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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

血薔薇の貴婦人

作者: 橘暁子

友人の絵から着想を得て書いた物語です。


 物心ついたときから、彼女は孤児であった。


 両親の顔など知らず、誰からの愛情を受けたこともなく、温かな笑い声の響く民家の残飯を漁り、時には気まぐれに押し付けられる仕事の報酬で食いつなぎながら、彼女は「子ども」と言い表される年齢を過ぎようとしていた。


 それほど長い時間が過ぎても、ひとり路上で暮らす彼女を家族に迎えようとする者は誰もいなかった。

 その要因はたった一つ――彼女の左目、細い身体に比して大輪に咲く、()()()()()()()にあった。

 

 痩せた身体に老婆のような白い髪、そして左目の赤い花。

 自分たちとは違う要素を持った彼女を、村人は「悪魔の子」と言って密かに恐怖していた。

 いっそ彼女を殺してしまおうか、という話は密かに何度も交わされていたが、結局は祟りを恐れて実行されることは無かった。

 そして彼女は今日もひとり、雨ざらしの路上でぼんやりと座り込んでいたのである。


 とある日。

 いつも淡々と日常が繰り返されるは彼女の村は、どこかそわそわと明るい雰囲気が漂っていた。

 新たに就任したばかりの若い領主が、遠い町からやって来るというのである。

 久しぶりの来客に村は沸き立ち、玉の輿を夢見る村娘たちは自らを()く見せる為に躍起になった。

 そして同時に、村人たちは彼女にきつく言いつけた――「今日は決して、路地裏から出てこないように」と。


 その日の昼下がり、領主一行がやってきた。

 若い領主は村のあまりの大歓迎ぶりに少し苦笑する。

 村人たちは皆一様に笑顔で、食うに困っている、という様子もない。

 村は一見すると何の問題もない、ごく普通の村のように思われた。


 けれど。

 そう言い切るには、少しの違和感があった。

 彼は注意深く村の様子を見まわし、やがてそれに気づいた。

 笑顔の村人たち、けれど時折、その誰もが、村のとある場所――民家が立ち並ぶ裏手の方を、ちらちらと気にしているのである。

 彼は慌てる村人をよそに、路地裏に足を踏み込んだ。


 そこは昼中でも薄暗く、領主の青年はぱちぱちと瞬きをする。

 やがて暗がりに浮かび上がったのは、伸び放題の白髪、それに身体が包まれるようにして蹲る、人らしきものの姿だった。


 少女は近づく誰かの足音に、のろのろと顔を上げる。

 そして、顔を覗き込むようにして目の前に屈む、見覚えのない青年の顔にぽかんと目を見開いた。

 俯き隠されていた少女の左目が露わになった途端、村人たちから悲鳴が漏れる。

 けれど目の前の青年は、僅かに驚きの表情を浮かべた後、大きく破顔した。


「こんにちは、『ばら』のお嬢さん! もし良ければ、僕の屋敷にお呼ばれしないかい?」


 そんな彼の一言で、彼女はあっけなく路上暮らしから脱することとなったのである。


 半ば強引に連れてこられたのは、彼の家――代々、領主一族が暮らしている、古くて広い、そして美しい屋敷であった。

 当時の彼女からすれば、屋根があるだけでどこでも素晴らしい家に見えたのだけれど、それでも故郷の村の住人達が住んでいたものとは比べものにならないくらい、連れてこられた屋敷が広く、美しい場所であることくらいは理解できた。


 青年が突然、得体の知れない少女を連れて帰ってきたというのに、屋敷の使用人たちは優しかった。

 彼らはまあまあまあと驚きの声を上げ、あらあら大変と口々に言いながら、彼女の身体を洗い、髪を整え、綺麗な服を着せ、青年と一緒に食事をとらせた。


 青年は使用人たちの手によって磨かれた少女を見て目を丸くし、「別人みたいにきれいだ」と笑い、彼女との食事を、嬉しそうに口にした。

 そんな彼の様子を不思議そうにしながら、彼女は促されるまま、目の前に出された料理を口にして――その温かさと滋味深い味わいに、目を白黒させた。

 そしてそのまま、覚束ない手つきでゆっくりと食事を進め始めた彼女を、青年や使用人たちは優しい眼差しで見守っていた。


 それから、彼女は屋敷の一員となった。

 彼女はたくさんのものを与えられた。

 例えば、衣食住。

 例えば、教育。

 例えば――名前。


 少女に名前が無いことを知ると、青年は少し考え、やがて良いことを思いついた!とばかりに顔を輝かせ、彼女を屋敷の庭園に案内した。

 そこで目に飛び込んできた光景に、彼女は目を見開く。そこには、彼女の左目と同じ、大輪の赤い花が群れを成して、悠々と咲き誇っていたのである。

 立ちつくす彼女に、青年は、この花が「薔薇」という花であることを教え、屋敷はこの見事な薔薇の庭園から、「薔薇屋敷」という異名がついていることを、誇らしげに語った。

 そしてこの花にちなんで、彼女に「ローザ」という名前が似合うのではないかと――そう、恥ずかし気に言ったのである。

 彼女は不思議と耳に馴染むその音を、口で何度も繰り返し。

 やがて、青年に向かって僅かに微笑んだのだった。


 少女――ローザは、それから徐々に、変わっていった。

 人形のように変わらなかった表情は柔らかく、酷く痩せていた身体は女性らしいすらりとした健康的なものに。

 そして使用人たちのお陰で、少し前とは比べ物にならない程物を覚え、振る舞いも少しずつ洗練されていった。

 そんなローザの成長を、使用人たちは自分の事のように喜んでくれた。


「坊ちゃまは、昔から『拾い癖』がありましてねぇ」


 その日。老年に差し掛かった使用人は、やれやれと言った素振りで彼女に語った。

 それに合わせ、周りの使用人たちが言葉を続ける。


「そうそう、何か困っている動物を見ると、放っておけないんですよねえ。虫に鳥、犬に猫、それからそれから」

「「「ついには『人間』!」」」


 使用人たちは楽しそうに笑う。


「最初はまさか、と思いましたがね。いやあ、結果的に良かった良かった!」

「あのぼろぼろの女の子が、こんなにきれいなお嬢さんになるなんて……ああ、違う違う」


 年若い使用人が、いたずらっぽく笑う。


「今日からは『()()』ですもんね、ローザさま!」


 そんな言葉で送り出されたローザはその日、薔薇屋敷の小さな教会で、青年と夫婦の契りを交わしたのである。


 そうして始まった結婚生活は、幸せに満ちていた。

 夫となった青年は相変わらず優しく、けれど屋敷に来た当初よりずっと大きな愛でローザを包み、癒した。

 屋敷に彼女を忌避する者は誰一人としておらず、ローザは生まれてから初めて、「人間」として生きる喜び――意思を持つ生物として遇される嬉しさ、誇らしさを知ったのだ。


 そしてそれは、ローザのお腹に新しい命が宿った時、彼女にとある決意を抱かせるに至った――この子をかつての自分と同じ境遇に落とすことなく、一人の幸せな「人間」として、無事育て上げなければならない、と。

 

 一年後。ローザは玉のような、双子の赤ん坊を産み落とした。

 新しい命の誕生に屋敷中が沸き立ち、父となった青年はローザを最大限に労った。

 そして我が子の顔を見た瞬間、そのあまりの愛らしさに叫んだ。


「見てごらん、二人とも君にそっくりだ! 嗚呼(ああ)それになんてこと、女の子の方は君と同じ、美しい薔薇の左目だ‼」


 双子は屋敷中の人々を振り回した。双子が泣くと皆が慌てふためき、愛らしい笑顔を覗かせると誰もがでれでれと頬を緩ませた。

 「普通」の顔をしていた兄も、ローザと同じ、薔薇の左目を持つ妹も、屋敷の人々は決して差別することなく、領主夫婦の大切な子どもたちとして扱った。

 屋敷は、間違いなく幸せの絶頂だったのだ。



 だから、ローザは忘れていた。

 自分が――異形の者たちが、外ではどんな風に見られ、扱われていたのかを。



 その日。

 ローザは愛しい我が子に外の世界を見せてやりたいと、屋敷近くの林に散策に来ていた。

 そこはとても心地の良い場所で、周りに人もいないようだった。

 だから、ローザは薔薇の左目を隠していた、顔を覆うつば広帽子を外してしまったのだ。


 静かに木々がざわめく場所で、ローザはいつになくリラックスした気持ちになった。

 そして後ろから聞こえて来た足音に、つい無防備に振り返ってしまったのだ。

 夫が、心配して様子を見に来たのかと思って。


 けれど、そこに立っていたのは見知らぬ人物――近隣の村に住んでいる、迷信深い中年の村人だった。

 彼はローザと目が合った瞬間、顔色を変え、大声でこう叫んだ。


「助けてくれ、化け物が森の中に‼」


 ……そこでようやく、ローザは自分の左目が、何も知らぬ人から見ればどう思われるか、ということを、思い出したのだ。


 ローザは慌ててつば広帽子をかぶり直し、子どもたちを連れて薔薇屋敷に帰った。

 尋常でない様子に心配した夫が、ローザに何があったのかを訊きだす。

 事情を聞くと、夫はかつてない程に厳しい表情になり、ローザにしばらくは屋敷を出ないように言った。

 先程の出来事にひどく動揺していたローザは、それに一も二もなく頷いた。


 そこからは、あっという間だった。

 まもなく、薔薇屋敷に異端審問官と呼ばれる者たちが押し寄せてきたのだ。

 彼らは異形を、異端を決して赦さない。

 屋敷中の者たちが必死になってローザや子どもたちを隠したにも関わらず、あっという間に彼女たちを見つけ出し、磔台(はりつけだい)に引っ立てようとした。

 それを、領主屋敷の者たちが黙って見ている筈もない。

 彼らは一丸となって抵抗した。

 ローザを庇い、双子を奪い返し、男たちは盾となって、女たちは三人を逃げ道へと誘導した。

 人々の悲鳴と怒号、血しぶきとうめき声、けれど皆、ローザたちを庇って言うのだ――


「奥様、逃げて!」

「振り返らないで、捕まらないで!」

「奥様!」

「奥様!」

「奥様‼」


 口々に、彼女を呼んで、逃げてと叫んで。

 ここまで来ても、彼らはローザたちの幸せを願うのだ。


 けれど、すべては無駄だった。

 異端審問官は一枚も二枚も上手で、一般人である屋敷の者たちが考えることなどお見通しで。


 皆、殺された。


 一面真っ赤だった。


 火が放たれて、熱くて、真っ赤で、


 この腕に抱いている夫は、子どもは、皆、息をしていなくて。





「お前が異形だから悪いのだ」





 淡々と告げられた罪の在処を最期に、彼女の視界は真っ黒に閉ざされた。






























 どうして?




















 どうして、こんな目に遇わなければならなかったの?




















 異形だからと、彼らは言った。

 

 異形だから。

 

 人とは違うから。


 

 それが罪だというのなら。


 納得はできずとも、私は無理矢理呑み込んで見せよう。

 


 じゃあ、何故。



 異形の私を「人間」扱いしてくれたみんなは、何故、殺されなければならなかった?



 優しい人たちだった。


 穏やかで、綺麗で、笑顔の絶えない人たちだった。


 彼らは只人(ただびと)が見捨てた私を、家族として迎え入れてくれた。


 彼ら自身は異形でもなんでもなく、そして異形であろうとなかろうと、困っている人を見たら迷わず手を差し伸べる、それが出来る、きっと、世界には必要な人たちだった。



 それなのに。



 許さない。


 赦さない。


 ゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないゆるさないユるサなイ―――――――






 ()ちた首を見開く。


 焼けて骨だけになった彼女の身体に電撃が走り、蒼白の皮膚が再生されていく。


 それは神がもたらした奇跡のような、悪夢の始まりのような、そんな光景で。



 どう見ても生者ではない青ざめた肌に、哀しみを纏うような黒々とした喪服。

 かっと見開いた瞳、その左目には血のように紅い、大輪の薔薇。

 手には最期に抱いていた、最愛の夫の髑髏(しゃれこうべ)



『―――ゆル、サなイ』



 怨念の化身となった彼女は、自分を案じるように舞う、透き通った青い蝶々たちに気付かない。

 それが薔薇屋敷で死んだ人々と同じ数だけ居ることにも。

 焼けて、壊れて、何も無くなったその場所で独り立つ、美しく哀しき怨霊は、やがて狙いを定め、空の彼方へ飛んでいく。

 全ては無惨に生を断たれた、罪なき彼らの仇討ちのために。




   ◆◆◆




 ―――悪魔の子を匿っていたとして天罰が下された、ある地方の領主一族の家、通称「薔薇屋敷」が焼け落ち、しばらくして。

 とある事件が、人々に恐怖をもたらした。

 薔薇屋敷の焼き討ちに関わった異端審問官たちが、次々と不審死を遂げたのである。


 彼等の死体は、(ある)いは切り刻まれ、或いは焼かれ。

 何れも(むご)い姿で見つかっており、傍には血のような赤い薔薇の花弁が落ちていたという。

 犯人は捕まっていないが、その現場の状況、遺体の損壊具合から、被害者の異端審問官たちへ恨みを持つ者の犯行とみられている。


 そして、同時期。

 とある噂話が、人々の口伝いに、じわじわと広がっていた。


 異端審問によって焼かれ、何も無くなった薔薇屋敷、その跡地。

 そこに近づくと、薔薇が咲き乱れる、かつての美しい屋敷の姿が、まるで陽炎(かげろう)のように浮かび上がるのだという。


 しかし、それに近づいてはいけない。

 

 そこには怨霊が居る。


 焼き討ちにより命を落とした領主一家、その夫人が嘆きと恨みにより怨霊となって、近づく者を呪い殺すのだ。


 美しいかんばせ、左目には血が滴るような赤い薔薇。

 喪服に身を包み、髑髏を持つ彼女は、その姿から「血薔薇の貴婦人」として、周囲の人々に恐れられているのだという―――。




ここまで読んでいただきまして、本当にありがとうございます。

よろしければ評価・ブックマーク等、よろしくお願いいたします。


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