ!今日は何の用かな?
AMORE?使ってるよ〜。結構前だけどファンの人にもらってねー。最初はちょっと怖かったんだけど気になって使ってみたら世界がキラキラ光りだしたの!その時は本当に驚いたな〜あんなに眩しいキラキラステージの上でしか見れないと思ってたのに。今はいつでも輝くカリンで居れるから正真正銘のアイドルって感じ!アイドル冥利に尽きるよ~
変なところ?ある訳無いじゃん!人生がアイドルしてるんだよ?これ以上良いこと無いって!カリンはキラキラしたステージに憧れてアイドルになったの。頑張ったんだよ?毎日毎日厳しいレッスン受けたり、食べたい物我慢しながら不味いご飯食べて…しかもね!量もすっごく少ないんだよ!それっぽっちで動けるかー!!ってずっと思ってた。でもね、一度ステージに立つと苦労なんか全部吹っ飛んじゃう。思ってたより百倍千倍ドキドキしてワクワクが止まらないの。そんな強烈な感覚を、ずっと求めてた光景を常に見てられるんだよ。これ以上幸せなこと無いでしょ?あ、ごめん。こんな話しても多分分からないよね。十分理解できるって?凄いね!アイドルになったらもっと理解できるよ!
遠慮しなくていいのに…まぁ気が変わったらいつでも言ってね!その時はカリンが全力で協力してあげるよ。バイバーイ!
「先輩、このアイドル知ってます?」
西宮が二枚目の報告書を読み終えた頃合いに話しかけた友希の表情は、既にその答えを察しているようだった。
「生憎俺はそういうのに疎くてな。芸能人なんかほとんど知らねぇよ。俺の専門は別フィールドだ」
「その人芸能人なんかじゃないです」
西宮の目が驚きに染まる。パソコンで”新カリン”を検索するが、該当数はゼロだった。
「自称なんですよ。正確にはアイドル志望なので歌って踊りはするんですが、あくまで路上ライブの類です。ただ彼女はそれが自身のために用意されたステージだと思い込み、目の前を通るすべての人間をファンだと勘違いしています。私も急に手をつかまれて礼を言われた時は驚きました。妄想に溺れて沼っている状況がまともだと思いますか?」
友希は今度こそ手ごたえを感じた。客観的に見ると新カリンの行動が正常で無い事は明白だった。
微かな笑みが灯る。もう少しで自分の意見に賛同する人物が現れることを、孤独な戦いが終わりを告げると友希は期待していた。
「少し悲観的過ぎないか?」
しかし友希が力説している相手は既に味方になることが出来ない状態だった。
「そっちの業界が正確にどう成り立っているか知らんが、そういった売り込み方も有るんじゃねぇの?一種のマーケティングだと考えることも可能だ」
友希が見落としていた事。それは彼女の先輩も”あちら側”の人間だということだった。
西宮は最初から聞く耳など持たずただ友希を納得させるために、彼女の意見を聞いた上で丸め込む事を考えていた。そしてこの瞬間友希も理解した。
しばしの静寂。のち、破裂音。
友希の味方はどこにもいなかった。理解者だと思えた頼み綱も既に敵に掌握されていた。彼女は怒りに任せて扉を突き抜ける。絶望した彼女が向かう先は一つしかなかった。
彼女が去ったオフィスは、嵐の後の様な静けさに包まれた。
高層ビルの看板に『尽きる事の無い愛を貴方へ』のフレーズが鮮明に光っている。友希はAMORE本社の前に佇んでいた。この際強行策に走ろうと意気込んだものの、実際目の前にすると彼女の相手はとてつもなく大きく感じ取れた。
敵の本陣で、私が一人突入したところで相手になるだろうか?
ギラギラと光る建物は、身の回りの全てを敵と捉える友希を委縮させるには十分な威厳を放っていた。
幾分が経ち、ロビーから一人の人影が友希のもとへ近づく。
「雨霧友希様ですね?お待ちしておりました」
友希は戸惑った。彼女は名乗っていないにもかかわらず当然のように自身の名前を呼ばれ、思わず声の元へ視線を滑らせた。そしてすぐに目を大きく見開く。
彼女の前には同性でも見惚れてしまうほど美しく、気品に満ちた女性が立っていた。
「この度は我が社の製品にご興味を示していただき、誠にありがとうございます」
衰弱した精神と美麗な姿の人物を前に、友希は反論することさえ許されなかった。
「お礼という程の物ではありませんが、この度新製品を開発いたしました。雨霧様であれば正確な評価をを示してくださると思い、お待ちしていた所存です」
彼女は筆入れ程の箱を手渡す。友希はそれを受け取る自分の手を、ただじっと見つめていた。
「それでは忌憚なきご意見、心よりお待ちしております」
そう言い残し、彼女は友希の元を去っていく。
その場に一人残された友希の目に飛び込んできたのは、数えきれない程目にした売り文句だった。
友希は自室に座り込み、箱の中身を取り出す。淡い藍色に染まったそれは、いつもの見慣れた薄紅色ではなかった。
今頃先輩も自分と同じように、これを手にしているだろうか。
ふと西宮を思い浮かべる。
明日、今日の無礼を謝ろう。
そう考え彼女は指にそれを挟む。
普段よりずっしりとした重さを感じながら、愛に満ちた世界を渇望し、それを口元へ運ぶ。
雲は地上一メートルに姿を表さない。
「以上で本日のプレゼンテーションを終了します」
部屋の蛍光灯に明かりが灯る。右手の画面には私が発表した今後のマーケティング方針が映っていた。
「しかし君、ケース2や3はともかく、このケース1はいつから目をつけていたんだい?」
幹部の一人が問う。彼は私の目を見ると両頬が僅かに紅潮し、視線を逸らせた。
私を見慣れていない人は皆、毎度の事等しく反応するのでとても可笑しい。こうも同じ反応ができるものなのだろうか。
恐らく彼女も私に見惚れていたのだろう。弱みに付け込むようで少し申し訳なかったが、これも仕事だと割り切ることにした。今頃は彼女も愛に満ちた生活を送っていることだろう。
「もちろん、彼女を初めて認識した時です」
これからこの世界は、更に愛で満たされるだろう。
読んでくださりありがとうございます。
読者の皆様は是非、小さいものでも構いません。周りの人々に感謝を伝えてみてはいかがでしょうか。